崩壊の予兆
洞窟衆の力など、必要とされない方がいいに決まっているのだ。
森東地域の問題に限らず、ハザマの態度は一貫していた。
洞窟衆側の、つまりはハザマたちの労力的な限界の問題も大きかったし、周辺の勢力が洞窟衆抜きで自立が可能な状況に持って行かなかったら、洞窟衆もいつかは増え続ける作業負担量に耐えきれず押しつぶされる未来しか待っていない。
際限なく面倒を見る人間を増やしていくことは、どう考えても無理だとハザマは判断していた。
これまで、洞窟衆で面倒を見てきた連中も、そのほとんどは将来的に自立して、つまりは洞窟衆の仲介抜きでも、自分自身で仕事をこなせるようになることを目的にして動かしている。
コネを作り、知恵や技術を身につけさせ。
方法は様々であったが、大量に雇用した流民などに仕事をさせつつ、わざわざ時間と手間をかけてそうした教育を施しているのは、最低限の水準を持った人間がある程度揃わないと実現不可能な事業が多かったという事情とは別に、長期的な展望も含めて決定した施策になる。
読み書きと四則計算程度の簡単な算数だけであっても、初歩的な知識を持つ大衆が普通に遍在するようになれば、文化や文明の発展は自然と加速されるはずだった。
その程度の知識を持った大衆は数万、数十万単位で存在している社会では、各分野で創意工夫をする者が現れ、競争原理も自然と働く筈なのである。
リンザがはじめた森東地域への介入行為をハザマが是としたのは、ハザマ領に隣接した地域の政情を安定させるという実際的な理由の他に、山地や王国周辺諸国とは別口の、そうした地域と比べると抵抗が少なく、洞窟衆が与える影響が浸透しやすい地域として有望だと判断したからでもあった。
現状、その森東地域は山地からの侵攻を受けるなどの要因により、非常に不安定な政情にあるようだったが、細々とした問題を地道に解決して行けば、かなり有望な人材供給地になり得る。
ただそれは、一時的に洞窟衆の力を借りることはあっても、最終的には地元住人たちの意思と決定により達成をされなくてはならない目的でもあった。
ハザマとしては、森東地域を支配したいのではなく、最終的には取引相手、あるいは競争相手に育って貰いたいと思っている。
現状を見るに、すぐにそうした形に持って行くことはかなり困難だ、ともハザマは判断していた。
教育だなんだという前に、まずは困窮している連中をどうにかしなければならないし、そのためには食糧と武力が必要になる。
このうちの食糧は、現状を鑑みるに大量に必要とされるはずであり、その食糧を必要な場所に届けるためには流通網の整備もしなければならない。
とりあえず、困窮した地域の人間を出来るだけ死なないようにするのが先決で、その他のごまごまとしたことは後で考えればいい。
その第一の目的を達成するためには、多少強引な手段に訴えることも辞さない。
現在、現地の連中に指示を出そうとしている港町の占領もそのための方策、その一環といってもよかった。
そんな思惑を持っていたので、ハザマとしては、現在、弱小勢力がバラバラに動いている森東地域の連中が団結をする動きを見せることは、むしろ歓迎したいと思っている。
その時の仮想敵が洞窟衆であっても、まったく構わないのだった。
そもそも、立場的に敵対できるということは、その相手は洞窟衆に匹敵する力を持っているということになり、ならばたとえ敵対していたとしても、なんらかの交渉を持ちかけることも可能なのである。
一方的に洞窟衆が資材や人材を持ち出して駆使している現状よりは、そうした互いに牽制し合うくらいの関係の方が遙かに健全だ、という見方も可能だった。
「ま、今の段階では」
ハザマは誰にともなく、小さく呟く。
「交通網や通信を整備し、おれたちやグフナラマス公爵勢のような対外的な脅威についての情報が広まり、広い範囲で警戒心が共有されるような段階だな」
迂遠なことだが、と、ハザマは思う。
森東地域はかなり広大で、これまでは、その広大な地域を渡り歩く理由があまりなかった。
限定的な地域間を往来する、日常的に消費する物資をやり取りする流通網はそれなりに存在するようだったが、そうした局地的な交渉は、あまり広い範囲に広がる必要がない。
物だけではなく、情報が流通する範囲もかなり固定されていたので、噂が広がる範囲や速度も、たかが知れたものだった。
ただ、対外的な勢力が、それも、山地から来た連中とは違い、散発的な侵攻ではなく、統一された、戦略的な構想を持って動いている人間が現れたら。
その動静は逐一注視され、警戒心を抱いた人間たちの間にあっという間に広まり、共有されるようになるだろう。
今の時点で被害を受けていない者たちにしても、いつ自分の持つ権益を侵されることになるのか、予断を許さない状況になるからだ。
そうした外圧をはね除けるため、森東地域の住人が団結する動きを見せるのならば、それはむしろ洞窟衆としては歓迎をするべきだ、というのがハザマの意見になる。
「港を押さえ、南北に縦断する流通網を整備して、どんどん食糧その他の物資をばら撒く」
ハザマは声に出していった。
「食糧が行き渡れば、現地住人は勝手に動くはずですしね。
そのまま洞窟衆に使われ続けるのもよし、独自の判断で動き出すのもよし」
「流通網が完成した時点で乗っ取られたら、完全にこちらの持ち出しになりますね」
タマルが指摘をした。
「無論、そうならないよう、契約内容には細心の注意を払っていますが」
「まあ、それは大丈夫だろう」
ハザマは、軽い口調でのその懸念を一蹴した。
「普請した街道の権利をどこかの勢力が独占できないようにしているはずだし。
それを度外視しても、一度作った街道も、継続して使おうとすれば定期的に手を入れる必要が出てくる。
恩恵も大きいが、必要経費もそれなりで、奪ってしまえばそれでお終いって代物でもない」
緑の街道と呼ばれている古代遺跡は一種のオーパーツであり、ほとんど整備する必要がない、壊れない道であるらしい。
そうした例外的な代物以外の、普通の道というのは手を入れ続けないと使い続けることが出来ない。
交通量が多くなれば道に凹凸が出来るし、石畳にしても沈むことがある。
快適に使い続けるためには、継続的に予算を投入して整備をし続ける必要がある。
こうしたインフラを継続的に使える状態に維持するためにはある程度安定した政体は必須であり、現地の自立を促すためにも、こうした街道の整備資金を、洞窟衆側は現地の勢力に背負わせていた。
無論、今の段階で森東地域の勢力に、それほど大規模な土木事業を行うための余力などないことが多く、実際には洞窟衆が施工費用を立て替える形で事業を推進している。
街道が完成し、毎日のように膨大な物資が行き来するようになれば、自然とその街道の周辺部にも相応の見返りが生じるので、長い目で見れば洞窟衆への借金も返済して、それなりの余禄を求められるはずだった。
実際、今の段階でも、そうした急造の街道が完成した地域と、それ以外の地域との間で目に見えるほどの経済格差が生じ始めている。
街道というインフラを整備するのには、それ相応に大きな資金を必要とするが、投資に見合った見返りがあるという認識が、徐々に広まっているところだった。
洞窟衆が主導して整備出来た街道は、この段階ではまだまだごく限られた、狭い地域にしか行き渡っていないのだが。
それでも、モデルケースとしての十分な役割を果たしてくれていて、そのおかげで新しく街道を通す交渉も、少し前までとは比較にならないくらい、円滑に進むようになっている。
こうした街道の整備事業は、インフラに投資することがいかに重要であるのか、現地の有力者に強く認識をさせる契機にもなっていた。
もう少しすると、洞窟衆の手を借りずに、自分たちだけで資金を集め、施工して街道を整備しようとする人間も出てくるだろうな。
と、ハザマは予測する。
そなれば洞窟衆としては、物資を調達して運び込むことにそれだけ注力出来るわけで、歓迎をするべきであるといえるのだが。
軍事的な外圧とは別に、こうした大型化した事業へ資本を収束させる必要性が出て来たことも、森東地域内での自己組織化を促進する一因になるのだろうな、と、ハザマは予測をする。
森東地域の人々がこれまで経験してこなかったような、大きな資本を必要とする事業が普通に必要とされるようになれば、社会構造も自然とそうした状況に合わせて変容するしかない。
また、流通網が整備され、人や情報の流れが激しくなれば、氏族という局所的な、ローカル社会だけで完結しているような状況は、自然と解体されていくだろう。
たとえ軍事的、政治的な支配を目指していなくても、洞窟衆はこの森東地域において、やはり破壊者であるのかも知れないな、と、ハザマは思う。
もっとも、それは別に森東地域に限ったことではなく、ハザマと洞窟衆は場所と時を選ばすに、既存の価値観を壊し、蹂躙し続けて来たわけだが。




