頭が硬い
「わぁーーーー!!!」
目が冷めた輝夜が開口一番に放ったのは、とんでもない声量の絶叫だった。
「うるさっ、ちょっ、静かに!」
暗闇の中で目がよく見えない。誰かの手に口を塞がれた。しかし声でその主が誰かを理解したので、輝夜はされるがままにしておとなしく悲鳴を止めた。
廊下から慌ただしい足音が近づいてきて、乱暴にドアが開けられた。室内のふたり――輝夜とテトラは、呆然としてドアの方に目を向けて、扉の奥から飛び込んできたランタンの強い明かりに目がくらんで動きを止めた。
「テトラ」
レーデの声だ。薄く目を開く。輝夜は掴んでいたテトラの手を離して、テトラは輝夜の口を押さえていた手を離した。
こつん。レーデの革靴が、石の床を叩いた。ドアが閉まる音。レーデは懐を探りながらこちらに近づいてくる。
状況のまずさを理解して目を泳がせているテトラの間抜け面を睨みつけて、レーデが懐から取り出したのは、控えめな装飾のついた短刀。レーデはランタンをテーブルに置いて、短刀を鞘から引き抜いた。
「おまえ、少女に手を出すなんて、そこまで女に飢えて」「飢えてねえ! 誤解です!」
レーデの言葉を大声で遮って、テトラは大げさに両手を振りながら輝夜と反対側の壁際まで後退りする。磔にされたみたいに壁に両手を付けるテトラに、相変わらず凍ったままのレーデの視線が突き刺さった。
「そうだよ。テトラくんはそんなこと――」
もぞもぞとベッドから起き上がりながら言いかけて、輝夜は動きを止めて口をつぐんだ。刹那の間目を泳がせてから、テトラに視線を向ける。
「えっ、しないよね?」
「しねえよ! 話がしたかっただけです! あんたがでかい声出すから……!」
「だって、おばけかと思って」
ふてくされたような声でテトラに返す輝夜。輝夜が身体を揺らすと、その足元でぎしっとベッドのスプリングがきしんだ。
「あーそれは、すいません……」
勢いを失速させてうつむくテトラ。レーデが短刀を鞘に収めて、テーブルに置いた。ベッドのそばまでテーブルを移動させて、ベッドに座っている輝夜の隣に腰を下ろす。レーデの体重でベッドが揺れて、輝夜の頭がかくんと揺れた。
「それで、話というのは?」
テトラの方を見ながらレーデは再び懐を探って、小さな細長い箱を取り出した。輝夜の方に付き出す。輝夜はそれを受け取って、箱を開けると目を輝かせた。
「わっ、チョコだ! ありがとう!」
「……それ、あんただったんですか? 暗夜様、女のコからだと思ってましたよ」
「……そうか」
レーデは三度懐を探って、服の中から煙草を取り出した。しかし、壁際からこちらに歩み寄ってくるテトラの顔が険しくなったのを見て、懐に戻す。早速チョコレートを口に入れてにこにこしている輝夜の頭を撫でた。
テトラが輝夜の目を見ると、輝夜は口をもぐもぐさせるのをやめてテトラに視線を返す。テトラの茶色い瞳がふらりと揺れる。輝夜の眼前に立って、テトラは天を仰ぐ。輝夜に顔を向けて、口を開いた。
「ゆ……輝夜、様。暗夜様は、向こうにいて大丈夫なんですか? バレてひどい目にあったりとか……」
「大丈夫だと思うよ。多分、オクリさん……あっ、母さんのお付きだったひとは、ひとのことよく見てるから、すぐに気づいて助けてくれると思うけど……」
静かな声でそう返して、輝夜が黒目を上に向けた。それから少し、うつむいた。
「でも、わかんない。絶対じゃないし、ぼくの従者は、ちょっとぼくのこと過保護にしてるから、ぼくがここにいるって知ったら暴走しちゃうかも……
でも、ここにいるよりは絶対にひどい目には遭わないよ」
テトラからの返事はなかった。口を開かない彼から視線を外して、輝夜は右隣に腰を下ろしているレーデの方へと視線を向ける。
「ねえ、なんで、暗夜と一緒に壁の国へ逃げなかったの?」
「わたしは、城の外には出られないんだ」
短い返答。虹彩を揺らしてから、レーデが言葉を継いだ。
「特別な理由がない限り、わたしはこの城の二階より下に降りられないんだ。何度か逃げようとしたこともあるが、バレるたびに、暗夜がひどい目に遭わされる。――だからわたしは、逃げられないんだ」
「ねえ、逃げようよ」
レーデの腕を掴む輝夜。レーデは腕を引いて、輝夜の小さな手のひらをほどく。
「無理だ」
「なんで? だって、城の警備、すごく雑なんだよ? だって、さっきだって今だって、ぼくとあなたが会えてるんだ。前は失敗したかもしれないけど、逃げようと思えば逃げられるよ」
輝夜の声を受けて、レーデが俯く。膝の上で手を組み合わせて、ぎゅっと握りこんだ。ゆっくりと首を振る。
「今はダメだ。失敗して、きみが捕まって、きみが暗夜じゃないとバレたらどうなるか……」
「ぼくはいいよ。痛い思いするくらいなら」
「違う。きみは女の子なんだ」
輝夜の声を遮るように、レーデが声を張った。輝夜の視界の端で、テトラがなんだか気まずそうに身じろぎをした。
わずかの間を置いてからレーデの言葉の意味を理解した輝夜は、言葉を詰まらせて沈黙する。――わかっている。生まれつき変えようがない自分の性別なんか、自分自身が痛いほどに理解している。輝夜が性別を偽って男として生活しているのも、か弱く見られるのがいやだからだ。
レーデの節ばった大きな手が、輝夜の薄い肩に置かれた。不気味なくらいに冷たい手だった。
「きみじゃなく、暗夜がここに来たのは偶然だった。――でも、きみじゃなくてよかったと思ってしまうよ」
「最低だ」
輝夜がレーデの黒い瞳をにらみつける。
「ああ」
レーデは静かに頷いて、深い息を吐いた。おもむろにベッドから腰を上げる。
「すまないがわたしはもう行く。朝までゆっくり休むといい」
長身のわりに控えめな足音を立てながら去っていくレーデの背中を、輝夜は冷めた目で見送った。ベッドのそばで自分と同じ表情をして立っているテトラと目を合わせる。
「なんであんなに逃げ腰なの?」
「さあ。おれはそこらへん詳しくないんで。ただ、自分のこどもがあんな目に遭ってるのに何もせずそのままなんて、おれには理解できませんね。おれがこんなこというのもアレですけど、あんな人置いていけばいいんじゃないですか?」
輝夜の問いかけに、テトラは肩をすくめる。視線を向けた輝夜の目つきの鋭さに気が付いて、テトラの黒目がふわりと泳ぐ。んん、と小さく咳ばらいをした。
「おれは、この国が暗夜様にしていることは間違ってると思います。でもおれにはどうしようもないから……」
「あんな人でも、暗夜のお父さんなんだよ。暗夜が今まで逃げなかったのは、あの人を大事に思ってたからじゃないかな。だからぼくは、あの人を置いていけない。それに、きみにどうしようもないのと同じで、あの人にも、どうしようもないだけなんじゃないのかな」
輝夜の言葉に、テトラは俯いて、目を閉じた。確かにそうだ。自分も暗夜がされていることを、ただそばで黙って見ているだけだ。自分には何もできない。できないからせめて、あまりひどい目に遭わないようにと祈るだけ。血のつながりのない他人であるということ以外、レーデと自分は、何も変わりはないのだ。テトラは、深く、長い息を吐いた。
「ああ、本当だ。おれも一緒だ。おれも。……おれは、あなたたちに、なにができますか?」
「……わからないよ。でもぼくは、魔王なんだ。向こうに帰っても、暗夜を救う方法を考えるよ。その時は協力してくれる?」
にっこりと笑顔を作る輝夜。テトラは静かに顎を引いた。




