なびかない私を、諦めなかった人がいる
グイグイヒーローです。王道に王道を詰め込みました。
株式会社プロテアソリューションズ。
都心の一等地にそびえるガラス張りの高層ビル。その最上階近くに本社を構える、中堅の総合商社だ。
営業部のエース、玉野 茅は、社内でも抜きん出た存在だった。
シアーブラウンの髪を無造作にかき上げ、整った顔立ちに常に人懐こい笑みを浮かべている。親しみやすい雰囲気でありながら、扱う案件の数字はいつもトップクラス。新しい大型契約を取ってくるたび、社内の女性社員たちの視線が色めき立つ。
「茅さん、また大口取ったんですね」
そんな声がかかるたびに、茅は軽く手を挙げて応える。
それが、彼という男だった。
一方、営業事務課の課長・立華つむぎは、まったくの対極にいた。
腰まで伸びた黒髪をきっちりとまとめ、スーツの襟元は常に乱れがない。営業が持ち込んでくる契約書や見積書を、冷徹なまでに正確にチェックする。わずかなミスでも容赦なく突き返す。
「ここ、数字が合っていません。修正して再提出してください」
営業部の連中からは「鬼の事務課長」と陰で呼ばれていた。
だが、仕事の速さも正確さも群を抜いているため、誰も正面切って文句は言えない。
茅が立華に興味を持ったのは、そんな彼女の「例外」ぶりからだった。
――
昼下がりの営業事務課。
大きな窓から差し込む西日が、整然と並んだデスクを淡く照らしている。空調の低い音と、キーボードを叩く乾いた音だけが静かに響いていた。
茅が片手に契約書のファイルを持ち、課長席に腰を下ろしている立華の前に立った。
「立華課長、また来たよ」
いつもの軽い笑み。
周囲の女性社員たちが、ちらちらと視線を送る。立華は書類から顔を上げず、淡々と答えた。
「茅さん。また新規案件ですか」
「ああ。午前中に決まった。去年の最高額と同じくらいになりそうだ」
茅はファイルをデスクに置き、わざとらしく身を乗り出す。
「立華課長のチェック、頼むよ。俺の書類、いつも一番早く見てくれるじゃん」
「部署の業務ですから。特別扱いではありません」
「そうか? 他の営業のやつは後回しにして、俺のだけ優先してる気がするんだけど」
立華はようやく顔を上げ、冷たい目で彼を見た。
「気のせいです。茅さんの案件は金額が大きいので、優先順位が上がるだけです」
「ふーん」
茅はくすっと笑う。
「じゃあ、今夜メシでもどうだ? 案件取れたお礼に」
「お断りします」
即答だった。
お礼? 私は何もありがたいとは思っていない——そんな視線を感じて、茅は目を細める。
「また即答かよ。前回も、その前も。俺、そんなに嫌われてる?」
「嫌っているわけではありません。社内恋愛は面倒くさいので、関わりたくないだけです」
立華は視線を書類に戻す。
「茅さんは社内の女性に人気があります。私と食事に行けば、余計な噂が立ちます。仕事に支障が出るので、お断りします」
「噂くらい、気にしなきゃいいだろ」
「私は気にします。以上です。書類は午後三時までに確認して返しますので、下がってください」
茅は肩をすくめてデスクから離れた。
「書類、サンキュー。でもまた誘いに来るからな。次の案件取ったら」
「好きにしてください。結果は同じです」
彼が出て行った後、周囲の女性社員たちがひそひそと囁き始める。
「また断られた……茅さん、めげないよね」
「立華課長、本当に動じないよね」
「ここまでくると茅さん応援したくなるわ……」
立華は聞こえないふりをして、キーボードを打ち続けた。
胸の奥が、少しだけざわついているのを無視するように。
――
茅は営業部の自席に戻り、椅子に深く座った。
窓の外には、都心のビル群が午後の陽を浴びて鈍く光っている。彼は小さく息を吐き、遠くを見つめた。
——なびかない。
社内の女性は、だいたい自分に好意的だ。
でも、立華は違う。きっぱりと断る。目を見て「お断りします」と言い切る。その冷たさが、逆に新鮮だった。
最初は「面白い女がいる」程度の興味だった。
案件を取るたびに事務課に顔を出し、ちょっかいを出す。
「今夜どうだ?」
「今度の休み、近くのレストラン行かねえか?」
全部即答で断られる。それでも、足が向いてしまう。
彼女が眉をひそめて書類をチェックする横顔。
「ここ、修正してください」と容赦なく指摘する声。
たまに見せる、わずかな苦笑。
——好きになりかけている。
茅は自分の気持ちに、うっすらと気づいていた。
珍しいから、というだけではない。立華の真面目さ、仕事への責任感、そして自分を特別扱いしない姿勢。それが、妙に胸に残る。
「茅さん、次のアポイントです」
部下の声で我に返る。
「ああ、行くよ」
立ち上がりながら、茅は思った。
次の案件を取ったら、また行こう。
今度は、もう少し違う切り口で誘ってみるか。
部下との外回りをすませば時間はもう午後三時過ぎ。
自分のデスクの上には、丁寧に置かれた付箋付きの資料があった。
――
事務課課長・立華は、昼の顔と夜の顔がまるで違った。
昼は黒髪をきっちりまとめ、ノーメイクに近い薄化粧。紺のスーツに白いブラウス。「鬼の事務課長」と呼ばれ、営業部の連中からも一目置かれる存在。茅に何度誘われても「社内恋愛は面倒くさい」と即答で断り続ける、堅物のキャリアウーマン。
だが、夜になると——。
自宅のクローゼットの奥から、昼間は決して着ない服を取り出す。
胸元に深いスリットの入ったタイトな黒いキャミワンピース。肩の透けるバーミリオンのレースのトップス。オフィスの服装とは真逆の、肌の露出が高めな服だった。
メイクもしっかりと。アイラインをさりげなく濃く引き、下まつ毛にもマスカラを重ねる。唇を際立たせるように、濃いめのリップを塗る。髪をほどいて、ゆるく巻く。鏡に映る自分は、別人だった。
「……誰にもバレなければいい」
立華はそう呟いて、都心の隠れ家的なバーへ向かう。
ネオンが濡れたアスファルトに溶け、夜の街はどこか甘く、どこか寂しい匂いがした。通りを行き交う人々の話し声や、タクシーのエンジン音が、遠いもののように聞こえる。
カウンターの端に座り、ウイスキーのロックを注文する。
まだ溶け切らない氷がグラスに当たる音が、静かに響く。
一人で静かに飲む。たまに声をかけてくる男を、冷たくあしらう。
「お姉さん、一人? 一緒にどう?」
「結構です」
「連絡先教えてよ」
「興味ありません」
その繰り返しが、日々のストレスを発散させてくれた。
仕事で抑え込んでいる感情を、夜の自分で解放する。誰にも知られない、秘密の時間。
ここだけは、課長でもなければ、堅い女性でもない。ただの、一人の女でいられた。
ただ最近は、茅と距離が微妙に縮まっていた。
朝、コーヒーを置いていく頻度が増え、書類のやり取りで視線が絡むことが多くなった。それでも立華は、絶対に一線を越えないと決めていた。
社内恋愛は、面倒くさい。
噂になって、仕事に影響が出るのが嫌だ。
感情に振り回されて、今の立場を失いたくない。
だから、夜の自分は、絶対に守らなければならなかった。
誤字、段落修正しました。内容に変更はありません!




