スデスラス王国軍の上陸
スデスラス王国軍はガンガジル王国領土の南側に上陸しつつあった。
カイデルという大河がガンガジル王国と隣国を貫いており、そのカイデル川を経由しての船便を利用した移動である。
とはいえ、五十万という人数を一気に動かすことは容易ではない。
何十という船が入れ替わりながら兵員を降ろしていき、順番に船を降りた兵たちは続々と埠頭から移動して場所を空けていく。
埠頭につける時間を惜み、甲板から足の着く浅瀬まで足場板を渡して、そこに兵を降ろしている船もあった。
とにかく、人数が人数であったから、全員が上陸するだけでも数日がかりの作業であった。
また、揚陸される側であるガンガジル王国と内通し、スデスラス王国の兵を素通りさせる保証を取りつけていなかったとしたら、とてもではないがこうした鷹揚な移動方法は採用できなかっただろう。
スデスラス王国からガンガジル王国まで、水路を経由すると三日ほどかかるわけである。
当然、ガンガジル王国以外にも、経由する間に位置する諸国に対して大軍が通行する許可を求めねばならず、なにぶん大軍が通行するわけであるから、こうした交渉はかなり難航したし説得するために必要とした経費も馬鹿にはならない額となった。
スデスラス王国軍を乗せた船が通過していた間、周辺の諸国がこちらを警戒して神経を尖らせている様子は、船の中に居てもありありと感じられるほどだった。
が、陸路を行く場合は、移動に要する時間はざっと三倍以上はかかる。
時間だけの問題ではなく、通過する途上にある諸国の警戒心などを考慮すると、多少の出費を確保してでも水路を経由し、少しでも移動時間を短縮しておくことには十分な意味があった。
ただ単にこれだけの大軍を動かすだけでもスデスラス王国にしてみれば負担が大きいわけであるが、スデスラス王国にしても今回の出兵については存亡を賭けるほどの意気込みで取り組んでいる事業であることもあり、多少の出費を惜しむよりはより確実に、安全に兵を搬送することを選んだ。
「……予想よりも数が多いな」
遠眼鏡を覗きこみながら、ネレンティアス・シャルファフィアナ皇女がいった。
「せいぜい、二十万から三十万といったところだと踏んでいたのだが……」
どうやら、その予想の倍前後の兵員を出してきたらしい。
スデスラス王国の国力から考えるに、これはかなりギリギリの規模ということになる。
これだけの人数が国外に出ているとなると、おそらく、スデスラス王国の国内は、かなり手薄になってしまっているのではないだろうか。
周辺諸国に対する警戒は、外交的な工夫でどうにかしている形か。
いずれにせよ、スデスラス王国はかなり危ない橋を渡っていることになる。
「総数を推測できますか?」
傍らに居たスセリセスが訊ねてきた。
「着いた船の数を数えれば、おおよその値は掴めるかと思う」
ネレンティアス皇女は顔もあげずに答えた。
「集計したのち、ファンタル殿のところに伝令を飛ばそう」
彼ら、混合軍の騎馬隊は、ガンガジル王国の輸送隊を分断するという仕事が一段落着いたあと、こうしてガンガジル王国南部の様子を探る仕事に就いていた。
ガンガジル王国の首都メラモリを襲撃した前後から、何者かによって洞窟衆が設置した通信用の中継タグが破棄される、という事例が頻発している。
そうした中継タグはもともと、ギリギリ機能している程度にしか配置されていなかったので、野営地との通信に支障を来す範囲が徐々に広がりつつあった。
遅まきながら通信術式の存在に気づいたガンガジル王国の誰かが、中継タグを見つけ次第破壊しているのだろうと、混合軍側は予測していた。
原因が分かったとしても、再度同じ位置に中継タグを設置するような余分な人手があるわけでもなく、また、仮にできたとしても、ガンガジル王国側がそうした場所に対して張り込みを行っている可能性もあり、結局のところ、
「生身の目で見て、転移魔法が使える伝令で情報を送る」
というアナログな方法が安全で確実なのであった。
こうした事情により、従来配置されていた偵察隊だけでは十分な情報収集ができず、また各地に分散した偵察隊との連携も取りづらい状態となっていた。
彼らは現在、スデスラス王国軍が下船している船着き場から遠く離れた岩影に身を潜め、遠眼鏡でスデスラス王国軍の様子を観察しているところであった。
「なあなあ」
ヴァンクレスが、誰にともなくとんでもない内容を提案してきた。
「おれたちだけでもあの中に突っ込んで、ひと暴れして来ないか?
あんだけまわり中敵だらけなら、相当数を減らせると思うんだが……」
「そしてぼくたちは包囲されて、殲滅されるわけですね」
スセリセスが即座に断言する。
「あの数を見てください。
今、ここで多少の被害を与えたとしても、全体数からしてみれば大したダメージとはいえませんよ。
それに、いくらヴァンクレスさんが強かったって、何十万単位という敵と正面からやり合って無事で居られるとは思えません。
あの人数で押し包まれたら、いくら騎兵だって足止めされること必至ですよ」
「そうか、何十万も居るのか」
ヴァンクレスは素直に頷く。
「こちらの人数は……」
「今、南部に居る騎馬隊を集合させて居るところですが、それが全部集まったところで五百騎がいいところです」
「って、いうことは……」
百、千、万、十万……と、ヴァンクレスは指折り数えて戦力差を勘定しはじめる。
「……戦力比、百倍以上というわけか。
いくら歩兵が相手でも、これは無理だなあ」
流石のヴァンクレスも、そういって天を仰いだ。
そのあと、
「十倍くらいまでならなんとか蹴散らせると思うんだが」
ともつけ加えたが。
「数もそうだが、見慣れない装備も目につくようだ」
相変わらず遠眼鏡を覗き込んでいるネレンティアス皇女がいった。
「見慣れない形状の槍が、ずいぶんと多い。
対騎兵戦を想定したパイクかと思ったんだが、パイクにしては柄が短い」
パイクとは、石突きを地面に固定して穂先を前に突き出し、騎兵の突進を妨害する機能に特化した槍のことをいう。
当然、敵の突進に対して横一列に並んで運用することなる。
「それに……ずいぶんと立派な具足を身につけた兵が居る」
「身分の高い人が多いということですか?」
「違うな。
あれは、どれも歩兵用だ」
ネレンティアス皇女は遠眼鏡をスセリセスに手渡した。
「それに、どれも同じ形状をしている。
おそらく、統一された規格に基づいて量産された代物だろう」
「……歩兵用の金属鎧だってっ!」
ネレンティアス皇女に促されて遠眼鏡を覗いたスセリセスは、驚きの声をあげた。
「あんなに全身を金属で覆てっしまったら、普通だったら重すぎて身動きなんてできませんよ!」
「どうやら、われらにとってはお馴染み付与魔法を使用しているらしいな」
ネレンティアス皇女は冷静な口調でいった。
「一時的に身体能力を底上げして、重装甲の歩兵として運用する。
小回りが利く分、騎兵よりも使い勝手がいいかもしれん」
「でも……そんな運用方法を可能とするためには……」
スセリセスは遠眼鏡から顔をあげて、ネレンティアス皇女にいった。
「ああ。
専用の甲冑以外にも、付与魔法の使い手を一定数揃えなくては不可能なはずだ」
ネレンティアス皇女はそういって頷いた。
「やつらは、洞窟衆のやり口を学んだ上で、自分なりの流儀で使いこなしている軍隊であるらしい」
「……という報告が、今し方届いてな」
ファンタルがハザマにいった。
「これについて、どう思う?」
「どうもこうも」
ハザマは口をへの字型にして答えた。
「遅いか早いかの差はあれ、いずれはこうなると予想していましたけれどね。
ただ、これほど反応が早いのは流石に予想外ではありました」
なにせ、魔法関連のものも含めて、洞窟衆で作っている教本は公然と売りに出されている。
洞窟衆発の知識については、当然のことながら、ハザマにしてみても悪用される可能性を予測していた。
「ですが、知識っていうのは基本的にそういうもんでしょう?
一度広まってしまったら、そのあとどういう応用がされるのか予想つかないという……」
ハザマは、そうつけ加えた。
ハザマにしてみれば、そうした知識の利用法に関して、なんらかの制約を課そうとする方が、どちらかというと傲慢な考え方をしていることになる。
それに、実際問題として、特定の知識の悪用を完全に防止することは不可能でもだろう。
今回の場合、スデスラス王国側にしてみれば、自国の戦力を増強するために利用しているわけであり、単純に「悪用」であるとも断言できないわけだが。
「そのいい分は、個人的には理解できるのだがな」
ファンタルはそういっって軽く息をついた。
「ただ、関係のない者たちから見てみてば、洞窟衆の活動がスデスラスの野心に火をつけた、という味方も成立する。
無用な混乱を避けるため、この事実はしばらく、混合軍と連邦の上層部のみが知ることができる機密事項として扱わせてもらおう。
それでいいな?」
「ファンタルさんがやりやすいように」
ハザマはそういって肩をすくめる。
「軍事に関しては、ファンタルさんに丸投げしている身ですから、今さら文句はいいません」
いわれてみれば、そうした情報が公開されればそれなりに影響があるような気もするのだが、ハザマにしてみれば、今になってそんな心配をするのは遅すぎるくらいだった。
なにせこれまで、ハザマは周囲に対する影響など考慮せずにやりたい放題やってきている。
また、その方針を変えるつもりも、ハザマにはなかった。
船着き場から首都のメラモリまで、長蛇の列ができあがった。
途切れることのない、長い長い隊列であった。
スデスラス軍は、どうやらまずはガンガジル王国の首都を目指しているようだ。
付与魔法によって大幅に移動速度が向上しているのか、スデスラス王国軍の先頭はわずか二日でメラモリに到着した。
スデスラス王国軍が下船した船着き場からメラモリまでには、馬でも五日前後はかかる道のりであったのだが。
どうやらスデスラス王国軍は、身体能力を底上げする付与魔法を完全に使いこなしているようだった。
スデスラス王国軍はメラモリの城壁内部には入らず、数名の使者のみをメラモリの王城にむける。
他の大多数の兵員はメラモリの外部に留まり、後続の兵士たちが到着するのを待った。
このとき、スデスラス軍の使者が持参した書状には、スデスラス王国側からガンガジル王国へむけた要求がいくつか書かれていた。
ガンガジル王国側がスデスラス王国の軍勢に干渉しないようにすること。
それに、混合軍の野営地まで案内する者を、ガンガジル王国側から供出して欲しいこと。
など、どれも以前から両国の間で交わされていた密約を確認するような内容だった。
ただ、以前の密約では、スデスラス王国軍はガンガジル王国に対しても軍勢を出すように要求していたのだが、今回は書状にはその要求が書かれていなかった。
最近のガンガジル王国軍の不調を知り、スデスラス王国側に戦力として期待をする気持ちが失せたのか。
それとも、自軍だけで十分な戦果を望めるものという自信の現れなのか。
ガンガジル王国側はこうした要請を受け、混合軍の野営地に派遣された経歴があったシノル・ブラバニア男爵を筆頭とする数名を、スデスラス王国軍に差しだした。
翌日には、ブラバニア男爵ら、ガンガジル王国側から派遣された騎士たちは急ぎ旅装を整え、翌日にはスデスラス王国軍に合流をする。
「どうですか?
わが軍の印象は?」
エデチエル伯爵はブラバニア男爵を出迎えたその席で、真っ先に自軍に対する印象を訊ねた。
「とても規模が大きく、にもかわらず統制が取れた、とてもよい軍だと思います」
ブラバニア伯爵は、とりあえず無難な答え方をしておく。
「それに、各員の具足もよく整えられている。
いや、非常に立派な軍隊であると思います」
実のところ、この言葉はブラバニア男爵の心証を率直に告げたものではない。
確かにスデスラス王国軍の規模には、圧倒された。これについては、否定のしようもない。
ガンガジル王国では、ここまでの人数を集めることさえできないだろう。
人口自体が違うから比較しても仕方がないのだが、ここまで大規模な出兵を可能とするスデスラス王国の国力には、素直に感嘆してもいい。
しかし。
ブラバニア男爵は、これだけの人数が集まっているのにも関わらず、スデスラス王国軍には一種の不気味ささえ感じていた。
おそらく、仕上がったばかりなのだろう。
錆どころか、染みひとつない金属甲冑に全身を包んだ歩兵たちは、どうにも静かすぎた。
生死の境を渡り歩く軍隊とは、もっと喧しい、生気に満ちあふれた存在ではなかったのか?




