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残光の演習場

「……見せたいもの?」

 エルベアトが片眉を上げる。その表情には、いつもの気楽な色が浮かんでいる。

「ああ。君にしか見せられないものだ」

 放課後、二人が向かったのはアカデミーの裏手に広がる古い演習場だった。今は使われていない石造りの観覧席が、夕闇に沈み始めている。人影はない。

「で、何だよ。こんな湿っぽい場所で。告白でもしてくれるのか?」

 おどけるエルベアトに対し、フェリクスは無言で立ち止まった。そして、おもむろに上着を脱ぎ、傍らの石柱に掛ける。

「手合わせを願いたいんだ、エルベアト」

「……は?」

「君の剣の実力は、座学の成績と同じく次席だったはずだ。僕と君、どちらが上か、一度も確かめたことがなかっただろう?」

 エルベアトの顔から笑みが消えた。

「……正気かよ。俺たちが剣を交えても、泥臭い試合になるだけだ。それに、もしお前に傷でもつけたら、あの恐ろしい義兄上に俺の首が飛ばされる」

「エルヴィスさまは関係ない。これは、僕と君の話だ」

 フェリクスは演習用の木剣を一本、エルベアトの方へ放り投げた。

 エルベアトはそれを片手で受け止めると、低く笑った。その笑い声は、今朝までの彼とは別人のように乾いてた。

「……そこまで言うなら仕方がないか」

 次の瞬間、空気が切り裂かれた。

 エルベアトの踏み込みは鋭く、重い。木剣同士がぶつかり合い、鈍い衝撃がフェリクスの腕を痺れさせる。

「お前は恵まれているよ、フェリクス!」

 激しい連撃の中で、エルベアトが叫ぶ。

「ローゼンブルグ公爵の影に隠れて、綺麗な服を着て、正義を語っていればいい。だがな、泥水を啜ってでも家を繋がなきゃいけない人間もいるんだよ!」

 フェリクスは歯を食いしばり、その一撃を横に流す。

「……だから、ブラウヴァルトの鎖を選んだのか!」

「選ばされたんだ! あの侯爵が、俺の親父が隠していた横領の不祥事を握り潰す代わりに提示してきた条件がこれだ。……断れるわけがないだろう!」

 エルベアトの木剣が、フェリクスの肩を掠める。鋭い痛みが走るが、フェリクスは退かない。翡翠の瞳が、沈みゆく太陽の光を反射して燃えるように輝いた。

「以前エルヴィスさまは言った。『鎖を繋がれた犬は、飼い主の指を食らう』と」

「……っ!」

「君は犬で終わるつもりか、エルベアト!  僕にレポートを見せてくれと言ったのは、そこに打開策があると踏んだからじゃないのか!」

 フェリクスは渾身の力で木剣を振り下ろした。

 エルベアトの剣が弾き飛ばされ、乾いた音を立てて石畳を転がる。

 静寂が訪れた。

 肩で息をする二人の間に、夜の帳が降りてくる。

 フェリクスは懐から、一通の書類を取り出した。昨日、深夜までかかって書き直した『領地経営学』のレポート――ではなく、その裏側に記された、南部物流網の真の「穴」を指摘した極秘の覚書だ。

「これを持って帰れ。ブラウヴァルト侯爵に渡すんじゃない。君の父上に見せるんだ。ノイエラグーネ家が侯爵の傘下に入らなくても、独自に南部関税の利権を確保できる唯一の道を書き込んだ」

 エルベアトは地面に座り込んだまま、差し出された紙を呆然と見つめた。

「……どうして、ここまで」

「言っただろう。記憶力が良いんだ。君が休学中、一度だけ僕の机に匿名で差し入れてくれたあの恩を、僕はまだ返していない」

 フェリクスは微笑んだ。それはアマーリエのような優しさと、エルヴィスのような冷徹なまでの決断力を併せ持った、不思議な微笑みだった。

「君を救うんじゃない。僕の友人を、利用価値のある協力者として繋ぎ止めておきたいだけだよ」

 エルベアトは一瞬、目を見開いた後、顔を覆って低く笑い出した。

「……最悪だ。お前、いつの間にかあの公爵閣下にそっくりだよ」

 そう言いながらも、エルベアトは泥のついた手で、しっかりとフェリクスの差し出した書類を受け取った。

その指先は、もう震えていなかった。

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