じゅう。
修正いたしました。28.2.21
毎日顔を会わせ。変わらず練習を繰り返し。日に日に少しずつその成果をあげる。今日で彼女がこの世界に来て、ちょうど二ヶ月がたった。そろそろジークスの部屋が埋まっている頃だろう。
明くる日もつまらぬだろう言葉の単語の応酬と、慣れ始めれば文字の練習も加えて。同じ人間としか会えずたまに羽を休めて繰り返す作業は根気がいる。
それでも、ようやく形になった成果を見るとイルグルムもミシィも、彼女もホッとしたように笑うようになった。
元々だが彼女は賢い。少し経てばこちらの言葉の意味を理解し、言葉を覚え世界に馴染もうと努力をしている。
その甲斐あって彼女―――アーリ(アカリ)はイルグルムたちとの会話に少しの引っ掛かりを見せるだけで対話が成り立つようになってきた。本人曰く馴染んできたのか、分からなかった言葉が自国の言葉にだんだんと変換され理解できてきて不思議、との事だ。
今では気にしなければ普通なのだが意識して聞き分けるとやはりこちらの世界にある発音は別の音に聞こえるらしい。
最初にかけた魔術が効いてきたのでは?と考えたが許可を得て肌を触れても魔力が感じられず、馴染んだ様子も掴めず結局は分からず終いで謎のままだ。
しかし、こうして練習してくれたおかげで拙くもイルグルムたちの名前を最初に覚え、呼び掛けてくれた事に感動を覚え胸を打たれた。これが喜びなのか―――と鼓動がほんの少しだけ早くなっている事に気づいていつの間にかそう、呟いたらミシィから微妙な………困惑、呆れ、哀れむような何かを訴える視線を寄越すのでそれ以上は何を言っていない。
初めてに近い感覚なのだから困惑して何が悪い、とはさすがにイルグルムも言えなかったと言う事もある。
それからあまり不自然もなく会話が出来るようになったこの頃にようやく名前を伝えられた時のアーリはとても安堵していた。が。
今度はアーリ―――本名、藤田灯の名前がイルグルムたちの世界では聞き取りにくく発音がしにくい事がわかり、フジャタ・アアリになってしまってお互いに苦笑いが生まれる。結局は妥協としてアーリとなった。
そんな時、少しだけ気落ちしてしまったアカリ………アーリを見たイルグルムはこっそり言えるように努力すると決心する。なぜだか理由は分かっていないが、言えるようになりたいと思ってしまったのだから仕方がない。
時おり見せる悲しそうな顔はイルグルムにとって堪えがたいものだ。どんな原理で『贈られ人』となったかはわからないが、なにも知らぬまま来てしまったのだ。少しでも悲しませないようにと彼女の唯一である名前は言えるようになりたいと思えた。
仮面の下でぶつぶつとたまに聞こえてくるが、くぐもって聞こえないためにミシィはとりあえず気に止めないと意思を反らす努力をする。が、さすがにアーリと共に気味が悪くなって止めた。呻き声にも聞こえるそれは表情のない仮面では怖いのだ。
この“言語の壁”について報告を聞いた宰相であるデュラミスは言葉が通じなかったのは『異世界』と言う理由を念頭に歴代の『贈られ人』も通じなかったのではないかと決定付ける事にした。
そして次世代に来るかもしれない『贈られ人』のためにこの時から文献には『言語の壁がある』注意書を書き記したのだった。
それとイルグルムとアーリはうまく出来ているのか?と言う報告はいつまでたっても曖昧でさすがのミシィも濁す事ぐらいしか出来ずに悶々とするしかなかった。
どうしようもない言語の壁が最初に立ち憚ったがそんな今はこの国の歴史やマナーなどを教えているほどだ。マナーの方は生まれもいいところだったのだろう。仕草はミシィが一つ丁寧に教え込めば大体を形にして二、三度ほどで覚えていく。
気を抜けば間違えてしまうようだが、このままであればアーリにとってマナーはそれほど難しくはない。ただ、歴史は少しばかり苦戦しているようだ。
イルグルム達が住むセルディーダ国の歴史は長い。それも含めてアーリの世界とまったくそぐわない物が多く、覚えるのが大変であるからだ。
まず魔物はいないらしい。信じられずにうっかり詰め寄れば頬をうっすらと染めて肩を押し返された。頭に血が上るほど怒らせたらしい。この時の挙動不審ぶりはさすがに見たことがない。そしてミシィからため息が盛大に吐かれた。イルグルムは思わず「なぜだ」と呟くが返ってくる言葉はない。
それは別にいいとして魔物がいないとは実に平和ではないか。と問えば曖昧に返された。確かに凶悪な魔物がいないが代わりに大小の様々な犯罪や事故が常に起こり、他国では兵器を作っていたりと獰猛な魔物より人間の方が危険だと言う。
知恵がある分、狂暴な魔物より危険だと。
それから王制もないらしい。魔術もないらしい。王の名前もこんなに長くない。髪もミシィのように地毛が薄い緑も赤も銀もないらしい。あるのは黒、金、茶を主流に色の濃さが違うくらいだとか。他の色は染料を使って染めなければないとの事。
他をあげればきりがない。風習も違うのだから間違ってはいけないものはこれからミシィが教えていくだろう。
今は―――そう、今は自分の事に集中しなければならないのだ。
「あっ」
「っ!?」
「あ、あの、ご、こめんなさい………」
「大丈夫よ。もう一度最初からいきましょう」
「イーグ?あの、大丈夫?本当に、ごめんなさい」
踏まれて痛すぎるから固まってしまったわけではない。ヒールの踵ではなく爪先だし、全体重がイルグルムの爪先にかかる前にアーリがぱ!と離れていくので痛くはない。
問題なのはそのぱ!と動いた体はどこで支えられているか、である。
今日の教えは歴史ではない。今日はアーリがもう少しミシィやイルグルムの手助けがそれほど必要がなくなった場合、予てよりデュラミス宰相から提案されていた養子縁組みを行い、それからお披露目が行われる事になっているために社交ダンスを教えている。
ダンスの相手は当然ながら選択肢はイルグルムだけで、今もミシィが手を鳴らすゆっくりとしたテンポでダンスの練習をしている。
そんな中でまだまだ始めたばかりのダンスは間違えて踏んだ足を素早く動かすとなればもつれるだろう。案の定、素早く動いたがヒールでの片足立ちは出来ずにイルグルムに寄りかかる形となって動けなくなった。
加えて驚きのあまり勢いよく離れようとするアーリがその反動で一度後ろに倒れているので、そうならないようにぐっと腰を引き寄せたのが悪かったのか。
普段は意識をしない―――むしろ、意識をする習慣さえないのだからこんなに密着すると助けているだけのはずなのにイルグルムの心臓が跳ねる。
ついでに自分の胸元から上目使い、涙目、薄く朱に染まる頬とくれば動悸がおかしくなる。かといって突き放すのはおかしいのではないか。いや、ここはゆっくりと体勢を建て直し距離をとれば………しかし、今下手に動いて恐がらせるのも、と巡り巡って………イルグルムの体は固まった。
ついでに仮面があってよかったと心底思う。自分でも顔が赤くなっているのだとわかっているのだ。仮面とは便利ではないかと最近は思い、改めて不審者と言う言葉に行き着くたびに思い直している。今は落ち着くのを待つしかない。そうだ、待つしかないっ!
「またですか」
「あの………どうしましょう?」
「立ち直るまでアーリ様はそのままでお願いします。もう少ししたら戻るでしょう」
「は、恥ずかしい、のに………ダンスってなぜ、こんなに、密着する、の」
「それが一番美しく、内緒話に適切な距離ですから」
「内緒、話?」
「そうです。それだけ密着すれば誰にも邪魔されません。二人だけの内緒話が出来るのですよ。そして回りから見ると仲睦まじく見えるのでダンスは密着してこそ二人の仲が表せ、美しく踊れるのです」
二人だけ、仲睦まじく、二人の仲を…………少し強く含めればアーリはおろおろと首を動かし始めた。どうやら恋人の内緒話と思ったのだろう。恋人だけではないのだがあ、う、と分かりやすく動揺する姿にミシィはすっかり楽しんでいた。
そんな時にイルグルムが落ち着きを取り戻して胸元で慌てるアーリにどうしたと声をかけるのだからさらにアーリが真っ赤になり逃げ腰になる。
イルグルムがしっかりと腰をホールドをしているので逃げられるわけがない。イルグルムは女性と深く関わったことがないのでアーリの動揺は読み取れないのか表情を仮面で隠しているが故に分かりやすく首を傾げている。
落ち着かせるためにとりあえず離せばいいのに………などと思うがミシィは言わない。足を踏んだだけで飛びはねバランスを崩し寄りかかってしまった恥ずかしさのあまりイルグルムを撥ね飛ばすアーリだ。きっと逃げられると思っている。
二人には夫婦に収まってもらわなければならないのだ。命令ではない。
イルグルムが辿々しくもアーリに近づこうとする姿と、恥ずかしがりながらも初々しくイルグルムを受け入れようとするアーリの姿はとても見ていて微笑ましい。
ようやくイルグルムにいい人が見つかったのだ。『贈られ人』の事を聞いていたミシィにとってこれは間違いないと思っている。
「落ち着け」
「む、無理、です」
「なぜそんなに赤くなる」
「は、恥ずかしい、からです!」
「………なぜ?」
恥ずかしさのあまり狼狽えるアーリは男と親密になった事がないのだな、とミシィには手を取るようにわかって笑ってしまう。
なんだなんだと困惑するイルグルムも見ていて楽しい。このやり取りもだいたい似たような事を繰り返して最後には黙ってしまうのだ。
そしてそれを払拭させるかのようにミシィが手を鳴らして休憩を宣言する。この時の離れようとする二人もまた恐る恐る。離れるだけで怖いものはないはずなのに躊躇う二人は実に見ていてもどかしい。
願わくば二人に恋の女神様が訪れますように………次の予定を組み立てつつ、ミシィはお茶の準備をした。




