皿
今まさに己が眼で捉える“芸術”は、見る人間全ての思考を奪う。
人は知覚情報の8割を目に頼るというが、舞う銀月の足運びは聴覚を、最高級香水など足元にも及ばない少女の香りが嗅覚を……彼女の存在が余すところなく、ヒトの知覚世界を支配するのだ。
「五感のみでは不足」と強請り、「心を捧げろ」と強いてくる。
【聖剣】も、人ならざる竜ですら、月の魅力からは逃れられない。
不意に疑問が生じた。
純金の柔らかな髪、闇より暗い漆黒のドレスが‘くるり’と回る姿から、なぜ人はすべからく彼女に‘銀の月’を想うのか。
間もなく答えを悟る。
それは、ドレスが際立たせる彼女の肌が、極夜に張る月光の如き冷白であるからに他ならない。
眩しい。冷たい光が強すぎて、少女の貌も定かでない。
なのに美しいと思った。そして、恐ろしいとも思った。
「‘けもの‘のあじみは、またいつか」
銀月は、悪戯気に笑っている。
「――はっ」
時間を奪われたような感覚だった。眼を開いたまま、失った意識を取り戻したような感覚に陥る。
この感じ、前にもあったような……?
「あう……何?……立ってられない」
「っ、聖剣の魔力が――……吸われたか」
「なんだよこりゃあ……。なんか、無性に毛皮被って寝ちまいてぇな……肌寒ぃし……七郎、お前抱き枕な」
「オオぉ、た、例え借りがあるといえど、それはならん。ナらんぞっ嬢ッ。ムグググっ――ダメだ、力が抜けル」
「……何事?」
ハッキリとし始めた視界には、ある意味死屍累々な光景があった。俺の傍に居た面子はメセルキュリア以外、やや虚脱したような様子だ。
「くふ……zzz」
ヴィトーラに至っては俺の肩に抱き着いたと思いきや、そのままぶら下がるように眠り始める。握る手の力だけはスゴイ。なんでその態勢で眠れるんだ。
「な、なんだ!? 周りの人間が全部気絶してる!?」
鋼城が驚愕の声をあげた。つられて俺も周りを見れば、確かに先ほどまで遠巻きにしていた人々の多くが床に倒れている。
「(竜子さんは――……気持ちよさそうに寝てる。最初より顔色が良いくらいだ。でも“明”が止まってるのはどうしてだ?)」
他に、辛うじて意識を保っている者も数人いるが……。
―― もっとぉっ、もっとしてぇ
―― ワシなんかが触れてはいかん……ああ、だが……
全員生きてはいるようだが、誰も彼も様子がおかしい。
「あ˝、あ˝ひ、あ˝ッへええええええッ!!?」
―― ドイル枢機卿っ!?!?
―― うわ、汚らし……い、いえ、お気をたしかにッ
特に枢機卿とやらの有様は酷い。肥満体の老人が目を見開き奇声を上げ、恍惚を過ぎて苦悶ともとれる表情で床をのたうつ様子は、正直に言って醜い。シンプルに引く。
辛うじて意識を保つ取り巻きの信徒も、顔を顰めながら形だけの介抱を行っている。
「き、聞いとらンぞ、エヴァが居るなど……ワ、吾は悪い事はしてナイ。オ仕置きはイヤダ! モ、モウ尻は叩かんでクレっ」
真竜の様子もおかしい。子供のように蹲り、半泣きで翼と尾を丸めて目を閉じる。
竜を怯えさせるほどの何かが、先程に少女にあるのだろうか……。
「墨谷ぃ、なんなんだこれはッ。お前が何かしたのかっ? 女の子を引きずって、ふざけてるのか!」
「どうしてそうなる?」
「な、なにしてるのよっ? は な れ ろ ぉ ー」
「アタシはいろいろ疲れたんだよ、うるせぇなぁ……」
烈剣姫も引っ張らないでほしい。背中のヴィトーラは剥がれないから放っておくしかないんだ。
鋼城も、俺が身体強化以外の魔法を使えないことぐらい知ってるだろうに。
「俺にこんなマネできるかっ。お前だって見ただろう鋼城、さっきの子を……」
「子供……? 何を言ってるんだ。そんな子どこにいる?」
……鋼城は見てないのか? あの現実離れした光景を。
「このラコウ人の女性が歩いて来ただけだろ」
「は?」
鋼城の指摘でようやく気配を感じ振り返る。
そこには青いドレスを身にまとう黒髪黒肌の女性が佇んでいた。非常に長い髪を流し広げ、顔も髪に隠れて良く見えない。そもそもラコウ人の闇肌は、髪の黒と区別がつかず分かりにくいのだ。
表情は定かでないが、幽鬼のような立ち姿と、髪の間からぼんやり光る紅い眼光が印象的である。
さらに特徴がもうひとつ。
彼女はなぜか、パーティーで使われていたと思しき食器皿を大事そうに持っていた。異色の肌指で、装飾美しい皿を‘キュウゥン……’と撫で奏でる。
「(この人、さっき別のテーブルに居た――)」
「おひぃさまは楽しき夜をお望みでぇぇ……無体は終わりにしてほしぃぃぃ」
数十秒前の、極美を眺めた余韻が消え去る。
震える様な声だった。‘ぐん’と近づいてくる女ラコウ人と目が合うだけで、灼け溶けたハズの肌に泡立つような悪寒が走る。
「……申し訳ない」
「それでいぃぃぃ。よくできましたあぁぁぁ」
敵意も感じないので、素直に一歩引いて謝る。するとラコウ人の彼女は満足げに指を皿に滑らす。
「……うぅ」
後ろに居る烈剣姫は、ラコウ人女性が発する只事でない重圧に顔面蒼白だ。
「――そうか、ラコウ人! オマエが会場を襲ったんだなっ?」
「おひぃさまにぃぃぃ食べてもらえなかったニンゲン――かわいそぉぉにぃぃぃ」
「ニンゲン? オマエ魔物かっ!?」
「やめろ鋼城っ」
しかし鋼城は引かず、青ドレスの腕を掴み迫る。はたから見れば、鋼城が女性にキツく当たっているように感じるかもしれない。
だがドレスの女は首を傾げるばかり。
「ああっ、ダメですよぉ! 殺されちゃいますぅッ」
今度は女ラコウ人とは別の、知らない女性の悲鳴が木霊する。
誰だろうか?
女性はタイトスカートにやや乱れたシャツ……あえて表現するならば、異世界風のレディーススーツに身を包んでいた。丸縁メガネに糸目顔で、年齢は若く見える。
「来ていたのか、クレルトギスタ」
「記録しなきゃいけない大事件の気配がしてねぇ、走って来ちゃった。って違う、止めなきゃダメでしょーメセルちゃんッ。“3大病魔”がニホンに入り込むなんてイチ大事だよー!」
「ああ、全員揃って忍び込んで来たらしい」
「あー、病魔全員でぇ。3人が揃う監視記録は6年ぶり…………え、3人が集まる理由って……じゃ、じゃあ来てるの、彼女?」
「……ああ」
細い目をびっくりするほど見開いて、新たに登場した女性は固まる。
「(クレルトギスタ?……っ……“星譚至天”クレルトギスタ=ファルクスか!!)」
思いもよらないタイミングで【聖剣】以外の星譚至天と初対面することになってしまった。
黒牢の解決にも一役買った“王立図書館”の顔色を見るに、やはりこれはマズイ状況らしい。
だが鋼城はクレルトギスタの声も聞こえないのか、焦った様子で捲し立てている。
「倒れている人たちを元に戻せ! オレや【聖剣】の目をかいくぐってこの人数を一斉に、ということは……まさか異世界の“魔王”なのか!? 黒騎士として見過ごすわけには――ッ」
――魔王。その一言を鋼城が言い放った瞬間
病を冠する魔が牙を剥く。
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