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ひだまりの胎動

 ――その時、世界から音が消えた気がした。


 花の香りがする。

 アマーリエは水底から浮き上がるように、意識が浮上するのを感じた。


 やわらかな日差しが窓から差し込んで、アマーリエは目を開けた。気づくとエルヴィスが隣にいて、アマーリエの手を握りながら眠っている。朝の光が透き通るように、エルヴィスの髪に振り注いでいた。

 重かった体が今は驚くほど軽い。

(ああ、私、本当に助かったんだわ)

 改めてそう思い直して愛しさを感じる。彼女はそっと、エルヴィスの髪を撫でた。

「アマーリエ……?」

「おはようございます。エルヴィスさま」

 アマーリエは微笑んで、少しすまなそうに眉をひそめた。

「お疲れですよね。申し訳ありません」

「君が謝ることではない……!」

 エルヴィスは項垂れる。アマーリエの手を握りしめ、苦しげにつぶやく。

「私の失態だ。もっと気をつけるべきだったのに……」

「謝らないでください。少し怖かったけれど……もう済んだことなのでしょう?」

 彼女の穏やかな問いに、エルヴィスは地下室の冷気を思い出し、一瞬だけ視線を伏せた。だが、すぐに顔を上げ、彼女の瞳を見つめ返す。アマーリエは微笑んだ。

「こうして元気になったんですから。もう大丈夫です。ご心配おかけしました」

「ダメだ。まだ顔色が悪い。まだ寝てなければ……」

「大丈夫ですってば……」

 その時、ノックの音がする。アマーリエが返事をすると、クラウスとフェリクス、静かに控えたアンネが入ってくる。

 クラウスは白い薔薇を抱いて、アマーリエの隣まで歩いてくる。フェリクスもその隣に並んだ。

「お母さま、もう大丈夫?」

「大丈夫よ、クラウス。今回はありがとう。クラウスのおかげだと聞いたわ」

 クラウスは空色の瞳を細めると、えへへと照れたように笑った。馥郁とした薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。アンネが進み出て薔薇を受け取ると、花瓶に綺麗に挿した。

「お母さまが大切にしていた薔薇、今年も綺麗に咲いたよ」

「ありがとう。クラウス」

「どういたしまして」

「フェリクスにも迷惑かけたわね。ごめんなさいね」

「いえ、姉さま。本当に良くなって良かったです」

 フェリクスの翡翠色の瞳もゆっくりと細められた。その顔には、心からの安堵が浮かんでいる。

「私も気をつけなきゃね。みんなとこの子のためにも」

「お母さま……僕、強くなるよ。そして、お母さまと結婚するんだ」

 その言葉に、先ほどまでの悲痛な表情はどこへやら、我が子を相手に大人気なく眉をひそめたエルヴィスが容赦なく口を挟んだ。

「お母さまは、お父さまと結婚しているからダメだ、クラウス。諦めなさい」

「お父さま、独り占めは良くないよ……」

 フェリクスが呆れたように笑い、アンネも静かに微笑む。

「それじゃあ姉さま。僕たちはこれで。お疲れでしょうからゆっくりなさってください」

 フェリクスがそう言って笑い、クラウスの肩に手を置いた。クラウスは名残惜しそうにしながらも大人しく従う。アンネも頭を下げ静かに扉を閉めた。

 部屋に再びの静寂が戻る。

 その時だった。

「あら……」

 アマーリエがお腹に手を当てる。エルヴィスが心配そうに眉を寄せた。

「どうした、アマーリエ」

「いま、ぽこって。動きましたエルヴィスさま」

「なんだって……!」

 アマーリエの腹部に手を当てて、じっと耳を澄ます。その様子をアマーリエは微笑んで見つめた。

「……本当に、良かった」

 アマーリエの腹部に額を預けたエルヴィスの震える声が落ちる。アマーリエは広いその背に手を伸ばしてさすった。

 どんな宝石にも敵わない、ひだまりのような煌めく幸せがそこにあった。

 


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