襲撃
なんだかんだ言って、とっぷりと日が暮れてしまった。
左金吾とお菊、助六、そして水野宗次郎は、楓先生のお宅を出た。
「それでは宗次郎殿、本日はありがとうございました」
「いえいえ、左金吾殿もありがとうございました。もし機会があれば是非、四谷の水野屋敷にお越しください」
宗次郎は笑顔で左金吾に伝えた。
助六は思い出したかのように、
「そういえば左金吾殿は、やっとうの道場が四谷でしたね」
それにすかさず、宗次郎は「四谷のどの辺りですか。うちは鮫が谷町の辺りにあります」とぱっと顔がさらに明るくなった。
それを見て左金吾もうれしくなり、
「道場は四谷荒木町にあります。そういえば、鮫が谷辺りは通り道にもなりますね。あの辺りに確か、天龍寺という有名なお寺があった気もしますが・・・」
会おうと思えばまたすぐ会えるのだ。
宗次郎も左金吾のもろ手をとらんばかりに喜んで、
「そうなんです。家はその近くですので、ぜひお立ち寄りください。狭いながらも3000株もの斑入りの植物を育てております」
「それはすごい。とても楽しみです。ぜひぜひ、よろしくお願いいたします」
左金吾は社交辞令ではない笑顔で答えた。
では、といって別れたあと、助六は左金吾とお菊に伝えた。
「それでは、あっしも途中まで左金吾様とお菊さんのお供いたします」
左金吾はそう言って挨拶を交わし、お菊とともに、また神田明神の方へ歩き出した。
宗次郎と別れた後、助六は左金吾に、
「左金吾様、よかったですね。植物や花のことについて情熱のある御仁にお会いできて」
「そうだな。なかなか世の中広いもんだな。私も宗次郎殿に言われるまで、花というものについてとんと考 えたことがなかった」
左金吾は今日の出来事が自分にとってさらに転機となるであろうなにかしらの期待を感じた。
「あの方は、常日頃より花と人との在り方を考えておられる。その上で、ご趣味の斑入りの植物たちの収集という活動をなされているのだ。とてもじゃないが、私はまだまだだと感じた。お菊には本当に感謝だな」
そういってお菊に感謝をのべた。
「私も左金吾さんに楓先生や宗次郎様をご紹介できてよかったわ。また機会があったらご一緒にお越しくださいね」
お菊も満足げだった。
「もちろんだとも。是非誘ってください」
左金吾はそうお菊に伝えた。
3人は連れ立って歩いて昌平橋の袂まで来ると、ぽつんとこちらを見る人影を見た。
この辺りは大きな学問所がありすこしさみしい。日も暮れると人通りも少なくなる。
左金吾はその人影に気を取られていると、後ろからぶあん!と空を切る刀の音がして、それと同時に助六が叫んだ。
「左金吾様、危ない!」
さすがに左金吾は、今日は愛刀を帯刀している。
この前ののような不覚はとらない。
左金吾はのけぞりながら振り下ろされる刀をよけ、
「きゃっ!」
お菊を突き飛ばした。
「お菊殿、申し訳ない!」
左金吾がお菊を守る行動は、お菊を突き飛ばして相手の襲撃から守るのが精一杯だった。
左金吾は慌てて鯉口をきり、正眼に構えた。
助六はすかさずお菊のもとへ回り込み、お菊を立ち上がらせ、身を呈するようにした。
「助六、お菊を連れてここから離脱してくれ!」
「承知しやした!」
助六は確かにうなずき、場を離脱すべく昌平橋の方に向かうと、先ほど目の前にいた、ぼやんとした影の者がこちらへ近づいてきた。
左金吾は後ろから襲撃したものと対峙したまま、正眼に構えたままである。
そして助六もまた、お菊を連れて昌平橋のたもとでもう一人の影の者と対峙している。
助六は一応町人なので、
「お武家様、申し訳ございませんが、そちらを通していただけませんか」
その影の者が姿を現した。
「嫌だと言ったら?」
そういった武家は、傘をかぶり、黒の野袴に羽織び様な軽装の武家だった。
助六はすかさず、その者に問うた。
「そのお姿でお出ましになるには、あなた様が黒鍬組の方だということをはっきりと他人に示してるようなものですぜ」
助六は言葉でけん制した。
その武家はにやりと笑った。
「構わぬさ。どうせおぬしはあの世に行くだけだ。そこの娘と共に」
「それでは冥土の土産に、お名前だけお聞きしてよろしいですか」
「冥土に行くのに土産などいらんだろ。三途の川を渡る六文だけ持っていれば」
そう言ってその武家は鯉口を切った。
お菊は声には出さないが、非常に震えているようだった。
助六とお菊はそのままじりじりと、その武家の圧により押し戻されていた。
一方、左金吾は渡世人風の長ドスを構えた男と対峙していた。
前回の広尾原でやりあった時よりも気持ちに余裕がある。
何しろ腰にはちゃんと左金吾の愛刀、水心子正秀の一刀がある。
父から元服の折りに授かったこの愛刀は、黒蝋色の鞘は陽光を浴びて深緑の気配を帯び、鐔には精緻な菖蒲の透かし彫りが施されている。
まさに花菖蒲好きの父がこしらえさせた、とても意匠のある一振りだ。
すらりと抜いた水心子正秀は2尺3寸。実践向きの長さだ。
一方、その渡世人風の男は長ドスは2尺前後。若干、左金吾のほうに分がある。
助六がお菊をかばって、徐々に後ろに下がってきているのがわかる。
前と後ろから徐々に追い詰められている。
もちろん、助六は今日は懐にドスなんか持ってはいない。
花屋の持ちものといえば、はさみと小刀。そして小歯ののこぎり。
間合いを詰められつつ、徐々に左金吾と助六も近づいてきた。
左金吾は、刀を正眼で構えつつ、じんわりと後退していく。
まだ、左金吾と助六、そしてお菊の位置は3間ほど離れている。
野袴の侍は、すり足で助六と間を詰める。
左金吾は、助六に黒鍬組といわれた野袴の男の様子を伺いながら、渡世人風の男と対峙している。
徐々に左金吾と助六の距離も縮まってきた。
左金吾は、先の広尾原の闘いでの様子で、なんとなく助六の腕は承知していた。
助六は長谷川平蔵に仕える密偵でもあるのだ。
なまなかな腕ではない。
左金吾が先に動いた。
いつもの後の先ではない。
左金吾は正眼から大上段に振りかぶり、思いっきり刀を振り下ろした。
左手は腰に据えて。
渡世人風の男は長ドスで払うそぶりで後ろに飛んだ。
そして刹那。
助六も腰に下げている小袋の道具入れから小刀を取り出し、黒鍬組の男に投げた。
手裏剣のように、うなりを上げた。
すかさず黒鍬組の男は小刀を抜刀してはねのけた。
その瞬間、左金吾は腰から左手で抜いた脇差をふわっと投げて、それが助六の手中に収まった。
お菊を呈しながら、助六が片手で左金吾の脇差を中段に構えた。
見事な連携に、お菊も目を丸くした。
体勢を立て直した渡世人風の男は一歩踏み込んで正眼から横なぎに一閃。
そこに合わせるかのように左金吾も大胆に踏み込んで水心子正秀を一薙ぎ。
渡世人風の男は横薙ぎからの手首を瞬時に返して、大上段から振り下ろした。
左金吾は、相手の刃風をほほにうけつつ、さらに重心を低くして、地摺りの薙ぎを一閃。
見事に相手の手首の腱を撫でつけた。
その間、助六は依然として黒鍬組のものと対峙していた。
「その方、花屋にしておくには惜しいのう」
黒鍬組の侍は徐々に間合いを詰める。
背後にはお菊がいる。助六もお菊をかばいながらでは十分に身動きができない。
間合いをさらに詰められる。
左金吾は、渡世人風の男の脚の腱をきり、動けなくしたうえで、
助六のほうへ向かった。
キン!キン!
刀と刀が触れ合う音が招へい橋に響く。
すでに助六は、お菊をかばいながら、一合、二合と切り結んでいた。
かなり押されている。
「そこもとの相手はこの私ではないか?」
左金吾は黒鍬組の侍にそう言葉を投げつけた。
「ふむ。すでにあやつはやられてしまったか。不甲斐ないのお」
そう言って黒鍬組の侍は少し離れたところでうずくまっている配下のものを一瞥した。
左金吾もゆっくりとその侍と対峙し、緩やかに正眼に構えなおした。
「御頭が、見込みのある奴とは言っていたが・・・」
刹那、左金吾の目の前に侍が飛び込んだ。
左金吾は瞬間的に半身にしてよけた。
「刃渡りが見えない・・・!?」
左金吾はその侍の振り下ろす刃が見えなかった。
さらに突進してくる身から右へ左へと刃が飛び出してくる感覚。
左金吾は、五感で受ける刃風を察知して右へ左へと受け流す。
背中に背負うかのように繰り出される刀が恐るべき速さで左金吾襲う。
助六もお菊のその刀の速さに驚きを隠しきれなかった。
左金吾も無傷とはいかず、まるで鎌鼬にでも切り裂かれたかのように、着物の裾を切り裂かれている
「どうした、小僧。終わりか?」
「くっ」
左金吾は刀に反応するのが精一杯のように見えた。
「左金吾さん!」
お菊の悲痛な叫びが響く
刹那、左金吾がふわっと腰を落として横薙ぎに振りかぶったまま前に跳んだ。




