なんだか悔しい……!
スケイルと和解して城に帰ったふたりは、馬車を降りた。
城の大きな鉄扉の前には、行きにもいた数人の兵士。開いた鉄扉の向こうから溢れた光に背を照らされて、表情の機微は輝夜からはよく見えない。輝夜が彼らに顔を向けると、兵士達は体を揺らして顔を逸らした。彼らから視線を外して城に入ろうとした輝夜の肩を、テトラのごつごつした手が掴んで止める。
「待って、風呂入らないんですか? 今のうちじゃないと、次は真夜中ですよ」
「あ、うん」
ぼんやりとした顔で返事をして、輝夜は足を止めた。夕暮れと夜の境目の薄闇を煌々と照らす魔導ランタンを片手に、城の裏手に回って歩き始めたテトラの後を追う。
「今日、血まみれじゃなかったな。いつもずぶ濡れなのに」
後ろから、兵士の声。輝夜が振り向くと、どの兵士もこちらと目が合わないように真っ直ぐに街の中を見つめていた。息を吐いて、テトラに目を向ける。
星が見え始めた暗がりの中を、テトラの持った明かりが滑るように進んでいく。
しばらく歩くと、兵士たちが使う共用の浴場についた。暗夜はいつも、兵士が使用していない時間帯にこうしてテトラに付いてきてもらって風呂に入るらしい。輝夜に対してもそうだったように、他の者に身体を見られるのが嫌なのだと言っていた。
兵士たちなら暗夜と同じくらい傷だらけの体をしているだろうと輝夜は思うのだけど、暗夜にとっては、そういう問題でもないのだろう。
テトラが中に人がいないことを確認してくれて、輝夜はようやく身体を流せた。あまり長風呂をすると外で待っているテトラに悪いのでゆっくりはできなかったけれど、さっぱりとした。魔物の城では輝夜は専用の風呂場を持っているので、こうした広い共用の浴場は初めて使う。広くて楽しいけれど、他の人と同時に使うのならば窮屈さを感じるのだろうか。
テトラが貸してくれたランタンの灯りの中、輝夜は暗夜のぱんつを履く。新しいぱんつを用意する暇なんてなかったので、輝夜は諦めた。ズボンを脚に通そうとして、ズボンの裾が暴れてランタンを倒した。ランタンが床に転がって、引っ掛けていた魔導石が外れて真っ暗になった。
「あっ、ああ」
いきなり何も見えなくなって、輝夜は絶望のうめきをもらしながら床に這いつくばった。この姿を見られるわけにはいかないので、テトラも呼べない。輝夜は自力で服を着るか明かりをつけるかのどちらかをしなければいけない。床をまさぐっていると、タオルを見つけたので抱えたままランタンを探す。
少しだけ暗闇に目が慣れてきたところで、輝夜は自分の位置から少し離れたところにランタンを見つけた。思わず上体を上げたところで、輝夜は椅子に頭をぶつけて盛大に倒した。がたん! 椅子が倒れる音。
「いたーぃ!」
悲鳴を上げて倒れ込んだ輝夜。衝撃でランタンが扉の方へと転がって、金属製の扉にぶつかって派手な音を立てた。
「暗夜様?」
テトラの声。扉が開けられて、外から茫洋とした星明りが入り込んでくる。
テトラが足元のランタンに気がついて、手にとった。テトラが右耳につけている魔導石に反応して、明かりが灯る。
――ああ、最悪だ。輝夜はうなだれて、小さなタオルを胸元まで引き上げた。
「何やってんですか」
テトラはいつもどおりの落ち着いた様子で、輝夜が散らかした衣類を拾いながら近づいてくる。倒れた椅子を起こして、その上に衣類を置いた。
タオルを持ったまま硬直している輝夜のあられもない姿に一瞥くれて、すぐに顔をそらす。
「見られるの嫌でしたよね」
「……それだけ?」
「……?」
首をひねるテトラ。彼は不躾な視線を輝夜の体に向けて、
「全然、きれいな体じゃないですか。もっとなんか、変なアザとかあって人に見られたくないのかと」
「それだけ?」
「ああ、キズ見せてください。触らないので」
テトラの大きな手が、輝夜が抱えたタオルの裾に伸びる。その手をすぐさま叩き落す輝夜。
「いや!」
「……?」
テトラが、黒目を宙に泳がせながら首をひねる。少しの間そうした後に、ぱっと表情を明るくさせて輝夜を見た。
「あっ今朝太ったって言ったこ」「ちがうー! なんでもない!」
急に叫んだ輝夜に、テトラは丸くした目を瞬かせた。それからすぐにいつもの感情のわかりにくい表情に戻って、右腕につけた木製のフレームの時計に目をやる。
「なんでもないならさっさと着替えてください。そろそろ修練が終わった兵士たちが来ますよ」
そう言って、再び外に出た。
着替えを終えた輝夜が外に出ると、ドアの横にもたれて立っていたテトラが壁から離れて輝夜を見る。輝夜が首に巻いたタオルを奪い取ると、頭に被せてきた。
「髪濡れてると風邪引きますよ」
両手で乱雑に頭を拭かれて、輝夜は慌ててその手を払った。
「わーっ、やめて! 子供みたいで恥ずかしい!」
「子どもがなに言ってんですか」
「子供じゃないもん」
「はは、おれの弟も、それよく言ってました」
静かに喉を揺らすテトラ。これ以上何を言っても笑われるだけだと思った輝夜は何も言わずに、歩き始めたテトラの大きな足跡を踏みつけながら歩を進めた。
城の裏手から城内に入る。城内は昼間のように明るくて、外との光量の差に目が眩んだ輝夜は一瞬足を止めた。
魔物たちは光に敏感なものが多く、城内はいつも薄暗く保たれている。ランタンだって、テトラが持っているものよりももっと暗いものが一般的だ。視力が強くない輝夜には明るいほうがありがたいけれど、時間の感覚が狂ってしまいそうなこの光を浴びて、健常な人間達は眠れなくなったりしないのだろうか。
輝夜の方を気にもせずにすたすたと進んでいくテトラの背中を早足で追う。相変わらず彼は足が早い。それに、全然こちらを気にしてくれない。きっといつもこうなのだろう。男同士ならこれが当たり前なのだろうか。テトラが階段を上がる。十秒ほど遅れて、輝夜も階段を踏みしめた。
この城の輝夜達の部屋がある階は、王族やそれに近い重要な地位の者たちが住んでいるらしく、暗夜いわく、その殆どが勇者に対して敵対的らしい。実際に、途中すれ違う豪奢な服を着た者たちは、輝夜を視界に入れるとみな一様に眉をひそめた。
なぜ暗夜が――この国唯一の勇者が、王族や兵士たちからこんな扱いを受けているのだろうか。そのあたりの事情は、暗夜は輝夜に話してはくれなかった。
先を歩くテトラは、暗夜の部屋を通り過ぎて、その一つ奥にある扉の前で足を止めた。扉を押し開いて、ぼんやりと足を止めてこちらを見ている輝夜の方へと向き直る。
「今日は外泊しないでください」
そう言うと、目を伏せて、刹那の間、言い淀むような仕草をした。
「きっと明日は、朝から忙しいんで」
息を吐いて、テトラは部屋の奥へと引っ込んだ。扉の閉まる音。
廊下にひとり取り残された輝夜は暗夜の自室に引き上げて、テーブルに置かれていた冷めたトマトのスープとパンを食べた。硬いベッドに寝そべって、薄い布団に包まる。
打ち付けられた窓からは月明かりも射さず、テーブルの上に置いてある魔導ランタンの弱い光だけが輝夜を照らす。なんだか心細いような気がする。
壁の国から一日以上離れるのは、これが初めてだ。知り合いもいないし、そもそも今、自分は“輝夜”ですらないのだ。“壁”の向こうでは、暗夜も同じ気持ちを持っているのかもしれない。
様々な不安が押し寄せてきて、輝夜はそのどうでもいい考えを押し流すように、必死に目を閉じた。そうしていつの間にか眠って、朝を迎えるのだった。




