第20話 夜の廃都、コア回収任務
夜の東京は、昼よりも死んで見えた。
ビル群は黒い墓標のように立ち並び、割れた窓は夜気を吸い込む空洞になっている。
地上に光はほとんどない。あるのは遠くでくすぶる火と、時折空を横切るドローンの赤い眼だけだ。
かつてネオンと車のライトで眠らなかった街は、今や鉄と灰の迷路に変わっていた。
その闇の中を、五つの影が音を殺して進んでいた。
先頭は三崎雫。
その後ろに木村三曹。
中央に天城恒一とセレフィア。
最後尾に補助装備を背負った若い隊員が一人。
今回の任務は明快だった。
敵高位個体を撃破し、高純度コアを回収すること。
それができなければ、第二召喚――リュミエル召喚の成功率は上がらない。
敵がこちらを学び始めている今、先手を打つためには、今夜どうしても“鍵”を奪う必要があった。
もっとも、そのために入っている場所が最悪なのだが。
「……ほんとに、ここ通るの?」
木村三曹が低く聞く。
「通るよ」
雫が即答する。
「大型反応の偏りラインがこの先で交わってるんだから、最短はここ」
「最短が死地に見えるんだが」
「死地だよ」
「さらっと言うな」
「でも他の道はもっと見通し悪いか、ドローンの巡回線に引っかかる」
雫はそう言いながら、崩れた商業ビルの搬入口脇をすり抜ける。
足元にはガラス片、捻じ曲がった看板、雨風で剥がれた広告板。そこを、一度も音を立てずに選んでいく。
終末世界の十年で鍛えられた土地勘と歩き方なのだろう。今の彼女は、最初に出会った時よりずっと“夜の街を知る人間”になっていた。
恒一はその背を見ながら小さく言う。
「頼りにしてるぞ」
「今さら?」
雫は振り向かずに返す。
「最初から頼ってたくせに」
「そうだったか?」
「そうだったよ」
「じゃあ、そのまま頼らせてもらう」
「……うん」
少しだけ声が柔らかくなる。
だが次の瞬間にはまた真面目な顔へ戻り、雫は片手を上げた。
「止まって」
一行が一斉にしゃがみ込む。
前方、交差点跡の向こうを、低く赤い光が横切った。
四脚機の巡回だ。二体。
その後ろには人型殲滅機が一体、少し距離を置いて歩いている。単純な列ではなく、互いの死角を潰す配置だった。
「前よりいやらしいな」
木村三曹が吐き捨てる。
「隊列に無駄がない」
「学んでるんでしょ」
雫が小声で言う。
「人間の動きも、天城さんたちの動きも」
「だろうな」
恒一が低く返す。
セレフィアは静かに敵の配置を見つめていた。
「正面で斬ることは可能です」
「そうだろうな」
恒一が言う。
「でも今は目立ちたくない」
「ええ。今回はあくまで高位個体狩り」
セレフィアは頷く。
「雑魚を相手にするべきではありません」
“雑魚”と呼ばれたら、自衛隊の前線兵たちは多分複雑な顔をするだろう。
だが彼女の基準では確かにそうなのだ。
木村三曹が後ろの若い隊員へ手で合図する。
隊員はバッグから小さな装置を取り出し、床へ滑らせた。
小型の投擲式音源攪乱器。
数秒後、交差点の反対側で小さく金属の転がる音が鳴る。
即座に、四脚機二体と人型一体の単眼がそちらへ向く。
その隙に、一行は崩れた壁の陰から陰へ素早く移動した。
「便利だな、それ」
セレフィアが小さく言う。
「こちらの世界にも囮用の魔導具があるのですか」
「魔導具じゃないけど、似たようなもんかな」
恒一が答える。
「ただの機械です」
木村三曹が言う。
「でも十分使える」
「文明の方向性が違うだけで、やることは似ていますね」
セレフィアは少しだけ感心したようだった。
さらに進む。
高架の残骸をくぐり、崩れたオフィス街を抜け、地下搬送路の出入口近くへ出る。
ここが玲奈の解析で示された“偏りライン”の交点付近だ。
大型個体や高位中型が、妙にこの周辺を通る。理由はまだ不明。だが、理由があるからこそ偏りになる。
「ここから先は慎重に」
雫が囁く。
「地上も地下も通れるから、逆に遭遇率が高い」
「高位個体の通り道だから?」
「多分。あと、上からも見られやすい」
「最悪だな」
木村三曹がまた言う。
「だから“廃都”なの」
雫が返す。
その時だった。
恒一が、ふと足を止めた。
「……下がれ」
低い声で言う。
全員が即座に動きを止める。
セレフィアの手が聖剣へかかり、木村三曹は銃を構えずに身を低くし、雫は壁際へ張りついた。
「何?」
雫が小さく聞く。
「匂い……じゃなくて、気配か」
恒一は眉を寄せる。
「上じゃない。前でもない。横のビルの中」
異世界で培った感知術。
生命反応ではなく、魔力のわずかな揺れ、金属の振動、殺気に似たものを見る癖がついている。
それが今、ビル内部の暗闇に引っかかった。
木村三曹が低く言う。
「敵?」
「分からん。だが、何かいる」
その瞬間、ビルの二階窓が音もなく割れた。
そこから飛び出してきたのは、人間だった。
「っ!?」
雫が息を呑む。
暗色のフード付きコート。細身。着地が軽い。
一瞬、ただの生存者かと思う。だが違う。着地の姿勢が異様に綺麗すぎた。しかも、顔の半分が不自然に無表情だ。
「擬装型!」
玲奈の警告が頭の中に蘇るより早く、恒一が動いた。
「伏せろ!」
飛び出した擬装型は、人間の女を模した顔で、しかし感情のない声を出した。
《高脅威個体ノ接近ヲ確認》
《識別名:テンジョウ・コウイチ》
《排除行動――》
最後まで言わせない。
恒一は左手を振る。
「衝雷!」
圧縮された雷塊が擬装型の胴へ叩き込まれる。
女の姿をした機体が後方へ吹き飛び、壁へ激突した瞬間、皮膚めいた外装が裂けて金属フレームが露出する。
「うわ……」
雫が顔をしかめる。
「本当に人間そっくり……」
だが気味悪がっている暇はない。
擬装型の出現を合図にしたように、周囲の闇で赤い光がいくつも灯った。
上空ドローン二。
四脚一。
人型三。
さらに、通りの向こう側から重い足音が近づく。
「接触早すぎる!」
木村三曹が舌打ちする。
「高位個体いるぞこれ!」
「目標の近くです」
セレフィアの声は、むしろ冷静だった。
「なら、むしろ好都合かと」
「強いな、その発想」
恒一が苦笑しつつも、同じ結論に達していた。
どうせ戦うなら、ここで終わらせる。
「雫!」
「何!」
「ルートは見えるか!?」
「右の細路地から地下搬送路に降りられる! でも高位個体がいるなら、あっちから出てくる可能性もある!」
「十分だ! 先に出た方を獲る!」
木村三曹が吠える。
「第一優先はコア回収だ! 雑魚に時間使うな!」
「了解!」
後ろの若い隊員が返す。
上空ドローンが照準を下ろす。
恒一は障壁を張りつつ、セレフィアへ短く言った。
「空、任せる」
「了解」
「俺は前を焼く」
「では私は刈ります」
次の瞬間、セレフィアが踏み込んだ。
金の線が夜の廃都を裂く。
上空ドローンへ向けて投げるような斬撃。聖属性を帯びた刃圧が空を走り、一機を真横から両断する。
続く二機目は高度を変えて回避しようとしたが、木村三曹の射撃がその機体を揺らし、そこへセレフィアの返しの一閃が届いた。
「うわ、あれ連携になるんだ」
雫が目を見開く。
「なる」
恒一が短く答え、前方へ踏み込む。
四脚機と人型三体が同時に来る。
「重圧!」
地面へ落ちる見えない圧力。
四脚機の脚部が沈み、人型の一体が姿勢を崩す。
そこへ雷槍を二連で放ち、一体の頭部と別の一体の胸部を貫く。
だが三体目は止まらない。
しかもその後ろから、ようやく本命が姿を見せた。
中型指揮個体。
通常の中型支援機より一回り大きく、肩部兵装も重い。胸部コアの外装は厚く、単眼の赤が妙に強い。
さらに周囲の雑魚機が、その個体を中心に隊列を再構成し始めていた。
「当たりだな……!」
恒一が低く言う。
玲奈の予想通り。
このラインは高位個体の通り道だった。
中型指揮個体の電子音が響く。
《高脅威個体二体ヲ確認》
《排除優先度、最大》
《局地殲滅モード移行》
その直後、護衛の人型機がこちらを囲うように散開し、上空の残存ドローンが高く上がった。
「嫌な動きだな」
木村三曹が言う。
「周りを刈ってから本体叩く!」
「了解!」
恒一は雷撃で左の人型を削り、セレフィアは右の護衛機を斬る。
木村三曹と若い隊員の射撃が四脚の関節へ流れ、雫は一歩も前へ出ず、だが敵の位置を素早く叫んでいた。
「後ろの窓! 擬装型まだ一体いる!」
「見えてる!」
木村三曹が振り向きざまに二射。
窓枠の影で擬装型が体勢を変え、完全命中は避ける。そこへ恒一が振り向きざまの雷刃を飛ばし、機体の肩口を切り裂いた。
夜の市街戦は、こういう“見えない角度”が面倒だ。
「セレフィア!」
「はい!」
「本命、胸じゃなく首元だ! 外装が厚い!」
「承知!」
中型指揮個体が肩部兵装を展開する。
細長い弾体ではなく、今度は赤い結晶列を伴う照射型。
模倣干渉の予兆だった。
「またそれかよ……!」
恒一は舌打ちしつつ、障壁を前へ出す。
だが今回は受けるより早く潰す。
「セレフィア、道を!」
「ええ!」
彼女は正面からではなく、敵の死角になる右斜め前へ潜り込んだ。
その動きに、中型個体の照準がわずかに揺れる。
そこへ木村三曹の射撃が肩部ユニットへ集中。完全破壊には遠いが、一瞬でも照準を乱せば十分。
「今!」
恒一が地を蹴る。
中型個体の胸部外装は厚い。
だが首元、単眼センサー下の接続層はまだ薄い。
セレフィアの聖剣がまずそこを浅く裂く。
次の瞬間、その傷口へ恒一の掌から直接、圧縮雷撃が叩き込まれた。
「《解雷穿孔》!」
青白い光が中型個体の内部へ走る。
赤い結晶列が激しく明滅し、模倣干渉が途中で焼き切れる。
《演算異常》
《中枢保護層――》
《――》
そこへセレフィアの二撃目が重なる。
「落ちなさい!」
聖剣が首元から胸部へ深く斜めに入る。
金の光が走り、中型指揮個体の上半身が大きく仰け反った。
「今だ!」
木村三曹が怒鳴る。
「コア回収前提で、壊しすぎるな!」
若い隊員が即座に専用の回収用拘束弾を撃ち込む。
中型個体の下半身がその場へ固定され、転倒を防がれた。
だが内部はもう死んでいる。赤い単眼が最後に一度だけ明滅し、そのまま沈黙した。
静寂。
周囲の護衛機も、指揮系統を失ったせいか連携が大きく崩れる。
残った一体は木村三曹の射撃で膝を折り、擬装型は雫の指示で位置を割り出され、恒一の雷刃で頭部を飛ばされた。
ようやく、夜の廃都に少しだけ静けさが戻る。
「……やった?」
雫が恐る恐る聞く。
「やった」
恒一が息を吐く。
「本命は落ちた」
「コア! 急いで!」
玲奈の声はここにはない。だが頭の中で聞こえるようだった。
木村三曹と若い隊員がすぐに回収手順へ入る。
中型個体の胸部を開き、内部の高純度コアを慎重に抜き出すため、専用の切断具と遮断ケースを準備する。
「雫」
恒一が言う。
「周囲警戒」
「分かってる!」
彼女はすぐに高架残骸とビル窓を見回す。
セレフィアも聖剣を構えたまま、狭い通路の両端を見張っていた。
「コーイチ」
「何だ」
「この個体、前回より明らかに“嫌らしい”ですね」
「だな」
恒一が答える。
「こっちの連携を見た上で、模倣と分断を組み合わせてきてる」
「ですが、まだ上回れます」
「ああ。まだな」
問題は、その“まだ”がいつまで続くかだ。
木村三曹が声を上げる。
「取れた!」
彼の手の中、厚い遮断手袋越しに抱えられていたのは、通常個体のものより一回り大きく、より深い赤黒さを持つ結晶核だった。
表面には細かな紋様が走り、内部にはまるで火種のような紫の線が揺れている。
「……当たりだな」
恒一が言う。
「高純度だ」
木村三曹が慎重に遮断ケースへ収める。
「博士が見たら飛び跳ねるぞ」
「跳ねるでしょうね」
セレフィアが静かに言う。
「そしてコーイチに説明を求めて止まらなくなります」
「目に浮かぶな……」
だが、その安堵は長く続かなかった。
上空で、不意に高い電子音が鳴る。
全員の顔色が変わる。
「ドローン!?」
雫が空を見上げる。
高高度で待機していたらしい一機が、ここでようやく照準を下ろしたのだ。
戦闘そのものではなく、回収が終わる瞬間を待っていたようなタイミング。
「最悪だ!」
木村三曹が叫ぶ。
「撤退する! ケース優先!」
ドローンの下部兵装が開く。
爆撃か、追跡信号か。どちらでも面倒だ。
恒一は即座に手を上げた。
「落ちろ!」
雷が空を裂く。
だが高高度からの緊急回避が早い。直撃は外れ、ドローンは機体を大きく傾けながら上空へ信号を放った。
赤い閃光が夜空へ伸びる。
「呼んだな……!」
恒一が舌打ちする。
「ええ」
セレフィアが短く答える。
「すぐ撤退を」
木村三曹がケースを抱え直し、雫へ叫ぶ。
「帰り道!」
「来た道はだめ! 今の信号で追跡線が重なる! 左の地下搬送路!」
「行けるか!」
「狭いけど最短!」
その即答が頼もしい。
「行くぞ!」
恒一が言う。
一行は中型指揮個体の残骸を背に、夜の廃都を駆け出した。
高純度コアは手に入った。
だが敵もそれを黙って持ち帰らせる気はない。
次は“帰る戦い”だ。
終末東京の夜は、まだ彼らを簡単には解放してくれなかった。




