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毒婦の鏡像

 深夜。細やかな雨が降っている。ロスカスタニエ伯爵夫人――クリスティーネは鏡台の前に立ち、その漆黒の髪を梳いた。

「明日は孤児院へ行かなくては」

 彼女は、ほう、と息をつく。その瞳には恍惚が宿っていた。

 毒。今度はどんな毒をためそうか。

 孤児院や救済院はその毒の効果を試すのに絶好の場所だった。

 どうせ、なんの役にも立たない者たちだ。ならば、わたくしの役に立つのがいちばん良いと思う。

 引き出しの奥、ひときわ古びた琥珀色の小瓶に指先が触れる。お父さまの葬儀の際、兄たちから奪い取った莫大な遺産――そのすべてをもたらしてくれた、愛おしい始まりの原液。

 その毒はわたくしに莫大な富を与えてくれた。

 鏡台には高価な香水や宝石が転がっている。2段目の引き出しを開けるとそこにあるのは無数の毒薬。クリスティーネは愛おしそうに、それらを見つめた。

 それに、一刻も早く学ばねばならない。穀物も育たぬこの狭い領地を完全に我が物にするためには、いずれ夫にも「片付いて」もらわねばならないのだから。食事に毒は混ぜはじめた。あとは誰にも気づかせずに消えてもらうだけ。

 そう言えば、と彼女は髪を梳く手を止める。

アマーリエ・フォン・ローゼンブルグ公爵夫人。一度だけお会いしたけれど美しかった。完璧な美貌に圧倒された。魅了された。その彼女が懐妊したという。

 出産はいけない。彼女の美しい美貌もプロポーションもきっと内側からすべてを奪い去ってしまうだろう。わたくしのように。

 クリスティーネは、たるんだ自分の二の腕に目をやるとため息をついた。

 かつては自分も薔薇の蕾のようだと讃えられた。でも子を生むごとに、その美貌は削ぎ落とされて今では見る影もない。

 だから、毒を盛って差し上げた。きっとおなかの子は流れるだろう。それで良い。

 一時は悲しむかもしれないが、後にはわたくしに感謝をするだろう。

「あら……でも、夫人まで亡くなったらどうしましょう」

 初めて気づいたと言うように、クリスティーネは口を押さえる。あの生命力あふれた肌が、大理石のように冷たくなったら。その考えはクリスティーネに、得も言われぬ恍惚を与えた。くすくすと笑みももらす。

「ああ……見てみたいわ。美しいまま死ねるのだからきっと幸せよね」

 かたりと、鏡台にくしを置く。

 静寂を塗り潰すような、無数の蹄の音。

 邸内が激しいざわめきに包まれ、廊下を駆ける足音が怒涛のように近づいてくる。

「……無作法な」

 彼女が立ち上がろうとした瞬間、部屋の扉が、蝶番を引きちぎらんばかりの勢いで蹴破られた。 

 ばらばらと騎士が走ってくる。最後にその人波を割るように、静かにひとりの男が入ってきた。

 凄まじい威圧感に、夫人は無意識に一歩下がった。金の髪に雨を滴らせて、その男は尚も一層、美しかった。

 雷が鳴る。雷光に、男の峻烈な表情が浮かび上がった。

「ローゼンブルグ公爵……?」

 クリスティーネの手が戦慄き、口元を覆う。

 エルヴィスは一言も発しない。短く顎を引くと、背後に控えていた副官が、濡れた王命の書面を冷酷に読み上げた。

「──ロスカスタニエ伯爵夫人クリスティーネ。公爵夫人暗殺未遂、および領内大量殺人の容疑により拘束する。抗弁は認めん」

 男が文書を高く上げた。

 騎士たちが歩み寄り、伯爵夫人を床に押さえつける。

「嫌よ。離して……! わたくしを誰だと思っているの!」

 彼女は気丈に声を上げた。騎士たちが一瞬怯む。

 床を叩く硬質な靴音が聞こえ、夫人はその方向へと向き直った。

 エルヴィスが懐から指輪を取り出す。それはまばゆいばかりのダイヤモンド。

「これはお返しする。呪われたダイヤモンドと一緒に朽ち果てるがいい」

 ぞっとするほど低い声で言うと、恭しく伯爵夫人の指にはめる。指輪は指の中ほどで肉に阻まれ止まった。

「連れて行け」

 エルヴィスの情け容赦のない声が部屋中に響き渡った。

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