第43話:行き先
オールドスパインアーカイブを出ると、自由港の音が戻ってきた。古い記録庫の中に沈んでいた静けさが、扉一枚で途切れる。
外では搬送ドローンが低く唸り、遠くの工房街から金属音が響いている。さっきまで棚の奥で眠っていた記録が、今はカインの右目の中に収まっていた。
旧外縁航路K-9。
ノクターン・デブリ帯。
無人艦。
三箱の部材。
グレイ・マートン。
ばらばらだった線が、一つの暗い宙域へ向かっている。
アイリスはホバーバイクの後部座席に手を置いたまま、小さく聞いた。
「……戻ったら、どうするの?」
「まず整理する」
カインは短く答えた。
「すぐに突っ込む場所じゃない」
「でも、行くんだよね」
「見る必要はある」
カインはホバーバイクの制御を起こした。
機体が低く浮き、古い通路の床から離れる。
「ただし、準備してからだ」
アイリスは少しだけ頷いた。
「うん」
ホバーバイクは、オールドスパインの古い区画を離れ、工房街の方へ滑り出した。
クロンワークスへ戻る頃には、工房前の部材はさらに増えていた。
B-17から抜かれた搬送フレーム。補助電源セル。
旧式隔壁材。耐熱配管。切り出された外装板。
使う物と売る物が、タグごとに分けられている。
自由港の工房らしく、作業は早い。
騒がしいが、乱れてはいない。
剥ぎ取られた部材はすでに“次に使う物”へ分解されつつあった。ミラはその脇で、端末を片手に搬入リストを確認していた。
「お帰りなさい」
「ああ」
カインはホバーバイクを止めて降りた。
「オールドスパインの結果は、アドミラルに流した」
『受領済み』
通信越しにアドミラルの声が重なる。
『旧外縁航路K-9、通称ノクターン・デブリ帯。無人艦、三箱、グレイ・マートンの記録が同宙域周辺に収束している』
ミラの表情がわずかに引き締まる。
「では、次は偵察ですね」
「そうなるか」
カインは答えた。
「ただし、艦本体では行かない」
『妥当』
アドミラルが即座に言う。
『本艦は現在、ドライドック六番で改修中。大型艦で接近すれば目立つ。監視網、罠、秘匿拠点のいずれであっても、警戒を与える可能性が高い』
「ならノクスだ」
その名を聞いて、ミラが頷いた。
「ノクスは現在、クロンワークス係留ドックにあります」
「外縁作業用の軽改修は可能です」
そこへ、工房の奥からクロンが出てきた。
肩に工具束を掛け、手には古い端末を持っている。
「また面倒な顔してるな」
「そう見えるか」
「見える」
クロンは即答した。
「で、今度は何をどうする?」
カインは少しだけ目を細める。
「込み入った話は聞かないんじゃなかったのか」
「詳しい話は聞かねえ」
クロンは肩をすくめる。
「だが、船をいじるなら別だ」
アイリスが少しだけ笑った。
「クロンさん、そこは本当にぶれないね」
「ぶれたら工房なんかやってられねえ」
クロンは係留ドック側へ顎をしゃくった。
「ノクスだろ」
「ああ」
カインは頷く。
「前にTOYBOXで買ったアンカーランチャーを付けたい」
「あれか」
クロンは少し考えたあと、端末を操作した。
「たしか、コフレの店で買った外部作業用のやつだったな」
「一基のつもりだったが」
カインが言うと、ミラが横から補足した。
「購入品を再確認しました」
「あのキットには本体一基、予備機一基、交換用巻き取りユニット、射出筒、アンカー爪、強化ワイヤーが含まれていました」
アイリスが瞬く。
「…え、二基分あったの?」
「正確には、予備機と交換パーツ入りです」
ミラは静かに言う。
「組み立てた場合、実用二基分として構成可能です」
クロンが鼻を鳴らした。
「コフレらしいな」
「客に壊される前提で売ってる」
「いい店だ」
「そういう評価でいいのかな……」
アイリスが小さく呟く。
クロンは端末を閉じた。
「二基付けるなら左右だな」
「片側だけだと、引っ張った時に姿勢が偏る」
「ただし、ちょいと重くなるぞ」
『ノクスの機動性低下は許容範囲内』
アドミラルが言う。
『二基搭載により、左右交互のアンカー射出、制動、姿勢固定、緊急旋回が可能になる』
ミラも続ける。
「中型船由来の補助フレームを基部に使えます」
「船体負荷を逃がす構造にすれば、ノクスの外装へ直接負担を掛けずに済みます」
クロンが頷いた。
「取り付けはうちでやる」
「射出制御、巻き取り負荷、緊急切断、姿勢制御との連携はそっちでやれ」
『了解』
アドミラルが返す。
『ノクスの自動姿勢制御にアンカー負荷予測を追加する』
クロンは工房の奥へ声を飛ばした。
「ノクスを上げろ」
「左右外部マウント確認」
「アンカーキットを出せ」
「補助フレームも二本じゃ足りねえ。四本持ってこい」
従業員たちが動き出す。
クロンワークスの係留ドックで、ノクスは静かに停まっていた。
密輸船めいた小型船。エーテルガイストに比べれば、当然ながらずっと小さい。だが自由港の中を動き、外縁を覗き、戻ってくるにはちょうどいい。
その左右に、アンカーランチャーの部材が並べられていく。
射出筒。
巻き取りユニット。
強化ワイヤー。
アンカーフック。
交換用部品。
予備機から組み立てた二基目。
見た目は無骨だ。
だが、宇宙を走る小型船にはよく似合っていた。
クロンが船体を見ながら言う。
「右舷一基、左舷一基」
「同時射出はするな。たぶん船体がもたねえ」
『同時射出は禁止制御に組み込む』
アドミラルが答える。
「片方を撃って固定、もう片方は制動か逃げに使う」
クロンは続ける。
「アンカーは作業用兼命綱だ」
「撃ち込む場所を間違えたら、逆に死ぬぞ」
アイリスが少しだけ表情を硬くする。
「……命綱」
「そうだ」
クロンは工具を手に取りながら言った。
「デブリ帯なら尚更だ」
カインはそれを聞きながら、ノクスを見ていた。
左右の外装板が外され、内部フレームが露出する。B-17から抜いた補助フレームが合わせられ、仮止めされる。
射角確認。
巻き取り経路。
排熱。
緊急切断。
船体負荷の逃がし。
クロンワークスの従業員たちは、理由を聞かずに手を動かしている。それがありがたかった。
「どれくらいで動かせる」
カインが聞く。
「仮運用なら今日中」
クロンが答える。
「左右二基をきっちり合わせるなら明日まで欲しい」
「だが、明日の朝に出す程度なら間に合わせる」
「頼む」
「言われなくてもだ」
クロンは鼻を鳴らした。
ミラが端末を開く。
「表向きの仕事ですが、一件あります」
カインがそちらを見る。
「旧外縁航路K-9手前の漂流ビーコン確認任務です」
「バンカーボート経由の軽作業依頼」
「内容は、ビーコンの生存確認と座標再送信」
「回収は任意」
「危険度は中」
「報酬は低めですが、外縁へ出る名目としては自然です」
カインは表示を読む。
旧外縁航路K-9手前。
漂流ビーコン。
通信途絶した作業艇のものかもしれない。
確認だけなら小型船で十分。
深追い不要。
「都合が良すぎるな」
『同意する』
アドミラルが言う。
『だが、この種の依頼は常に存在する。ノクターン・デブリ帯周辺であれば、なおさらだ』
「罠か」
『可能性は排除できない』
「だが、名目にはなる」
『そうだ』
ミラが補足する。
「依頼を受ければ、ノクスが外縁宙域へ出る理由ができ怪しまれません」
「記録上はビーコン確認任務」
「実際には、ノクターン・デブリ帯外縁の反応調査」
アイリスが小さく聞いた。
「……誰が行くの?」
カインはすぐには答えなかった。
自分が行く。そう言うのは簡単だった。
だが、今は状況が悪い。
エーテルガイストはドライドックで改修中。
三箱は隔離解析区画で調査中。
ライナ副官との細い通信線も開いたばかりだ。
B-17由来部材の受け入れも進行中。
そして何より、もしノクスが外縁で何かあれば、エーテルガイスト側で即座に判断する者が必要になる。カインがノクスに乗れば、現場では強い。だが、拠点側の判断が遅れる。
それに、もう一つある。カインはまだ表向きには死んでいる。自由港の中ならともかく、外縁宙域で派手に動けば、ヴォルフに軍に拾われる危険がある。今はまだ、自分の生存を外へ広げる時ではない。
「俺は行かない」
カインは言った。
アイリスが顔を上げる。
「カインは……行かないの?」
「ああ」
「自由港に残る」
声は硬い。
「何かあった時、艦を動かす判断をする人間が要る」
「それに、奴らに気づかれる危険がある」
アイリスは少しだけ黙った。
その理由は分かっている。
けれど、納得するには少し時間が要る。
そんな顔だった。
ミラが静かに言う。
「ノクスは私が運用できます」
「操艦、通信、危険判断、撤退判断は私が担当します」
アドミラルも続けた。
『外縁ビーコン確認任務であれば、艦長が直接搭乗する必要性は低い』
アイリスは自分の胸元に手を置いた。
「……私も行く」
カインの視線が動く。
「アイリス」
アイリスは小さく、けれどはっきり言った。
「三箱を見た時、嫌な感じがした」
「…クレイドルに繋がるかもしれないものなら、私も知らないままでいたくない」
「それに、私なら何か感じるかもしれない」
「…見るために行く」
カインは黙っていた。
アイリスの言葉は無茶ではない。
三箱の混成補機コアを見た時、彼女は確かに反応した。ノクターン・デブリ帯に同じ系統のものがあるなら、アイリスの感覚が手掛かりになる可能性はある。だが、危険もある。
「条件がある」
カインは言った。
「深入りするな」
「ビーコン確認範囲を越えない」
「異常が出たら即帰投」
「ミラが撤退判断を出したら従え」
アイリスは真剣に頷いた。
「うん」
「約束する」
ミラも静かに頷く。
「アイリスさんには観測補助をお願いします」
「操艦判断と撤退判断は私が持ちます」
カインはミラを見る。
「守れるか」
「守ります」
ミラは即答した。
「危険度が想定を超える場合は即時撤退します」
『本艦側でも常時監視する』
アドミラルの声が重なる。
『通信途絶、推進系損傷、未知反応への接触、敵性個体確認のいずれかで救援判断へ移行する』
カインは少しだけ目を細めた。
「救援手段は」
アドミラルはわずかに間を置いた。
『限定的な手段はある』
「何だ」
『必要時に開示する』
カインの声が低くなる。
「またそれか」
『肯定する』
「何か隠しているな」
『否定しない』
アイリスが不安そうに二人を見る。
「提督……?」
『現時点で開示するより、必要時に運用する方が合理的と判断している』
「俺はそういう答えが嫌いだが」
カインが言う。
『記録しておこう』
短い沈黙が落ちた。
夕方前、ノクスの左右にアンカーランチャーが仮搭載された。
右舷と左舷。
二基の射出筒が外装に沿って固定されている。
巻き取りユニットは内側に半埋め込みで組まれ、B-17由来の補助フレームが船体負荷を逃がす構造になっていた。綺麗な改修ではない。だが、強い。
自由港の工房で生まれた、生き残るための形だった。クロンが船体を軽く叩いた。
「左右二基」
「片方は制動、片方は姿勢保持」
「両方撃って無理に曲がろうとするな。機体が悲鳴を上げる」
ミラが答える。
「了解しました」
『制御制限を設定済み』
アドミラルが言う。
『同時最大負荷射出は禁止。緊急時は自動切断』
「それでいい」
クロンはカインを見た。
「どこへ行くかは聞かねえ」
「だが、デブリの濃い場所なら、アンカーを過信するな」
「掴めば助かるとは限らねえ」
「掴んだせいで死ぬこともある」
「分かってる」
カインは答えた。
クロンは次にアイリスを見た。
「嬢ちゃん」
「はい」
「怖かったら戻れ」
「怖がるのは悪いことじゃねえ」
アイリスは少し驚いた顔をしたあと、静かに頷いた。
「……はい」
クロンはそれ以上何も言わなかった。
ミラが端末を操作する。
「バンカーボート経由、旧外縁航路K-9手前の漂流ビーコン確認任務」
「受注します」
短い認証音が鳴る。
「受注完了」
表示はあまりに淡々としていた。
表向きは軽い外縁仕事。
実際は、ノクターン・デブリ帯外縁の偵察。
まだ深部へ踏み込むわけではない。
ただ、その縁を確認するだけだ。
だがカインは知っている。
こちらが闇を覗く前に、闇の方がこちらを見ていることもある。
「明朝、ノクスを出す」
カインは言った。
「今日は最終確認だ」
『了解』
アドミラルが返す。
ノクスの左右に取り付けられたアンカーランチャーが、工房の白い作業灯を鈍く反射している。
それは武器というより、命綱に見えた。
明日、その命綱が何を繋ぎ止めるのか。
まだ誰にも分からなかった。




