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ペルシアンラヴ   作者: 藤原去鬼(ふじわらさき)
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ペルシアンラヴ 21

 …まただ、あの人のよさそうな目を見るたびに、つい顔がゆるみそうになってイヤになる。このところ見なかったのに、いつ舞い戻ってきやがったんだ? 


 「ハーイ、元気でしたか? 」

 「このところいなかったじゃないか」

 くそ、なんでこいつに会ってうれしくなるんだ。

 「うん、ちょっと国に帰っていました…そうそう明日、日本からの女性が来ます。紹介しましょう」

 「なんだ…お前の彼女か? 」

 「三人でお茶でも飲みましょう」

 …そんなことできるかい。…ん、なんだあいつは。

 青ざめた顔で近づいてくる。

 

 その青年は後ろ手に持った大きなナイフを、いきなり振り上げて飛びかかって来た。

 「危ない!」

 とっさにアリは上半身をネイサンのほうに投げ出した。

 …振りかざしたナイフは、アリの左の背中に深く刺さった。


 ネイサンは青年を撃とうとしたが、アリが制した。

 「すいません、見逃してあげて…」

「あなたを助けられたのはよかった」

 ここ何十年も「動揺」という状態とは縁遠かったネイサンは、錯乱の一歩手前だった。

 「おい、そんなバカな。なんでお前…オレを、オレを…うわあああ」

 ネイサンは、激しく泣きながら絶叫した。

 「聞いて…お願いです…

あなたは、これまでしてきたことを思い出してはいけない。絶対に思い出してはダメだ。これからのことだけを、これからどうするのかだけを考えて生きてください。あなたが少しでも幸せになれるように…」

 しばしの間、ネイサンはその言葉に聞き入っていたが、アリが目を閉じると、再び叫び始めた。

 「誰か…救急車を! こいつを…この人を救ってくれ。頼む、頼むー」

 

 …それが、マリヤムが不安に囚われ、荒木と陽一の近くを冷たい風が過ぎ去ったのと、ほぼ同時刻だった。 


そして、麻子からの連絡でアリの死が告げられると、禍々しい暗闇に陽一も完全に囚われた。しかし、昏倒したマリヤムの手からスマホが落ちると、我に返ってすぐに拾い上げた。マリヤムの介抱は、佐々木とファーテメが受け持った。


麻子の嗚咽が聞こえた。

 「もしもし、大丈夫か…」

 「…陽一さん? そこにいたのね…少し前に突然からだが震え出して、どうしたのか不安でじっとしていたら、現地の平和運動のメンバーの人から電話があって。

…私、もうダメ。こんなに悲しくて、ぽっかりと穴の開いた気持ちは取り返しがつかない。もう、どうしたって、なにをしたってダメ…私は二度、アリを亡くした…」

 「そうだな…オレも同じだよ。なんだか虚しくて虚しくて、とても悲しい。自分の半分が消えてしまったようだ…」


 しばらく…ふたりともただすすり泣いていた。どこにも明かりはなかった。どこまでも暗い、暗い中を沈んで行くようだった。「虚無」という性質の悪いものが、ありとあらゆるところを満たしていた。


 その時、ベランダに身を乗り出していたファーテメが声を上げた。

 「見て 流れ星!」

 「今日、星が流れるなんて話、聞いてなかった…あ。あそこにも!」

 昏倒したままのマリヤム以外のみんながベランダに寄った。


 信じ難いような流星雨が起きていた。

 呆然として皆が空を見つめていた。


 「…麻子、そこから空が見えるか? 流れ星だ」

 「あ、本当だ…」


 何万年、何億年の輝きを終えて、星々が落ちていく…

 …そして、後には何事もなかったかのように、いくつもの星がいっそうの光で輝いていた。

 

 「あの流れ星はアリ? 」

 麻子が言った。

 「なんだったのだろう…」

 …それから陽一は妙な気分になってきた。底からなにかが湧き上がって、このままでいてはいけない、と感じ始めた。

 

 「…このままじゃアリは喜ばない。悲しんでいるだけじゃ、アリは浮かばれない」

 「…」

「どうしてかな…私もそんな気がしてきた…」


 マリヤムの意識が戻ったのも、ほぼ同時だった。

 「息子は…どんな風に死んだのかしら」

 マリヤムが聞いた。

 「もしもし? アリはどんな死に方をしたの? 」

 「…うん、なんでも誰かを庇って刺されたみたい。ほぼ即死だって聞いた…」

 陽一はそのまま、それをマリヤムに伝えた。

 「息子のことだから、無様な死に方だけはしていないでしょう。そうですか…誰かを庇って死んだのですか…」

 マリヤムの表情は、変わらず沈痛ではあったが、毅然としたものがほんの少しずつだが宿り始めていた。

 「ちょっと貸してください」マリヤムは陽一からスマホを受け取った。そして、

 「麻子さん、大丈夫? 」

 麻子の話にマリヤムはしばしば頷いていた。マリヤムに力強さが戻ってきていた。

「アリは、これからも私たちとともにいます。そのことだけは忘れないで。では、明日は予定通り? 私もなるたけ早く都合をつけるので、麻子さん、先に行って待っていてください」 

 マリヤムは少し頷くと、陽一にスマホを差し出した。

 陽一は軽く頭を下げると受け取った。

 「不思議…だけど、アリと一緒にいるって感じがする。マリヤムにそう言われてからは、もっとそう感じる」

 「なぜなんだろうね…オレも、アリのことを思おうとすると、笑顔の彼しか浮かばなくなってきた」

 「天国に着いたのかも。温もりを感じる? 」

 「『温もり』か。…そうだね、まさにそんな感じ」

 しばらく、そのままでいた。

 まるで宇宙の真空状態の中にいるようだった。

 プラスマイナスがすべて中和されて、ふわふわと漂っているようだった。


 「陽一さん? 」

 マリヤムに穏やかに言われて、はっと気がついた。


 「…また、会えるね? 」

 「うん。いつか…」

 「きっと、だよ」

 「うん」

 「じゃ、気をつけて」

 陽一は、スマホをマリヤムに渡した。

 マリヤムは静かに笑って受け取った。

 「麻子さん。もう心配いらないわね? …よかった。みんな一緒なのよ。うん。では、気をつけて」

 あ、もう一度麻子の声が聞きたかった、と思ったけれど、マリヤムは通話を切ったらしい。

 でも、笑顔で陽一と向き合った。

  「今、麻子さんにも、もう一度言いましたが陽一さん、これからはあなたともアリはずっと一緒です」

 「…それは、天から見守ってくれる、みたいなことですか」

 「いえ、そうではありません」


 「人は誰でも、別の誰かと会う度に、少しずつ自分を相手と分けあいます。それはいいことだけではない、でもイヤなものであっても拒めません。しかし…私は人の「生きる力」はそこから来ているのだと思います。だから、なるたけ多くの人と会った方がいいのです。そして、出会いは『出愛い』でもあります。だから、たくさんたくさんあったほうがいいのです」

「出会いもそうですが、死んだ人たち、死んだ計り知れないさまざまな生命…、愛した人を遺して死んだ人たち…でも、彼らはその都度遺してくれているのですね…」


 そう言って、マリヤムはぼろぼろと涙を流した。

「私のアリ…愛しい子…でも、永遠に別れたのではなく、これからはずっと一緒なのね…いつでも、どこでも…」

 

 「兄弟のように、アリにしていただいたことを彼に代わって感謝します。ありがとう」

 マリヤムはうつむいたままの荒木に声をかけた。

 「…アリからはいろいろもらいました。それに比べたら…」

荒木が涙声で、鼻をずいっとこじりあげた。

不謹慎だが、陽一は落語みたいな表情だな、とも思ってしまった。でも、それがなぜかあたたかい。

荒木がマリヤムに話した。

 「アリは死んだけれど、私と皆さんの元に還ってきたのです。特に、陽一さん。あなたは、新しい力が宿ったように感じませんか? 」

 「不思議ですが、今は虚ろさや悲しさよりも、なんて言うか…暗闇から太陽が昇ってきたような…時間が経つ毎に、温度が高まるような…」

 マリヤムの笑みがさらに大きくなった。

 …その場の誰もが、自然に神に祈るような態勢になっていた。


 マリヤムが穏やかに話し始めた。

 「陽一さん。あなたとアリと麻子さんのホロスコープは、実は森村さんたちより、もっと一致しています。同一人物としか思えないくらい」

 「…こんなこと経験したことない」ファーテメが言った。

 「荒木さんから、ソウルメイトとかツインソウルの話は聞いているかしら」

 マリヤムが陽一に聞いた。

 「あ、はい」

 「あなたと麻子さんと、アリはトリプルソウルなのかも知れない。…だって、ツインソウルがあるってことは、その次もあるということでしょう」

 「トリプルソウル? 」

 「ツインソウルのことは分かりますか? 」

 「はい」

 「…でも、それも人間の勝手に決めた話でしょうね。『ツイン』だけと誰が決めたのでしょう。アッラーがふたつに分けたのなら、それ以上もあるでしょう。…そう考えると、人は皆、兄弟なのかも知れない。兄弟だから、合い和し、反発するのかも。みーんな、実は一緒なのかも知れませんね」

 「ああ、そんな考え方、初めて出来ました…よかった、本当によかった…アリが教えてくれたのでしょう」

 荒木が言った。

 マリヤムは、まだ涙を目に溜めていた。それは神聖なものとも思われたが、安らかさだけがマリヤムから流れてきた。


 荒木がマリヤムの前に立った。

 「…では、恭子も…」

「…まだ、分からないのかしら、あなたほどの人が。もっとも自分のことはねえ…人のためにはなんでもできるのに…」

 その微笑みは小さかったが、どこか永遠を感じさせた。

「彼女はずっとあなたと一緒にいますよ。死んでから、あなたの魂と溶けあったのです。だからずっと一緒なんですよ、これからもずっと、いつまでも…あなたは彼女を失ってしまったと思っているけれど、まったく逆です。ただ罰された、試練に遭わされたとだけ思っていたでしょうけれど、あなた方はひとつに戻ったんです。至上の愛を得たのです。もう決して離れ離れになることはありません。永遠に」

 荒木は拳を握りしめて、俯いた。肩が小刻みに、そして大きく揺れ始めた。


 「少し、ひとりにしておいて上げましょう…」

 変わらず優しい微笑みを浮かべながら、マリヤムは皆を別の部屋へと導いた。

 「想いあっている純粋な魂同士はね、どんな形であれ、必ず結ばれるのよ。誰もがね…」

 …部屋からは、荒木が泣きわめく声が聞こえてきた。まるで赤ん坊のようで、ただ、聞いているだけだと悲惨なものだった。

 でも、なぜか陽一は以前と違って、荒木の悲しさの辛さ、重さはまったく感じなかった。むしろ春の海のような安らかさが自分のなかにも広がって行った。

 

生きていることは、無駄じゃないんだ。


 誰も彼も皆辛いんだ。

 でも、生かされているんだ。

 どうせ、長い歴史を考えたら、みーんな塵芥だ。無意味かも知れない。

 でも、もがいたっていいじゃないか、そして、誰もが幸せになれたら、と思う。もがくのがどのくらいの期間かは分からない、もがく度合いも人によって違うだろう。それでも誰もが「報い」は受けるのだと思う。

 「幸せ」が人によって異なるとしても。

 人の価値は「死んだときになにを遺すか、どう死ぬのか」だけなのかも知れない。想いだけが、幾千幾万の光となって宇宙に飛んで…それを受け継ぐのは、「生のフィールド」に遺された者たちなんだ。

 自分でも驚くほどにすらすらとそんなことが考えられた。


 「陽一さん、分かってくれたかしら? 」

 マリヤムがちょっと謎めいた笑みを浮かべた。

 「…トリプルソウルですか…考えもしなかったです。でも、言われると…」

 「…世の中ってオモシロイわよね。あなたとワタシが会ったことも不思議でしょ? 一週間前に私と会うと思っていた? 」

 悪戯っぽくマリヤムがそう言うと、彼女は十代の少女にさえ思えた。瞬時にこの人は変われるんだ。

 「いえ。…でも、今はすべて受け入れたいと思います。ありがとう」(つづく)

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