ペルシアンラヴ 4
「…ところで数年前に、一〇数年ぶりで日本に帰国したときに驚きました。朝からテレビを見ていたら、肝心のニュースよりも、スイーツやグルメの話や、アイドルタレントみたいな女子アナのふざけたようなプログラムがほとんどなんですね。ヨーロッパとか、いろいろな国の朝のテレビのニュースを見ていますが、日本ほどに気楽な内容の朝のニュースはほかにはないです。まあ、ワタシも美味しいものや女性はキライではありませんが、ちょっと、これいいのかなあとは思いました」
「『愚民政治』というのがあります。おそらく政治というものが出現してから、いや、人類発祥からあるのでしょう。一部のアタマのよい者が、ほかの大勢の愚者をうまく誘導する。そのほうが世の中治まる、みたいなことです。社会全体を考えたら、それがよいケースもあるのかもしれません。でも、行き過ぎた民衆の奴隷化、搾取は許されてはいけないのです」
…しばらく沈黙があった。
「あーすいません。暗くしちゃいました? でも、マジメに考えるほど、今の世の中が怖くなります。でも、なんとかしたいですよね、本当に」
荒木は少しおどけようとしたが、うまくはいかなかった。重い空気は払拭されていない。
「いいよ。荒木さん、先を続けて」
吉田のご主人が明るく言った。
「ありがとうございます。でも、そろそろトイレ休憩の時間ですね」
…バスが到着したのは、日本のサービスエリアとも言えないほどの規模の、店と公衆トイレのある駐車場だった。荒木によると、イランでは産油国なのに国内のガソリンスタンドは少なく、また、サービスエリア的な施設はまだ少ないとのことだった。
トイレは男女ふたつずつで、この先にちゃんとしたトイレがあるかどうかの不安感からか、全員が並んだ。荒木と陽一は、年配の人たちに先を譲り、バスの傍に佇んでいた。
「…世界って、そんなに『陰謀』があふれているんですか」
「おいおい、ワシの話したことは、基本としてウラが取れていることだけだ。ただの『陰謀論』だったら、もっとトンデモなことをいくらでも言えるさ。でも、どんなに確かなことだと思っても、自分でもきっちりと調べなければダメだ。日頃から、欧米のやって来たこと、日本でも政府がやっていることなど、監視する目を持たなければいけない。
政治家は、国民の税金で雇われている連中なんだぞ。だから、その働きぶりはチェックしないとダメだ。毎日、政治のことを考える必要はないが、少なくとも選挙には行かなければいけない」
トイレから吉田さんが戻ってきた。
「荒木さん、ISの話も楽しみにしています。私は『陰謀系』の集会に出たこともありますが(笑)。いいことを言っていても、とんでもない話が混ざることが多いので、出るのを止めました。自分の本を売るためなど、商売にしている人も多いですからね。
パレスチナには、実は日本のNPO団体のツアーで一度行っていますが、占領者として、また土地簒奪者としてのイスラエルの振る舞いは酷いものでした。現地へ行くのがすべてとも思っていませんが、行ってよかった。本当のことがいろいろ分かりましたよ。荒木さんは、世界中いろいろなところへ行かれているのでしょうね」
「ええ、あまり自分は役には立っていませんが、いろいろ見てきました。そして、多くの人にいろいろなことを伝えようと、日々努力している積もりですが、なかなか難しい」
「特に日本人はですね…平和活動と言うだけで、新興宗教の勧誘みたいに思われることも多くありますから(笑)。皆さん、自分のことだけで精一杯だから仕方ないのかも知れません。でも、外側から見ていても、なんだか日本の様子が年々悪くなっているように思います。なんというか、元気がない。下を向いている人が多くなってきているようです。社会の閉塞感さえあるようです」
「外から見ているほうが分かるのかも知れませんね。日本で生きていくのが、年々辛くなっているように私も感じています。いや…世界的にそうなのかも知れません。経済が、健康な血管のように富を社会全体に循環させていないためでしょうか」
「それは大きいでしょう。経済は本来門外漢の私でも、経済格差から来る息苦しさは、日本に行ったときに感じました。一部の企業を除き、産業界全体も売上不振のようですしね、日本は。そもそも世界を考えるのに政治、そして経済を知ることは必要でしょう。私も二十年くらい前に、そのことに気づきました」
「同感です」
吉田さんの笑顔が大きくなった。
「…さて、皆さんもトイレが終わったようだし。ワシも君もトイレに行ったほうがいいだろう」
「はい」
陽一と荒木はトイレに向かった。
長い蛇口のような、水の出る金属のパイプの扱いには、少し手こずったが、無事に流し終わった。
バスは全員を乗せて再び動き始めた。
「では、またツライ話ですが、ISのことを話しましょう」
荒木は笑顔を見せたが、すぐに沈痛な面持ちとなった。
「皆さんは、神風特攻隊のことはご存じだと思います。あれは極端な話、日本人にしか分からないものだと思います。実に無謀なものです。欧米人ならば、あんな負け戦になったらとっくに降伏しているでしょう。では、なんであんなことをしたのか。上からの強制もあったでしょう。でも、それだけで実行した人ばかりではないでしょう。
特攻隊員の最後に残した文章がまとめられた本を読んだことがあります。そこには天皇陛下万歳、なんてことはほとんどありません。残された家族を守りたい、という気持ち、また『自分が死ぬことで、日本の明日へのエネルギーを喚起したい』という思いが読めます。もちろん礼賛する気はありません。やってはいけないことです。でも私も、これでも日本人ですから…」
視線を下に落としたが、荒木はすぐに話を継いだ。
「パレスチナでも一時頻発した『自爆テロ』は特攻隊とは違います。いかなる理由があろうと、民間人に対する攻撃はすべてテロです。今ISなどによって行われているのも同様です。これも絶対に許されません」
「長閑な田園地帯が続きますねえ」
と、一転して荒木は車窓からの風景に視線を移した。
「ワタシは、栃木の田舎で育ちました。ワタシより年上の方も多くいらっしゃるので、皆さま同じと思いますが、子どもの頃は田んぼや畑が本当にそばにありましたね。いろいろな生き物がたくさんいて、毎日がとても豊かでした。
食べものは貧しく、家には『便利』なものは、ほとんどありませんでしたが、飢えることはなく、不便にも思いませんでした。前に日本へ行ったときには、あまりにいろいろなものがあふれているのに、今更ながら驚きました。食べものは、とんでもなく高いものがたくさんあるし、お金さえあればとても生活は快適・便利。お金さえあれば優雅に日々を過ごせます。
…しかし、どうでしょう。人々の表情はますますぎすぎすしているし、いろいろなものに『飢えて』いるように見えました。東京のど真ん中で暮らしていて、餓死する人がいるというのには驚きました。ムカシだったら、そんな人がいたら隣近所で支えていましたよね」
「まったくその通りです。食べものや物質的なことでは、本当に豊かになりました。でも、なんだか不安でしょうがなくなることがあります」
小堀のご主人が言った。
「なんで、ですかね。なんだか飲めば飲むほどに乾く飲みものをずっと飲まされ続けているみたいですね」
吉田さんが続けた。
「世の中に『お金』しかなくなってきたからでしょう。お金で手に入るものは、ほとんどが『より酷い渇き』しか与えてくれないのだと思います」
「なんでこんな話をしたかと言えば、現在テロを乱発している過激派のひとつ『タリバーン運動』は、元々農村の素朴な若者たちが中心になって始めたものでした。今ではテロリストに成り下がっていますが、そもそもはお金中心の物質社会に危険なものを感じて、原初のイスラームに戻ろうということが基本でした。
911が起きて、多国籍軍が戦争を仕掛ける前のアフガニスタンでは、タリバーンは慈善活動に力を入れていました。女性の人権蹂躙はよくないですが、弱い者が守られる社会はかなり実現していました。
また、イラクのフセイン政権、そしてリビアのカダフィ政権も、教育や福祉の面は、意外なほど充実していました。ところがアフガニスタンから『テロリスト集団』のタリバーンは追われ、フセイン元大統領は裁判で絞首刑、カダフィ大佐は民兵に惨殺されました。
ワタシはタリバーンやフセイン、カダフィを弁護するつもりはありません。しかし、利権のために戦争が起き、多くの人々が不幸な目に遭っています。
タリバーンが政権の座から追い出されたアフガニスタンは、かつてのように麻薬生産の大国に戻ってしまいました。麻薬の生産にもアメリカがからんでいるという話があります。CIAなどが麻薬をウラ財源としているという、これはあちこちで聞く話です」
「イラク、リビアの現在の状態も酷いものです。テロが頻発し、まともに社会生活が営めるところはほとんどありません。シリアも民衆を弾圧したアサド大統領はよくありません。しかし、ロシアとイランがアサド大統領を支援し、反政府勢力を欧米が後押しし、泥沼の状態です。難民の大量流入に驚いて、欧米は火消しにやっと動き始めましたが」
「イラクでは、統計によっては三〇万人から四〇万人の民間人が殺されました。リビアでは推定五万人の民間人が殺されています。シリアでは一五万人以上の民間人がすでに殺されています。イラク戦争の前に、フセインは国連の査察団を受け入れ、アメリカの言うことに従っていました。しかし、一方的にアメリカに攻め込まれました。
『空爆』って聞くと、なにかカッコいいなんて思う若い人もいるでしょう。
しかし、実態としては、普通に暮らしている民間の人が突然無意味に、かつ無慈悲に殺されています」
「実は、私は空襲を経験しています」
吉田さんが静かに話し始めた。
「私は五歳でした。母親の手を必死で握って、一生懸命走りました。赤い、熱い、そんなことを思い出します。ただただ怖いということばかりです。しかし、後で母親からいろいろ聞いて、もっと恐ろしいことを知りました。私が疎開(最も空襲の標的となった東京から逃れて地方へ行くことです)したのは静岡市でした。静岡市には軍事施設はほとんどありませんでした。でも、米軍は空襲してきました。そのやり方の残酷さ」
「静岡にはお城があります。その周囲にはお濠があります。米軍の爆撃は、街の周囲から始まります。そして、段々と『輪』を縮めてくるのです。最後には水のあるお濠に人々が集まったところで、お濠に焼夷弾を落としました」
「必死で逃げ続けて、なんとか水のあるところでひと息ついた人たちに、焼夷弾が落とされるのです。親子で焼け死んでいる死体を私は見たという記憶があります。親が子どもを抱えていた。少しでも自分が代わりに熱を受けようとして…」
吉田さんは涙声になっていた。みゆがわんわん泣き出した。
「こら、泣くなよ。赤ん坊みてえだろ」
村中がみゆの肩を抱いていた。
小堀さんも、泣いているのだろうか、うつむいていた。時武さんの奥さんも目を赤くしている。
「すいません、歳のせいで湿っぽくなってしまいました」
吉田さんが、前を向いて言った。
「でも、酷いのは酷い。日本軍があちこちでやったことも責められるべきでしょう。でも、日本軍以外のしたことも、悪いことは悪いと言わなければいけない。空爆、核…私たちは止めさせなければいけない。戦争はダメです」
最後は、いつも穏やかな吉田さんらしくない強い口調だった。
「ありがとうございます。いいお話でした。今、私たちも、そして特に若い世代は戦争のことを忘れてきている、でも忘れてはいけない」
吉田さんと荒木は互いに頷いた。
「さて…普通に暮らしていたところに、いきなり家を攻撃され、家族を殺されたらどうしますか。そんな人たちが今、イスラーム世界だけで何百万人もいるのです。そして、今でも安心して暮らせない。だから難民となってでも、命がけでヨーロッパを目指します。これに対してヨーロッパでは、国によって対応がさまざまですが、元から言えば欧米に責任があるのだから、受け入れて当たり前でしょう。日本だって、イラク戦争のときには、巨額の支援金を出していますから責任があります。ところが、今はアメリカもヨーロッパ全体も、難民排斥の方向に向かっています。
さて、イラクのフセイン政権の残党や、家を破壊され、家族を殺され、欧米に恨みを持ち、また宗派対立の犠牲となった人々は『自分たちで国をつくろう』とし始めました。イラクで欧米の支援を受けたマリキ政権はシーア派で、スンニ派の人々を弾圧、差別しました。これに対しても欧米はほぼ見て見ぬふりです。これもIS誕生の直接原因となりました。
ついでに言えばエジプト。『アラブの春』で独裁ムバラク政権が倒れ、民主選挙で原理系イスラーム同胞団のモルシーが大統領となりました。しかし、『軍事クーデター』で、軍人のシィシィが政権を簒奪しました。これにも欧米はなんのお咎めもなしです。フランスなどは、シィシィに軍艦や戦闘機を売りつけてほくほくです。
テロに遭った時、フランス人はこのことを考えたでしょうか。シィシィはエジプトの民衆が観光業も壊滅状態になり、経済不振で困っているのに、巨額の軍事費を使ったわけです。一般の人はますます窮乏して、テロの温床ができるのに」
「そもそも『アラブの春』ってなんだったんですか? ワタシはエネルギー利権以外に、欧米のグローバル金融界がイスラーム世界も取り込もうとして、画策したことだと思っています。独裁政権だと、グローバル金融資本は入って行けませんからね。アメリカで実際に組織ぐるみで『アラブの春』を煽った団体がいたという話もあります」(つづく)