空白の実験場
アズラウストがやっていることは、事実だけを見れば新兵の調練であり、いまだ形になっていない街道開発公団の軍隊を組織化すること、になる。
しかしその裏には、相応の思惑があるらしいと、バイデアル王子は悟った。
「この時期に、公爵自らこの地で行動することに意味がある」
バイデアル王子は、アズラウストに確認をした。
「そういうのだな?」
「無論ですとも」
アズラウストは、鷹揚に頷く。
「意味もなく動くほど、ぼくも暇を持て余しているわけでありません」
「当地はそこまで有用な土地なのか?」
「正直にいえば、今の時点ではさほど」
この点については、アズラウストはゆっくりとかぶりを振る。
「ただ、これからは、違ってくるでしょうね。
そうでなくてはいけません」
「これといった資源や特産品があるわけでもない」
バイデアル王子も、そういって頷く。
「確かに、今の時点では注視すべき理由がほとんどない土地でしかない。
では、この土地の今後に、いったいなにを求めているというのか?」
「なにもない、というものがあります」
アズラウストの答えは明瞭だった。
「逆説的に聞こえるかも知れませんが、森東地域には大きな権力構造を持った者が存在しない。
ややこしい利権などがほとんどない、といい換えてもよい。
このため、たとえば王国の内部などと比べると、なにをするにしても単純にはじめることができます」
「空白がある、ということか」
バイデアル王子は、ようやく得心がいった表情になる。
「目新しいことをはじめるには、うってつけの土地であると」
「少なくとも、邪魔が入ることはほとんどないでしょうね」
アズラウストは、そう続ける。
「ハザマ領が王国からの独立を控えているこの時期、各種の実験を行うのにこれほどうってつけの場所もありません。
一例を挙げると、洞窟衆の進出以来、当地では数十万単位の人員が冒険者ギルド経由で流れ込んでいます。
これほど大量の人員が、ごく短期間のうちに増えたら、普通ならば大きな反発や摩擦が起こるはずなのですが」
「現状、そこまで大きな問題は起きていない」
バイデアル王子は、そういって頷いた。
「いや、そうした人員は、冒険者ギルドが仕事をあてがい、それなりに秩序だって動いているから、仮に地元住民の反発があるにしても、それが表沙汰になることはない」
洞窟衆なり冒険者ギルドなりは、この森東地域において、富と仕事を供給する機関として認識されている。
何者とも知れない流民ならばともかく、仕事を持ち、地元住民と協調する意思があり、地元に金を落としてくれる連中と、好んで諍いをおこすべき理由を、地元住民も持ってはない。
そうした、流入して来た人員に指向性を与えている、洞窟衆や冒険者ギルドが存在するからこそ、保たれている秩序といえた。
しかし、それも。
「ここ以外では、難しいか?」
「難しいでしょうね」
バイデアル王子が確認すると、アズラウストは大きく頷く。
「王国周辺諸国だと、各国の統治者や、それ以外の職能ギルドなど、自分の権益が侵されたと認識する者が出て来るはずです」
そして、この森東地域には、そこまで大きな権益を持つ者が存在しない。
有力者の数こそ多いが、その影響力はそこまで大きくはない。
職能ギルドも存在するが、組織としての規模を見るとかなり小さい。
ゆえに、洞窟衆の事業を妨害しようとするより、それに追従して利益を得ようとする方向に向かいがちであった。
なにもない、という空白状態が、ある種の価値になっている。
そういうことか。
バイデアル王子は、ここ最近、すっきりとしなかった疑問が突如、解消されたように思った。
「ここは、実験場なのだな?」
「そうです。
洞窟衆の実験場です」
バイデアル王子が確認をすると、アズラウストは大きく頷いた。
「今後、新しい思想や組織、技術などがこの森東地域から外部の土地へと出て来るでしょう。
ブラズニア公爵家としても、この森東地域に確たる足跡を残し、そうした将来に備える必要があります」
「それは、従来の為政者の発想ではない」
バイデアル王子は、そう断じた。
「税収や領有権など、もっと具体的な、わかりやすい利権に拘るのは、最早時代遅れになるのか?」
「そうした、従来の仕事の重要度がさがるわけではありません。
しかし」
アズラウストは、そう続けた。
「これからは、そうした、目に入りやすい部分だけで考えていると、肝心なところで判断を誤るのではないでしょうか?
洞窟衆が推進する方向性は、領民が個々に考え、資力を持つ存在と化す結果を生みます。
為政者や有力者に対して批判的に見て、場合によってはその政策を批判、否定する、それだけの知力と実力を兼ね備えた階級が、いずれは誕生するはずです。
そうした時代になった時、従来の統治法しか知らない権力者は、早晩、その立ち位置を否定されるでしょう」
「理解したくはないが、理解は出来る」
バイデアル王子は、苦々しい表情になって、そういった。
「洞窟衆はそういう方向に動いているし、その動きはもはや止めようもない。
しかし、領民と為政者とが正面から互する時代、か。
それはそれで、面倒そうだな」
「王侯貴族がすぐに退場を促される、ということはないでしょうね」
アズラウストは、真面目な表情で続けた。
「権威とか正当性を求める者は、どの階級にも一定数存在しますから」
権威や正当性を裏付ける存在として、王侯貴族などの血筋が必要とされる。
それはいかにもありそうに思えて、バイデアル王子は暗い気持ちになった。
それまで揺るぎないものだと思い込んでいた足元が、突然、ひどく心許ない、脆弱な存在でしかないのだと思い知らされた気分になったのだ。
「革命や反乱が、起こりやすくならないか?」
「なるでしょうね」
バイデアル王子の疑問を、アズラウストはあっさりと認めた。
「領民の力が増すということは、つまりは王侯貴族の資質が試されるということでもあります。
下からの突きあげに耐えきれない有力者は、早晩姿を消すことでしょう」
「あまり明るくはない未来図だな」
バイデアル王子は、心の底から感想を述べた。
「為政者の側が、領民から品定めをされるようになるのか」
気に食わないが、洞窟衆のやり方をこのまま進めていけば、いずれはそうなるのだ。
「そうした前提に立った上で」
バイデアル王子は、またアズラウストに問いかけた。
「ブラズニア公爵家は、この地でなにを為そうというのか?」
「この土地の民に、組織的に戦うための方法を仕込もうと思います」
アズラウストは、そういった。
「他にもいろいろ考えていることはあるのですが、まずはそれですね。
自分たちの武力を持たないと、外部の勢力に弱味を晒し続けることになりますから」
「街道整備公団とやらの独自の武力を持つようになると」
バイデアル王子は指摘をした。
「その公団がこの土地での権威として君臨することになるぞ」
「そうなるかも知れないし、そうはならないかも知れない」
アズラウストは、両手を大きく広げてそう応じる。
「その公団自体が、現状では寄合所帯であり、しっかりと意思を統一するための機能を有していません。
この状況がこの先も長く続くとすれば、そこまで心配する必要もないでしょう」
「意思の統一も出来ない連中に、大きな武力を持たせるのは危険ではないのか?」
「危険かも知れませんが、それは彼らの問題です」
バイデアル王子の疑問に、アズラウストは即答する。
「われらが心配をするべき必要はない。
仮に彼らが自分たちの組織を巧く運用出来ずに自滅したとしても、それは彼らの責任です。
現実的に考えれば、多少の紆余曲折はあるにせよ、最終的には彼らも彼らなりの巧いやり方を学ぶでしょう」
「あるいは、本当に自滅するかだ」
バイデアル王子は、そういって首を横に振った。
「本当に、やつらに任せるつもりなんだな?」
「巧遅の差こそあれ、いずれは彼ら自身で学ばねばならぬことです」
アズラウストは、明瞭な声でそういった。
「自分の足で立ち続ける方法を、ね。
それが出来なければ、所詮そこまでの存在でしかなかったというだけのことです」
これは、なんだ?
バイデアル王子は、改めて自問する。
階級構造を前提にした秩序の解体。
これまでの問答から導き出される結論は、それしかない。
洞窟衆の動きがこのまま進むとすれば、いずれはそうなるのだ。
これは、反乱や革命など、一国内に収まる権力闘争とは一線を画している。
洞窟衆の方法は普遍性があり、それ故に、国境など軽く飛び超えて真似されるだろう。
一度どこかで成功してしまえば、そこから伝染病かなにかのように、かなり広範な場所に飛び火して燃えあがるはずだった。
そしてこのアズラウストは、自身が独立公爵領を統べる立場にありながら、そうした予想をした上で、その動きを加速する側に立っている。
そうした未来を予想した上で、そうした方が自国のためになると、そう結論したようだった。
「やつらに、洞窟衆に手を貸すことが、ブラズニア公爵家にとってよい選択になるのか?」
「そうなれば、領民が豊かになりますからね」
アズラウストは、この疑問にもあっさりと頷いた。
「領民を豊かにする統治者は、どんな体制下でも歓迎されます。
その過程の子細なぞ、それこそ取るに足らない問題ですよ」
これもまた、バイデアル王子の予想を遙かに超えた回答といえた。
領民を豊かにするために、階級を含んだ国内の秩序構造が大きく改変されても構わない。
堂々とそう明言できる王侯貴族は、そんなに多くはないだろう。
このアズラウストは、その意味ではかなりの変わり者であるといえた。
正直にいえば、バイデアル王子にはついて行けないと感じる部分が多かったが。




