法律の適用範囲
様々な問題を含みつつも、森東地域のうち、洞窟衆が進出した地域は活況を呈している。
それまで居住していた人間の、何倍もの人数がいきなりやって来ているわけだから、それなりの混乱も生じていたわけだが、そうしたデメリットを埋め合わせてもあまりある利益が、そうした地域に行き渡りつつあった。
一番わかりやすい利益は、つまるところ金銭など、経済的な基盤が全般に強固になったことだが、それ以外に様々な人間が往来するようになったことと、それに多種多様な印刷物などが出回りはじめたことなどによる副次的な効果、つまり情報的文化的に豊かになったこと、などがあげられる。
そうした傾向は価値観の多様化に繋がり、従来、地元で自明視された価値観の権威が失墜し、求心力を失うという側面もあったので、一概にメリットとしてあげることも出来ないのだが、特に若い世代に限っていえば、生まれ育った共同体の中で一生を送る、以外の選択肢が用意された影響は大きいといえた。
それまで、特定の人間、つまり地元の有力者と結びつく以外に自分の生活を豊かにする方法が事実上なかったわけだが、それ以外にも洞窟衆を頼る、あるいは冒険者ギルドを経由して地元を離れるという選択肢が用意された影響は、かなり大きい。
それまで村の内部など、狭い世界しか視界に入らなかった人々の前に、それ以外の、かなり広がりがある風景が一気に広がった形になる。
地元の有力者とは、つまりは地縁や血縁といった権威に支えられてその地位を保全された者たちになるわけだが、そうした人々も能力や判断力についていえば個人差があった。
こうした状況をチャンスと捉え、活用しようとする気概と能力があるのかどうか。
あるいは、旧来の価値観を捨てられず、それに固執するか。
前者に関していえば、洞窟衆進出にうまく適応しようとした者すべてが成功したわけではない。
だが、洞窟衆なり冒険者ギルドなりは相談されればかなり真摯に対応した。
程度の差こそあれ、積極的に適応した者はそれなりの見返りを受けることになった。
その見返りが長期的な、かなり先にならないと受け取れない場合もあったが、ともかく損をすることだけはなかった。
対して、洞窟衆の存在そのものを忌避し、無視してなんの対策を取ろうとしない有力者の場合は、ほとんど例外なく没落の道を歩んでいた。
経済的な損失がどうこう、いう以前に、自分が属する共同体の人間が、徐々に洞窟衆関連の事業に身を投じて抜けていったのだ。
若い人間ほどそうして見切りをつける機会は早い傾向にあり、気づいたときには現状を維持するための最低限の人手も確保出来ない状態になっていた、という場合も多い。
変化が早い時代が到来したことに関して、若い人間ほど敏感に反応する場合が多かった。
あるいは、こういういい方も出来る。
従来の、伝統的な社会構造は、洞窟衆の進出によってあっさりと破壊された、と。
そして一度起こってしまった変化は、よほどのことがないと元に戻ることはなかった。
身軽に生まれ育った村を離れ、別の場所で生計を立てようとすることが可能な若者たちはまだしも、すでにそうした地元で生活基盤を整え、気軽に土地を離れることが出来ない者たちには厳しい時代になった、ともいえる。
村長や族長など、責任のある地位にある者ほど、判断の軽重を問われる局面が多くなった。
そうした諸々を考えると、洞窟衆に進出された側にとっては、厳しくも難しい時期といえた。
「というわけで、あちらでも様々、多くの問題が起こっているわけでして」
マヌダルク・ニョルトト姫がハザマに説明をした。
「転換期の混乱、といってしまえばそれまでなんですが。
ですが、大元の原因はこちらの進出したことになるわけで、このまま放置しておくと、長期的には害の方が大きいかと」
「そりゃ、そうなんでしょうが」
指摘をされたハザマは、微妙な表情になる。
「ただ、頼まれてもないのにおれたちがしゃしゃり出るのもアレでしょ?」
ハザマとしては、森東地域の問題を必要以上に背負い込みたくはない、という気持ちが強い。
そうした別の土地のトラブルに首を突っ込むということは、それだけ洞窟衆側も責任を負わされるわけであり、干渉は最小限に留めるべきだと思っていたからだ。
「余計な責任を背負いたくない、という気持ちは察しています」
マヌダルク姫は引かなかった。
「ただ、放置しておいても害の方が大きくなる以上、早めに対策に着手しておく方が無難かと」
「無難ねえ」
ハザマは、そういって頷いた。
「それで、具体的にはなにをしたいんですか?」
マヌダルク姫がわざわざ領主公館の領主室にまで足を運んで進言してくる、というのは、かなり異例だった。
少なくとも、前例はない。
そうである以上、マヌダルク姫がハザマの不安を煽るためだけに来た、とは考えにくかった。
なんらかの腹案があり、それをハザマに認めさせる、くらいの勢いがないと、わざわざ足を運ぶほどの価値があるとは思えないのだ。
「現在、建国に先立って、法整備を急がせていますよね?」
マヌダルク姫は机の上に身を乗りだすくらいに前のめりの姿勢になって、ハザマにいった。
「あの法案を、領外にも適用出来ないものかと。
いえ、そのすべてを、とまではいいませんが、現地における有力者同士の諍いを調停する際の判断基準にする、くらいの線で」
「いや、そりゃ、難しいでしょう」
ハザマは、軽く顔を顰めた。
「ひとつは、今整備している法案は、あくまで領内でのみ適用することを前提に考えられているということ。
もうひとつは、そうした法なりルールなりを適用するということは、こちらも出先の地域で相応に権威がある存在だと認識されていないと実効性がないこと。
ええと、ひらたくいえば、こっちが条文を公開しても、誰もそれを恐れず重んじなければ、ないのも同じです」
ハザマにしてみれば、森東地域の人間がこちらのローカルルールにわざわざ従うべき理由が思いつかないのであった。
下手な干渉をしようとしても、
「よそ者は引っ込んでろ!」
と一喝されて終わりなのではないか。
「権威としては、現在意見調整中の街道管理公社がその基盤になるのではないでしょうか」
マヌダルク姫は、ハザマの疑問を取り合わなかった。
「あれだけ広範に渡って張り巡らされた交通網。
現在、その治安を守るためだけに、かなりの戦力を常備しようと準備を進めています」
「そのため、権限を限定するための条文を作らせているところですがね」
ハザマは、しぶしぶその言葉に頷いた。
「自発的に歯止めを設定しておかないと、街道に隣接した地域の連中がこっちを信用しきれないでしょうし」
「極めて変則的な領地と固有の軍備を備えるとなれば」
マヌダルク姫は、そう指摘をした。
「それは、独立国と実質的には変わらないのではないでしょうか?」
「そういう見方も可能ですね」
この点についても、ハザマは認める。
「いや、そう扱った方が、なにかとすっきりする」
「特定の地域の利益を偏重しない、独立した軍事組織。
すでに治安維持軍という前例がありますが、森東地域ではまだまだ馴染みがありません」
マヌダルク姫はそう続ける。
「少なくとも当面は、存在するだけで近隣勢力の警戒心を刺激するはずです。
その警戒心を解くためにも、その軍事組織が役に立つということを普段から理解させておくのがよろしいかと」
「で、街道を守る軍隊に、現地の諍いを調停する組織の後ろ楯になれ、と」
ハザマは、やはり渋い顔を続けている。
「そんなにこちらの思い通りに受け止めてくれますかねえ?
かえって、先方の敵愾心の煽るだけなような」
「それは、こちらのやりようで変わってくるでしょう」
マヌダルク姫は、平然とそういってのける。
「街道の軍備はあくまで裁定結果を有効にするための装置に過ぎません。
そうした後ろ楯の有無よりも、より重要なのは公正な規則を提示してそれに準じて裁定をくだす機関の存在になると思います」
「司法機関の出前、ですか?」
ハザマは、軽く首を捻った。
「そんなにうまくいくもんかなあ?」
「今、領内で準備させている条文の数々は、かなり公正で、先進的な部分を多々含んでいます」
マヌダルク姫は指摘をした。
「正直に申しますと、領内でのみ適用させるのが勿体ないほどの完成度で」
「領内には、雑多な価値観を持つ連中がひしめいているわけですから」
ハザマは、しぶしぶといった形で頷いた。
「そんな連中の摩擦を調停しようとすれば、自然と公正なものにするしかないわけで」
実際、そういう法体系を整備するために、洞窟衆は破格ともいえる金銭を費やしていた。
領内だけで通用させるためにそこまでするのは、コストパフォーマンスが悪い。
その指摘は、それなりに当を得ている。
「司法機関、つまり裁判所や法体系の輸出か」
ハザマは、そういって考え込んでしまった。
「それやると、領内の法律がそのまま森東地域の基準になりかねないんだよなあ」
少なくともハザマ自身は、そうなることを予見も望んでもいなかった。
「こちらの思惑通りに、ことが運ぶだろうか?」
という不安も、もちろんある。




