愚行の結末
例によってヴァンクレスと同乗していたスセリセスが呪文の詠唱を終え、周辺の敵兵が一斉に燃えだした。
「爺さん!」
ヴァンクレスが叫んだ。
「これだけ大勢を相手にしたんじゃあ、いくらなんでも分が悪い!
一度仕切り直して仲間を連れてこいってっ!」
ヴァンクレスは戦略を勘案するほどの知恵はなかったが、だからこそその場その場での状況判断は的確だった。
「そうはいうがな、お若いの」
ベレンティア公は槍を振るいながら、落ち着いた口調で応える。
「わしが指示を出すまでもなく、味方はすでに迎撃を開始しておる。
今為すべきことは、ひとりでも多くの敵兵を倒し、敵軍を弱体化することであろう。
目前の敵を見過ごしたとあっては、これまでに散っていった同胞たちに申し訳がたたん」
ベレンティア公の言葉通り、すでに異変に気づいた王国軍からの反撃がはじまっていた。
ザメラシュの軍は緑の街道沿いに一直線に延びている形であったから、迎撃するのはたやすかった、ともいえる。
鍋や釜、薪などが左右から降り注いで、馬上の山岳民兵たちに直撃した。夜間ゆえ、ろくな照明もない状態だったが、音を頼りに適当に物を投げてもそれなりの確率で命中する状態だった。
当たりどころが悪かった山岳民兵がいくらか落馬し脱落したが、ザメラシュの軍全体でみるとまだ深刻な損害にはならなかった。現状を把握した王国軍はすぐに各自の判断で弓矢などの飛道具も持ち出しはじめ、ザメラシュの軍の損害も増すことになった。
ザメラシュの軍は王国軍への攻撃よりも前進することを重視していたので、いや、そもそもそれしか指令を受けていなかったので、どんな攻撃に晒されようが、脱落していく仲間も放置してただひたすらに前進していく。
無防備なまま左右からの攻撃に晒され、山岳民兵は面白いように落馬し、脱落していった。そのまま後続の仲間たちに踏まれ、巻き添えにして転倒事故を起こす者も続出した。客観的にみれば無様としかいいようがない有様であったが、まともな光源もない真夜中のことゆえ、それも仕方がないことだった。
それでもザメラシュの軍の進行は止まらない。
多少の脱落者や事故が起きたとしても、緑の街道の道幅はかなり余裕があり、事前に気配を察知できれば左右に避けて通ることが可能だった。
ザメラシュの軍は非情にも脱落者たちを避けて速度を緩めずに進み続ける。
ベレンティア公やヴァンクレスも、生半可なことでは適わない敵……というよりは単なる障害物と判断され、敵兵はこの二騎の左右を大きく避けて通過していった。
二騎がどちらかに寄って攻撃をしたとしても、味方がなにかしらの被害を受けている間に他の者たちはなにくわぬ顔をして通過していく。どこかしらに通過可能な隙間ができるのだった。
結果、ヴァンクレスたちは敵軍に対して多少の被害を与える代わりに、より大量な敵を通過させることになった。
「……お、おい」
ヴァンクレスが、戸惑ったような声をあげる。
どんな被害を受けようが、応戦しようとしない敵……というものに遭遇するのは、ヴァンクレスにとってもはじめての経験であった。
そうこうするうちに、ザメラシュの軍はベレンティア公とヴァンクレスたちを置き去りにして、最語尾まですっかり通過していってしまった。
山岳の馬は平地のそれに比べて小型であるが、兵たちの装備もそれを考慮して軽装であった。
山岳民の騎兵が本気で逃げにかかったら、平地民の騎兵で追いつくのは一苦労なのである。
「なにをしておるのか、若いの!」
ベレンティア公が、ヴァンクレスを叱責する。
「やつらを追える者は、われらしかおらん!
行くぞ!」
ヴァンクレスはベレンティア公について敵軍を迫撃することになってしまった。
「山岳民が橋を突破したってよ!」
「騎兵が緑の街道を驀進中だって?」
「なんだって今頃……」
「そんなことはどうでもいい!
それよりも迎撃だ、迎撃!」
「むざむざやつらを通過させたら、おれたちの名折れとなるぞ!」
にわかな変事により、王国軍野営地は騒然となった。
混乱は避けられないにしても、やるべきことは決まっている。
王国軍兵士たちは各自の判断によりザメラシュの軍への攻撃を開始した。
まず、手当たり次第に物を投げつける。これだけでもそらなりの被害を与えることができた。なにしろ敵軍からの反撃はなかったから、これはたやすい仕事だった。
少し経つと、松明を用意する者、弓矢を取り出して射はじめる者、厩舎へと走る者などが続出した。相手は騎兵であるから、それなりの準備をしなければ追撃もままならないのだった。
このままでは、王国軍側の準備が十分に整わないうちに、ザメラシュの軍は王国軍野営地を通過してしまう。
王国軍の誰もがそう思ったときに、野営地から飛び出していって、単身でザメラシュの軍に挑む者が現れた。
装備らしい装備は、松葉杖のみ。
無謀とか、そういう以前の問題だった。
常識に照らし合わせれば、「ザメラシュの吶喊」と同等かそれ以上の愚行であった。
なぜならばその人は、立って歩けるのが不思議なくらいの重病人だったからだ。
「……ふざけた真似をしやがって!」
その人……ブシャラヒム・アルマヌニアは叫んだ。
叫びながら松葉杖を振りかざして、手近な騎兵の腹部に殴りかかった。
命中し、落馬した騎兵から素早く槍を取りあげて、すぐに次の騎兵の腹に突き立てる。
「こんな横紙破りが許されるもんか! 許してやるもんか!
そうじゃあねーだろう!
おれが、おれたちが戦ったのは……こんなふざけた結末のためじゃあねーだろぉ!」
ブシャラヒム・アルマヌニアは憤怒に駆られるままに暴れはじめた。
何名かの山岳民兵が倒されたあと、山岳民兵たちはブシャラヒムを取り囲む。
なんの準備もなかったブシャラヒムは、落ち着いて対処しさえすればどうということもない相手だった。
弦が軋む音が響き、何十もの矢が怪我用の薄衣のみをまとったブシャラヒムへと襲いかかる。
「……部族民とか王国とか、恩を売れるとかはこの際、あまり関係がないな」
アズラウスト公子に肩をたたかれたハザマは、立ちあがりながらそういった。
「その反動勢力ってやつは、今後事態がどう進んでも、誰の得にもならないってことは確かなんだろうな?」
「当たり前です!」
アズラウスト公子よりも先に、バツキヤの方が先にハザマの言葉に反応した。
「誰のためにもならないどころか……彼らが自由に動き回れば動き回るほど、両国は困ったことになります!
せっかくはじまった停戦交渉にもしなくていい遅滞が生まれますし、それ以上に相互の信頼関係が大きく損なわれます!
両国の民の間にしこりが残ります!
この出兵は……誰にとっても百害あって一利もない、有害極まるものです!」
「……と、敵軍の捕虜である方もおっしゃっていますが?」
アズラウスト公子はそういって肩をすくめた。
「ぼく自身がいうよりは、説得力がありますかね」
ハザマは卓上にあった山羊のチーズをスライスしたものを指でつまみ、それを軽く振ってみせた。
すると地面にいたバジルが素早い動きでハザマの体をよじ登り、肩に乗る。
肩に乗ったバジルにチーズを与えながら、ハザマはいった。
「……それじゃあ、ちょっくらひとっ走りいってくるか」
「そうこなくっちゃ!」
アズラウスト公子がそういい終える前に、二人の姿は消えていた。
次の瞬間、ハザマとアズラウスト公子は緑の街道の上に立っている。
「……聞こえますか?」
アズラウスト公子がハザマに話しかける。
「あの音が?」
「ああ」
ハザマは頷いた。
「能力を全開にしながら、そっちにむかって走ればいいんだな?」
ハザマは貴族への敬意を形にすることを忘れ、いつの間にか砕けた口調になっていた。
「その通りです」
アズラウスト公子は真顔になって頷いた。
「逆にいえばここを抜かれると、王国の国土がやつらに荒らされることになります」
「……これも人助け、と思っておくか……」
呟いて、ハザマはそのまま走り出した。
ザメラシュの軍へむかって。
黒旗傭兵団から来た騎兵たちは優秀だった。
山岳民たちのものよりも体格の大きな馬に乗り、その分重装備に身を包んで先鋒として露払い役をまっとうした。
おかげでザメラシュの軍は難なくボバタタス橋を抜け、王国軍の野営地もなんとか通過することに成功した。
「後続は、来ないのか!」
ホマレシュ族のザメラシュが叫んだ。
「来ません!」
ザメラシュの側近が、短く応える。
突破口さえ作れば、部族連合の全軍もそれに呼応する……と、そのように信じているのは、このザメラシュただひとりであった。
部族民連合は、部族ごとの自決主義を標榜している。それゆえ、各部族長たちの状況を見極める目はそれなりに養われていた。
現在の段階で王国を害することは、自分たちの利益を損うことであると十分に理解していたのだ。
「ええい! 不甲斐ない!」
ザメラシュはかつての味方を罵る。
「それで、若。
このあとはどうするおつもりですか?」
側近のひとりが、ザメラシュに問いただした。
「迫撃されえているので、われらもしばらくは足を止めることができませんが……。
このまま街道沿いに進んでも、手近なドン・デラまでは何日もかかります。
その間の兵糧などは?」
「そんなこと、知るか!」
ザメラシュは叫んだ。
「そういうことを考えるのは……そうだ!
軍師の仕事だ!
あいつが勝手にいなくなって……」
「……バツキヤ殿は、戦闘中に行方知れずとなられたのですよ」
その側近の声が、低くなった。
「あなたはそのバツキヤ殿を愚弄するのですか?」
「そ、そのようなことは……」
ザメラシュがそのあとにどのような言葉を続けるつもりだったのか。
ザメラシュ自身を含む全軍が前から順番に動きを停止しはじめたので、わからないままに終わった。
ハザマが近づくだけて、すべての人馬が等しく動きを止めていく。
彫像のように立ちつくす者もいたし、バランスが悪かったのか、動きを止めたままその場に倒れ込む者も少なくはなかった。
ともかく、ハザマが通ったあとには静寂しか残らない。
「……こうして目の当たりにすると、物凄い能力ですよね。
文字通り、無敵ではないですか」
ハザマのあとを追うアズラウスト公子が呟く。
「軍事的な利用価値とかを考えると……。
いや、でも、彼自身はそのような立場を選ばないのでしょうけど」
ヴァンクレスはベレンティア公はたった二騎で敵軍を迫撃していた。
後続の騎兵も来ているのだろうが、まだこの二騎には追いついていない。
おかげでスセリセスは風を操作する魔法の呪文をひっきりなしに詠唱することになった。
その合間に、
「不用意に近づかないでくださいよ!」
と、不平だか注意だかわからない声をあげる。
容易に近寄れば、敵軍のしんばりから容赦なく矢が降り注ぎ、それを振り払うのはスセリセスの役割だった。
いつものようにプレートアーマーを着込んでいるヴァンクレスはともかく、豪奢ではあるが戦闘にはむかない服を着込んでいるだけの老人に矢が命中すれば、もちろんただ事では済まない。
その老人は名乗ったわけではなかったが、服装とか立ち振る舞い、これまでに口にした言葉などから、スセリセスはこの老人の正体に気づきはじめている。
それだけに、スセリセスは気が気ではなかった。
「なにをいっておるのか!」
そして当の老人はといえば、スセリセスの心配を余所に、無造作に敵軍にむかっていくのだった。
「近寄らねば敵兵を刈り取ることも適わぬではないか!」
いうだけのことはあって、老人は敵軍に肉薄するたびに槍を振るい、二人、三人と敵兵を倒していった。
老人に迫ろうと敵兵が集まりはじめると、馬の足を緩めて敵兵から距離を取る。
そして、今度はヴァンクレスが肉薄して豪快に大槌を振るった。
槍捌きの鮮やかさ、間合いの取り方……そのどれをとっても、老人の挙動は熟練の技といえた。
「なかなか元気がよいな、若いの!」
老人……ベレンティア公はヴァンクレスに声をかける。
「名はなんという」
「ヴァンクレス!」
敵兵を蹴散らしながら、ヴァンクレスは怒鳴るように答えた。
「決死隊の、ヴァンクレスだ!」
「ほう。
決死隊か」
「おうよ!
盗賊あがりよ!」
そうかそうか、と、ベレンティア公は機嫌がよさそうな声をあげる。
そんな二騎にも、変化のときが訪れた。
「……なんだ?」
ヴァンクレスが、不審の声をあげる。
「不意に……やつらが足を止めやがったっ!」
「来るぞ!」
ベレンティア公が叫ぶ。
「やつらは……反転するつもりだ!」




