GW特別編:その日、亡霊は少女になった
例によって本編とは全く関係ないギャグ回です。
自由港の外縁市場は、今日も騒がしかった。
溶接音。値切り交渉。違法の改造パーツを売り込む声。どこかの屋台から漂ってくる、油と香辛料の匂い。
カイン、アイリス、ミラの三人は、クロンワークスへ向かう途中だった。
目的は、ノクスの補修用部材と、エーテルガイスト改修に使えそうな端材の確認。
つまり、いつもの実務だった。
少なくとも、この時点では。
「……人、多いね」
アイリスが、周囲を見回しながら言った。
「週末市だな」
カインは短く答える。
「まともな品も出るが、変な物も出る」
「……変な物?」
「自由港だ。見れば分かるさ」
ミラが淡々と補足する。
「現在、周辺露店の八割が正規流通外の商品を扱っています」
「それって……違法?」
「自由港基準では通常営業です」
「……基準がこわい……」
その時だった。
前方の通路で、作業用外骨格を着た男がよろめいた。
「どけどけどけどけぇぇぇっ!」
男が抱えているのは、古びた密閉コンテナ。
ただし、固定ロックが半分外れている。
カインの目が細くなる。
「おい。ロックが外れてるぞ」
「分かってる! 分かってるけど止まらねぇんだよ!」
「ミラ、アイリスを下げろ!」
「了解」
ミラが即座にアイリスの前へ出る。
次の瞬間。
ガコンッ!
コンテナが床に落ちた。
蓋が跳ね上がり、中から銀色がかった液体が噴き出す。
霧状になった薬品が、通路いっぱいに広がった。
カインは咄嗟にアイリスをかばうように前へ出た。
それが、完全に裏目に出た。
バシャァッ!
薬品が、カインにまともに降りかかる。
「……」
沈黙。
カインは濡れた前髪から液体を滴らせながら、ゆっくり顔を上げた。
「おい」
作業員の顔が青ざめる。
「あ、いや、その……」
「これは何だ」
「ええと……合法寄りの試作品で……」
「合法“寄り”?」
カインの声が低くなる。
ミラの黄金の瞳が静かに光った。
「成分解析を開始します」
アイリスが不安そうに近づこうとする。
「カイン、大丈夫……?」
「来るな。成分が分かるまで離れてろ」
そう言った直後。
カインの身体が、びくりと震えた。
右目のブラッドハウンドが警告を出す。
ピピッ!
《生体反応変動》
《骨格比率変化》
《筋肉量再配置》
《内分泌系異常活性》
「……は?」
カイン自身も、声の違和感に気づいた。
少し高い。
明らかに高い。
「おい、今の声――」
そこで、白い蒸気が全身を包んだ。
アイリスが目を丸くする。
「カイン!?」
ミラが冷静に言う。
「生命反応は安定。ですが、肉体構造が急速に変化しています」
「何言ってんだ、ミラ」
蒸気の中から声が聞こえる。
やはり高い。
そして、蒸気が晴れた。
そこに立っていたのは――
銀灰色の髪をした、目つきの悪い美少女だった。
年齢は十代後半にも見える。
整った顔立ち。
細い輪郭。
だが目だけは完全にカイン。
黒いコートはぶかぶかになり、肩からずり落ちかけている。
左腕の義手と右目のブラッドハウンドだけは、何故か身体に合わせて自動調整され、細く小さく収縮していた。
アイリスは固まった。
ミラも一瞬だけ処理を止めた。
作業員が、ぽつりと言う。
「……成功例だ」
次の瞬間、カインの義手が作業員の胸倉を掴んだ。
「説明しろ」
声は可愛い。
怒気はいつもの倍だった。
作業員は即座に土下座した。
「申し訳ありませんでしたァァァ!」
数分後。
近くの整備屋の裏室。
カインは椅子に座らされ、ミラの検査を受けていた。
アイリスは真正面から見ないようにしているが、時々ちらちら見ている。
「……カイン……だよね?」
「俺だ」
「……ほんとに?」
「アイリス」
「はい」
「そんな目で見るな」
「……ごめん。でも……」
アイリスは言いにくそうに口を開いた。
「……かわいい」
カインの眉間に、深い皺が寄る。
「言うな…」
ミラが検査結果を表示する。
「薬品名は自由港流通名で《ミラージュ・フォーム》。身体外観を一時的に変化させる変装用生体反応薬です」
「変装用で、性別まで変わるのか」
「自由港製品なので、安全規格が雑です」
「納得したくねぇな」
「推定効果時間は約二十四時間。体内代謝で自然分解されます。後遺症はない見込みです」
アイリスがほっと息を吐く。
「よかった……」
カインは立ち上がろうとして、自分のコートの裾を踏んだ。
「……チッ」
今の身体では、服が合っていない。
コートは大きすぎる。
ブーツも緩い。
ベルトも落ちかけている。
ミラが即座に判断する。
「現状のままでは歩行効率が低下します」
アイリスも頷く。
「転んだら危ないよ」
「今日一日だぞ」
「今日一日でも、転んだら危ないです」
「……最悪だ」
結局、カインは自由港の衣料品店に連れて行かれた。
「こちらなどいかがでしょう」
ミラが黒基調のショートジャケットを提示する。
「却下」
「ではこちら」
「スカートは却下だ」
「では動きやすさ重視で、細身のパンツとショートブーツ」
「……まだマシだ」
アイリスが別の服を抱えてくる。
「これ、似合うと思う」
「却下」
「まだ着てないよ?」
「お前がそういう顔をしてる時点で却下だ」
最終的に、カインは黒いショートジャケット、細身のパンツ、短いブーツという落ち着いた服装になった。
実用性重視。
だが、妙に似合っていた。
アイリスは小さく呟く。
「……かっこかわいい……」
「その言葉を二度と使うな…」
ミラが記録する。
「外見変化後の服装適合率、九十四%」
「記録するな」
昼過ぎ。
三人はクロンワークスへ向かった。
工房街は相変わらず騒がしい。
溶接の火花。機械油の匂い。資材を運ぶ作業ドローン。怒鳴る作業員。
その中を、銀灰色の髪の美少女が不機嫌そうに歩いている。
隣にはアイリス。
後ろにはミラ。
一見すれば、ただの少女三人組にも見えた。
ただし一人だけ、歩き方が完全に歴戦の兵士だった。
「……本当に今日行くの?」
アイリスが小声で聞く。
「ノクスの部品確認がある」
カインは低く言ったつもりで答える。
だが、声は高い。
「今日中に済ませる」
アイリスは少し笑いを堪えた。
「……うん」
「笑うな」
「笑ってない……」
「顔が笑ってる」
ミラが淡々と言う。
「表情筋解析上、笑いを抑制中です」
「解析するな」
その時だった。
工房前の通路にいた数人組の男たちが、カインへ視線を向けた。
整備服を着た傭兵崩れ。
酒の匂い。
腰には安物の銃。
一人が口笛を吹いた。
「おいおい。こんな所に迷子か?」
カインは無視して歩く。
男が前に回り込んだ。
「待てよ。ここは危ねぇぜ?」
「退け」
声は可愛い。言葉は冷たい。
男たちは顔を見合わせ、それから笑った。
「強がるなって」
「俺らが案内してやるよ」
「裏で少し話そうぜ」
別の男が、カインの肩へ手を伸ばす。
「いいから来な」
その瞬間。カインの目が細くなった。
「触るな」
男は止まらない。
「いいから――」
カインの右手が腰へ伸びた。
崩兼元。
鞘から抜かれた刀が、光を裂く。
ただし、刃ではない。
峰。
ゴッ。
一人目の手首に峰が落ちた。
「がっ!?」
男が膝をつく。
続いて二人目の腹へ柄頭。
「ぐえっ!」
三人目の膝裏へ鞘打ち。
「おわっ!?」
一瞬だった。
周囲の作業音に、鈍い打撃音だけが混じる。
アイリスが目を丸くする。
「……速い……」
ミラが冷静に言う。
「外見変化後も戦闘能力低下なし」
「記録するな」
カインは刀を肩に担ぐように構え、倒れた男たちを見下ろした。
「これで終わりだ。失せろ」
だが、最初の男が立ち上がった。
顔を歪め、腰の銃に手を伸ばす。
「てめぇ……!」
カインの表情が、さらに冷えた。
「やめとけ」
男は止まらない。
銃を抜こうとする。
次の瞬間。
銀色の線が走った。
シュン。
男のジャケットの前合わせだけが、ぱっくり裂けた。
続けてベルトが切れ、ズボンがずり落ちる。
「……は?」
男は硬直した。
傷はない。
血も出ていない。
ただ、服だけが綺麗に斬られている。
周囲の視線が集まる。
そして、工房街の作業員たちが爆笑した。
「おい見ろよ!」
「服だけ斬られてやがる!」
「すげぇ腕だな、嬢ちゃん!」
カインは刀を納めた。
「次は服だけで済ませない」
声は可愛い。
内容は物騒。
男たちは顔を真っ赤にし、ズボンを押さえながら逃げていった。
アイリスが小さく拍手する。
「……すごい……峰打ちと、服だけ……」
「褒めるな」
「でも、誰も怪我してない」
「服は死んだ」
ミラが頷く。
「非致死制圧として極めて優秀です」
「だから記録するな」
その時、工房の奥からクロンが出てきた。
手には工具。
顔には油。
「……何の騒ぎだ?」
そして、目の前の美少女を見た。
数秒。沈黙。
クロンはアイリスを見る。
「誰だ」
アイリスが困った顔で言う。
「……カイン」
クロンはもう一度、美少女を見る。
カインは不機嫌そうに睨む。
「見るな」
クロンはゆっくり頷いた。
「自由港だな」
「それで納得するな」
クロンは逃げていく男たちの背中を見て、次に床に落ちた服の切れ端を見た。
「服だけ斬ったのか」
「やむを得ずな」
クロンは少しだけ口元を歪めた。
「器用なことをする」
「笑うな」
「笑ってねぇ」
「口元が笑ってる」
ミラが即座に言った。
「表情筋解析上、笑っています」
クロンがミラを見る。
「優秀だな」
「ありがとうございます」
カインが額を押さえる。
「そこは礼を言うな」
クロンは工具で工房内を指した。
「入れ。表にいると、また絡まれるぞ」
「分かってる」
アイリスが小声で言う。
「……今日だけ、大変だね」
「今日だけで終わらせる」
ミラが淡々と告げる。
「薬効残り推定、十三時間二十一分」
カインは天井を見上げた。
「長い……」
クロンワークスの工房内。
カインは予備椅子に座らされ、クロンはノクスの部品リストを確認していた。
「で、本当にカインなんだな」
「何度も言わせるな」
「声が違いすぎてな」
「薬のせいだ」
「自由港だな」
「それで全部済ませるな」
クロンは端末を操作しながら、ちらりとカインを見る。
「しかしまあ、分かりやすく絡まれたな」
「目立つからだ」
「その姿で刀を腰に下げてる時点で、だいぶ目立つ」
「刀は置いてけない」
「だろうな」
アイリスは作業台の隅で、温かい飲み物を両手で持っている。
「でも、カインって姿が変わってもカインだね」
「当たり前だ」
「怒り方も同じ」
「怒らせる奴が悪い」
ミラが補足する。
「外見変化に対し、人格・判断傾向・戦闘時反応は変化なし」
クロンが頷く。
「なら問題はねえな」
「問題しかない」
「今日一日だろ」
「今日一日が長いんだよ」
クロンは笑いを噛み殺した。
カインが睨む。
「笑ったな」
「笑ってねぇ」
ミラが言う。
「笑っています」
「お前は黙ってろ」
その後、作業確認は滞りなく終わった。
ノクスの外装部材。
推進制御ユニット。
エーテル導管の予備。
エーテルガイストへ回せる再利用資材。
必要な話は進んだ。
問題は、工房の作業員たちがやたらとカインを見ることだった。
「なあ、あの子、本当にカインなのか?」
「カインだってよ」
「刀で服だけ斬ったって?」
「見た見た。ありゃ化け物だ」
「見た目だけなら天使なのにな」
カインのこめかみが動く。
アイリスが小声で言う。
「……我慢だよ」
「してる」
「えらい」
「褒めるな」
クロンは部品リストをまとめながら言う。
「まあ、今日のうちに噂は広まるわな」
「止めろ」
「無理だ。自由港だぞ」
「……チッ」
「名前もつくだろうな」
「いらん」
「“服切りの銀髪姫”とか」
その瞬間、カインが無言で崩兼元に手を伸ばした。
クロンは両手を上げる。
「冗談だよ」
「二度と言うな」
アイリスは必死に笑いを堪えていた。
夕方。ノクスへ戻る道。
すれ違う人間が何度も振り返る。
カインは不機嫌そうに歩く。
アイリスは隣を歩きながら、ふと呟いた。
「……でも」
「なんだ」
「カインは、姿が変わってもカインだね」
「それはさっきも聞いた」
「うん。でも、もう一回思った」
カインは横目で見る。
アイリスは少しだけ笑う。
「強いし、怒るし、守ってくれる」
カインは返答に困ったように、帽子のつばを下げた。
「……変なまとめ方をするな」
「うん」
ミラが後ろから淡々と告げる。
「本日の騒動により、自由港内での知名度上昇が予測されます」
「最悪だ…」
「ただし、現在の外見と通常時外見が一致しないため、追跡リスクは限定的です」
「そういう問題じゃない…」
「加えて、非致死制圧技術の実演により、軽率な接触者は減少する可能性があります」
アイリスが頷く。
「服だけ斬られるの、怖いもんね」
カインは深くため息をついた。
「本当に、服だけで済ませた俺を褒めろ」
「……えらい」
「だから褒めるな」
夜。エーテルガイスト居住区画。
カインは自室の鏡の前に立っていた。
鏡の中には、まだ銀灰色の髪の美少女が映っている。目つきだけは、やはりカインだった。
天井からアドミラルの声。
『薬効残り推定、七時間四十二分』
「黙ってろ」
『記録名を設定』
「するな」
『自由港一日性転換事故』
「消せ」
『拒否』
「消せ」
『資料価値がある』
「アドミラル」
『応答』
「消せ」
少し沈黙。
『バックアップを秘匿保存する』
「おい」
扉の外から、アイリスの声がした。
「カイン……大丈夫?」
「ああ。寝る」
「……明日には戻るよね?」
「戻る。戻らなかったら、あの薬品業者を探し出す」
「……うん。ほどほどにね」
「保証はしない」
ミラの声も廊下から聞こえた。
「交換用衣類は保管しておきますか」
「捨てろ」
「似合っていました」
「捨てろ」
アイリスが小さく言う。
「……ちょっと、もったいない……」
「アイリス」
「はい」
「忘れろ」
「……努力するね…」
「努力じゃなくて忘れろ」
翌朝。
カインは自室のベッドで目を覚ました。
最初に確認したのは声。
「……戻ったか」
低い。いつもの声。次に鏡を見る。
元のカイン・ウォーカーが映っていた。
身長も体格も戻っている。義手も義眼も通常サイズへ戻っている。数秒、無言。
そして長く息を吐いた。
『生体構造、通常状態へ復帰』
アドミラルの声。
『後遺症なし』
「ならいい」
『なお、昨日の映像記録――』
「消せ」
『艦内士気向上に寄与した』
「寄与するな」
そこへ扉が開き、アイリスが顔を出した。
「カイン、戻った……?」
「ああ」
アイリスはほっとしたように笑う。
「よかった」
少し間。
「……でも、昨日の服も似合ってたよ」
カインは額を押さえた。
「忘れろと言ったはずだ」
ミラが背後から言う。
「写真データがあります」
「消せ!」
『本件は保存対象』
「アドミラル!!」
『応答』
「消せ!!」
艦内に、アイリスの小さな笑い声が響く。
ミラも、わずかに口元を緩めた。
未完成の戦艦エーテルガイスト。
その朝は、戦闘警報も追跡反応もなく。
ただ、艦長の怒声と、乗員たちの笑い声だけがあった。だが自由港では、こういう事故も、わりと日常だったかもしれない。




