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第三話 その森、奇々怪々にて―――既視なる営み


 目が覚めると、見覚えのある天井だった。

 板張りの、田舎の家の天井のようだ。

 懐かしく感じる布団の感触。

 畳の香り。


「夢……今はいつ? おれは誰?」


 そんなバカバカしい自問自答を試してみるが、これまでの悪夢が全て幻であるとは思えない。

 おれは周囲を見渡す。


 やはり見知らぬ場所だ。田舎の家というより文化遺産になった寺院や時代劇に出てくるような屋敷みたいだ。


 ふと、手を見ると二十五歳の日本人の手ではない。まだ成長しきっていない豆だらけの手だ。よく見ると身体中に包帯が巻かれている。着ている服は着物だろうか。


 


「お目覚めでありますか?」


 しばらく様子を伺っていると、障子の外から声がかかった。


「は、はい!……ん?」


(あれ、今何か変だったな。なんだ?)


「失礼します」


 気品のある所作で部屋に入ったのは黒髪の女性だった。


「お加減はいかがですか? ご自分が誰か、正体無くしておられませんですか?」


(正体を無くして居ります)


 おれは混乱の極みだった。


 この女性は間違いなく日本語を話している。少しなまっているが日本語だ。そして女性の顔のつくりも日本人のものだ。着ているのは着物だし、髪飾りは簪だし、眼が金色だし、額から角が生えてるし、間違いなく日本人だ。いや、どっちだ?


「も、もし?……本当に大事ないですか? 横になられてください。あ、この角恐ろしいですか? すいません、取って食ったりせんですよ?……はは、これ言葉通じてんのかしら?」


「つ、つ、通じてます!!」


 最初は確かに警戒したが、敵意が無いし魔人には角が生えている者もいると聞く。おれが混乱しているのはやはり日本語を話していることだ。


「驚いた!!……本当にヤマト……日本の言葉、日本の方なんですね」


「え?……じゃあここは日本?」


「いえ、ここは平安京です」


「……平安時代の平安京? 鳴くよウグイス平安京の平安京?」


「……ウグイス? ええと、平安京という古い都を理想にしてできた、小さな村です。母様がどうしても京が良いと仰せで」


 どうにも会話がかみ合わない。頭がくらくらする。


「えっと…………あなたのお母さんですか?」


「まぁ、お話はこれくらいで、まずは朝餉(あさげ)としますか。その後で母様に会っていただきます。私より母様の方がそちらのことをわかるかと思いますんで」


 そういうと女性は膳を運び入れてくれた。


「あ、ああ、こ、これは……」


「飯に味噌汁、焼き魚です。あとたくわん。あの、母様がこれで良いと……えぇ!?」


「……い、いただきます」


 おれは大粒の涙を流しながら震える手でまず味噌汁をすする。

 味噌の風味と甘み、塩味が口に広がりあたたかな汁が胃の腑にやさしく流れ込む。具は豆腐と大根、油揚げ。豆腐の優しい口当たりと味、それと対照的な柔らかい歯ごたえの大根、そして香ばしい油揚げの風味と甘みが味噌と完全に調和している。これを考案した最初の人におれは手を合わせて祈りたくなる。口の汁気があるうちに飯を口にかき込む。


「!!!」


(なんだこれ!? 飯ってこんなにうまかったっけ? こんなに甘かったっけ? こんなに香りがあったっけ?)


 おれは夢中で飯を噛みしめ、その充足感で口の中を満たした。味噌汁をすすり、再度飯をかき込む。そして更なる塩気を求めて焼き魚に箸が伸びる。香ばしいにおいと醤油の香りがより一層食欲をそそる。ほろほろになった身を口に運ぶとさっぱりとした中にうまみの詰まった魚介の油が口いっぱいに広がり、醤油の風味がそのうまみを引き出している。ひとしきり飯と魚を楽しんだ後、たくわんで口の中をリフレッシュする。たくわんの甘さと心地よい歯ごたえが食事を豊かにしてくれている。そして再び味噌汁をすすり、飯をかき込み、魚を口に運んでを繰り返した。こんな幸せな食事はいつ以来だろう。



 時間にすれば十分ほどだっただろう。おれにはもっと短く感じた。米粒一つ残さず平らげ、おれは女性に深く礼をした。



「ごちそうさまでした」



「お粗末様です。えらい気持ちのいい食べっぷりでしたね」


(そうか、おれはきっともう死んでいるんだ。ここは神々がおれに与えてくれた楽園、理想郷なんだな。この人はあの世の使いさんか何かなんだ)


「こちらにお召し物をご用意しましたんで、済みましたら声をお掛けください」


 おれは袴のようなものを穿いて、なにやら豪奢な刺繍の入った羽織を着て連れていかれた。途中太刀を腰に抱える般若顔の男たちや荷車を運び入れる牛の頭をした男を見かけたが、一先ずスルーだ。


 

 ひときわ大きな扉に入り座布団に座らされる。

 


 独特の緊張感。

 


 正面には御簾が掛かっており誰かが居る。きっと高貴なお方がいるに違いないと居住まいを正した。




「朝餉はどうであった?」


「うわ!!」


 当然背後から耳元に声がかかりおれは飛びのいた。見ると巫女のような恰好に金糸で装飾をされた華美な羽織を着た女が座っていた。


「フッフッフ、驚いたかえ? 御簾の奥には着物を掛けただけよ」


 放心しているおれの顔を見て笑う女性。

 真っ白な髪を真ん中で分け、背中の辺りで結んでいる。蠱惑的な表情。非常に端正な顔立ち。そして、この人もやはり一目見てわかる日本人顔だ。眼はルビーのように紅く、頭から獣耳が生えている。どう見ても日本人だ。


 いや待て、日本人ってなんだ?


「そう緊張せずとも良い。ゆるりとされよ。そなたはわらわの客であるがゆえ」


 すたすたと御簾の前に歩いていくその後ろには白い大きな尻尾が付いている。


(狐?)


 おれはなぜか彼女を見て稲荷信仰を連想した。


 彼女は向かい合っておれの顔をじっと見つめている。こちらに話す間をくれているようなので会話の基本、あいさつから始める。


「……助けていただき感謝いたします。私はロイド・バリリス・クローブ・ギブソニアンと申します。恥ずかしながら私はこの土地に不慣れな流れ者でして、よろしければお名前をお聞かせいただいてもよろしいですか?」


「良いぞ。礼を弁える者は好きじゃ。だが、名乗るのであれば真名を用いるべきぞ」


「真名……?」


 真名とはなんだったか、死んだときに…………いやあれは戒名だ。


「喜多村誠一がそなたの本当の名であろう?」


 おれは二度見してしまった。


「………………なぜその名を!!」


 思わず声が大きくなった。

 ロイドとなってから一度も名乗ったことの無い名前だ。


(どうして知っている? やはりここはおれの理想郷なのだろうか?)



「妾はこの平安京の長、葛葉(くずのは)という。こちらではしばらく白銀の何たらと呼ばれて居ったがの。そこの鬼は霧雨(きりさめ)じゃ」


「霧雨にございます、喜多村様」


「葛葉…………さんと、霧雨……さん……」


 話し方といい、やけに古風な名前だと思った。

 白銀の何たらとは何だろうかわからない。

 

 もう一つ、彼女が鬼とは?


(確か、魔族の一つに鬼人という種がいたが……)


 気性が荒く、屈強な身体付きで太い牙があるはず。

 霧雨さんはどれも当てはまらない。印象としてはスタイルのいい女優さんが特殊メイクしてると言った感じだ。

 おれの視線が不躾だったのか、霧雨さんは眼を伏せた。


「難儀な旅であったな。だが、ここにたどり着いたのも運命。同郷のよしみじゃ。妾のことは母様と呼ぶが良い」


 彼女はおれを知っているのだろうか?

 同郷とは、日本を指しているのだろうか?


 疑問が多すぎる。

 彼女が話せば話すほど、頭が混乱する。


「……」


「母様、喜多村様は色々と戸惑っておられます。ご質問をお聞きになられては?」


「おお、そうであろうな。ここがどこか。なぜそなたの故郷に似ているのか、妾たちが誰か、なぜそなたを大和の民と知っているか、順に応えようではないか」



 くすくすと上品に笑う葛葉。

 どうやらおれはまたからかわれていたようだ。


「ぜひお願いします」


 帰る手立てがあるかもしれない。おれは注意深く葛葉の話を聞いた。

 結論から言って、おれは絶望し心が折れた。


いつもありがとうございます。

食事のシーンに力を入れました。そして鬼娘登場です。よろしくお願いします。


2019/5/25 少し加筆&修正しました!

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