特別棟の探索8 ―日中―
〇side:レティシア
怪談の一つである『時計塔の絶叫』の現場は、建物に対して非常識なほど大きな時計が目印の時計塔でした。
殿下が仰ったように遮音魔法が張られているのか、あの大きさの時計が動いているはずなのに中はとても静かです。
この静かな中に絶叫が響き渡るのでしょうか……ぅぅ……
アリス様が手を握ってくださっているからまだ耐えられていますが、実のところ今も足は震えっぱなしです。そして手を握ってもらっているので逃げることもできません。……あぁ……
思わず癖で逃亡先を探してしまいます。
第一候補は大きな窓です。
階段はいけません。塔の螺旋階段というのは駆けるのに適していませんから、普通に感覚を失って転げ落ちます。そうなると私自身が絶叫をあげる羽目になるでしょう。アストル家の子女としては避けたい事態です。
その大きな窓の向こうには惑わしの迷路が見えました。
意味深ですわね。
なにしろ時計塔の周囲は森に囲まれています。いくら今いる場所が高い位置だからとはいえ、あの迷路がこれほどハッキリ見えるのはおかしいのです。
実際、そこ以外の窓から見えるのは森の木々ばかりでした。
ならば、あえてあの迷路が見えるよう、整えられているとみていいでしょう。ですが、何故……?
「…………」
意味深なのは特別棟の古時計に描かれていた意匠もです。
時計繋がりであそこに意匠を施したのだとすれば、何らかの意図がそこに込められているはずです。
あの時計には裏側にも文字がありました。
アリス様がメモしていらっしゃったので私もよく覚えています。『ゴ…ヨマ…ノブ…サ』です。
そのまま読むと呪文みたいですが、たぶんこれ、読む順番が違うのでしょうね。アナグラムほど凝ってはいません。あえて時計の裏側に文字があったのにも意味があるのでしょう。
『反対側で読む』の意味であるなら、『サ…ブノ…マヨ…ゴ』です。
気になるのは、ここが『時計塔の絶叫』であること。
そして、ここから見えるのが『惑わしの迷路』です。
『サ…ブ』を『絶叫』に絡めるなら、『叫ぶ』になります。
『マヨ』を『迷路』に絡めるならあの部分は『迷』でしょう。
当てはめると『叫ぶノ…迷…ゴ』となります。
一つの文章として考えるなら、『叫ぶのは』となるのでしょう。『迷…ゴ』は『迷い子』でしょうか?
でもその言葉に、どういう意味があるのでしょう?
「レティシア様?」
あっ。アリス様がじっと私を見ておいでです。
気がつくと他の皆様は奥の扉前で私達を待っておいででした。迷宮を見ながらうっかり考え込んでしまっていたようです。決して怖さから逃げたくて現実逃避していたわけではありません。ええ、違いますったら違いますとも。
「何か気になることがあるの?」
あっ。マリア様が殿下と一緒にこちらに向かって来られました。なんだか目がキラッとされています。……あら、アリス様も? な、なにかしら……?
「いえ、その、考えすぎかもしれないのですが……」
お二人の眼差しに負けて先程たてていた予想をお話します。まだ裏付けが出来ていないので間違っていそうで恥ずかしいのですが……
「それよ!」
「それです!」
あ、あら? 語り終わった途端、マリア様とアリス様が顔を輝かされました。
お二人も同じようにお考えになったの?
そういえば、アリス様も同じ場所に留まって一緒に迷路を見ていらっしゃいましたものね。よかった。私一人が考え込んでいたわけではありませんでしたのね。
マリア様はチラッと見ただけで同じ結論に至ったのかしら? 凄いですわね!
そしてその横で思案気な顔をしていらっしゃる殿下が――
「その内容でいくと、この時計塔で叫ぶのは『迷い子』ということか?」
なにか怖いことを仰いました!
いえ確かにそうなるのでしょうけれど、待って!? その『迷い子』、ちゃんと生きてますの!?
「どこで迷っているのかは確かに気になるねー。ここから見える迷路なのか、この時計塔なのか」
「『時計塔「の」絶叫』だから、いるのは時計塔で確定じゃないか?」
「『迷い子』が何者なのかも気になるな」
「慰霊碑の時のようにメッセンジャーがいるのか、あるいは別物か……」
クルト様、エリク様、殿下が考察を述べておいでです。ぶるぶる。
「メッセンジャーが迷い子になっているということでしょうか?」
「今もずっと彷徨っていらっしゃるのかしら? それとも、絶叫が聞こえた後で現れて彷徨いだすのかしら?」
ひぃぃ……!
「……大丈夫? レティシア様」
「怖い想像だけ一人歩きしちゃってる感じかなぁ?」
男性陣に混じって考察されているシュエット様とユニ様の声に、私の想像力が全力で応えています。止まって! 私の想像力!!
マリア様が背中を撫でてくださっていますけど、体の震えが止まりません。
「『迷い「子」』ってことは小柄な感じかな。叫び声に驚いてたら見逃しちゃう感じなのかも?」
「よく見ていないといけませんわね」
「爺やさんの仰っていた『仕掛け』というのも気になりますね」
「そうです、『仕掛け』ですよ! レティシア様! 怪談扱いになってるから怖いのであって、ただの仕掛けだと思えば大丈夫です……よね?」
アリス様が一生懸命意識を違う方へ誘導してくださるのですが、一度怖いことを考え始めると止まらないというかなんというか……ああ……
「とりあえず、時計部分に行こうか。これ以上ここで考えていても仕方ない」
「そうですねー。ついでに風の魔法で至近距離で大音声聞こえた時の対策もしておきましょうか。音に驚いて見逃すともったいないし」
殿下の発言にクルト様が頷きながら魔法を唱えられます。もったいない、ですませてしまうあたり、クルト様も勇気がおありですね!?
「状態異常魔法対策はしておきます?」
「麻痺と混乱は対策しておいたほうがいいでしょうか? あと、勇気」
「……それはレティシア様に必須かもしれないわね……」
ユニ様とシュエット様の声に、マリア様が私を見ながら頷いておいでです。ぅぅ……ごめんなさいませ……
「じゃあ、準備がすんだから行こうか」
……いゃぁぁぁぁ……
フロアのようになっていた場所から扉一枚隔てた向こう側は、上へと続く階段になっておりました。
そちらを登ったところにあるのが、大きな歯車が幾つも組み合わさった場所です。
「凄いな……これは……」
エリク様が顔を輝かせておいでです。よく見ると男性陣はどなたも生き生きとしたお顔をされています。こういうのがお好きなのかしら?
私としては周囲を圧する音が気になって仕方ありません。
「これ、魔法で軽減させてるのにこんなに大きな音って、素のままだとどんだけ大きい音なんだろ……」
「すごいよねー。リアルだとこんなに大音量なんだ」
「鼓膜大丈夫か心配になるわね」
マリア様とアリス様が興味深げに周囲を見渡しておいでです。確かに、とても大きな音ですからね。
「一応持ってきたけど、耳栓、使う?」
「……してたほうがいいかも。話し声はちょっと聞き取りづらくなるけど」
「あら。マリア様とアリス様、耳栓も準備されていたんですの?」
なんて用意がよろしいのかしら!
「あー……えーと、夜寝る時とかにけっこう重宝しますから!」
「旅先とか、多人数で寝る時の必須アイテムよね」
なるほどー。
「……人数分ありますのね」
「予備も含めてギリギリ皆にまわった感じかな!」
なにやら思案顔なシュエット様にアリス様が笑顔で強調しておいでです。
「ちょうどよかったですわね」
「ええ、本当に!」
「…………」
アリス様に微笑みかけると全開の笑顔が返ってきました。うふふ。
あら? マリア様はどうして遠い目をされているのかしら……?
「耳栓か……まぁ、全く聞こえないわけじゃないから、かまわないか」
「鼓膜は鍛えようがないからねー」
エリク様とクルト様が苦笑しておいでです。
殿方二人が気にしておいでなのは、いざという時に聴覚からの反応が遅れてしまうことでしょうか。
耳栓で鈍くなるのと、大音声を聞いて硬直してしまうの、どちらがマシかと言えば、前者でしょう。だから受け取っておいでなのだと思います。魔物狩りの時や戦場とかだと耳栓をしたほうが危ないとは思いますが。
とはいえ、爺や曰く「攻撃魔法を放たなくてはいけないようなものはございません」ということですから、ある一定の安全は保証されているとみていいはずです。なので今回は問題無し、と。……たぶん。だ、大丈夫ですわよね? 爺や。
「周囲の壁の一番外側が文字盤かな?」
「回転するように装置が組み込まれてるから、そうじゃないか?」
「真ん中にあるのが動力源である魔石か。なかなか大きいな」
クルト様、エリク様、殿下が周囲を確認されています。
この部屋は中央に魔石と仕掛けがあり、そこから伸びる棒が時計の針を回しているようです。仕掛けそのものが大きいので、私達は余白になる部分を移動している感じです。
魔石がほんのり光っているので真っ暗ではありませんが、四方も天地も壁と天井、床で閉ざされているので暗いです。先程の部屋が明るかったから余計にそう感じてしまいますね。
そう思ったのは私だけではないらしく、マリア様が周囲を見ながら仰いました。
「さっきの部屋が明るかったから、余計に暗く感じるわね」
「まぁ、機械部分に雨風が吹き込まないよう、きっちり閉じてるだろうからねー」
答えながらアリス様が手を伸ばして棒に触れます。片眉がちょっと上がりました。
「埃っぽくない」
「誰かが掃除してるってことね」
「あるいは維持魔法とか?」
「そっちの可能性もあるか。まぁ、魔法が反発しあわないのなら、使うわよね」
どうやら男性陣と同じく時計の仕掛けなどにご興味がある様子です。
ユニ様とシュエット様は中央の魔石に注目されていました。
「綺麗ですわねぇ……」
「本当に。それに、とても大きいですわ」
女性ですもの。光物には興味がありますとも。
他の殿下パーティーの方々は、手元の何かに色々書き込んでおられました。この暗がりで見えていますの?
「あの魔石の大きさ、大人の男の人の握り拳ぐらいかしら?」
「体格の良い方の拳であれば、あれぐらいではないかしら」
「まぁ、だいたいそんなところだな」
ユニ様とシュエット様の声に、エリク様が頷かれます。
私も魔石の大きさを目で確認して口を開きました。
「これだけ大きい魔石ともなると、やはり陛下達が生み出していらっしゃるのかしら?」
「は?」
あ、あら? なんで皆様、ポカンとしたお顔で視線を向けておりますの?
「あの、レティシア様? なんですか、そのトンデモ技術は?」
えっ!?
「……レティシア、言っておくが、個人で無から魔石を生み出せるのは、アストル家直系ぐらいなものだからな?」
「あ、あら?」
恐る恐る声を出されたユニ様に続き、殿下がこめかみを揉みながら仰いました。
周囲を見渡すと唖然としたお顔ばかり――いえ、アリス様とマリア様はちょっと驚いたお顔で他の方々をご覧になっていますわね。
えっと、アリス様、マリア様、魔石って、作れますよね?
「普通は魔物から取り出した核を使うんだ。お前の所も普段はそうだろう?」
「それはそうなのですが……大きな魔石ともなると、大きな魔物を倒さないと取れませんでしょう?」
「……そうだな……」
問われて答え、ついでに問題点を口にすると困ったような顔で頷かれました。
「大人の握り拳より大きいとなると、ドラゴンとかになりません? なかなか討伐は難しいと思うのですが」
「まぁ、そうなるが……ドラゴンを倒すより、その大きさの魔石を『生み出す』ほうがずっと大変だからな?」
「あら……?」
「というか、作れるんですか、魔石って……」
思わず首を傾げたらクルト様がやや引きつったお顔に。
……作れますわよ? 魔石。
「アストル家が魔法関係で異常に優れているのは、大魔導士アストルの血脈だからだと思っていたが……」
「…………」
殿下が途中で言葉を濁されました。
口にしなかった後の言葉を全員がしみじみ噛みしめているご様子。
慰霊碑で出て来た方から言われた『偉大な王』の血筋関連ですか……面倒事にしかならないから、あの幽霊さん、他では何も言わないといいのですけど……
「じゃあ皆、魔石の加工とかはどうなってるの?」
ふいにマリア様が全員にお尋ねになりました。
殿下達が「?」の顔でマリア様に視線を向けられます。
私は首を傾げて口を開きました。
「それは、合成のことでしょうか? 小さな魔石をいっぱい纏めて、大きな魔石にすることは出来ますよね?」
「あのな、レティシア……」
「うん。出来るよー」
「まぁ、出来るわね」
「は?」
アリス様とマリア様はあっさり頷いてくださいましたが、殿下達はまたもや呆気にとられたお顔になりました。
えぇと……?
「同じ属性の魔石に限るけど、屑魔石を纏めて大きいのに変えるのはわりとやるわよね」
「あれ、魔石砕くのが一番面倒なんだよねぇ……」
「お二人もおやりになったことがありますのね?」
「一応ね。あれが一番効率的に魔力操作学べるし、小遣い稼ぎにもなるから!」
「マリーちゃんはそういう感じか―」
「アリスはどうなのよ?」
「うちだとオーブンの燃料にそこそこ大きな魔石使うからさー、補充するのにいちいち新しいの買ってたら破産しちゃうんだよね。だから、空になった魔石に魔力補充するのもやるし、小さいのを買い集めて一番使用頻度の高い大きさの魔石に作り替えるのもよくやるんだよね」
なるほど。アリス様はご実家のお手伝い兼練習という感じで行っていましたのね。
マリア様はお小遣い稼ぎ、とのことですが――お父様はお小遣いくださらないのかしら?
「練習にもなっていいじゃない。アリスのところは鍛錬が生活に根付いてるわね」
「家族も喜ぶしねぇ。……最初にやった時は目を剥かれたけど」
「あーね。あんまり他の人がやってるの見たことないもんね。……ところで、レティシア様はどうして魔石のグレードアップをしてたの?」
ポカンと見守るユニ様達の前で、私達はしばらくお互いの体験談を話し合いました。
私は領地の魔物討伐用砦に設置してある自動迎撃魔法の動力源に拳大のを量産しておりました。幼い頃、一番最初に作ったのはランプの動力源用の小さな魔石ですけれど。
マリア様やアリス様も、最初は同じように小さな明かり用の魔石だったそうです。一緒ですわね!
「なんだかとても身近な手段のように話されていますけど……」
「私、そのような技術、初めて聞いたのですが……?」
あら? シュエット様とユニ様が頬に手をあてて首を傾げていらっしゃいます。
「うーん? 上の階級の人だとあんまりしないのかな? こういう節約」
「アリス。レティシア様」
「あ、公爵家はやってたんだった」
「私の場合、そもそもの始まりは爺やですから。爺やが厨房で使う魔石を自作していたのを見て、覚えたのです」
で、小さな火繋がりでランプ用の魔石から作り始めたのですよね。懐かしい……
「……爺やさん、出来るんだ……」
「……その人じつはプレイヤーだったりしない?」
「ど、どーかなー……?」
「?」
ぷれいやー、ってなんでしょう……?
「きっかけはともかく、今も作り続けている理由はなんだ? 領地の市井から買い付けないか? 経済を回すのも貴族の役目だろう?」
殿下が首を傾げていらっしゃいますが、それについてはちょっと事情があるのです。
「うちの領地は他より魔物が出にくいみたいで、特に大型のものは領都近隣にはほとんど出ませんの。小さい魔物だと魔石を持ってないものも多いでしょう? だから魔石に関しては常に不足気味なのです。特に大きいものは貴重ですわね」
「……魔物が出ないのは良いことだが、魔石の入手と考えると出なさすぎるのも大変だな」
「はい。その分農作物が荒らされることなく育つのですが……。そういった魔石不足を解消するために、アストル家の者は度々自分で魔石を生み出しているのです。あと、屑魔石を集めて魔法で大きいものに変えたりもします。大きい魔石はお値段もかなりしますから」
「アストル家が他領と頻繁に魔石の取引をしているのはそれが理由だったのか」
「ええ。他領では余ってるようですから、良い取引をさせていただいていますわ」
なるほど、と殿下が納得されました。
うちも領内で出ればいいんですけどね……出ないのは仕方がありません。
――と思っていたら、クルト様が渇いた笑いをあげられました。
「東の領地の方が聞いたら、羨ましさに血の涙を流すんじゃないかなー……」
そういえば東の領地は魔物がよく出るらしいですね。確かに、そちらの方々からすれば羨ましい土地なのかもしれません。
「我が領も魔物が多かった時期はありますのよ? お爺様の代から大きく減っただけで、その前までは多かったはずです」
「そういえば、アストル家の領地では、以前、突発的な大発生もあったな」
「ええ……」
……私が大変な目にあったアンデット事件ですわね……
「魔物は精霊の加護が薄くなるほど発生しやすいらしい。穢れというか、高濃度魔素が発生するせいだな。……そう考えれば、今、アストル家の領地が安定しているのは精霊の契約者が多いせいか」
「レティシア様のお爺様の代から、ということは、先代当主様が多数の精霊と契約されたことも関係あるのかもしれないな」
殿下とエリク様が感心したように頷かれていますが、それについては私は苦笑するしかありません。確証がありませんから、私としての予想は口にせずにいましょう。……尋ねても素直に答えてくれるか分かりませんし。
「東に領地のある貴族家、ここ数代あんまりパッとしないから、魔物がよく出るようになったんだろうねー……」
「そもそも東の国にあまり精霊がいないという噂ですわね……」
「……危険な香りしかしないな……」
「そういう意味では南も危険ですわよ。精霊王と契約されたと噂の卒業された先輩、噂だけはありましたけど、それ以降の音沙汰が無いような気がいたしませんか? そもそも、どのようなご容姿の方なのかすら伝わっておりませんし」
クルト様、ユニ様、エリク様、シュエット様がそれぞれ声をあげられます。
アリス様が難しい顔をされました。
「その卒業生の方って――」
「待って、アリス。そろそろ十二時」
何かを尋ねかけたアリス様の声を遮って、マリア様が声をあげられました。
その瞬間、
凄まじい大音量がその場を圧しました。