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逃亡勇者、魔王になる  作者: ねさかなこ
4.輝夜と罰

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最低な国


 盾の国に来てから、輝夜の寝覚めはいつも最悪だ。甲冑にぶん殴られて起こされて、急なことに目を白黒させてるうちに、輝夜は引きずられて移動させられている。強く掴まれた手首と、無様に床を擦り続ける踵が痛い。


「離してよ」


 返事はない。廊下の窓から差す外の光は暗く大人しくて、夕方には雨が降りそうだった。


「離して」


 相変わらず返事はない。物凄い勢いで引きずられていて、輝夜が体勢を立て直す余地はない。

 甲冑が、階段を登り始める。


「わっ、痛い、痛い、離せ!」


 引きずられて、段差に腰を打ちつける。なおも甲冑から返事はなく、輝夜を引く勢いも緩まることはなかった。


 拷問みたいな移動から輝夜がようやく解放されたのは、見覚えのある部屋の中に引き入れられたあとだった。捨てるように乱暴に、掴んでいた手首を離される。いきなり離された輝夜の手が、したたかな勢いで石の床を叩く。


「さっきから何するんだ!」


 唸り声をあげて立ちあがろうとした輝夜の背を、甲冑の金属質な足裏が踏みつける。咳き込んで、輝夜は動きを止めた。

 輝夜は顔を上げなかった。前方から、老人の地響きのような笑い声が落ちてくる。その他に何も音がしない、静かな空間。輝夜に聞こえるのは、自分の呼吸音と、老人の笑い声。


 笑い声が、止んだ。


「なあ勇者よ。おまえ、魔物を逃しただろう」


 床を這って輝夜の元に遠いた、老人の問い。輝夜は何も答えなかった。背中を踏みつける足に力を入れられて、咳き込む。


「何故だ? 理由を言え」


 老人の低い声。輝夜はしばしの間閉じていた口を開く。


「人を傷つけていない魔物を、なぜ殺す必要があるのですか?」


「何故だと? 魔物を殺すのに理由が要るのか?」


「最低だ」


 輝夜が床に向けて吐いた小さな言葉を、彼女を押さえつけている甲冑は聞き逃さなかった。足で背を強く押されて、輝夜は激しく咳き込んだ。


「何がきっかけで心変わりをしたのかは知らないが、これは仕置きが必要だな。それも、“昔”みたいにキツいのをな。――お前を守るキーナはもういない。お前が殺したのだからな」


 王の声が、床を這う。輝夜が王の方へと目を向けると、彼の隣にはデオンが立っていて、その反対側で、レーデの長身が揺れた。輝夜は彼から視線を外して、身体を揺らして甲冑を転ばせながら立ち上がった。


「やってみろ! ぼくはそんなことで折れないぞ!」


 輝夜の足元に転がった甲冑が、素早い動きで起き上がって、こちらに掴みかかってきた。輝夜はそれを躱して、手の痛みも厭わずに甲冑の面頬に拳を叩き入れる。派手な音を叩き鳴らしながら地面に崩れる甲冑。王の横に控えていた甲冑たちが、一斉に動き出した。


「自分の大切なひとが魔物だったらどうするんだ? 殺すのか?」


 六人の甲冑に囲まれて、輝夜は辺りを見回した。逃げ場はない。正面から殴りかかってきた甲冑の拳を避ける。左側から飛んできた金属質の拳をまともに喰らって、地面に反対側の頬をつけた。素早い動きで立ち上がって、甲冑の輪の中から抜ける。


「そんなバカな話があるか! 黙れ!」


 デオンの荒い声。迫ってきた甲冑を避ける。金属で覆われた顎先に向かって蹴りを入れる。金属音と低い呻き声がして、甲冑が床に崩れ落ちた。


「あるんだよ! お前たちにはぼくが魔物に見えるのか?」


「黙れ!」


 デオンの怒号に呼応するように、二方向から拳が飛んできた。姿勢を低くして躱す。輝夜の頭上で、鈍い金属音が響く。続いて左側から振り下ろされた拳に反応が遅れた輝夜は、それを頭に喰らって床に膝をつく。


「おまえたちはぼくと同じだ。お前たちも、魔物だよ」


 輝夜が吐いた震える息は、冷たい石床に反射して輝夜の唇を湿らせた。

 輝夜の顎先を、生ぬるい液体が滑り落ちる。グレーの床にぽたりと落ちて、ひとつ、ひとつと赤くもやがかった水玉模様を描いていく。甲冑に取り囲まれる。腹に蹴りを入れられて、輝夜は肺の奥から湿った空気を吐き出した。


 一人の甲冑が、部屋の隅から、長い鎖を持ってきた。

 廊下の奥から、小さな足音が聞こえてきた。甲冑が抵抗をやめた輝夜の両の手首を掴む。足音が近づいてくる。鎖の先についた錠で手首を固定される。両手の鎖を上に引かれて、空中に磔にされた輝夜。その視界の中で、けたたましい音を立てて扉が開かれた。


「暗夜様!」


 テトラだった。そういえば、輝夜は今朝、彼の姿を見なかった。薄赤く滲んだ視界の中で、彼の茶髪を視界に入れる。肩で息をしている。ここまで走ってきたのだろうか。


「テトラか。下がれ」


 王がテトラを鋭い声で刺し貫いた。テトラは顎先の汗を拭って、王に尖った視線を返した。


「何があったか、おれにはわかりませんけど、これは乱暴すぎませんか?」


 テトラの、静かな声が空気を揺らす。

 輝夜が深く息を吐く。一人の甲冑の脛にある金属の切れ目に蹴りを入れる。鈍い悲鳴をあげてうずくまる甲冑。別の甲冑に腹を殴られて、輝夜は彼の胴鎧に向けて胃液を吐瀉した。


「お前に従者を選ばせてやったのは間違いだった」


 王の声。


「勇者。次に何か問題を起こしたらその者の首を刎ねるぞ」


 王の声。輝夜がぼんやりとテトラと目を合わせる。テトラも輝夜と同じ表情を浮かべて、刹那の間。輝夜は目を閉じて、脱力した。甲冑が吊り上げた両手の錠に身体を預けて、口を開く。


「本当に最低だ。酷い目に遭うのはぼくだけでいいじゃないか。誰も人質にしなくたって、ぼくは逃げたりしないのに」


 輝夜の小さな声が、冷たい石床の上に落ちた。



  全身が痛む。頭を預けた枕から、先ほど自分が体外に排出した吐瀉物の臭いがする。今は何時頃だろうか。ここにきてから、こんなことばかりだ。暗夜はきっと、こんな仕打ちばかりを受けて壊れてしまったに違いない。


 閉じられた窓の向こうから、子供の泣き声が飛び込んでくる。「待ってよー」「置いていかないで」「ひとりにしないで」これは、誰の声だろうか。


 小さな音がして、灯りのない真っ暗な室内に光が飛び込んでくる。そちらを見る気力もなく、輝夜は先ほどまでそうしていたように、静かな呼吸を続ける。光が移動して、輝夜の体側を照らす。


「輝夜、さま」


 テトラの声だ。輝夜は何も言わずに頷いた。足音がベッドサイドまで歩み寄ってくる。


「暗夜様から、こちらのことについて、何か聞きましたか?」


 視線だけをテトラの方に向けて、輝夜は首を左右に振った。それから、小さな声を絞り出す。


「――酷い目に遭って欲しくない人がいるって。多分、テトラくんと、父さんのことだ」


 テトラは俯いて、黙した。床の上にテトラの視線が這う。


「ねえ、ぼくは……こんな環境がこの世にあって、それで、暗夜が、ぼくの兄弟が、ずっとそんな目に遭ってて、ぼくだけが何も知らずに平和に暮らしてたなんて」


 輝夜の声。震える声。テトラが顔を上げて、輝夜の目を見た。輝夜が頭を壁の方へ向けて身じろぎすると、足首に付けられた鎖が重苦しい金属音を立てた。


「ぼくはこのまま、暗夜に勇者を返せないよ。でも、どうしたってあの王さまがわかってくれるとは思えないんだ。自分がしていることがどれだけ酷いことかって」


「おれも、それは無理だと思います。盾の国は、そういう国なんで。……魔物を撲滅して、人間だけの国を作るっていつも言ってる」


「ああ、そっか。そうだったね」


 乾いた笑いをこぼして、輝夜がベッドから上体を起こす。ぎしりと軋むベッドのスプリング。床の上を這う鎖が啼く。暗く沈んだテトラの顔を見て、輝夜が目尻を下げる。


「魔物を作ったのは人間だったって、きみは聞いたことある?」


「いえ」


「本当かどうかはわからないけど、ぼくたちのおじいちゃんのおじいちゃんの、さらにおじいちゃんが生まれた頃に、人間が魔物を作り出したんだって」


 ベッドから降りて冷たい石床に素足をつけると、足が痛む。ベッドに座りなおして言葉を続けた。


「――それで、たくさん作りすぎちゃって、手に負えなくなっちゃって、大きな戦争になって……世界が壊れて、それから今までずっと、人間は魔物を目の敵にしているんだって。そんな、神話? が、魔物の国にはあるよ。人間って勝手だね」


 あはは、と小さな声で笑う。テトラからの返事はなかった。立ち尽くしたままのテトラの顔を見ると、表情のない瞳で見つめ返された。


「ねえ、これ以上、ぼくがどんな酷い目に遭うって言うんだ? ぼくが女だって、今ときっと変わらないよ」


 テトラからの返事は、なかった。



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