「昭和の博徒」侠客とは?
私は昨年より「極善偽悪」シリーズを執筆し始めて、三シリーズ目ですが、この間本当に様々に「びっくり仰天!」なことが多々ありましたが。
私は18才の時に「昭和の博徒」に憧れて、裏社会で生きることにしました。
しかし「昭和の博徒」とはどういうものだったか?それは、いわゆる「最後の侠客」でもあったわけです。
私は極道というものは、そういうものだと信じていました。
「昭和の博徒」とは私が知っている限り、普段は慎ましい生活をしておりました、私が18才の時に子分になったときの親分は昭和七年生まれの48才でした。
根っからの「博徒」で、普段は「サンマ」が大好物で若い「姐さん」の代わりに自ら厨房に入り料理して私たち「若い衆」に振る舞ってくれてました。
しかしそれは例外中の例外で、普段は、雪駄の履き方や、様々な「げんかつぎ」にうるさく、ある夜中に、
突然、親分からの電話で、起こされて、わざわざ親分の家までライターを取りに行ったことがありますが。
それはなぜか?というと、親分は「博打」の最中でした、しかし博徒に「ついている」途中で、その場を離れると「つき」が離れてしまうと言う「げんかつぎ」で、
私は起こされて、親分の家にライターを取りに行ったのです。
「昭和の博徒」は普段は慎ましい生活をしておりました。普段はみずぼらしいアパートに住んでいたり、姐さんは小さな飲み屋をしていたり。
しかし、いざ「博打」という時には不思議に、数千万の金を集めて一晩中博打を打つのです。
そして「昭和の博徒」は粋でした、堅気には優しくヤクザには強い、つまり「弱気を助け強気をくじく」それが「昭和博徒」であり「最後の侠客」でもあったわけです。
というのも警察の昭和39年の「頂上作戦」以降、博徒の文化は廃れ、極道は「暴力団」に成り果てました。
しかし私は最後まで「弱気を助け強気をくじく」堅気には迷惑をかけず「信義」を通す「極道」が今の世の中にもいるはずだと僅かな期待を寄せていたのですが。
私の体険上、非常に不愉快な、極道というより「詐欺師」というべきある組織の「幹部」と出くわして。
これでは、ヤクザも終わりだと思い、このエッセイを書いている始末です。
この男は、名古屋生まれの、熊本県宇土市育ちの、某、組織の幹部です。
この、お笑いにしかならない、大爆笑の事件をここで公開します!
続く~




