第42話:オールドスパインアーカイブ②
エーテルガイストを出ると、自由港の音が戻ってきた。隔離解析区画の静けさとは違う。
ドライドック六番の外側では、搬送車両の低い唸り、荷役アームの駆動音、遠くの工房街から響く金属音が重なっている。自由港は、こちらの事情など知らない。今日もいつも通り、物を流し、金を動かし、壊れたものを別の形で生かしていた。カインとアイリスは、工房街へ向かって歩き出した。
「クロンワークスに寄る。足を借りる」
工房街へ近づくにつれ、音はさらに濃くなった。
鉄を切る音。溶接の閃光。
油と熱の匂い。作業員たちの短い声。
さっき市場で買ったB-17の部材も、この流れの中へすでに組み込まれつつある。
クロンワークスの前へ着くと、工房の一角にはすでに搬入された部材が並んでいた。
搬送フレーム。旧式隔壁材。補助電源セル。
耐熱配管。それぞれにタグが付けられ、使う物と回す物に分けられている。
ミラはその脇で、端末を片手に搬出リストを確認していた。
「戻られましたね」
「ああ」
カインは短く答える。
「オールドスパインへ行く」
「承知しています」
ミラが頷く。
その横にいたクロンワークスの従業員が、カインへ軽く手を上げた。
「カインさんですね」
「ああ」
「親方から聞いています」
従業員はそう言って、工房脇のシャッターへ歩いた。
「都市を回るなら、また足を貸してやれと」
アイリスが少しだけ反応する。
「親方って、クロンさんのこと?」
「はい。クロン親方です」
従業員は当然のように答えた。
シャッターが半分だけ開き、中から小型のホバーバイクが出てきた。借りたものと同じく、工房街仕様の実用機。外装には擦れがあり、色も派手ではない。だが、フレームはしっかりしていて、推進系の音も安定している。
「前回と同じ二人乗りです」
従業員が言う。
「助かる」
「それと、入札したバイクの話も聞いています」
カインが視線を向ける。
「結果は」
「まだです」
従業員は端末を確認した。
「落札できた場合は、クロンワークス宛に搬入されます」
それから少しだけ笑って、アイリスを見る。
「落札出来ると良いですね」
「うん」
アイリスは素直に頷いた。
「…落ちたら、サイドカーを付けるかもって話してて」
「それも聞いています」
「そこまで?」
「親方は必要そうな話を先に回しますから」
従業員はホバーバイクの制御キーをカインへ差し出した。
カインはキーを受け取り、ホバーバイクへ跨がった。制御系を起こす。浮上音は低く、安定している。アイリスが後部座席に乗る。
慣れてきたのか、前より動きに迷いがない。
ミラが一歩下がった。
「オールドスパインアーカイブへ向かう場合、中央通路より外縁側の作業員用通路を抜けた方が早いです」
「混む場所は」
「ジャンクバザール前です。現在、資材搬送と昼の人流が重なっています」
従業員も頷いた。
「外縁側を回った方がいいです。少し古い通路ですけど、親方もそっちを使えと言ってました」
「気が回るな」
「親方ですから」
従業員はそう言った。
カインは短く頷き、ホバーバイクを前へ滑らせる。
「行くぞ」
「うん」
アイリスが後ろで頷いた。
ホバーバイクはクロンワークスの前を離れ、工房街の通路へ出た
外縁側の通路は、中央より少し狭かった。
壁面には古い配管が走り、ところどころに補修跡が残っている。だが人通りは少なく、ホバーバイクで抜けるにはちょうどいい。
通路の脇では、小さな工房や倉庫が連なり、資材を積んだ搬送ドローンが低い高度でゆっくり滑っていた。アイリスは後ろから周囲を見ている。
「自由港って、場所によって全然違うね」
「同じ街ってより、船と街と廃材を繋ぎ合わせた群れだな」
「群れ?」
「都市というより、生き物に近い」
カインは前を見たまま言った。
「傷んだ場所を直して、足りない場所へ別の部品を付ける」
「それって、エーテルガイストみたいだね」
「似てるかもな」
カインは短く答えた。やがて通路の雰囲気が変わった。
工房の音が遠ざかり、代わりに古い紙と油と冷えた空調の匂いが混じり始める。
壁面の照明も少し暗い。
看板は減り、古い記録媒体店や、修理屋とも骨董屋ともつかない店が並んでいる。
自由港の中でも、ここは少し時間の流れが遅い。
アイリスが小声で言った。
「この辺、前に来た所だね」
「ああ」
「オールドスパインの近くだな」
カインはホバーバイクの速度を落とした。
通路の奥に、古い建物が見えてくる。
オールドスパインアーカイブ。
派手な看板はない。
ただ、古い金属板に刻まれた文字と、背骨のように縦へ伸びた意匠が入口の上に取り付けられている。
周囲の店と比べても、さらに静かだ。
人を呼ぶ場所ではない。
必要な者だけが、必要な時に辿り着く場所。
カインは建物の脇にホバーバイクを寄せ、エンジンを落とした。浮上音が静かに消え、機体がゆっくり沈む。
アイリスが降りて、入口を見上げた。
カインは、ブラッドハウンドの表示を確認した。
《照合用データパッケージ:保持》
《三箱一次解析》
《無人艦比較》
《座標断片》
右目の奥で、短く表示が沈む。
カインは入口へ向かった。
扉の前に立つと、古いセンサーが一拍遅れて反応した。内側からロックが外れる音。
次に、柔らかい電子音声が流れる。
『来訪者確認』
『カイン・ウォーカー様、アイリス様』
セピアの声だった。
『オズワルドが奥でお待ちです』
扉がゆっくり開く。
中から、古い紙と金属と冷えた記録媒体の匂いが流れ出した。カインはアイリスを見る。
「行くぞ」
「うん」
二人は、オールドスパインアーカイブの中へ足を踏み入れた。痩せた老人――オズワルド・グレインは、資料束からゆっくり視線を上げた。
「来たか」
それだけだった。
歓迎の言葉ではない。だが、追い返す声でもない。カインは店内を軽く見回しながら、短く答えた。
「ああ」
「そっちから呼んだんだろ」
「呼んだ」
オズワルドは資料束を閉じた。
「分かったことがある」
その一言で、カインの表情が少しだけ変わる。
オズワルドは顎で奥の閲覧卓を示した。
「まず、こちらのデータと照合した結果を見せる」
棚の間を動いていた旧式アンドロイドが、静かに振り返る。
セピアだった。
「閲覧卓を起動します」
柔らかい声。
古い機体の声帯を通しているせいか、わずかにざらついている。だが不快ではない。
むしろ、この場所にはよく馴染んでいた。
カインとアイリスは閲覧卓の前へ移動した。
卓の表面に淡い光が走り、古い投影機構が低く唸る。最初に浮かんだのは、前回カイン達が撃破した無人艦の簡易立体図だった。
旧式の船体。軍規格に近いフレーム。
古い自律戦闘補助AIに似た中枢。
そして、人類製の機械には不釣り合いな共鳴炉。
アイリスが小さく息を呑む。
「これ……前に戦った船だよね」
「ああ」
カインは答えた。
「その中身だ」
オズワルドは立体図を見ながら、低い声で言う。
「結論から言う」
「これは一隻だけの異常じゃない」
カインの目が細くなる。
「同型がいるのか」
「同型、とまでは言えん」
オズワルドは首を振った。
「だが、似た影は昔から」
セピアが投影を切り替える。
古いサルベージ報告。欠けた航行ログ。通信途絶記録。船体残骸の写真。宙域警告の写し。どれも古い。どれも不完全だ。
だが、無関係な記録には見えなかった。
「船が消え」
「残骸だけが戻る」
「無人艦らしき影を見た、という報告もある」
「だが、その度に記録は薄くなった」
「事故、海賊、航法ミス、違法サルベージ」
「理由はいくらでも付けられるからな」
アイリスは投影された記録を見つめた。
「……消えてるのに、事故で済まされてるの?」
「外縁では珍しくない」
オズワルドは静かに言う。
「船が戻らないこと自体はな」
「だからこそ、記録の奥に沈む」
カインは腕を組んだ。
「だが、並べると違う顔になる」
「そうだ」
オズワルドは端末を操作した。
ばらばらに見えた報告地点が、机上の古い星図へ落とし込まれていく。年代も違う。船も違う。
報告者も違う。だが、それらを重ねると、点は少しずつ一つの方向へ寄っていった。
「こちらのデータと照合した結果、ある宙域が浮き出た」
セピアが座標図を拡大する。
自由港の外縁。旧い航路。今はあまり使われていない迂回路。デブリ密度の高い暗い帯。
「旧外縁航路K-9」
セピアが告げる。
「通称、ノクターン・デブリ帯」
アイリスがその名を小さく繰り返した。
「ノクターン・デブリ帯……」
オズワルドは頷く。
「サルベージ屋どもはそう呼ぶ」
「暗い帯だ」
「船が消え、残骸が遅れて流れてくる」
カインは座標図から目を離さない。
「前の無人艦は、そこから来たと?」
「断定はしない」
オズワルドはすぐに返した。
「だが、お前が持ってきた無人艦の断片」
「こちらに残っている記録」
「それらが、全部その周辺へ寄っている」
セピアが補足する。
「一致率は決定的ではありません」
「ですが、偶然と判断するには近すぎます」
机上の投影に、赤い線が重なっていく。
無人艦データの座標断片。未帰還船の最終信号。
異常エーテル反応の観測点。
それらが、ノクターン・デブリ帯の周辺で細く絡まっていた。
「つまり、そこに何かある」
カインが低く言う。
「そう考えるのが自然だ」
オズワルドが答えた。
「無人艦の供給源か」
「未報告の遺構か」
「誰かが古い残骸を拾って使っている場所か」
「そこまでは分からん」
「だが、穴はそこにある」
「穴……?」
アイリスが聞き返す。
「記録の穴だ」
オズワルドは言った。
「船が消える」
「記録が途切れる」
「だが並べると、同じ場所に穴が空いている」
カインの右目がわずかに収束する。
ブラッドハウンドが座標図を記録していく。
《候補宙域:旧外縁航路K-9》
《通称:ノクターン・デブリ帯》
《関連:無人艦座標断片/未帰還記録/異常エーテル反応》
カインは、そこで静かに言った。
「追加で照合してほしいデータがある」
オズワルドの目がわずかに動いた。
「ほう」
「現物は出せない」
「場所も言えない」
「だが、前の無人艦と繋がる可能性がある」
オズワルドは少しだけ口元を歪めた。
「ここは記録庫だ」
「照合したい断片だけ出せ」
「それでいい」
カインは右目へ意識を寄せた。
「セピア」
「はい」
セピアが机の端末をカイン側へ向ける。
カインはブラッドハウンド内に保持していた照合用パッケージを流した。
《三箱一次解析》
《無人艦比較》
《仮想モデル用途推定概要》
《座標断片》
端末が短く鳴る。
セピアの瞳に淡い光が走った。
「受領しました」
「展開します」
机上に、三つの部材データが浮かぶ。
結晶性制御ユニット。共鳴導体系部材。
混成補機コア。さらに、簡略化された仮想モデル
オズワルドの眉がわずかに寄った。
「……また厄介なものを拾ってきたな」
「拾いたくて拾ったわけじゃない」
カインが返す。
「市場で船を一隻押さえたら、中にあった」
「その船のデータもあるのか」
「残っていた分だけだ」
カインは追加データを流す。
《中型輸送船B-17残存ログ》
《船名:グレイ・マートン》
《積荷目録断片》
《航海日誌断片》
《外縁航路K-9》
《貨物区画三:警備ドローン記録》
その瞬間、オズワルドの表情が変わった。
「グレイ・マートンだと?」
カインが視線を上げる。
「知っているのか」
「名前だけならな」
オズワルドは古い端末を操作した。
「数年前、外縁で行方を消した輸送船の一つだ」
「外縁じゃ、船が消えること自体は珍しくない」
セピアがすぐに記録を引き出す。
「該当候補あり」
「中型輸送船」
「登録区分、民間貨物船」
「最終所属、外縁輸送組合系下請け企業」
「最終航路、外縁航路K-9方面」
「通信途絶後、船体未発見扱い」
アイリスが小さく言った。
「でも、船は自由港の廃棄船溜まりにあった……」
「ああ」
カインが答える。
「流れ着いたか、誰かが拾って流したか」
オズワルドは三箱のデータと船のログを並べる。
「積荷目録を見せろ」
セピアが表示を切り替える。
> 特殊隔離貨物 三基
申告名:精密共鳴安定器
荷主:記録破損
受取先:記録抹消
保管指定:貨物区画一・奥部固定
保安指定:外部照会不可
オズワルドは低く唸った。
「精密共鳴安定器、か」
「曖昧な名前だな」
カインが言う。
「中身を知らない輸送業者に運ばせるには、ちょうどいい名前だ」
「そうだ」
オズワルドが頷いた。
「嘘ではない」
「だが、真実でもない」
セピアがさらに記録を重ねる。
「類似申告名あり」
「共鳴安定補機」
「炉制御安定器」
「隔離共鳴ユニット」
「いずれも、外縁航路周辺の貨物記録に散発的に出現」
「詳細項目は欠損、または非公開扱いです」
アイリスが顔を上げる。
「同じような荷物を運んだ船が、他にもあったってこと?」
「可能性はあります」
セピアが答える。
「ただし、記録は不完全です」
オズワルドは机上の座標図へ視線を落とした。
「繋がったな」
カインが問う。
「どこまでだ」
「答えじゃない」
オズワルドは言った。
「だが、線は太くなった」
彼は指で、投影図の上に三つの情報を重ねる。
「一つ、前回の無人艦データ」
「二つ、今回の部材」
「三つ、グレイ・マートンの航路と積荷記録」
赤い線が、再びノクターン・デブリ帯へ収束していく。
「この三つは、同じ場所へ向かっている」
「旧外縁航路K-9」
「ノクターン・デブリ帯」
室内の空気が、少しだけ重くなった。
カインは投影図を見つめたまま言う。
「そこに、無人艦と三箱の出所がある可能性があると」
「可能性はある」
オズワルドが答える。
「だが、行けば分かるとは言わん」
「戻ってこられるとも言わん」
カインは短く息を吐く。
「十分だ」
オズワルドが少しだけ笑う。
「それでも行く顔だな」
「まだ行くとは言ってない」
「言っていないだけだ」
カインは返さなかった。
ただ、ブラッドハウンド内へ照合結果を保存する。
《照合結果受領》
《候補宙域:旧外縁航路K-9 / ノクターン・デブリ帯》
《関連記録:無人艦 / 三箱 / グレイ・マートン / 未帰還記録》
オズワルドは端末を閉じた。
「今言えるのはここまでだ」
「無人艦は、単独の漂流兵器じゃない」
「今回のも、ただの密輸品じゃない」
「グレイ・マートンは、偶然その荷を抱えていたわけじゃない」
「だが、誰がやったかまではまだ分からん」
カインは頷いた。
「ああ」
「だから調べる」
オズワルドは静かに言った。
「なら、準備して行け」
「あの宙域は、記録の上でも暗い」
「記録は嘘をつかない」
「だが、全部を語るわけでもない」
カインは立ち上がった。
「助かった」
「礼を言うには早い」
オズワルドは返す。
「これは答えじゃない」
「入口だ」
カインは短く頷いた。
「分かってる」
オールドスパインアーカイブの古い照明が、静かに揺れていた。無人艦。三箱。グレイ・マートン。旧外縁航路K-9。ノクターン・デブリ帯。
ばらばらだった線が、一つの暗い宙域へ向かっている。真相はまだ、棚の奥にはない。自由港の外。船が消え、残骸だけが戻る場所。
次に見るべき闇は、そこにあった。




