変化の内実
洞窟衆は森東地域内での進出を急ぐことはなかった。
現状でも、山地から海へと続く南北の、それも森林に隣接する地域を実質的に抑えているわけであり、それ以上に急ぐ必要はないともいえる。
洞窟衆にしてみれば、王国をはじめとする森の西側に対する影響さえせき止めることできれば、当面の問題はないわけで、進出した地域の東側が多少混乱したとしても、実質的にはあまり困ることがない。
それにハザマは、いざという時のための実力行使についても、さして心配していなかった。
戦争とは、将兵の能力や才能より、事前の準備がものをいう世界だと割り切っていたからである。
現在、森東地域において洞窟衆が進出した地域でも、陸上の流通網が完全に構築されたわけではない。
にもかかわらず、洞窟衆は各所にそれなりの規模の倉庫を設けて、その中に穀物や武器などの戦略物資をたっぷりと蓄えていた。
水路を経由した流通網と人海戦術を駆使して、街道が未整備な現状であっても、その程度の備えは出来ているというわけで、そうした備蓄がありさえすれば、大抵の状況には対応可能であると、そう判断していたのである。
必要となる物資さえ滞らなければ、臨機応変に兵を動かすことが出来ると、ハザマはそう信じていた。
さらにいえば、早い段階でハンググライダーによる偵察部隊を創設していたことからもわかるように、ハザマは森東地域内部の情報を収集することにも力を入れている。
各氏族ならびに山地から侵入してきた部族の動きを追い、分析させ、もしも可能ならば連絡を取って友好な関係を結ぶように務めていた。
このうちの最後の仕事に関しては、マヌダルク・ニョルトト姫率いる交渉部門の人手が足りないため、どうしても地理的に近い勢力を優先的にして、遠方の勢力までには手を伸ばす余裕がないのが現状であったが、ともかくもそうするための努力は怠ってはいない。
森東地域に十分な物資を充当した上で情報収集にかなりの力を入れているわけで、ハザマとしては現状で可能な手はすべて打っているつもりだった。
さらにいえば、洞窟衆は膨大な人員を集めて雇い、継続的に仕事を与えて食わせてもいる。
これは、一見して軽視されがちな要素だったが、こうした状況が長く続けば続くほど、森東地域における洞窟衆の信用度は高まるはずだった。
民を飢えさせず、賃金という形で地元に膨大な金子をばら撒く。
洞窟衆がやっている一連の行為は、つまりはこうした結果を招いているわけであり、不特定多数の、出自や主義主張を異にする大衆の信用を勝ち取るためには、これ以上にいい手はないといってもいい。
経済的に豊かであり、動員力がある。
洞窟衆という組織の、そうした性質を日常的、恒常的に証明しているようなものだった。
こうした性質を持つ洞窟衆という組織を、好んで敵に回す者が存在するとすれば、それはまともな判断力を持たない者か、それとも自滅願望の持っているかの、そのどちらかに違いない。
と、ハザマはそう思っていた。
普通に活動を続けていても、洞窟衆の威勢を森東地域で誇示しているようなものであり、これを無視することはなかなか出来ないだろうと、そう踏んでいた形だった。
それに、これまで進出してきた地域の諸勢力とも、洞窟衆は友好的な関係を築くための工作を絶え間なく続けていた。
造営中の街道を共同で運用するよう呼びかけたり、その他に、そうした勢力の現状を分析した上で、新規の事業を積極的に提示したりして、地域全体を活性化させる方向に働きかけている。
地元の諸勢力を差し置いて洞窟衆だけが一人勝ちをしても、長期的に見れば反感を買うだけだった。
だから、そうした地元勢力にも相応に潤って力をつけて貰わなければならないと、ハザマは考えていた。
最終的には、森東地域のことは地元の人間に任せ、ハザマや洞窟衆は大きく背後に引き下がる。
そんな未来になるよう、尽力していた。
とはいえ、実際にハザマ自身が動いたわけではなく、そうなるような提案や施策などをして、あとの実務は現地の人間に丸投げをしていたわけだが、ともかくも基本方針としては、そんな感じだった。
洞窟衆が進出した地域は、森東地域全体からみればごく一部分であるのに過ぎない。
そのごく一部分がにわかに活気づき、賑やかになった。
それ自体はいい事といえたが、直接的な影響を受けない地域はまだまだ残っている。
そうした地域であっても、洞窟衆の噂を聞きつけ、仕事や食料を求めて洞窟衆の活動圏にまで移動をはじめた人々が存在する。
そうした動きが出ることは洞窟衆側も予測していたのだが、いざ蓋を開けてみると、その予想の数倍以上の人数が洞窟衆の存在に活路を見いだして動きはじめていた。
多少の混乱はあるものの、物資も仕事も大量に、かなり余裕を持って用意されていたので、洞窟衆なり冒険者ギルドなりが恐慌に駆られる、ということはなかった。
土木や流通意外にも、現地で立ちあげた、あるいはこれから立ちあげる予定の事業はいくらでもあり、人手はいくらあっても持て余すということがない。
仮にまとまった人手があまりそうなことがあったら、そのまま全員、実験的な新事業に従事させればいいだけのことだった。
すでに洞窟衆が一度占拠した五つの港町周辺には大小様々な業種の工房が建ち並び、稼働している。
そうした工業化の波は、他の地域にも波及しているところだった。
こうした工業化は、洞窟衆が進出した地域では、大きな特徴になりつつある。
農地や街道の開発、整備と並んで、そうしたそれまでにはなかった業種の躍進は、他の地域にはない現象といえた。
つまり、この時点では、ということだが。
農業その他の第一次産業が主体となった経済が、大きく様変わりをしようとしていた。
これが、現在のところ、森東地域の中でも洞窟衆が進出した地域にのみ、顕著な性質となっている。
そうした洞窟衆の事業が安定してくるにつれて、平地諸国や山地からも、続々と人が集まってくる。
これまでのような単純肉体労働者だけでなく、商人や職人など、ある程度経験を積んだ者たちが、そうした洞窟衆が進出した地域にわざわざ足を運ぶことが多くなった。
商人たちは、そうした地域での産物を買い付けるため、職人は、そうした地域で仕事を教え、あるいは先進的な技術を習いおぼえるために、直にやって来ている。
こうした地域で各種の工房が本格的に稼働しはじめた証拠でもあり、また、洞窟衆が占拠した五つの港町が以前にも増して活発に機能している証左であるともいえる。
いずれにせよ、洞窟衆としてはそうした動きを歓迎していた。
これ以降、森東地域の経済的な自立と、それにまだ火種が残っている地域への干渉を行う際、手近に生産拠点を持っていた方が、なにかと都合がよかったから、である。
大勢の人間が集まり、様々な職業に従事しはじめたことによって、それぞれの仕事に必要な知識なども自然と伝授されていく。
そうした地域は、教育や人材育成の場としても、機能しはじめていた。
これら、洞窟衆が進出した地域での施策は、一口でいえばハザマ領内でやって来たやり口をそのまま、面積を拡大して再生産しているようなものだった。
ハザマ領内とは違った要素があるとすれば、森東地域にはハザマ領よりもずっと多くの農業用地があったことで、これまで人手や費用などの必要なリソースがなかったため、十分に開墾されていなかった土地が、洞窟衆の進出を機に人の手が加わる例が多かった。
農業とはすなわち食糧の生産であり、この事業は急激に増えた人口に対応するために有用、有望、必須な事業でもある。
消費の場は拡大する一方であり、生産さえすれば必ずなんらかの形で売れる、換金できる生産物になるのだった。
土地の特性などを考慮し、場合によっては帝国から来た農業学者の意見なども参考にして、目新しい作物を試しに栽培するような事例もある。
麦をはじめとする換金しやすい作物を育てるのが一番手っ取り早かったが、すぐにそうした都合のいい作物を栽培可能な土地ばかりでもなく、それ以外の雑穀類や荒れた土地でも育てやすい作物の試料なども、洞窟衆ならば取り寄せることも可能だった。
洞窟衆としてもそうした、現地での食糧生産事業を改善することは割と深刻な課題であり、積極的に相談に乗る傾向がある。
現地には、その他の、新規の事業に対してあまり積極的にはなれない、保守的な価値観の人々も多かった。
が、こうした農地の開拓や改良に関しては、まず例外なく、ほとんどの勢力が積極的に取り組むことが多い。
こうした傾向について、やり慣れた仕事に関しては想像力が働き、具体的な未来図を思い描き易いからだろうと、洞窟衆内部ではそう判断されている。
逆にいうと、こうした現地の人々にとって目新しすぎる事業については、あまり食いつきがよくない傾向があった。
相対としてみると、人間の想像力はさほど柔軟ではなく、あまり馴染みがない事業についてすぐに協力的になることは希だった。
そうした新事業の産物が流入し、出回るようになってからならば、そうした製品の生産拠点を、という提案も受け入られることが多かったが。
いずれにせよ、森東地域の人間はそんなに臨機応変なわけでもなく、洞窟衆のやり口についても逐一検証し、実害がないかどうか慎重に検討してから受容するのかどうか決める。
そんな慎重な一面があった。
当然といえば当然の傾向であり、そうした反応の鈍さも、洞窟衆側は特に気にしているわけでもなかった。
ただ、一見して緩慢に見えるが、洞窟衆の進出がもたらす変化は確実に周辺地域を変容させている。
その変化も、一度弾みがつきさえすれば、加速度が加わるはずであった。




