ペルシアンラヴ 6
と言葉をかけられた。
「ヨルダンのぺトラ遺跡、映画『インディジョーンズ』のラストに登場します。あれも素晴らしいし、またシリアのパルミラ遺跡も壮大ですが、今はちょっと行けませんね。そして、このペルセポリスを併せて『三つのP』と言いますが、どれも歴史の好きな方には行っていただきたいところです」
佐々木がほかのメンバーにも声をかけた。
荒木が先頭に立って、階段を上り始めた。
一行をまず迎えたのは、クセルクセス門。門の両側には、人面牛身有翼の像がある。「万国の門」とも呼ばれ、すべての訪問者はここから入場した。そして本来は控えの間に通じていたと説明された。
「アケメネス朝のペルシャで、世界的に有名なのは浮彫レリーフの素晴らしさです。そして、人物だけではなく多くの動物や想像上の生きものが見られます。残念ながら、人の顔の部分はイスラームの偶像崇拝禁止の教えにより、後に破壊されているものもあります。ここもそうですね。でも、これは過去のことです。現代のイスラームの国々では、歴史と信仰とは区別されています。過去のものを信仰のために破壊するのは愚かな行為です。預言者ムハンマドが現れる以前のことなのですから」
門から進んで行くと、また不思議な顔をした彫像があった。目が大きく、クチバシを持っている。
「これはホマです。首は猛禽類、からだはライオン。西洋でいうところのグリフォンです。知識の象徴であり、また黄金の守護者とも言われています。明後日、皆さまが搭乗するイラン航空のシンボルになっています。覚えていてくださいね」
優が「これゆるキャラにしたら面白くないですか」と陽一に言った。
「いいかもね」と返してやった。
今日も森村親子は和やかで、ことさらに目立つ行動はない。ふたりとも本当に楽しそうで、周辺には明るいオーラが漂っているようだった。周囲の人たちも笑顔になっていた。
さらに進むと、さらに一段と高くなったところに築かれた建物の遺跡があった。高い列柱がいくつも立っている。
「さあ、いよいよペルセポリスのなかでも、圧巻とされている謁見の間のあるアパダーナ宮殿です」
近づくと荒木は列柱を指差しながら、説明した。
「この列柱は約二〇メートルあります。かつては六かける六の配置で宮殿の屋根を支えていました。屋根は焼失しましたが、古代世界で最高の木材とされたレバノン杉が使われていたと言われています。レバノン杉は高さ四〇メートルにまでなりますが、乱伐の結果、今は少数がレバノンで保護されています。」
「さて、浮彫りの素晴らしい東階段へ行きましょう」
「まず、左右の階段に彫られているこれは牡牛を襲うライオンです。これにはいくつもの解釈があります。牡牛は冬、ライオンは夏の象徴というもの、牡牛は豊穣、ライオンは力と高貴、単純に牡牛は敵、ライオンはペルシャなどです。いずれにしても、この力強さと構図は見事です」
「さあ、これからが白眉です。二三か国の使者を描いたものです。羊を引いているのはアッシリア人。ペルシャ建国の五百年ほど前には強国でした。ワインの壺を持っているのはフェニキア人。地中海のあちこちに拠点を持っていた海洋民族です。さらにアルメニア人は馬を、レバノン人は金の腕輪、バビロニアは牛、インドからはスパイス…アケメネス朝ペルシャの属国は二八ありましたが、そのうち二三か国の人々の姿がここでは見られます。それぞれ特徴がよく出ています。服装や帽子も違っています。ほかにペルシャ人、メディア人の高官たちの姿も見られます」
「なんかみーんな平べったい。平べったくてひげもじゃもじゃ」
みゆが明るい声を出した。
ちょっと想像力があれば、この部分だけでも、ペルシャ大帝国の壮大さが実感できるだろう。世界中から、皆がペルシャを目指していた。
レリーフを丹念に見た後は、「百柱の間」に向かった。ここには文字通り、百本の柱があったと言うが、今では基部しか残されていない。往時はさぞ壮麗だったことだろう。「玉座の王」の構図では、二八の属国の臣民が玉座を支えており、王の上には、長い翼をもち、中央に人の顔がある不思議な紋章のようなものがある。ゾロアスター教の守護霊プラヴァシだと言われているそうだ。
「ゾロアスター教は、善悪の戦いがずっと続けられているとする宗教ですが、最後には善が勝つと決められています。その意味では、一神教とも言えます。イランではイスラームが伝わってから下火になりましたが、今も信者がいます。ヤズドという街がその中心で、現存する神殿があります。ゾロアスター教と言えば、拝火教としても知られていますが、ヤズドの神殿には千五百年も燃え続けている火があります。経典は『アヴェスター』と呼ばれています。善悪二元論ですが、その教えは浅薄ではなく、かなり深い部分があります」
「さあ、次に宝庫へ行きましょう」
「ここにはダレイオス一世の頃からの宝が山のように保存されていました。アレクサンダー大王が運び出したとき、一万頭のロバと五千頭のラクダが必要だったと言われています。それだけでも呆れるほどの量ですが、それでも後に黄金の文物が発掘されています。紀元前三三一年に、アレクサンダー大王が攻め落としたのち、略奪の後に四か所に放火したと言います。それでペルセポリスは廃墟と化しました。
また、遺跡というのは石や土気色ばっかりで色気がないなあ、と思う方も多いでしょうが、ここは本来、壁などは彩色されていて、色気たっぷりだったようです。青やオレンジなどで美しく彩色されていたのです。
さて、既に一時間ほど経ちました。まだ、見たい方はそれぞれの王の宮殿へご案内します。自由にしたい方は、四時一五分に入ったところに集合してください」
約半数の人が付いていった。見ていると、みゆは荒木についていったが、村中はひとりで別の方向へ行った。森村親子は、「ふたりだけの世界」に入っていて、笑顔で反対方向へ歩いて行った。
ちょっとひとりになりたくなって、陽一は立ち止まって額の汗を拭った。
「紀元前にはもう存在していたのか。こんな国を治めるというのは、どんな人物なら可能なのだろう」
いきなり肩をちょんちょんとつつかれた。
振り向くと運転手の助手のハミッドがいた。手に濡れた布で包んだペットボトルを持っている。にこにこしながら、飲めと言っているようだ。
ひと口飲んで、びっくりした。ただの水だが、すごく冷たい。メンバーは皆、手回しよくミネラルウォーターのボトルを持っていたが、陽一は忘れていて、ちょうど喉が渇いていたところだから、とても美味しく感じた。
驚いた顔をするとハミッドはますます喜んだ。
「あらハミちゃん、どうしたの」
「お、驚かしたな」
佐々木が笑顔でそばに来ていた。
「えーと、なんでハミちゃんの水が冷たいか、分かる? 気化熱の応用。私も前にびっくりさせられたんだけど、気温が高くて、湿度の低いところで濡れた布やタオルでボトルを包むと、風が来た時に熱を奪うの。それで冷たくなるのよ。あ、ハミ『ちゃん』と言っているけど、実はイランでも親しみを込めて『なになにちゃん』て呼ぶ習慣があるのよ。ねーハミちゃん」
ハミッドがまた満面の笑顔になった。
「どう、面白い?」
「いやー、なんか教科書でしか知らなかった世界と言うか」
「実はねえ、私は遺跡と教会とモスクは苦手。最初の頃は、すごく面白かったけれど、あっちこっちでいろいろ見ているうちに飽きちゃった。こんなことじゃ添乗員失格かな。想像力がとても豊かな人なら面白いかもだけど。私は今、現実に人が生き生きと暮らしているようなところが好きなの」
「佐々木さんくらい、いろいろ見ているとそうなるんでしょうね。でも今日はアッシリアとかフェニキアとか、本当に名前しか知らなかった国の人たちの姿が見られたのは面白かったです」
日本語の会話につまらなくなったか、ハミッドが「じゃ、オレあっちへ行くよ」と身振りして歩いて行った。
「確かに、名前と年号ばっかりじゃ歴史はつまらなくなるわね。私は人物に興味を持ってから、歴史が面白くなった。最初に伊達男だったっていう、フランスのフランソワ一世に興味を持って調べ出したら、その頃の一五~六世紀って、ハプスブルクのカール五世、トルコのスレイマン大帝、イギリスのヘンリー八世と、超個性的な王様が多くて、それぞれの関わりを調べているだけで楽しくなってきた。それからね、歴史を面白く感じるようになったのは。フランソワ一世は、すごいプレイボーイで、オペラの『リゴレット』の残忍なプレイボーイ公爵のモデルになったと言われているけれど、いろいろ調べると『女心は分からん』なんて言葉も残していて、なんかカワイイのよね」
「僕も、学生時代に日本の幕末にマンガから興味を持って、少し調べたことがあるけど、人物からが面白いな…でも、荒木さんの知識量には驚きますよ。なんでも知ってるみたい」
「だってラッキーは、元は東大の助教授よ。当然じゃん」
「え、マジすか」
「もうすぐ教授、ってとこまでいったらしいわよ。日本の古典文学が専門だったらしいけど、芸術関係は古今東西なんでも。経済にも詳しいし、語学も英語、フランス語、ドイツ語、トルコ語、アラビア語、ペルシャ語…えーあとなんだっけな、八か国語くらい喋れるし、天才よね」
「…そんなスゴイ人なんだ」
「あーそう言えば、今回はまだラッキーと呑んでないなあ。今晩辺り言おうかなっと。ふふふ、彼ムスリムでイスラームの神学者のクセに酒を呑むの。絶対に内緒よ」
「実は…」
陽一はちょっと迷ったが、イスファハンから毎日荒木の部屋で酒を呑んでいることを伝えた。
「あーそうだったんだ。それで私を誘わなかったんだ。君はとてもついてる。ラッキーとそんなに話せるなんて。何かあったの? 」
またまた陽一は迷ったが、麻子のことをかいつまんで話した。
「そう、そうだったの…
でも、よかったわね。ラッキーに選ばれたんだ。あの人、今までも悩んでいるひとをたくさん救っている。世界中にそんな人がいるみたい。会ってほしい、相談に乗って欲しいって人がいつもたくさんいて、イスラームの神学校でもスゴイ人気で、彼の講座は立ち見でいつもいっぱいらしい。いつか聞いたけど、イスラーム圏だけでなく、世界中のいくつかの大学から高額の年俸で教授にって話もあるらしいけど、もったいない、全部断ってるみたい。
そんなこともあるけど、相談に乗るのは誰でもオーケーってわけではないみたい。前に『スーフィだったら、誰でも救うべきなんじゃないの? 』って言ったら『高子、そんな簡単じゃないんだ。時期が合っていて、なおかつ、その人との波長が合わないと無理なんだよ。まだまだ、ワシは修業が足りないからな』と言っていた」
なにか「運命」とかそんな言葉が陽一の脳裏にしばし浮かんだ。荒木に出会ったことで、自分も救われるのだろうか。
「ええと、それで明日は一日自由行動にさせて欲しいんです」
「よーし分かった。がんばりなさいね。姉さんもついているから」
背中をぼんと叩かれた。
「あ、そろそろ時間よ。戻ろう」
…バスへ戻ると、まだ荒木はいなかった。バスの奥を見ると、無表情ながら明らかに仏頂面の村中がいたが、みゆもいなかった。
少し経って、荒木がみゆをおんぶして現れた。
「さあ、もう大丈夫かな。バスのステップは上がれるかい」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「いやいや、すいません。お嬢さんが階段で躓いて足首が痛いというので」
みゆは片足を引きながら、村中の隣に座った。
「お前なにやってんだよ」
村中の声は怒気を含んでいた。
「だって…」
みゆは言いかけて、しかしそっぽを向いた。
「さあ、長い一日ですが、あと一か所で観光は終わりです。バスへどうぞ」
佐々木が高齢のメンバーを労わるように声をかけた。
…刻一刻とシラーズに近づいている。麻子の顔が少しずつはっきりとしてくる。できれば笑顔の麻子に会いたい…
「はい、皆さま、これまでのペルシャはアケメネス朝のペルシャでした。今度はササン朝のペルシャです。アケメネス朝ペルシャが、アレクサンダー大王に滅ぼされた後、パルティアという国が、今のイランの領土辺りを支配します。ササン朝の始祖アルデシール一世は、そのパルティアを三世紀に打ち破って、再びペルシャの国を築きました。
これから訪ねるナグシェロスタムでは、そのササン朝の栄光の足跡と、ゾロアスター教に関係した遺跡が見られます」
三〇分ほどで、バスは停止した。
少し歩くと、大きな岩壁が見えてきた。
「ここにあるのは、アケメネス朝のアルタクセルクセス一世、クセルクセス一世、ダレイオス一世、そして二世の墓だと言われています」
大岩壁に刻まれた四つの墓は、いずれも似たようなタテ型。上のほうに墓を守る兵士たちの姿が浮き彫りにされている。
こういう墓って、なんのために築くのだろう。故人が言い遺したから? 後に残された者たちが亡くなった人の偉大さを示して、王朝を安定させるため? 今まで、ただ茫然と見せられるものを見ていた陽一だったが、見せられるものに対して、自分でもいろいろ考えるようになっていた。
「はい、こちらへ来てください」
荒木が手招きすると、岩壁の大きなレリーフの前に導かれた。
騎馬姿の大きな男の前で、マントを翻した男が両手を捧げるかのように出し腰を落としている。
「これはササン朝最大の誇りとなっている史実を描いたものです。騎馬の人物は、ササン朝の始祖アルデシール一世の息子、シャープール一世です。左側の恭順の意を示しているような人物は、ローマ皇帝ヴァレリアヌスです。三世半ばを過ぎ、既にローマ帝国は衰え、皇帝が何人も存在する事態となっていましたが、敵に皇帝が捕えられるとは、前代未聞の恥辱でした。これをきっかけにローマ帝国の滅亡に拍車がかかります」
ローマ帝国と言えば、とにかく強くて大軍団を持っていて、という印象があるけれど、衰退していくといろいろ起きるんだなあ。最後には滅亡してしまうし。どんな国もいいときと悪いときがあるというのも本当なのだろう。ローマ皇帝と言うとシーザー、あと誰だっけ、アウグスなんとか…高校のときは、たくさん暗記していたのに、なんですっかり忘れてしまったのだろう。
「ペルシャについては、日本で手に入る本は少ないと思います。ローマ帝国の歴史については、日本でも優れた本がありますね。歴史に興味のある人には面白いと思います。大帝国がどういう風に築かれて、どう滅びたか。今の世界情勢を紐解くにもおすすめです。けして古代世界の遠い出来事ではないです」
「あれはいい本だね。私は全部読みました」
にこにこしながら吉田さんが言った。
自分も、その本を読んでみようか、と陽一は思った。とにかく知らなかったことが多過ぎる。ギリシャだっけ、自分が無知であることを知っている、と言った人がいたな。あー、そんなことすらちゃんと覚えていない。歴史は大学受験で必須ではなかったし。でも、ただ知らないよりは、知らないことを知りたいって気持ちになるのはいいと言う気がする。受験勉強のときには、食欲がないのに無理に喉に、頭に詰め込んでいるようだったが、今は違う。子どもの頃に、空想的なことにわくわくしていた気分さえ思い出している。
いろいろな知識を「食べたく」なって、ひもじいという感覚さえある。それがとてもよいことに思える。
バスに戻ると、一路シラーズへ。
まだ三月だから、日が暮れてきた。日本よりずっと街灯が少ない暗い道をバスはひたすら走っていく。上りの道をしばらく進むと、やがて前方にシラーズの市街だろうか。街の灯りが見えてきた。陽一には、その灯りは麻子のために輝いているように見えた。
「きれいねえ」と奥様方の声が出た。
「皆さま、シラーズの市街がよく見えます。湿度が少なくて、空気が澄んでいますから、街の灯がきれいですねえ。街の夜景ってなんだかいいですね。灯りを見ていると人がいる、暮らしているって風に思えてきます。ちょっと温かい気持ちになれます。
今までで、いちばん夜景が美しいと思ったのは、ヨルダンの首都アンマンです。七つの丘の都とも言われていますが、やはり季節は同じ頃だったでしょうか、空気が乾いて澄んでいるので、それぞれの丘の人家などの灯りが、まるでダイヤモンドが光っているように、七つの丘にちりばめられて見えました。いつかアンマンも訪ねてみてください。
また、何度も見ていますけれど、航空機でアムステルダムのスキポール空港に、夜到着するときの景色も素晴らしいです。いろいろな光の煌めきが無数に東西南北に広がっています。日本からヨーロッパ線で、夜のユーラシア大陸の上を飛ぶ時も、いろいろな灯りが見えて面白いですね。なかにはなんの灯りだろう、誰か暮らしているのだろうかとかなり不思議に見えることもあります。長い航空機の移動ではお休みになるのがおすすめですが、窓際の席だったら、時には起きて下を眺めてみるのもいいですよ」
佐々木が話した。
「この先で門のそばを通ります。クルアーン門と呼ばれています。ライトアップされているので、バスからですがご覧ください」
荒木の言葉通りに、全体がうっすらと白く輝く門が見えてきた。近くに寄ると上部には美しい彩色もなされている。
「この門の中には古いクルアーンが収納されていると言われています。旅人の安全を守るためです。さあ、皆さま、バラと詩人の街シラーズへようこそ」(つづく)




