ローゼンブルグ邸にて
「お帰りなさいませ」
公爵邸の門を馬車でくぐってからどれくらい経っただろう。やっと玄関ポーチが見えてきて、そこには赤い絨毯が敷かれ、たくさんの使用人たちが一同に揃い、頭を下げていた。
クラウスを抱きながら、エルヴィスに手を取られて馬車から下りたアマーリエは度肝を抜かれる。広い。広いなんてものではない。ここはお城なのというほどの広大な邸宅だった。
「うん、いま帰った。なにか変わりは?」
「ございません」
まだ年若い執事が丁寧に言葉を述べる。年の頃はエルヴィスと同じだろうか。薄い茶色の髪を後ろに流し、はらはらと前髪が風に揺れている。優しげなダークブラウンの瞳がアマーリエを捉え、完璧な笑顔を作った。
「アマーリエさまでいらっしゃいますね。我々一同、お待ち申し上げておりました」
「アマーリエです。よろしくお願いします」
ドレスの裾を持ち上げ、アマーリエも挨拶をする。腕に抱いたクラウスが、きゃっきゃっと楽しそうに笑う。その声にアマーリエは優しく微笑んだ。
「クラウスさま、なにか楽しいことがあったのかしら」
「きっと、君が一緒で……嬉しいんだと思う」
エルヴィスがぼそっと小さな声でつぶやくように言う。。普段の公爵閣下からは想像もつかない、ひどく自信なさげな響き。アマーリエが不思議に思って覗き込むと、彼はわずかに耳朶を赤くして視線を逸らした。
アマーリエは、そうかしら、とクラウスの瞳をのぞき込む。晴れ渡った空のような綺麗なブルーの瞳が、こちらを覗き込んだ。
「クラウスさま……可愛いわ」
思わず頬ずりをしながらアマーリエは心の声を漏らす。
「お疲れでございましょう。お部屋にご案内致します。こちら、奥さま付きの筆頭侍女のアンネと申します」
「アンネです。奥さま、よろしくお願い致します」
アマーリエよりも少しだけ年長の侍女は、ブルネットの髪を綺麗な編み込みをして、凛とした雰囲気の女性だった。
「よろしくお願いするわね、アンネ」
アマーリエが挨拶をすると、エルヴィスがクラウスを抱き上げた。
「あっ……エルヴィスさま、私が抱いてますから」
「いいから。疲れただろう。部屋に案内してもらうといい」
「でも……」
「君のために用意した部屋が気に入ったか聞かせて欲しい」
「それじゃあ……クラウスさまをお願いしますね。クラウスさま、また後で」
クラウスの小さな手を握ると、アマーリエはアンネのあとについてローゼンブルク公爵邸へと足を踏み入れた。
「こちらが奥様のおへやでございます」
「はー」
広い。実家のリーヴェスヴィンセン家の玄関ホールよりも広い。そこに趣味の良い調度品が配置されている。飾ってある花瓶は優雅で触るのも怖い
。アマーリエの瞳に合わせたのか、壁紙やカーテンは翡翠色を基色としていた。上を向けば首が痛くなり、豪奢なシャンデリアが花のように開いている。
「お気に召されましたか?」
「お気に召すもなにも……」
アマーリエはあまりのことに言葉も出てこない。生まれてこの方、貧乏暮らしだ。こんなに広い部屋を一体、なにに使えばいいと言うのだ。
この広さを維持するために、一体何人の人間が動いているのか。それを「管理」しなければならない立場に、めまいがした。
「お気に召しませんでしたか?」
「あっ、ううん。違うの。驚いただけ。ありがとうアンネ」
気づかわしそうに見ていたアンネはその言葉にほっとしたように笑顔になる。
「こちらがドアになっておりまして、ご夫婦の寝室に繋がっております」
白いドアを開いて説明するアンネに、アマーリエは内心で閉口した。
この広い部屋の他に、夫婦の寝室もあるのか。そんな心境である。
(フェリクス……私、えらいところに来ちゃったかも)
内心で弟に助けを求めるが、取り敢えず表面上では、あらそう、と微笑んでおいた。
「あちらがバスルームになります」
「え、バスルーム?」
「はい! 奥様、このアンネ。微力ながら奥様に更に最高に美しくなっていただこうと思います」
「は……? え…?」
アマーリエはアンネに丁重にバスルームへと誘われる。アンネがベルを鳴らすと、何人もの侍女たちがぞろぞろと部屋へと入ってきた。
「え……あの、ちょっと……」
アマーリエはバスルームへと押し流されていく。実家のリーヴェスヴィンセン家では妹と一緒に入ったことはあるが、侍女に磨かれるなどしたことはない。むせ返るような濃厚な薔薇の香りが辺りに漂いはじめる。
(フェリクス……助けて……!!)
アマーリエの心の叫びは、けれど、フェリクスには届かなかった。




