オルダルトの忠告
ハザマは貴族待遇ということで、一般の兵士たちとは別に設けられた天幕の中へと案内された。側仕えということになっているリンザもついてくる。
かなり大きな天幕であったが、まだほとんど誰も居なくてがらんとしている。
たった一人だけ、先客がいた。
よく見ると、ハザマが最初に退治した召喚獣に襲われていた船の司令官、あの、部下も船も見捨てて真っ先に逃れた男、だった。
かなりやさぐれた様子で、かなり速いペースでしきりに酒杯をあおっている。
ガラム酒という、かなりきつい蒸留酒の匂いがハザマたちのところまで漂っていた。
「……あの方は?」
ハザマは、案内の者に確認した。
「アゼリナハ・ワデルスラス卿でございます」
「あの方も、大貴族の一員なわけ?」
「ワデルスラス家の中では傍流と聞いておりますが」
なるほど。
大貴族の傍流、か。
と、ハザマは納得する。
船を何隻か、それに人員も大人数を失ったとすると……あのアゼリナハ・ワデルスラスとかいう男の未来も、決して明るくはないはずだ。
自棄酒もあおりたくなるだろうな……とか思いかけ、そしてすぐに、
「……だったら自分だけ、真っ先に逃げ出さなけりゃいいじゃん!」
と、すぐにそれを打ち消した。
事後対策の指示も出さずに司令官が真っ先に逃げ出したりしたら、これは否定しようもなく職場放棄、責任放棄と解釈されるはずだ。
このアゼリナハ・ワデルスラスという男が自分の地元でどれほどの地位についているのかにもよるのだろうが……ああして自棄酒をあおっているところをみると、失態を誤魔化せるほどの地位にはついていないようだった。
……なるべく、あの人とは関わり合いにならないようにしよう、と、ハザマは思った。
「悪いけど、腹が減っているんだ。
なんでもいいから食べる物を持ってきてくれないか?」
ハザマは案内の者に頼んだ。
「すでに用意をさせております。
今しばらくお待ちください」
案内の者がいい終わるか終わらないかのうちに、給仕たちが盆に乗せた料理を運んできて、ハザマとリンザ、オルダルトの前に置いた。
「なにぶん戦時ゆえ、ありあわせのものしかありませんが……」
という断りがあったが、以前、国境紛争で出ていた食事よりはかなりマシだった。
お馴染みの煮込みとパン以外に、野菜の酢漬けらしきものと、それに……。
「……おお。
串カツだ」
「ご存じなのですか?
最近、伝わった料理だそうですが……」
「ご存じもなにも……」
自分が製法を伝えたものだ、といいかけて、その寸前でハザマは適当に言葉を濁すことにする。
「……まあ、好物だ。
余分があるようなら、もっと持ってきてくれ」
こんなところで自慢たらしいことをいっても、ハザマにはなにも利益がない。
それどころか、それが元で妙な因縁をつけられないとも限らない。
ここは、慎ましく口を噤んでおいた方が無難だろう。
「お飲物になります」
給仕はそういって、ハザマたちに酒杯を配った。
手にして酒杯を顔に近づけてみると、かなり、香りがいい。
「これは?」
ハザマは、訊ねてみる。
「アマラ酒といいます。
果実酒の一種になりますね」
給仕が即答した。
「いい香りだ」
ハザマはそういって、一口、口に含んでみた。
香りだけではなく、口当たりもいい。
上等な吟醸酒やワインにも似た風味がある。
こういう酒が出てくるあたりが、貴族扱いなのかな……と、ハザマは思った。
「うまい」
一言いって、ハザマは料理に手をつけはじめた。
配給で出される煮込みは、具材を大量に煮るからなのか、いつも味がよく染みていて、まずハズレがなかった。
例の硬すぎるパンも、煮込みの汁をよく含ませれば、それなりに食べる甲斐がある。
なにより、串揚げがうまかった。
まず、揚げたてであるという理由が一番であったが、素材もよく吟味されているように感じる。
この辺では肉類が入手しにくいのか、ほとんど野菜ばかりだったが。
空腹であったこともあって、ハザマは無言のまま出された料理をすべて平らげ、追加で来た串揚げもあっという間にアマラ酒で流し込む。
そうして、ようやく人心地がついた気がした。
「……予定されていた会議は、明日以降に日延べとなりました」
ハザマの食事が一段落したのを見計らって、オルダルトは告げる。
「今日の洞窟衆の働きも、いい交渉材料になるでしょう」
このオルダルトは王国側の官吏ではあるが、王国と洞窟衆との関係は良好であった方が仕事がしやすくなる。そのような、立場でもあった。
「そうだろうなあ」
ぼんやりと、ハザマは答えた。
今日は召喚獣の始末、明日は政治的な駆け引き。
我がことながら、忙しないことだ。
とか、思っている。
「とはいえ、そういうのは部下たちに任せるつもりだから……」
基本的にハザマは、この王国、いや、この世界についての知識が絶対的に足りていないのだ。
立場上、王国との交渉の場にも立ち会わなければならないのだろうが、よほどよほどのことがない限り、自分から口を出すつもりはなかった。
「そうおっしゃると思っていました」
オルダルトは、ハザマの言葉に頷いた。
これまでのつき合いで、ハザマの性格と方針はそれなりに理解している。
「ですが、今回の騒動のおかげで王国内における洞窟衆の立場が、また一層強固なものになったということは記憶しておいてください」
放置しておけば未曾有の大災害になったかもしれない、召喚獣。
洞窟衆は、その召喚獣を駆除する現場でかなりの働きをみせた。
それも、王国内の大貴族の手勢と肩を並べる形で。
これは、これまでごく一部の者しか目撃する機会のなかった洞窟衆の働きが、公然の物となった……ということを意味する。
「今までは、伝聞とか噂話の域でしか語られなかったものが、多くの貴族に目撃されたことで事実として扱われるわけか……」
ハザマは、オルダルトがいわんとすることをすぐに理解した。
「……それで、いいように使われるのも困るんだがなあ……」
「ハザマ様も新たに領主になるわけですから……」
オルダルトは、ハザマが危惧している内容を察する。
「……そうなると、出兵に対しても拒否権を発動することができます。
よほどの急場でなければ、ですが……」
今回の召喚獣のような、問答無用の緊急事態を除いては、王国からの出兵要請を拒否することが可能だと、オルダルトはいった。
つまりは……。
「……捨て駒扱いされて、使い潰されることはありませんか?」
ハザマは、あえてオルダルトに明瞭な問いかけを行う。
「洞窟衆がそういう扱いを受けることがあるとしたら、そのときはこの王国もかなり追い詰められているときでしょうね」
オルダルトは、そういって首をゆっくりと振った。
「強兵は、存在するだけで味方を鼓舞し、敵を萎縮させます。
わざわざ出張らなくても、王国内に洞窟衆が控えているという事実があるだけで、王国の利となります。
先頃の山岳民との紛争と今日の件をあわせて、洞窟衆の働きは内外に喧伝されることになりましょう」
「……なるほどなあ」
思案顔になったあと、ハザマは軽く顔をしかめた。
「情報戦……いや、心理戦の領分になるわけか。
今回の件で、目撃者が多数生まれたことで、その評判に信憑性が出てくる、と……。
下手に王国をつつけば洞窟衆が出てくるぞ、ということになれば……」
王国に対して野心を持つ勢力は、萎縮、とまではいかないものの、それなりに慎重になってくるだろう。
洞窟衆の存在そのものが、外交の材料になってくるわけだった。
「……そういう事情は、どこの世界でも変わらないもんだなあ」
ハザマは、呟く。
軍事力を背景にした示威行動など、ハザマの世界においてもいくらでも例があった。
「それと、通信術式ですね」
オルダルトは続ける。
「今回の件で、この通信術式の軍事利用についての認識が一変しています。
こちらについても、なんらかの要請が出てくるものと思われます」
「……あー。
一度便利なもん、使っちまうとなあ」
ハザマは、納得する。
「もうなしには戻れないか」
なにしろ、遠くまで指示を伝える方法があまりないので、銅鑼だか太鼓だかを叩いて軍隊を動かしていたような世界なのである。
部隊単位の進退を、きめ細かく指示することが可能な通信術式は、一軍を指揮する立場からは夢のような便利さに感じられたことは想像に難くない。
「でも……あの術式って、原理さえ理解すれば誰でも模倣は可能だとか、前に聞きましたが?」
ハザマは、以前、エルシムに説明された内容を口にした。
「初期のものはそうだったのかも知れませんが」
それまで口を閉ざしていたリンザが、いきなり説明をしだした。
「今、使用されているのもは……通話内容を外部に秘匿するための暗号術式、通話の相手を適切に判断し切り替えるための術式……など、数十からなる細かい工夫がなされて、かなり複雑化しているそうです。
今から同じものを一から作れといっても……」
「……そのために必要な時間や費用も、馬鹿にはならないでしょう」
オルダルトは、リンザの言葉を引き取った。
「おそらく、洞窟衆に対価を支払って技術供与して貰った方が、安くなるはずです」
「……技術供与、ねえ」
ハザマは、ぼんやりと呟く。
おおよそ、中世じみたこの世界には似つかわしくない単語だと、ハザマは思った。
「つまりは、そちらの交渉もはじまる、ということでいいのかな?」
「そうなるでしょうね」
オルダルトは、もっともらしい顔で頷いた。
「まず王国が食らいついてくると思いますが、それがなかったとしても、他の大貴族たちが放っておかないでしょう。
あの通信術式には、軍事利用のみならず、他にも多大な可能性がありますから……」
「……自分の領地を少しでも豊かにしたいっていうのは、どこも同じか」
ハザマも、納得ができる部分ではある。
「とりあえず……ハザマ商会に連絡して、通信網の拡充と復旧を急ピッチで行うようにいっておきましょう」
とはいうものの……資金にも人手にも限りがあるからなあ。
とか、ハザマは思う。
急げ、ということは簡単だが、実際にやれることはかなり限定されるはずだ。
いっそのこと、通信網関係の一切をハザマ商会から切り離して、王国中から資金を集めて専任の技師を育成していった方が早いのかもな、とか、思った。
あるいは、これまでの通信術式についてのノウハウを王国に売り払って、通信網の敷設と普及は国営でやって貰う、とか……。
いずれにせよ、この件については、身内で意見を交換する必要があるようだ。
「おお。
ここに居たか、洞窟衆の」
ムッペルエンデ・グフナラマス卿が、若い貴族を伴って天幕に入ってきた。
「紹介しよう。
こちらが……」
「どうも。
サニムスリフト・グラゴラウスといいます」
ハザマよりわずかに若いくらいの青年が、ハザマに名乗った。
「今回の件では、わがグラゴラウス家の軍はすっかり裏方でしたが」
「……そう!
これでも、グラゴラウス公爵家の御曹司よ!」
そういって、ムッペルエンデ卿はサニムスリフト公子の背中を叩いた。
サニスフリフト公子は、かすかに顔をしかめる。
「……グラゴラウス?
グラゴラウス、グラゴラウス……と」
ハザマは、首を捻った。
「……さて、どこかで聞いたおぼえがあるような、ないような……」
「……ほら。
ニョルトト家のマヌダルク姫様に従ってた、ヒアナラウス公子様が……」
リンザに小声で耳打ちされて、ハザマはようやく思い出した。
「ああ!
あの、影が薄い公子様がグラゴラウス家の人だったか!」
そのハザマの声は、意外に大きく響いた。
リンザは顔を伏せ、抗議のつもりかハザマの背中を指でつつき、他の人たちもなんとも居心地が悪い顔つきをしている。
周囲を見渡して、ハザマはようやく自分の失言に気づいた。
……仮にも大貴族の若様を捕まえて、「影が薄い」はないよなあ……。
しかし、ハザマは、わずか一度か二度、顔をあわせただけの人間のフルネームをおぼえているほど殊勝な人間ではなかった。
「……いえ、お気になさらず」
気を取り直すように、サニムスリフト公子はいった。
「わがグラゴラウス家は、八大貴族の中でも一番特徴がないといわれていますから。
と、いいますか……」
他の公爵家の方々が、キャラが立ちすぎているんですよ……と、サニムスリフト公子は続ける。




