第13話 Why done it?
「さて、どんなお願いをしましょうか」
ご機嫌な様子で考え始めたぞ、この子は。待て待て。僕は同意した覚えはない。そもそも自分で答えを言っていたじゃないか。教授にテキストをもらえば問題ない、と。最初からこの対話に意味などないじゃないか。
「……また何を考えているかわかりますよ。教授の部屋に今から行けばいいって思ってますね。残念ながらそれは、今日に限って無理なんです」
また読まれたな。本当にこの子はどこまで視えているんだ。少なくとも呪いに気付いていないあたり万能ではないのだろう。さしずめ、ずば抜けた洞察力と論理的思考能力の高さがそれを可能にしているのだろう。しかし、今日に限って無理とはいったいどういった理屈だろう。
「今日、教授は学会で、東京の大学に行っています。掲示板に告知がありますよ。今のご時世でデジタル化していないのは遅れていますよね」
そうか、だから僕は知らなかったんだ。授業に出ている学生にわかって、病院送りにされた僕には伝わっていなかったわけだ。しかしそれがなんだ、教授が今度来た時に、……ああ、なるほどな。
「そのお顔、どうやら気付いたようですね。今日は……」
「小テスト、しかも結構大事なものがあるようだ。そしてそれまであと一時間しかない」
「ええ、貴方にとって貴重な一時間。どう使うかは自由です」
この子、これを今思いついたわけじゃないだろう。だってバイトのあった日にいくらでも喋れたじゃないか。……うん? 少し思い起こしてみよう。そうか、僕はバカだな、あの日さんざ僕の方から意図的に会話が発生しないようにしていたじゃないか。きっとこの子は伝えてくれようとしていたんだ。それなのに、僕が遮っていたのだから。
……自業自得だ。目先の一会話をしないためにここまで話がもつれこんでしまったのだ。
「条件は……?」
身構えてしまう。怖い。彼女から放たれるであろう言葉が。普通の人にとっては二つ返事で承諾する内容だろうと、僕にとってはかぐや姫の難題足りうるからだ。普段の僕ならばこんな会話をしなくとも、あしらうことは容易だろう。しかし、なぜ僕はこんなにも悪戦苦闘しているのだ。
「後で決めましょう、今は時間のほうが大事です」
詐欺師のやり方である。最初にメリットを提示し、対価はもらわない。「後でいいですよ」とにこやかな笑みを浮かべる。そして法外な請求をされるのだ。時間制限付きなところまで、ネット詐欺のやり方を踏襲している。
「わかったよ。でも、出来る事には限りがあるからな」
「要相談です」
白鳥さんはにこりと笑って、ノートを差し出してくれる。そこには女の子らしく美しい字で丁寧に書き込まれたノートがあった。僕の気付かないところまで詳細に書き込まれてある。
そうか、ソクラテスの言葉にはそういった解釈もあるのか。「生きる為に食べよ、食べるために生きるな」手段と目的をはき違えるなと周知されているが彼女は、人間関係にも同じことが言えると考えたのだろう。
僕一人だったら到達できない結論だ。友人は生きる為に必要ではない。だがいることで人生はより華やかになる。世間体の為の人間関係や、利用し合うだけの関係にどれほどの意味があるのか。僕は彼女がどうしてこんな事を書けるのだろう、と感心さえした。イデア論の不明瞭な部分も彼女の予想や推測が書き込まれている。それらが僕の中にすっと腑に落ちる。テストには必要ない部分かもしれない。言ってしまえば趣味の領域だ。僕は知らずのうちに夢中になっていたようだ。
美しい。
なんというかこのノートには真実に迫ろうとする者にしか書けない“美”があった。次のページには何が書いてあるんだろう。彼女はどんなことを考えているのだろう。どういった価値観を持っているのだろう。ページをめくる手が止まらない。僕は我を忘れていた。ふふ、と彼女が笑った声で現実に戻された。
「嫌いな教科なのに、随分と熱心に読み込まれるのですね」
「あ、あー。単位もらえないと。その、あれだろ」
「そうですね」
その笑顔。なんだ、その笑顔は。全く不愉快極まるな。嘘はお見通しです、というその笑顔は。不愉快だ。不愉快すぎて胸が暖まるぞ。湯に浸かり、強ばった身体が解きほぐされるようにな。
言葉など不要、分かっています、とそういう訳かね。
全く。これでは茶番劇だ。
否定しても、本心が別のところにあるのだと知られているのでは。
全く。
全く。
……そんなに、分かりやすいのだろうか。
しかし、大学は人生の夏休みなどと揶揄されることが多いが、僕はそうは思わない。だから不本意だった。卒業するための手段としてテスト勉強をすることが当たり前だと思われるのが。ソクラテスの解釈よろしく手段と目的が逆転したこの学び舎で。
口に出さなくても彼女に真意は分かるのだろうか。僕の考えすぎではないだろうか。
そんな心中を察してか知らずか。白鳥さんの微笑みは何と暖かいのだろう。心地が良い。ぬるま湯に浸かっているように頭の芯が蕩かされている。毒だ、これは。理解なんて、そんなものされたいに決まっているのだから。
僕はスイッチを入れ替えた。今はただ勉強をしよう、と。
□□□ 講堂 210教室
白鳥さんといったん分かれて講義を受けた後、四講の時間がやってくる。
僕は講堂に入り少しばかり驚いた。この教科を取っている人間がこれほどまでいたのかと。この学校の哲学科棟では随一の大きさを持つ講堂。210を略して“ニット”と呼ばれている。その大きな講義室に一定間隔で人物が座っている。その数が予想よりも多かった。
この講義を取っている人間はこんなにもいたのか。普段は出ていない勉強嫌いが友達づてにテストの話を聞き、それこそ“単位の為に”重い腰を上げて集まったのだろう。教授はいないが助教授が試験官を務めているようで教壇の前に立ち腕時計を確認している。
教授の本職は研究だ。学問を教えることは副業と言っても過言ではない。しかし、普段から自分の講義を受けていない不真面目な学生がテストの日だけ出張ってくるのはどういった心境だろう。
僕だったらきっと腹が立つ。貴重な研究時間を割いてまで学問を教えているのだ、対価として給料をもらっていたとしてもやりきれない。自分の講義が面白くないのか。教え方に不備があるのだろうか。
そしてこの講堂は、僕と僕以外の人に見えない壁が張られているように感じる。かたや自分一人で、今回は白鳥さんの助力もあったが、基本単独で課題を突破する僕。友人から聞いただけでテスト準備の大幅なショートカットができる勉強嫌い達。
ずるいな。
羨ましいな。
普通っていいな。
僕に呪いが無ければ、この勉強嫌い達みたいに、普段は出席せず、大事なテストだけを……。
こうやって考えるのも悪い癖だな。
きっと教授は何年もこんなことを繰り返して、とっくに慣れてしまっているだろう。だが、なんというか。僕には教授が東京に行ったのは学会の為ではなく、このテストの時だけ異様に増える光景を見たくないからなのかなと思ってしまった。余計なお世話だとわかりつつも、少し同情した。
テストは問題なく終わった。白鳥さんのノート様様だ。だが、今このピンチを突破するためにまた僕は危険な地雷原を裸一貫で歩いていく愚行を重ねる。正直テストの最中もそればかり考えてしまい、ケアレスミスが無いか心配だ。
終わってすぐに僕は後ろから声を掛けられる。
「どうでした? 出来ましたか?」
「……関係ないだろ。そんなこと」
「あれ? 良いんですか? そんな態度とって。今あなたは私に借りがある状況ですよ」
口を噤んでしまった。救急車を呼んでくれたのも、お見舞いに来てくれたのも、引っ越し祝いをくれたのも。そして今日ノートを見せてくれたのも。僕は借りを作りすぎている。この債務は早いところ返さないとリボ払いよろしく雪だるま式に増えていき、返しきれない恩になってしまう。もらった恩は人に返さないといけないんだ。当然の事じゃないか。
「わかった、わかったから。図書館にいこう。沢山ある借りをまとめて返させてもらう」
「え? まとめて?」
「何かおかしいか?」
「私は何か貸していましたっけ?」
……この子は天使だ。僕が借りだと思っていることを何がおかしいのかわからない様子で、不思議そうにしている。後光が刺し彼女の表情さえ逆光で見えなくなっている。現に僕には彼女の光が眩しくて僕には直視に耐えない。
「……そうだな。ノートのお礼をさせてもらうよ」
大学でも悪名高い僕と、探偵癖に目を瞑れば美少女である白鳥さんが、傍から見れば、仲良く会話をしている事に奇異の目を向けられる。何やら喋っている様子も窺える。
言いたければ言わせておけばいい。僕がどんなマジックを使って彼女と話すようになったのか、どうせ答えは出ない。一つ心配なのは僕と付き合っているせいで、彼女にも悪評が立たないか、という点だったが、彼女はどこ吹く風だ。指摘するのも馬鹿らしい。
□□□ 大学附属図書館 談話室
「さて、本命の時間ですよ」
僕は身構えていた。正直彼女の言いそうな事ならば想像がつく。
「私とお友達になってください」
はい喜んで! と言いたい気持ちをぐっと抑える。来てしまった、またこの時間が。……憂鬱だ。今までにもこういった事は多くはないが無かったわけではない。そのたびに不器用な笑顔を浮かべながら否定するのだ。このままではまた僕の大切なものが世界から一つ消えていく。そうなれば後悔で血涙を流し、この程度の憂鬱とは比較にならない絶望感が待っている。
「……いいや、そうは。そうは、ならないよ。出来ないんだ」
「やっぱダメかぁ!」
断られたのに彼女はご機嫌だ。何故なのだろうかと考えること数秒。
そうか、これは彼女の知識欲を満たすためのものだ。僕の矛盾、その謎を解き明かしたくてたまらないのだろう。
「じゃあお喋りしましょうよ、授業も一緒に出ることですし。当然授業中はあんまり喋ったらいけませんけど、こうやって図書館とかカフェとかで」
お前さっきの話聞いてたか。それって友達だよね? さっきのお願いと何が違うのか。いや、待てよ。友達料をもらうなんて、フィクションでしか見たことは無いが、あれは明らかにいじめだ。会話に対価があれば、厳密には友達ではないだろう。きっとそうだ。
「回数制限付きでなら……」
「構いませんよ! じゃあ、そうですね週に50回までとかにしますか?」
多すぎるだろ。たとえ回数制限が無かったとしても、僕の話題が先に尽きるわ。
「いやいや、多い。多いよ」
多いよ。本当に。
「10回だ」
「構いませんよ。じゃあ10回」
即答。
嵌められた。
「やった!」
何様だよ、僕は。こんないい子と会話するのなんて、普通なら僕の方から頭を下げてお願いするものだろう。奇妙な呪いの所為で、奇妙な逆転現象が起きている。
「じゃあ回数券みたいに何かカードがあると良いですね、えっと」
彼女が財布を取りだし中身を机に向けて振ると黒光りしたカードが何枚もテーブルの上にぶちまけられる。ブラックカード。
こいつ上級国民か。いや、いやいや。そういう問題じゃない。
「馬ッ鹿! お前……ッ!」
急いで僕はそれらを回収して隠した。ただでさえ美人で危ないのに、こんなものを見せびらかしたら、誘拐犯ホイホイの出来上がりだ。
「それなんかもう使えなくなっちゃったんですよね、だからいらないかなって」
「だとしても! 危ないだろう! ……ああ、わかった。僕の方でカードは用意するから。10枚の会話券」
「……優しいですね」
え? 何が? 会話券を作るところが、か? 大した労力でもない。
「何が、誰が優しいって?」
彼女は唇を尖らせて不満そうな表情をする。終始意味の分からない僕は困惑しながら彼女の顔を見ていることしかできなかったが、彼女は笑みをこぼした。
「ではさっそく、権利の一枚を使いましょう」
いきなりか、だとしても僕に面白い話を期待しているようなら力不足だ。他をあたってくれ。
「Who done it? Why done it? How done it? 知っていますか?」
「フーダニット、誰がやったか。ホワイダニット、何故やったか。ハウダニット、どうやってやったか。ミステリーの謎の主たる三つだな」
「博識ですね、その通り。さて、問題です。私がこの中で最も面白いと感じている者はどれでしょうか?」
ああ、簡単な質問だ。
「Why done it? だろ?」
ツイッターの方でも言いましたが14話投稿時にお知らせとお詫びがあります。




