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視点が認識を創る(被害者意識)

「執着を手放す時の痛み」


前述したように、私たち人類は。


闇の時代を生きてきて、ネガティブな視点を持たざる得ない立場にずっと立たされていたので。


被害意識が強いのは当然なことなのです。


しかしながら、被害意識は、加害者を同時につくります。


こうなると、被害者は、善、加害者は、悪、という図式的にそうなるのですが。


よく考えてみてください、被害者は、善なのか?


必ずしもそうではありませんが、そうなると、相対的に。


加害者は、悪になります。


これはトリックみたいなものだと私は考えます。


しかしながら私たちは、ずっと、そのような認識によって生きて来たので。


今さら、被害者はいない、だから、加害者もいないといわれても、


なかなか、そのような視点を持つために。


今までの、常識化した、被害者の視点を手放すことが困難なのです。


これは、被害者の視点についての、執着でもあります。


あまりに慣れてしまい、手放す時に、痛みが伴うのです。


何故ならば、この被害意識は、人類が、この数千年による闇の時代の体験により、


遺伝子レベルに染みこませた、意識だからです。


しかしなぜ、人類には、こうした闇の時代を生きる必要があったのでしょうか?


それは、闇の時代にこそ、光が強烈に体験できるからです。


夜空を見上げてください。


闇の中でこそ、星は、目立ちます。


しかし、昼間に、星は、姿を消します。


闇とは、光を、強くするための舞台だったのです。


喩えれば、イエス・キリストは、聖人が貼り付けにされる時代だったから。


スーパースター(超輝く星)になれたわけです。


闇の時代という『舞台』だからこそ、


スーパースターになれた、そういう事です。


しかしながら、そろそろ私たちは、被害者意識を棄ててしまわなければなりません。


何故ならば、被害者意識とは、「私には力がない」という宣言に等しいからです。


他者に政府に運命に力を与えて、自分はそれらによって生み出された結果として見ることになります。


自分の運命を、他者のせいにしているからです。


しかし人生のマスターは、「私はあなたのせいで、こんなになってしまった」などとは決して言いません。


何故ならば、マスターは、自分自身で、意図的に、自分の人生を創造していることに少なくとも気づいており、自覚があるからです。

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