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『サイコパスな幼なじみギャルが俺を好きすぎて、GPSを持たせようとしてくる。義妹も先輩も倫理観がバグっているので、俺の青春が毎日修羅場です』  作者: 御神常陸介寛浩(常陸之介寛浩)


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3/10

第3話 幼なじみの距離感、たぶん少し近すぎる

 天宮リカは、学校ではかなり目立つ。


 これは、別に幼なじみ補正で言っているわけではない。


 明るい金髪寄りの髪。校則違反にならない絶妙な着崩し。派手すぎないけれど目を引くネイル。誰とでも自然に話せる距離感。休み時間になると、だいたいリカの周りには女子が何人か集まっている。


 それだけなら、よくいる陽キャギャルだ。


 問題は、俺に対する距離感だけが、なぜか校則どころか社会常識ぎりぎりを攻めてくることである。


「悠真、今日ちゃんと寝た?」


 三時間目の終わり。


 教室のざわめきの中で、リカが当然のように俺の机の横へ来た。


 昨日、保健室へ連行された俺は、リカに「ちゃんと寝る」と約束させられた。約束させられた、という言い方は少し違うかもしれない。小指まで出された時点で、こちらに拒否権はあまりなかった。


「寝た」


「何時?」


「十一時半」


「ほんと?」


「ほんと」


「スマホ見てた?」


「少しだけ」


「少しって何分?」


「そこまで申告する必要あるか?」


「ある」


「ない」


「じゃあ間を取って、だいたい何分?」


「間を取れてない」


 リカは俺の机に手をつき、少し身を乗り出してきた。


 近い。


 普通に近い。


 俺が椅子を少し後ろに引くと、リカは不思議そうに首を傾げた。


「なに?」


「近い」


「幼なじみじゃん」


「幼なじみは免罪符じゃない」


「でも、幼なじみって距離感バグってても許される枠じゃない?」


「そのバグを自覚してるなら修正しろ」


「えー、でも今さら普通の距離に戻ったら、逆に寂しくない?」


「俺の意見を聞いてるようで聞いてないな」


 リカはにこっと笑った。


「じゃあ聞く。寂しい?」


「……急に真面目に聞くな」


「ほら、答えられない」


「そういう聞き方がずるいんだよ」


「ずるくないよ。好きな人の困った顔が見たいだけ」


「それをずるいと言う」


 周囲から、ひそひそ声が聞こえた。


 俺は反射的に教室を見回した。


 案の定、何人かがこちらを見ていた。女子二人が口元を隠して笑っている。男子の一人は「また始まった」という顔でノートを閉じていた。


 やめてほしい。


 俺とリカのやり取りが、クラスの小さな名物になりつつあるのを感じる。最悪だ。いや、たぶん悪目立ちではない。クラスの空気としては軽いラブコメ扱いなのだと思う。


 ただし、こちらとしては毎回命綱なしの綱渡りである。


「天宮さんさ」


 隣の席の女子、橘レイナが笑いながら話しかけてきた。


 リカの友達で、明るくてノリがいい。髪は茶色で、リカより少し落ち着いた雰囲気だが、ギャル友達としてはかなりまともな部類に入る。


 少なくとも、俺にGPSを持たせようとはしてこない。


「悠真くん相手だと、距離近すぎない?」


「近いかな?」


「近いよ。今、ほぼ机に乗り上げてた」


「でも悠真だし」


「出た。便利ワード」


 レイナは苦笑した。


「リカってさ、他の男子とはちゃんと距離取るじゃん。喋るけど、変に近づかないし。なのに悠真くん相手だと、もうなんか……飼い主に突進する大型犬みたい」


「誰が大型犬だ」


 俺が言うと、レイナは手を振った。


「黒瀬くんじゃなくてリカのほう」


「なお悪い」


 リカは少し考えてから、俺の肩に軽く手を置いた。


「じゃあ悠真が飼い主?」


「置くな」


「飼い主じゃないの?」


「違う」


「じゃあ何?」


 何、と聞かれて困る。


 幼なじみ。


 それが一番正しい。


 けれど、リカが求めている答えはたぶん、それだけではない。


 俺が黙っていると、レイナが楽しそうに目を細めた。


「おー。黒瀬くん、今ちょっと詰まった」


「詰まってない」


「詰まってたよね、リカ」


「うん。悠真、こういう時だけ黙る」


「黙らせてる側が言うな」


 レイナは笑ってから、ふとリカを見る。


「でもさ、リカ。黒瀬くんが相手だからって、何でも近づきすぎると嫌がられるよ?」


 何気ない一言だった。


 だが、リカの指先が俺の肩からすっと離れた。


 ほんの一瞬。


 本当に、ちょっとした変化だった。


 けれど俺には分かった。


 リカは笑ったままだったが、目だけが少し揺れた。


「分かってるよ。最近、境界線の勉強中だし」


「境界線の勉強?」


 レイナが首を傾げる。


 リカは俺のほうを見た。


「ね、悠真」


「そこで俺に振るな」


「先生じゃん」


「何の先生だよ」


「普通の距離感の先生」


「俺も別に普通代表じゃない」


「でも、あたしよりは普通」


「それは否定できない」


 レイナが「何その会話」と笑った。


 そこへ、後ろの席から佐伯翔太が顔を出した。


「おい黒瀬。天宮に普通の距離感を教えてるってマジ?」


「勝手に先生にされた」


「お前、責任重大だぞ。下手したら将来、天宮の恋愛倫理観がお前基準になる」


「すでに手遅れみたいな言い方するな」


「まだ間に合うと思うか?」


 俺はリカを見た。


 リカは俺の視線に気づいて、にこっと笑う。


「悠真基準なら安心じゃん」


「ほら見ろ」


「翔太、そういう時だけ正論を言うな」


「俺、友人として警告してるだけだからな」


 翔太は机に頬杖をついた。


「で、今日の天宮さんは何点なんだ?」


「何点って何」


「昨日、保健室イベントで点数つけてただろ。六十点とか七十点とか」


「イベントって言うな」


 レイナが興味津々で身を乗り出した。


「え、何それ。リカ、採点されてるの?」


「うん。悠真に」


「どういう関係?」


「幼なじみ」


「幼なじみって採点制度あるんだっけ?」


「うちらにはある」


「作るな」


 俺がツッコむと、リカはなぜか嬉しそうに笑った。


 レイナは俺とリカを交互に見て、少し呆れたように言う。


「リカって、黒瀬くん絡むと本当に楽しそうだよね」


「そう?」


「うん。なんか顔が違う」


「どんな?」


「普段はギャル。黒瀬くん相手だと、ギャルの皮をかぶった重たい何か」


「レイナ?」


「ごめん、でも褒めてる」


「どこが?」


「一途って意味」


 リカは少しだけ頬を赤くした。


 それをごまかすように、俺の机の上に置いてあった消しゴムを指でつつく。


「別に、そんな重くないし」


「昨日、黒瀬くんに帰宅連絡させてなかった?」


「それは心配だから」


「一昨日、位置共有アプリ入れようとしてなかった?」


「それも心配だから」


「ほら重いじゃん」


「心配と重いは違う」


 俺と翔太とレイナは、同時に黙った。


 リカが不満そうに眉を寄せる。


「なに、その沈黙」


「いや」


「別に」


「考え方には個人差があるなって」


「佐伯くん、それ一番傷つくやつ」


 リカはむっとしながらも、本気で怒ってはいないようだった。


 その顔を見て、レイナがふっと柔らかく笑う。


「でもまあ、リカが楽しそうならいいけどさ。黒瀬くん、ちゃんと嫌な時は嫌って言ってあげてね」


「俺?」


「うん。リカ、変なとこで察し悪いから」


「レイナ、今日ちょいちょい刺してこない?」


「親友の愛だよ」


「痛い愛だ」


 リカはそう言って笑った。


 俺は少しだけレイナを見直した。


 リカには、ちゃんと友達がいる。


 それは当たり前のことのようで、俺には少し安心できることだった。リカは俺に関することになると異様に重いが、学校全体で浮いているわけではない。友達に茶化され、注意され、笑い合っている。


 普通の高校生としてのリカも、ちゃんといる。


 問題は、その普通のリカが俺の前だと時々どこかへ行くことだ。


     *


 昼休み。


 俺は翔太と一緒に弁当を食べていた。


 リカはレイナたちと少し離れた席で購買のパンを食べている。明るい笑い声が聞こえる。リカが両手を使って何かを説明していて、周囲の女子たちが笑っていた。


 ああして見ると、本当に普通のギャルだ。


 いや、普通より少し目立つ。可愛いし、明るいし、空気を持っていくタイプだ。


 翔太が卵焼きを口に入れながら言った。


「なあ、黒瀬」


「なんだ」


「お前、天宮と付き合ってないんだよな?」


「付き合ってない」


「本当に?」


「本当に」


「じゃあ、あれは何?」


 翔太が箸でリカのほうを示す。


 ちょうどその時、リカがこちらを見た。目が合う。リカは一瞬で笑顔になり、小さく手を振ってきた。


 俺は反射的に軽く手を上げ返した。


 リカは満足そうにして、また友達との会話に戻る。


 翔太が半目になった。


「犬の散歩中に飼い主を確認する犬じゃん」


「その例え、さっきも出たぞ」


「出るだろ。あまりにもそれだから」


「俺は飼い主じゃない」


「じゃあ何なんだよ」


「幼なじみ」


「幼なじみって便利な言葉だな」


 翔太はため息をついた。


「天宮、普通にモテるぞ」


「だろうな」


「だろうなって、お前な」


「俺に言われても」


「男子から告られたりしてるの知ってる?」


「……知らない」


「だろうな。たぶんお前に言ってないからな」


 俺は箸を止めた。


 翔太は周囲をちらっと見て、少し声を落とす。


「去年もあったらしいぞ。隣のクラスのやつ。あと、三年の先輩からも連絡先聞かれてたとか」


「詳しいな」


「俺が詳しいんじゃなくて、クラスの噂が普通に流れてるだけ。お前がそういう話に鈍いだけ」


「別に鈍いわけじゃ」


「鈍いだろ。天宮がどれだけ分かりやすくお前のこと好きでも、まだ幼なじみって言い続けてるし」


 俺は何も言えなかった。


 リカが俺を好きだと言う。


 それは、もう疑いようがない。


 本人が言ってくる。朝の通学路でも、教室でも、メッセージでも、さらっと言ってくる。


 けれど、俺はそれをどう受け止めればいいのか分からない。


 リカの好きは、普通の好きとは少し違う気がする。


 いや、そもそも普通の好きとは何なのか、俺にもよく分かっていない。


「……リカがモテるのは、分かる」


「おう」


「でも、あいつ、そういうのどうしてるんだ?」


 翔太は微妙な顔をした。


「聞きたい?」


「その前置きは何だ」


「いや、俺が聞いた話だと、すごい丁寧に断るらしい」


「普通じゃないか」


「ただ、理由がな」


「理由?」


「『好きな人がいるので』って言うらしい」


 俺は弁当の白米を見た。


 急に味がしなくなった。


「……そうか」


「しかも、聞かれたら普通に『悠真』って答えるらしい」


「待て」


「お前、知らなかったのか」


「知らない」


「まあ、天宮らしいっちゃらしい」


 俺は頭を抱えた。


「なんで俺の知らないところで俺の名前が出てるんだ」


「そこ、怒るとこなのか?」


「怒るというか、困るだろ」


「でも嘘じゃない」


「そういう問題じゃない」


 翔太は弁当箱を閉じながら、妙に真面目な顔をした。


「黒瀬」


「なんだよ」


「天宮、ヤバいとこあるけどさ」


「あるな」


「即答」


「否定できない」


「でも、悪いやつじゃないだろ」


「それは分かってる」


「じゃあ、ちゃんと考えてやれよ」


 思っていたより真面目な声だった。


 俺は翔太を見る。


 翔太は少し気まずそうに目を逸らした。


「いや、別に付き合えとかそういう話じゃなくてな。なんか、お前ら見てると、天宮ばっかり重いみたいに見えるけど、お前もお前で天宮に甘えてるとこあるだろ」


「俺が?」


「あるよ。天宮なら分かってくれるとか、天宮ならいつも隣にいるとか、そういうの」


 俺は黙った。


 翔太は続ける。


「天宮が距離感バグってるのは事実。でも、お前がその距離を当たり前にしてるのも、ちょっとあるんじゃね?」


 反論しようとして、できなかった。


 リカが朝、曲がり角にいる。


 俺の寝不足に気づく。


 体調を心配する。


 放課後、何かと理由をつけて話しかけてくる。


 それを俺は、面倒だと思いながら、当たり前にも思っていた。


 もし明日からリカが来なかったら。


 もし休み時間に話しかけてこなかったら。


 もし俺の変化に気づかなくなったら。


 たぶん、俺は困る。


 かなり、困る。


「……嫌なこと言うな」


「友人なので」


「便利な言葉にするな」


「さっきの仕返し」


 翔太は笑った。


 その時、リカがこちらへ歩いてきた。


 片手に小さなチョコ菓子を持っている。


「悠真、これ食べる?」


「さっき弁当食った」


「デザート」


「甘いものは別腹理論か」


「そう。あと、悠真さっきから難しい顔してるから糖分いる」


「また顔で判断したのか」


「うん。眉間のしわ、いつもより深い」


 翔太が小さく吹き出した。


 俺はチョコ菓子を受け取るか迷った。


 受け取れば、リカは喜ぶ。


 受け取らなければ、たぶん少ししょんぼりする。


 そんなことを考えている時点で、俺はたぶん翔太の言う通りなのだろう。


「……一個だけ」


「うん」


 リカは嬉しそうに袋を開け、俺の手のひらに一つ落とした。


 その距離がまた近い。


 指先がかすかに触れる。


 リカは平然としていたが、俺だけが少し動揺した。


 すると、リカがじっと俺の顔を見る。


「今、照れた?」


「照れてない」


「じゃあ何?」


「チョコが冷たかった」


「手のひらに置いただけで?」


「そういうこともある」


「ないよ」


 リカは楽しそうに笑った。


 翔太がぼそっと言う。


「これで付き合ってないの、逆に怖いな」


「佐伯くん、なんか言った?」


「言ってません」


 リカが俺の隣の席に座った。


 そこは今、誰も使っていない席だ。いや、正確には持ち主が昼休みに友達のところへ行っているだけなので、空席ではない。


「勝手に座るな」


「すぐ立つし」


「そういう問題じゃない」


「じゃあ悠真の机の横に立ってる?」


「それも近い」


「難しい」


 リカは本当に困ったように言った。


 俺はため息をつく。


「普通に自分の席に戻ればいいだろ」


「それは遠い」


「遠くない。教室の中だ」


「距離じゃなくて気持ちの話」


 翔太が口元を押さえた。


「黒瀬、今のはわりと強いぞ」


「実況するな」


 リカはきょとんとしている。


 自分の言葉がどう聞こえたのか、あまり分かっていないらしい。


 こういうところが本当に厄介だ。


 天然で重い。


 計算で言っているならまだ対処できる。いや、できないかもしれないが、少なくとも怒ることはできる。


 しかしリカは、時々本気でこういうことを言う。


「リカ」


「ん?」


「そういうの、他の男子には言うなよ」


「言わないよ」


 即答だった。


「なんで?」


「悠真じゃないから」


「……そうか」


「うん」


 リカは当たり前のように頷いた。


 翔太が小声で言う。


「黒瀬、今ちょっと嬉しそうだった」


「嬉しそうじゃない」


「顔」


「見なくていい」


「天宮、今の黒瀬、何点?」


 リカは俺の顔をじっと見た。


「八十五点」


「何の点数だよ」


「照れ隠し点」


「採点基準を増やすな」


     *


 午後の授業が終わり、放課後になった。


 掃除当番ではなかった俺は、荷物をまとめて帰ろうとした。リカはレイナたちと何か話している。今日はこのまま帰れるかもしれない。


 そう思ったのが甘かった。


「悠真、帰る?」


 リカが当然のように隣へ来た。


「帰る」


「じゃあ一緒に帰ろ」


「レイナたちは?」


「今日は駅のほう寄るって。あたしは悠真のほう」


「俺は方角なのか?」


「目的地?」


「もっと悪い」


 レイナが後ろから手を振った。


「黒瀬くん、リカお願いねー」


「俺は保護者じゃない」


「保護対象は黒瀬くんのほうじゃない?」


 レイナが笑う。


 リカは不満そうに言った。


「悠真はあたしが守る側」


「その発言が保護対象っぽいんだよね」


「レイナ、今日ずっと辛口」


「親友なので」


「みんな便利に使いすぎでしょ、その言葉」


 そんなやり取りをしながら、俺とリカは教室を出た。


 廊下には放課後特有のざわめきが満ちている。部活へ向かう生徒。友達と寄り道の相談をする女子。プリントを抱えて職員室へ走る男子。窓の外には、夕方に近い光が差していた。


 リカは俺の少し横を歩く。


 朝よりは近い。昼よりは少し遠い。


 たぶん、本人なりに調整している。


「距離、これくらい?」


 リカが聞いてきた。


「何が」


「歩く距離」


「……まあ、普通じゃないか」


「ほんと?」


「たぶん」


「やった」


 リカは小さくガッツポーズした。


 こんなことで喜ぶのか。


 いや、リカにとっては大事なのだろう。普通の距離感。相手が嫌がらない距離。近づきたい気持ちと、近づきすぎないための線。


 リカは今、それを手探りで学んでいる。


 そう思うと、少しだけ胸が柔らかくなる。


「悠真」


「ん?」


「今日、あたし近すぎた?」


「何回か」


「何回?」


「数えてない」


「じゃあ、三回くらい?」


「なんで具体的なんだ」


「改善には数字が必要かなって」


「恋愛を業務改善みたいに扱うな」


「でも数字あると分かりやすいじゃん」


「じゃあ言うけど、机に乗り出してきたのは近かった」


「うん」


「肩に手を置いたのも近い」


「うん」


「隣の席に勝手に座ったのも近い」


「うん」


 リカは素直に頷いている。


 なんだか先生になった気分だ。


「でも」


 リカが俺を見た。


「チョコ渡した時は?」


「……あれは別に」


「別に?」


「普通だろ」


「ふーん」


 リカがにやっと笑った。


 まずい。


 今のは余計なことを言った気がする。


「悠真、手が触れるのは普通なんだ」


「違う。そういう意味じゃない」


「じゃあどういう意味?」


「文脈による」


「手が触れる文脈」


「復唱するな」


「じゃあ、今は?」


 リカがゆっくりと手を伸ばしてきた。


 俺は一歩横へずれた。


「試すな」


「避けた」


「避けるだろ」


「ちぇ」


「ちぇじゃない」


 リカは笑っていた。


 いつもの明るい笑顔だ。


 でも、その笑顔の奥に、少しだけ安心が見えた気がした。


 俺が避けても、拒絶ではない。

 俺が注意しても、嫌いになったわけではない。

 そういうことを、リカは少しずつ確認しているのかもしれない。


 校門を出ると、夕方の風が髪を揺らした。


 リカが空を見上げる。


「ねえ、悠真」


「今度は何だ」


「今日、普通の幼なじみっぽかった?」


「何だその質問」


「大事」


「普通の幼なじみは、自分が普通の幼なじみか確認しない」


「じゃあ、あたしは?」


「……普通ではない」


「知ってる」


「でも」


 俺は少しだけ言葉を探した。


 リカは黙って待っていた。


 こういう時、前ならたぶん急かしてきた。俺の表情を読んで、勝手に結論を出して、先回りしてきた。


 でも今は待っている。


 だから、俺もちゃんと答えようと思った。


「でも、今日くらいなら悪くない」


 リカの目が少し大きくなった。


「悪くない?」


「ああ」


「それ、褒めてる?」


「褒めてる」


「ほんとに?」


「ほんとに」


 リカは少し黙ったあと、ぱっと笑った。


「そっか」


「そんなに嬉しいか?」


「嬉しいよ。悠真に悪くないって言われた」


「基準低くないか」


「悠真基準は高いんだよ」


「俺、そんな厳しいか?」


「うん。あたしのGPS案、即却下したし」


「それは誰でも却下する」


「感染経路ノートも怒ったし」


「あれも誰でも怒る」


「でも、チョコは受け取った」


「それは普通だろ」


「じゃあ、普通を増やしていけばいいんだ」


 リカはそう言って、少し前を歩いた。


 金色の髪が夕方の光を受けて、やわらかく光る。


「悠真が嫌じゃない普通を、ちょっとずつ覚える」


 その声は、いつもの軽い調子ではなかった。


 俺はリカの横顔を見た。


 リカは笑っている。けれど、それはふざけた笑いではない。


 俺は、何となく胸の奥が落ち着かなくなった。


「……無理すんなよ」


「え?」


「普通になろうとして、変に無理するなってこと」


「でも、普通にならないと悠真困るじゃん」


「全部普通じゃなくていい」


 リカが立ち止まった。


 俺も少し遅れて足を止める。


「え?」


「いや、だから……全部は普通じゃなくていいって言った」


「どういう意味?」


「リカが全部普通になったら、それはそれで変だろ」


「それ、褒めてる?」


「たぶん」


「たぶん?」


「俺もよく分からない」


 リカはぽかんとしていた。


 それから、ゆっくり笑った。


「悠真ってさ」


「うん」


「たまに、あたしより変なこと言うよね」


「心外だ」


「でも、嬉しい」


 リカは歩き出した。


 さっきより、ほんの少しだけ近い距離で。


 俺はそれを注意しなかった。


 たぶん、今日くらいなら悪くない。


     *


 家に帰ってから、俺は机に鞄を置いた。


 スマホを見る。


 リカからのメッセージが来ていた。


『今日の距離感、何点?』


 俺は少し笑った。


 点数制が定着しつつある。


 よくない。

 よくないが、返信しないと明日聞かれる。


 俺は少し考えてから送った。


『八十点』


 すぐに既読。


『高い!』


『減点理由は?』


 自分から聞いてくるのか。


 俺は返信する。


『机に乗り出しすぎ』


『肩に手を置いた』


『勝手に隣の席に座った』


 しばらくして返ってきた。


『加点理由は?』


 俺は指を止めた。


 加点理由。


 そんなものを聞かれると思っていなかった。


 少し考える。


 そして、送った。


『待てたところ』


 リカからの返信は、いつもより少し遅かった。


『何を?』


『俺の返事』


『急かさなかっただろ』


 今度は、すぐに既読がついた。


 けれど、返信はしばらく来なかった。


 数分後。


『そっか』


 短い返信。


 そのあとに、もう一通。


『そういうところ見てくれるの、ずるい』


 俺はスマホを見つめた。


 ずるいのはどっちだ。


 そんな言葉を打ちかけて、やめる。


 代わりに送った。


『明日も普通に来るんだろ』


 返信はすぐだった。


『行く』


『でも距離感は八十五点目指す』


 俺は笑った。


『百点目指せ』


『百点取ったらご褒美ある?』


『調子に乗るな』


『じゃあ九十点でいい』


『下げるな』


『おやすみ、悠真』


 唐突に会話が終わった。


 俺は少しだけ画面を見つめる。


 それから、返信した。


『おやすみ』


 送信して、スマホを机に置く。


 今日のリカは、確かに近かった。


 でも、近づきすぎたら聞いてきた。待っていた。確認していた。少しずつ、自分の距離感を直そうとしていた。


 そういうリカを見ていると、俺は困る。


 怖いだけなら、簡単に突き放せる。


 重いだけなら、逃げればいい。


 でも、リカは怖くて、重くて、それでいてちゃんと人間らしく悩んでいる。


 だから俺は、明日もきっと通学路の曲がり角で足を止める。


 金色の髪を揺らして待っているリカに、いつものように言うのだ。


 おはよう、と。


 そしてリカは、俺の顔を見てたぶんこう言う。


 昨日、ちゃんと寝た?


 その距離感は、たぶんまだ少し近すぎる。


 けれど今日の俺は、それを完全に嫌だとは思えなかった。



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