新領地の混乱
無茶だ。
リイスはそう思う。
リイスは、洞窟衆でも古参の人間だった。
リンザなどとともに犬頭人の虜となり、そのあと、救出された者たちのうちのひとりである。
これまでめまぐるしく変化する状況に振り回されながらも懸命にその変化に対応しようと努力し続け、今では洞窟衆事務方の筆頭と呼ばれるまでになっている。
商人としての経験から、帳簿に通じておりなおかつ損得勘定に関しては独特の勘を発揮するタマルのような専門性はなかったが、代わりに、たいていの業務はこなせるような器用さをいつの間にか獲得していた。
雑用から戦闘行為まで、なんでもやらされているうちにかなり多種多様な技能を自然と身につけてしまった形であった。
そのリイスが、現在の状況を俯瞰して頭を抱えている。
……いくらなんでも、仕事が多すぎだろう。
というのが、リイスの素直な感想だった。
ここ数日、ただでさえ新領地周辺の洞窟衆は慌ただしかった。
ベレンティア領内にある洞窟衆の天幕などの施設を、近日中に新領地内まで移動させるよう、立ち退きの勧告が来ていた。
これについては、「できるだけ速やかに」とううだけで具体的な期限を切られているわけではないのだが……新領地内の開発がまだまだはじまったばかりという段階であり、建物もろくに揃っていない現状では、新領地内にまた天幕を張って、そこに移動する、という形になる。
普通の引っ越しよりも、遙かに手間が……いい換えれば、手間と人手がかかる作業だった。
さらにいうと、その新領地の開発も、かなり急ピッチで進められている。
こちらの方も、居留地関係へ投入する人員との兼ね合いを勘案しながら、日々適切な人数を割り出して手配しなければならなかった。
毎日のように開発事業に割ける人数が変化していくわけであり、手配し監督する側もかなり混乱してしまう。
現在、洞窟衆が自由に動かせる人員のうち、部族民関係についてはほぼ人数が固定している。
その上、各部族ごとに別れて作業にあたっているので、必要な仕事だけを割り振ってやればあとは勝手にやってくれる。
給金の手配も、個人ごとよりも部族ごとに、まとまった人数分を計算して渡すパターンがほとんどであったから、それだけ作業員を監督したり給金の計算をしたりする手間も省けた。
各部族間で競争意識があるらしく、場合によっては競うようにして作業を進めてくれるので、予想した工期よりも短い期間で終わるような例も少なくはない。
部族民に関してはいいことづくめではあるのだが……しかし、王国各地から日々集まってくる者たちについては、かなり事情が違った。
彼らは部族民たちとは違い、まとまった集団ではなく、一人一人が別個の意志を持った個人の集まりだったのだ。
なんらかの縁でこの近辺にまでたどり着いた王国民の多くは、ほとんどが着の身着のまま、身ひとつでやってきた食い詰め者たちだった。
そうした流民たちに契約関係の説明をし、洞窟衆と雇用契約を結ぶところまで持って行くまででも、かなり手間がかかる。
なにしろ、そうした者たちのほとんどが、目に一丁字もない文盲である。
数十人の集団を区切り、かなりかみ砕いた、わかりやすい説明をして雇用関係や保険についての説明をし、納得をしてくれた者から正式に契約を結ぶ。
その際も、ほとんど自分の名前さえ書けないような者がほとんどであったから、一人一人名前を聞き返して、その発音に従って洞窟衆の係員が一度その名前を書きだし、それを真似て契約書に署名をして貰う。
それから、まずは当座寝起きする場所や食事の手配をして、一人一人どうした仕事ができるのか、あるいは、希望する職種はあるのかなど聞き取りをして、適切な仕事をあてがうことなる。
こうした作業だけでもかなりの手間を人手を必要とするわけだが、この受付作業を必要とする人員は、日々増大する一方だった。
当然、こうした「新入りの世話係」をする人員も増やしていかなければ追いつかず、読み書きに加えて契約魔法を使用する人員の育成も急務といえた。
とりあえず、仕事を割り振ったあとも、各職場ごとに仕事を教え、あるいは進捗状況を監督する役割を果たす人員は必要となってくる。
こちらの方も、現在急ピッチで必要な技能を仕込んで、そうした仕事ができる人間を育てているところであった。
そうした管理職をどんどん育てていかないことには、どんなに人数が集まったところでそれを活かすことができないことになり……つまりは、せっかく集まった人材を無駄に遊ばせてしまうことになる。
現在の洞窟衆の人材育成事情をひとことでいうと、「もうあとがなくて、かなり煽られている」状態だった。
さらにいえば、近日中に王国各地からこちら方面に囚人たちが送られて来るということで、こうした囚人たちの管理もどうやら洞窟衆の担当になるらしい。
これについても……実際にやってみないことにはなんともいえない部分はあるのだが……おそらくは、予想がつかないトラブルが頻発して、予想外にこちらの人手が取られることになるのではないか。
と、リイスは予測している。
多少ななりとも目端が利いた者を片っ端から口説き、こちらに引き入れて、必要な知識をごく短時間で詰め込み、一人でも多くの各種工程管理者を養成するのは、かなりせっぱ詰まった急務であると断言してもよい。
さらにいうと、洞窟衆が行っているのは、居留地や新領地の開発事業だけではない。
それ以外にも、各種商品の製造開発事業や王国内並びに山岳地方面へむけた流通事業などにも増員の必要が出てくるわけで……。
現場で実際に働いている人たちもそれぞれに苦労はあるのだろうが、それを裏側から支え、管理する事務方も毎日がてんやわんやで、かなり混乱している状況だった。
こうした、ただでさえかなり多忙な状況にあって……昨日、王都経由でさらに無謀な指示が飛んできた。
いわく……「部族連合から王国に賠償金を運び込む業務を新たに受ける」。
これは、現状でもかなりタイトな輸送計画を行っているというのに、さらに大幅に山岳地内部への便を増やせ……ということを意味しており、この指示を耳にした担当者のバツキヤがしばらく絶句し、そのあとに頭を抱えていた。
いわく……「用意した国債を一気に売り、それを新領地の開発費に当てる」。
予算が増えるのは結構なことだが……これまで、あくまで居留地方面へ投入する労働力をメインとし、あまった人員を新領地に回す、という方針でやってきたわけで、その方針をいきなり変えようとしてもなかなかうまくはいかないのだった。
少なくとも、人員を割り振ったり管理したりする側は、かなりの混乱を来している。
いきなり作業員が増えても、一連の作業を監督するための人員がまだ十分な人数、育っていない。
また、国債を大々的に売り出すための人員も新たに手配をしなければならず……これは、ただ単に売り子を増やせばいいというわけではない。
一通り、契約魔法を使用できる者が揃ってなくては、意味がない。
なぜならば、国債として用意された紙片は、代金を支払った者と洞窟衆との契約を結んで、はじめて債権として有効になる。
契約魔法を施さない国債は、なんの実効性もない、単なる紙切れだった。
この、昨日まで予定がなかった国債の一気売りのため、明日までに数百人単位で契約魔法をおぼえさせた人員を増やす必要があり、このために洞窟衆の人材育成部門は、目下、かなり殺気だっていた。
以上の理由により、新領地への転移業務、居留地や新領地開発部門、流通部門、人材育成部門……などはかなりのオーバーワークを強いられていたわけだが、商品開発部門も例外ではなかった。
昨日あたりから、技師や職人たちが新たに洞窟衆を訪ねてきていた。
彼らは、ネレンティアス皇女の紹介で帝国の影響圏内から仕事を求めてやってきた者たちである。
それぞれ、専門的な知識や技能を身につけてきた者ばかりであり、その点では不安はない。
それどころか、土木や建築関係の技師たちはさっそく当地周辺の状況を自分の足で見てまわり、気の早い者は人数を集めてさっそく仕事に取りかかってくれている。
洞窟衆にとっても、頼りになる援軍といえた。
そうした技師たちは、たいていは人を差配する技能も身につけていたので、洞窟衆としては必要といわれた人数を集めて引き渡すだけで済んだ。
大助かり、といえる。
問題となるのは、時計屋のナイゼルと名乗る男が率いる一派だった。
彼らは、開発部に案内されてそこにあったハザマのメモを目にし、一通りの説明を聞いたあと、さっそく必要な素材を集めるように開発部に指示を出した。
そうした素材の多くは、布や木材など、容易に入手可能なものばかりだったが、なにしろ急かされたので開発部の面々は、一時はかなり混乱したという。
次々に質問を発しながら、彼らは半日にもせずに風車や水車、それに手押しポンプなどの試作品を作りあげた。
どれも、ありあわせの素材で作った、かなり簡単な構造のものではあったが……作った端から動かしてみたら、なんの問題もなく作動したという。
「動くのは、当たり前だ」
時計屋のナイゼルは吐き捨てるようにいった。
「問題となるのは、こいつらが実際にどの程度使えるかだ」
ナイゼルは、すぐに開発班に新たな素材の提供を要求し、次々と新しい試作品を作り出した。
「翼の面積と巻き上げる力の関係。
材料の単価と入手しやすさ。加工しやすさ。それに強度。
故障したときの補修のしやすさ。
検証しなければならないことは、まだまだいくらでもある。
風車や水車はまだいいとして……こいつは、なんで動くのかよくわからんな」
そう呟いて、ナイゼルは自分で作ったばかりの手押しポンプを見おろした。
本体は木管で、水面と本体を繋ぐホース部分は皮を使って作った、かなり簡易な構造の間に合わせの品だった。
それでも、実際に使用してみると、見事に水を汲みあげてくれた。
その事実に、ナイゼルは内心でかなり驚いている。
ナイゼルは開発部のコキリに無理をいって、このメモを残したというハザマに直接問いただすことにした。
しばらく通信術式を介してハザマとしゃべった結果、満足したのかナイゼルはしばらく一人で頷いていたという。
その直後に、開発班に新たな素材の提供を申し出た。
ここ新領地周辺では、現在、居留地関係への建材の供出が最重視されている。
そんな状況下にあって、まだ海のものとも山のものともつかない実験のために貴重な物資を集めるのにはかなり苦労するのだが……。
ナイゼルという男は、そうした細々とした事情を配慮するほどの気配りには無縁なようだった。
いや、むしろ、自分の興味や関心の外にある事情には、いっこうに頓着する様子がない。
このナイゼルとい男によって、洞窟衆の開発班はしばらくいいように振り回されることになる。
そうした新領地の混乱はよそに、ハザマたちは王都にあるハザマ商会の見学を続行していた。
「こちらが、国債販売の準備をしている場所になりますね」
ダドリスが、そう案内をする。
「ずいぶんと、慌ただしいものだな」
ハザマは、呟く。
その言葉通り、その場に居合わせた者たちはハザマたちが入ってきても顔をあげる余裕さえなく、自分の仕事に没頭している。
ひとことでいうと、殺気だっていた。
「……そりゃあ、もう」
ダドリスは、なんとも複雑な表情をして答えた。
「当初の予定とは違って、用意した分を一気に売り切るということでしたので……。
売る側も、かなり混乱しております」
「……混乱?」
ハザマは、首を捻った。
「用意した証書を売りさばくだけではないのか?」
「それだけでは、偽造や盗難を防げませんでしょう」
ダドリスは、少し呆れた顔をして説明をした。
「期限を過ぎれば大金に換金できる証書ですからね。
当然、お買いあげいただいたお客様と契約魔法を結ぶわけでして……」
契約魔法を施されていない証書には、なんの価値もない……といった意味のことを、ダドリスは説明した。
「それじゃあ……契約魔法が使える売り子さんを一気に揃えなければならないわけか?」
ハザマはそういって、ダドリスの顔をみて、次にタマルに視線をむけた。
ハザマと目があうと、タマルは軽く肩をすくめる。
「この程度のことが楽にこなせなければ、先行きも安心できません」
タマルは、澄ました顔をしてそんなことをいう。
「確か、国債を売りに出すのは……」
「ここ王都と、ドン・デラ。
それに、新領地の三カ所」
ダドリスは、静かな口調で答えた。
「ハザマ様の授勲と時期を合わせて、一斉に売りに出すと聞いております」
つまりは、明日。
……ということだった。
「その三カ所で、契約魔法の一夜漬けが一斉に行われているわけか……」
ハザマは、なんともいえない微妙な表情になった。
いろいろと無理をしているし、させているよなあ……と、そんなことを思う。




