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ペルシアンラヴ   作者: 藤原去鬼(ふじわらさき)
7/27

ペルシアンラヴ 7

 ホテルへ着くと、佐々木はレセプションの近くのソファにメンバーを座らせ、チェックインに向かった。森村親子は変わらず楽しそうだ、村中とみゆは離れて座っていた。まだ、喧嘩か。しかし、みゆがいつもの明らかなふくれっ面ではなく、無表情で黙っていたのが気になった。

「それでは皆さま、カードキーをお渡ししてから、今夜の予定と明日の予定を申し上げます。明日はちょっと変則的な観光です。まず、早いですが朝七時にホテルを出発して『ピンクモスク』へ行きます。早い時間に行かないと、人で混雑することがありますから、一般の観光客の方が来ないうちに、ここだけ観光します。それからいったんホテルへ戻って、今度は九時のご出発です。昼間の観光は午後もいたしますが、三時ごろにはホテルへ戻ります。そして、夜の八時半にまた、美しい聖者の廟へご案内します。朝のピンクモスクと、夜のシャー・チェラッグ廟…それぞれのいちばん美しい姿をお見せしたいものですから。

もちろん、朝と夜の観光は参加ご自由です。

これからのご夕食は七時からです。時間がなくて申し訳ありませんが、荷物の引き取りをしたら、このロビーにご集合ください」


…長い移動が終わって、ひとりになると、さすがの佐々木も疲れを感じた。


レセプションの近くにソファがあったので、ずしんと腰を下ろした。レセプションのほうを見る。昔は、後ろの壁に大きく「DOWN WITH USA」と大きな文字が貼られていた。「くたばれアメリカ」だ。元々、このホテルはアメリカの高級チェーンのホテルだったが、国交断絶後にイランに摂取されている。

もう一八年前、初めてイランを訪ねたときのことを思い出した。あの頃のイランは、長距離移動のバスは鼻の長いボンネットバスで、シートのあちこちにはクッションがたくさん置いてあった。道が悪いとがたがた揺れたので、すぐにそのわけが分かった。そんなバスの中でガイドのアフマドが、ガスコンロに火を点け、やかんでお湯を沸かし始めたのには驚いた。熱いチャイをサービスしたいのだと言う。しかし、バスの中で火を使うなんて、気が気じゃなかった。

…あのときも、このソファで休んだ。なにしろ、イランではすべてが初めてで戸惑うことばかりだったので疲れていた。外国人観光客がまだ珍しいのか、観光していると地元の人が人懐っこく寄って来て、ぞろぞろと後を付いてきたので、ときにアフマドが険しい表情をして追い払っていた。


そうそう、とてもいい思い出もあった。


このソファに座っていたときだった。からだが重くて動けなくなっていたら、いつの間にか笑顔の子どもたちに囲まれていた。みんな「マイネームイズ○○」とか、「ハロー」とか「ナイストゥミーチュー」などと、かわいい声で言ってくる。よそいきのきれいな服を着ていたから、お金持ちの子どもたちなのだろう。英語を学んでいて、外国人相手に使いたくて仕方がないようだ。しばらく会話をして上げた。それからポケットに飴があるのを思い出して、七人くらいいた子どもたちみんなにひとつずつ上げた。

すごく喜んで帰っていった。後を目で追っていくと、フロアの右端に入り口があって、その先の部屋では、なにやらパーティをしているようだ。

まだ疲れでぼんやりしていて、やっとソファから立って、参加者の部屋まわりに行こう、としたときだった。子どもたちがまた、どかどかとやって来た。「ごめんね、もうお仕事なの」と言いかけたら、子どもたちが満面の笑顔でふたつのお皿に山盛りにされたケーキを差し出した。ちゃんとフォークも添えてあった。中東に多い、ゼリーの部分がほとんどのケーキだったが、子どもたちの気持ちがとてもうれしかった。

かなり貧しい国もいろいろと巡った。子どもたちと出会って、その時になにかお菓子を持っていたら上げていた。旅行会社のボールペンやバッジを上げたこともある。でも、なにか返されたことはなかった。もちろん子どもたちにお返しは期待していなかったけれど。

パーティの会場に戻って、飴をもらったことを親に話したら、親が「持って行きなさい」と言ったのかもしれない。でも、それでも…本当にうれしかった。ちょっと涙が出てきそうになりながら、全部ケーキを食べたんだったわ。食べ終わったときの、本当にうれしそうな子どもたちの表情も忘れられない…おかげで夕食はあまり食べられなかったけど。



…そんないいことばかりではなくて、このホテルのエレベーターに乗っていて妙な体験もした。乗りあわせた若いイラン人男性が「エクスキューズミー」と話しかけてくる。「イエス」と応えると「ドゥユーシンクオブアメリカ」と聞かれた。その頃までは男性はにやにやしていたが、どう応えようかと迷っていると笑顔は崩さずに「アイヘイトアメリカ」と吐き捨てるように言われた。

 イラン国民のアメリカへの敵意は根深いのだな、と肌で実感したね。


 …さあ、イヤだけど田中の部屋夫妻の部屋へも行かないといけない。そう考えると一段と重くなった腰をなんとか上げた。

 

 田中夫妻の部屋番号をフロントで聞いて、重い足取りで向かう。

 部屋のドアをノックすると、意外と明るい声で「はい」と返事が来た。

 奥様がドアを開けると、田中が出て来た。

 「申し訳ありません、遅くなりまして」

 「だから、長距離のバス移動はダメだって言っただろ。こっちは快適だったぞ」

 言葉はキツイが上機嫌だ。佐々木は明日の予定を話した。

 「あー、明日も自由にさせてもらう。夕食も食べたし、もう、タクシーの手配も済んだ。ホテルのフロントで金を積んだら日本語の出来る運転手を確保出来た。最初からこうすればよかったよ。団体旅行なんか、よぼよぼかアタマの悪いヤツがするもんだ」

 「明日のお食事はどうされますか? 」

 「勝手にするわ。明日の昼も夕食もこのホテルで個人的に取ることにする。そのほうが君の会社も金の節約になっていいだろう。明後日の航空機は一緒にさせてもらうが、それ以外はかまわんでいい」

 ほっとした気分をオモテに出さないようにしながら、佐々木は話した。今さらキャンセルしても、食事代は戻ってこないけれど。

 「ありがとうございます。私の部屋番号は・・・ですので、何かありましたらご連絡ください」

 「はいはい」

 そう言うと、田中はドアを閉めてしまった。

 このまま日本まで、別で行動してくれたらいいなあ、でも、そこまで考えるのはね…これも「ラッキー」効果かな。と、佐々木はひとりごちた。


 …陽一は部屋に入ると、ほどなくポーターが荷物を運んできたので、受け取ってすぐ部屋を出た。なんだかシラーズへ着いてから、どうも足がおかしい。踏む感覚がしっくりとしない。

 ロビーへ行くと、全員が集まってすぐレストランへ向かった。

 吉田さんと一緒のテーブルに着こうとしたら、みゆがすっと横に来た。

 「お嬢さん、いらっしゃい」

 吉田さんが穏やかに微笑みながら言った。

 いつものみゆだったら「はーい」とか大声を出していただろうけれど、そして、そんなみゆに近くに来て欲しくないと思っていた陽一だったが、今はそうは思わなかった。

 「…ケンカ中」

 そう、ぼそっとみゆは言った。

 「ああ、喧嘩ね。どんどんおやりなさい。私だって、妻と今でも喧嘩友達だから」

 「そうですよ。夫婦なんて、お互い言いたいことを言わないとダメなのよ」

 吉田さんの奥さんもにっこり笑って言い添えた。

 「何もないのがいちばん悪いの。お互いのことに無関心になってしまったら、夫婦は終わり」

 「…でも、あたしとたっちゃんは夫婦じゃないもん」

 元気のないみゆの顔を見て、思わず陽一も言った。

 「仲いいじゃん。仲いいから喧嘩すんだよ」

 「そんな簡単じゃないの! 」

 「…ごめんなさい」

 みゆは大きな声を出したが、すぐに自分で謝った・

 「でも、好きなんだろ」

 言ってしまって、陽一は後悔したが、みゆは下を向いたまま頷いた。目に涙がいっぱい溜まっているのが見えた。

 村中さん、可哀想だよ。なんとかしてやれよ、と思った。

 村中の姿を探したが、陽一の席からは見えなかった。また、黙々と食べているのかな。

 「いいですねえ、若い方は。泣きたいとき、笑いたいとき、思いっきり泣いて笑うといい。喧嘩できるうちは、ずっと喧嘩したらいいですよ」

 みゆがすくっと立ち上がった。

 「ありがとう! あたし負けないもーん」

 やれやれ。

 …それからは、いつものみゆに戻っているように見えた。

 あーうるさいと、陽一はうれしくもあり、少し憂鬱にもなった。


 ひとしきりバイキングの食事を終えて、デザートのコーナーに行くと、白くくもった色あいのシャーベットが置いてあった。なんだろうと陽一が見つめていると、佐々木が寄ってきた。

 「あら、バラのシャーベットね。食べてみる? 」

 麻子のつけていたバラの香り以外に、なにも混ざっていないパヒュームを思い出した。大輪のバラではなく、ほっそりと生一本で咲いているようなバラの香り…。


 そんなことを思いながら、グラスを手に取って、シャーベットをスプーンでひと口食べて、顔を歪めた。

 「あはははは」高子が笑った。

 「…なんか微妙な味ですね、これ」

 甘いような、甘くないような、えごいような、えごくないような。確かにバラの香りはするのだけれど…

 「でしょう? イランではバラ水というのもあって、バラのエッセンスを希釈した水なんだけど、あれもビミョーな味ね。正直、私も最初に飲んだ時は吐き出してしまった。でも、からだにはいいのよ。心臓病など、いろいろなことに効くんだから」

 「…ひっかけたんでしょう」

 「まあ、いいじゃない。もうすぐ彼女に会えるんだから、それで口直しが出来るでしょ? 」

 「…」

無言でいたら、佐々木に頭をなでられた。

 「なんかね、君、落着きがなくなっている。しゃんとしなさいよ。本当に大丈夫? 」と目を覗き込まれた。

 「じゃ、ぐっすり寝なさいね…そうそう、もしもそんな余裕があったらだけど、明日の朝、ピンクモスクに行くときは一緒においでよ。それから夜のシャー・チェラッグ廟もね。夜は彼女を連れてきてもいいわよ」

 「…はい」

 佐々木がかまってくれるのはうれしくもあったが、ひとりにもなりたかった。

 今すぐでも麻子のところへ行きたかった。あの笑顔をじかに見られるだけでもいい、とも思った。でも、それ以上のことを自分がしてしまったら…「怖れ」もまた、強くなり始めていた。


 食事を終えて、部屋へ向かう途中で荒木に会った。

 「これから、シラーズのともだちに電話する。それから連絡するから部屋で待っておいで。彼女のことを聞いてあげよう。なにか分かるかもしれない」

 荒木が穏やかな目をして言った。

 「よいか、慌てるなよ、落ち着け。もう君はそわそわして上の空になっているぞ」

 荒木は寄ってくると、陽一のおでこを指でピーンと弾いた。

 「痛っ」

 まるで小学生が先生にやられたみたいだ。

 荒木はただにやにやとしながら、立ち去った。

 なんか佐々木さんにも荒木さんにも「やられ放題」だ。

 

 部屋へ戻った陽一は、さらに落ち着きがなくなった。しかし、からだの節々に力を込めては解きほぐし、容子へ電話をかけた。

 三度ほど鳴って、容子が出た。

 「バレ。あ、陽一君? えーとね、明日、麻子さんは、午前中は誰かを空港に見送りに行くみたい。でも、午後は街に帰ってくるから、また、いつものチャイハネで会うことにしたわ。午後二時よ。場所分かるかなあ。バザールの入り口からは入ってすぐなんだけどね。

うーん、バザールまでなんとか来てくれれば、入り口のところで私は待ちましょう。一時四五分には来るようにして。私はねえ、黒地にピンクの花柄のスカーフをしていく。でも、日本人なんかまずほかにいないから、すぐ分かるでしょう。君のことを信じているから、彼女には黙って会わせるので、本当にヘンなことはしないでね。約束できる?」

 「はい、もちろんです」

 「よし。じゃ明日ね」

 「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」

 「おやすみ」


 手から力がすっぽりと抜け落ちた。

 受話器をなんとか戻すと、ベッドに腰掛けて「はーよかった」と独自した。…二時だったら、午前中はグループと一緒に観光しようか、と思った。

 気持ちが底で緩んで弾んでいた。なんだか薄い笑いが浮かんできながら、今日はもうこのまま部屋にいようか、と考えた。

 

 そのとき電話が鳴った。荒木だと思ってすぐに取った。

 「陽一君か? 外に出られる服装をして、ワシの部屋に来てくれ。・・・号室だ」

 荒木にしては珍しく、ちょっと勢い込んだ口調で、しかも言うだけ言って切られてしまった。なんだろうと思うと、心の端から漣が湧きたち始めた。仕方なく、のろのろと外へ出る用意をした。そして、荒木の部屋まで急いだ。

 荒木は部屋の前で待っていた。

 「遅いな。すぐ出るぞ。あ、今日はすまんが話はなしだ。『信用創造』とか『債権としての金』などの話をしてやろうと思っていたが、それどころじゃない」

 荒木の剣幕に圧倒されつつ、陽一は尋ねた。

 「どうかしたんですか?」

 「どうか、どころじゃない。ワシとしたことが気づかなかったとは…君のことだよ。というか、君の彼女のことだ。君の彼女が会いに行ったのはアリだ。前に話したろう、マリヤムの息子のアリだ」

 「は? 」

 荒木の言っていることは、言葉としては頭のなかで響いたが、なにがどうなっているのか、まったく理解できなかった。

 「このところ、アリにもマリヤムにも会う機会がなかったから、詳しいことは何も知らなかった。しかし、マリヤムの家に日本人が来ているという噂は聞いていた。一度、会わなければいかんな、とも思っていた。君の話を聞いて、すぐにそのことを思い出すべきだった。もっとも噂は一部間違っていて、来たのは男性だと聞いていたのだが…」

 荒木の後を付いていくと、ホテルのロビーへ出た。

 「別のともだちに車を出してもらえるように頼んである。とにかく君はすぐにアリと会うべきだ」

 …ということは、アリとはやはり「あの男」なのか。それが確かなことのように思え始めた。

 うきうきとしていた気分には、すっかり冷や水を浴びせられ、重力が足全体にかかっていた。床から足を持ち上げるように歩いた。

 「さあ、ここで座って待とう」

 到着後、高子がいたホテルのカウンター前のソファに座った。

 「よいか、アリは素晴らしいヤツだ。ヘンなことをするヤツではない。ワシのことが信じられるのならば、アリのことも信じてやってくれ」

 陽一は黙って頷くのが精いっぱいだった。

 少しすると、痩せて背の高いイラン人男性が小走りでロビーへ入ってきて、荒木を見つけると笑顔になった。

 荒木も立ち上がり、ふたりはハグしあった。

 「ホセインだ」

 紹介すると、イラン人男性は満面の笑顔で陽一に手を差し出した。

 がっしりと温かい手のひらの感触があった。

 「さあ、行こう」

 

 ホセインの車はお世辞にも立派とは言えなかった。古いプジョーで、エンジンを蒸かすと、大量の排気ガスを出した。運転はホセイン。荒木は助手席に、陽一は後部座席に乗った。

 「…すいません、もしも麻子も一緒だったら、とても今は会えないです」

 「う~ん、そうだろうな。いきなり三人が鉢合わせというのは無理だろうな」

 「アリの家に行くと彼女がいるから、家に入るのはマズイ。悪いがアリには家から出てもらおう」

 そういって荒木は携帯で電話した。

 しばらくペルシャ語のやりとりがあった。

 「…アリは下半身不随だが、幸い今日は若いヤツがアリの家に泊まりこんでいる。彼の介助で家の前に出てもらい、それからホセインの家へ行こう」

 二〇分くらいだろうか、夜の道路を飛ばす、ほかの乗用車としきりにクラクションのやりとりをしながら、閑静な住宅街に着いた。

 大きな木の門のある、映画に出てくるヨーロッパの家のような雰囲気の家だった。玄関の前には灯りが点いていて、車イスに座った人物と、横に立つ人物のシルエットが見えた。

 そして、家の二階に視線を移すと…カーテン越しに女性のシルエットが見えた。

 麻子…

なぜかすぐに分かった。


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