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月下恋歌  作者: 梨千子
第五章「君の、香り」
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第一話「面影」

「ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」


 謝る青年を、サクヤは笑って許した。

 その背に抱えられる少女は、ぐっすり眠っている。気持ちよさそうな寝顔だ。


「明日起きたら、叱っておきますので」

「いいのよ。あなたもこの数日、警備や護衛で大変だったでしょう。ゆっくりお休みなさい」

「そうします。まあ、こいつが何もしでかさなければ、ですが……」


 青年が乾いた笑いを見せて、背負った存在へ目をやる。

 頭を下げて、彼は下がっていった。


 二人の背中を見送って、サクヤは目を細める。


「……懐かしいわね」


 廊下に控える護衛官が、その呟きを拾って顔を向けてきた。

 なんでもないのよ、と首を振ると、すぐ石像のように動かなくなる。

 サクヤは自室に戻った。


 夜の帳はとっくに落ちていた。

 それでも、今夜は無礼講だ。開いた窓からは、風に乗って陽気な音楽が流れてくる。街は騒がしく、祝いの声であふれている。

 今日、女王が代替わりしたのだ。


 ふう、と息を吐いて肩を叩くと、サクヤは窓を閉めた。

 水差しから水を注ぎ、喉を潤す。渇きはおさまらず、もう一杯飲んだ。


「こんなに喋ったのは、久しぶりね……」


 孫娘からせがまれた地上での話は、一日で話し切ることができなかった。

 代替わりの儀を終えた後、晩餐会への出席もそこそこに、少女は元女王のもとへやってきて、続きをねだった。

 明日は、孫娘が王太女となる儀式が行われる。こんな時間になるまで部屋に帰らない少女を心配して、近衛が迎えにやってくるのは当然だ。


 苦虫を嚙み潰したような顔で、眠る孫娘をおんぶする近衛の青年。

 けれど少女を見るその眼差しは、慈愛に溢れている。

 その昔、自分を支えてくれた近衛の面影と、よく似ている――。


 サクヤは、寝台のそばの壁に飾ってある長槍に目をやった。

 長く使い込まれた槍は武骨で、装飾は一切ない。柄にぶら下がる白い風切り羽の房だけが、唯一の自己主張。

 そこに向かい、そっと指先で房に触れる。


「……三百年よ。褒めてくれる?」


 記憶の中の彼が、大げさに肩をすくめる。飄々とした態度で、サクヤをからかう。そして最後に、サクヤの頭をぽんと手で包み込んだ。


 ――よくやったな。


 跡形もなくなって、槍だけしか残っていなくても。

 サクヤの近衛は、サクヤをどんなときも前向きにしてくれる。

 

「そうよね」


 サクヤは笑った。

 長く肩に居座っていた重さが、もうない。


「……うん。そうよね!」


 この国は新たな女王を迎えた。次の後継者の心配もない。

 サクヤが頑張る必要は、もうない。

 

 両手を広げる。

 誰もいない部屋で、笑いながらくるくると回る。


 その勢いのまま、寝台に倒れこんだ。

 幕を引いていない窓ごしに、青く輝く星が見える。


 しばらく、その星をじっと見つめた。

 サクヤが月を治めてきた三百年余。ずっと変わらずそこにあった。

 

 祖母が亡くなった夜。重責に泣いた夜。娘が誕生した夜。幸せに包まれた夜。近衛がいなくなった夜。

 どんな夜が来ても、サクヤを優しく照らし続けてくれた。


 今は、母があの星を愛した理由が、はっきりとわかる。


 ふふ、と笑みが漏れた。


「……あの子、きっと明日も来るわね」


 サクヤが語ったのは、一年のうちの半分だけ。恋の成就がなった、その時までの話。

 ならば、ずっと興奮した様子だった孫娘は、その続きを欲しがってやってくる。

 

 ああ、けれど。

 これより先の話は、ちっとも面白くないだろう。

 孫娘をわくわくさせるような、劇的な展開なんてないからだ。


 ただ、静かに刻み込まれた。

 魂の奥底。この胸の中で、いつまでも光り輝く。


 瞼が重い。

 まどろみの中、それが見えた。

 

 春の光。雪解けのような笑み。その口元。

 静かな眼差し。風が運ぶ、爽やかな甘い――


 名を呼ぼうとして、空気に溶けていった。

 その青い星の光に包まれながら、元女王は、ゆっくりと眠りに落ちた。


 

 ***



 あ、と咲夜は空を指さした。


「見て。星がすごい」


 太陽が完全に隠れたところだった。

 満点の星空が姿を見せ、宝石のように輝いている。

 今宵は月がない。星がとても綺麗に見える。


「あら、真に」


 酒壺を運んできた紗乃が、足を止めて咲夜が指さした方向に感嘆の息を漏らす。

 脇息に寄りかかっていた時親も、それに目をやって動きを止めた。


「なんだか、星に包まれてるって感じがするわね」

「咲夜様は詩人ですわね」

「本当? 一首詠ってみようかしら。時親もどう?」

「……私に歌の才はないぞ」

「こういうのはきっと勢いが大事なのよ」


 ねえ、と紗乃を見れば、彼女は盃に酒を満たしながら、穏やかに笑った。


「色々挑戦なさるのは、咲夜様のいいところですわね」

「……うーん。でも、いざ歌にするってなると、難しいわね」


 綾子は即興で歌を詠んでいたけれど、あれは綾子だったからできたことなのかもしれない。

 

「紗乃は? なんだかサラッと詠めちゃいそうだけど」


 膳に酒の肴を整えながら、紗乃は首を振った。


「私もそちらの方面はあまり得意ではございません。夫ならご期待に副えたかもしれませんが……」


 えっ、と咲夜は声を上げた。


「紗乃、夫がいるの?」

「あら。さすがにこの年まで独り身ではございませんわ」


 確かに紗乃の年齢は中年の頃合いであったが、だとしても辺境にいた頃から、彼女が家庭を持っていると感じたことはなかった。

 咲夜と同じ棟で仕事をして、いつも咲夜よりも早く起きて、遅くに眠っている。


「夫は亡くなりました。もう十年になりますわ」

「そう……だったんだ」

「夫は御屋形様の……殿下の文官の一人でした。その縁があって、私が侍女として仕えることになったのです。――さ、ご用意ができましたよ」


 紗乃が膳を指し示す。

 時親のための酒と肴。咲夜には白湯と果物が用意されていた。


「わ。ありがとう」


 橘の良い匂いがして、咲夜はすうっと息を吸い込んだ。

 小皿には干し柿が乗っていて、ひとつまみ口に入れれば、甘みが広がる。

 辺境では甘味が貴重だったから、これが食べられるのは嬉しい。


 咀嚼しながら、咲夜は紗乃のことを考える。

 十年前に亡くなった夫。時親の文官だった人。もう半年以上仕えてくれているのに、咲夜は彼女のことを、全く知らなかった。


「ねえ、紗乃のこと、もうちょっと聞いてもいい?」


 上目遣いに聞く。

 紗乃は退出しようと踵を上げていたが、咲夜のお願いを聞いて驚いたように瞬いた。


「あら……どういたしましょう。殿下と妃殿下のお時間を邪魔する気はなかったのですが」

「構わぬ」


 時親が、酒を嘗めながら言った。


「むしろ、そなたがここで内緒にすれば、咲夜は私との時間、ずっと気がそぞろだ」

「そ、そんなことは……」

「ないか?」

 

 あるかもしれない、と咲夜は口を閉じた。

 ほほほ、と紗乃が口元を隠して笑った。


「まあ……お二人の仲にあてられてしまいますわね。私の身の上などつまらないお話ですが、それでもよろしければお答えいたしますわ」

「やった。じゃあ遠慮なく聞いちゃう。その旦那さんとは、いつどこで出会ったの?」

「十三年前に……辺境で。夫は元々、辺境で文官をしていたのです」

 

 紗乃が座り直せば、別の侍女がその前に白湯が乗った膳を運んできた。時親が何か指示したのかもしれない。


「そうなんだ。あれ? ってことは、時親と一緒に都から来たわけじゃないのね」

「はい」

「どんな人だったの?」

「歌や詩を愛した人でしたわ。食べるものに困っても、そのお金で、都から和歌集を取り寄せるような困った人でもありました。いつか都に行きたいと言っていたのですが、叶わず……私だけこうして都にいるなんて、皮肉なものですね」

「……」


 少し突っ込んで聞きすぎたかもしれない、と咲夜は黙った。


「そういえば紗乃は、里帰りしなくてもいいの?」


 話題を変える。


「里帰り――でございますか」

「うん。紗乃の故郷は辺境でしょう? 私と時親が都にいるから残ってくれてるけど、帰りたいときはいつでも帰っていいからね」


 紗乃が、申し訳なさそうに首を傾げる。


「私の故郷は辺境ではなく……、とても――とても遠い場所です故。今は、殿下と妃殿下のいらっしゃる場所が故郷ですから、問題ありません」

「遠い、場所」

「はい。実は私、放蕩娘でしたの。夫に出会って、故郷を捨てました。ですからもう、戻ることはできません。殿下と妃殿下にお仕えできれば、嬉しゅうございます」

 

 咲夜はじっと、紗乃の顔を見つめた。

 紗乃もその視線を受けて、咲夜を見つめ返す。


 先に視線を逸らしたのは、紗乃の方だった。


「そろそろ戻らないと。これ以上咲夜様のお時間を独り占めしたら、殿下に嫉妬されてしまいそうです」


 うふふ、と含み笑いする様子は、いつもの紗乃だった。用意された白湯を飲んで、その膳ごと退出していく。

 その背が見えなくなるまで、見つめ続けた。


「咲夜?」


 時親の声に、はっと我に返る。

 

「どうした」

「あ――うん。ごめん、ぼうっとしてた」


 干し柿をひとつ、つまんで口に入れる。甘さが口に広がる。

 ふと、時親がす、と腕を伸ばして、咲夜の唇に触れた。


「何か、気になることがあったか」


 指の感触を感じながら、咲夜は干し柿を歯でゆっくり押しつぶす。

 ああ、この男は本当に人をよく見ている。それが嬉しくもあり、苦々しくもある。


「……さっきの話、知ってた?」

「紗乃の夫君のことか」

「そっちじゃなくて」

「故郷のことはよく知らぬ」


 ああ、だが。と、時親が視線を上げた。何かを思い出すように。


「故郷では、それなりの身分の姫だったのではないか」

「……どうしてそう思うの?」

「出会った時から、言葉遣いや振る舞いが整っていた。身分のない者が、簡単に身に着けられるものではない」

「……」


 思い返せば紗乃は、初めて会った時、咲夜の容貌を見て、何も言わなかった。

 街に着いた際、民たちは咲夜の髪や瞳の色に驚き、恐れ、しかし興味津々といったふうだったのに。

 彼女だけは咲夜の容姿ではなく、ぼろぼろになっている顔や服を見ていた。時親に文句を言ったことを思い出す。女子をこのような姿で放っておくなど何事か、と。


 それに、咲夜が神力を取り戻した後。

 紗乃の姿に、何かの違和感を覚えている。それが何かは、説明できない。

 

 するりと、時親の指が頬を撫でた。


「何か考えている顔だ」


 間近で見つめられる。

 気恥ずかしくなって、視線を逸らした。


「ちょっと、気になることがあっただけ」

「それは?」

「紗乃が……」


 咲夜は口をつぐんだ。

 

 先ほどの紗乃の言葉がよぎる。


 ――故郷を捨てました。

 ――今は、殿下と妃殿下のいらっしゃる場所が故郷。

 

 その言葉に嘘はないと思う。いつだって、紗乃は咲夜の味方だった。

 咲夜をかばって凶刃に倒れ、咲夜を逃がすために身代わりに残った。


 彼女の隠し事を暴いてしまえば、きっと紗乃とは、今まで通りの関係に戻れなくなる。

 紗乃は故郷を捨てた。

 咲夜は故郷に帰る。

 お互いが選んだ道。それでいいのではないか。


 咲夜は目を強く閉じると、


「なんでもない。勘違いだったみたい」


 時親を押しのけて干し柿を食べる。


「なんだ。教えてはくれぬのか」

「時親。女の子はね、少しくらい謎めいていた方が魅力的なのよ」


 夜が更けていく。

 満点の星空が、二人の時間を見守っていた。

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