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浮浪児④

 ヴァンがアオイと出会ってから三週間目。

 いつものように商業広場の一角にて似顔絵を描いていた彼だったが、今日は少しだけ普段と違うことが起きていた。


「――ふん」


 ヴァンの描いた己の似顔絵を眺めながら、ジョリジョリと無精髭をこするのは三十代半ば頃の齢の男。目つきは鋭く、寝癖のついた茶髪。元はそれなりに上質だったであろうことを伺わせる手入れのなってない衣服。

 見た目の第一印象は控えめに言って駄目中年。アオイの言うところの初対面では信用を得られないタイプの人間だ。

 そんな男がふらりとヴァンの前に現れ「俺の絵を描いてみろ」と要求し、言われた通り描いてみれば絵を持ったまま黙り込む。

 貧民街(スラム)育ちで年齢(とし)の割りに度胸のある少年とて警戒心を持たないわけがない。今も何時でも逃げれるよう、ヴァンの視線は逃走経路の確認を怠っていなかった。


「おい坊主、お前絵を描き始めてどれくらいだ?」

「え? だいたい三週間くらいですけど……?」


 しかし口を開いた男の言葉はヴァンにとって予想外のものだった。そしてそれは男にとっても同様で、ヴァンの返事に軽く目を見開いた。


「親はいるのか? 絵は誰から習った?」

「……親はいませんけど今世話になってる人はいます。絵はその人から習いました」


 矢継ぎ早に浴びせられる質問に戸惑いつつも、商売用に叩きこまれた敬語で返す。

 ヴァンの返答を聞いた男は何かを考え込むかのようにじっと黙ると、再び無精ひげをさすり始めた。

 ヴァンがそんな男の様子を不気味に感じ始めた頃、考えが纏まったのか男は口を開く。


「――よし、坊主。お前、俺の弟子になれ」

「……はあ?」


 男から告げられた言葉にヴァンは大きく口を開けた。

 その呆けた様子は奇しくもアオイに絵の勉強をするように言われた時の表情と酷似していたのだった。


◆ ◆ ◆


 夕食を終え三人でまったりとお茶を飲んでいる時の事。アオイが前触れなく切り出した。


「――それでヴァン君はフリードさんのお弟子さんになるんですか?」

「――ブホッ!? ゲホッ……ケホッ……! な、なんでそれを知ってんだよ!?」


 中年の男――フリードとの一件については話していなかったヴァンはお茶を噴き出しむせてしまった。

 なお真正面に座っていた老爺は噴き出されたお茶を顔面に浴びせられ、たいそう微妙な顔をしているのだが二人とも気にしない。


「フリードさんから直接話を伺いました」


 実は物陰から隠れてヴァンの様子を見守っていた隠れ過保護なアオイは、あの後ヴァンのもとから離れたフリードに話しかけたのだ。理由は二人が何を話していたのか気になったからである。


「……あんな奴の弟子になんかなる気はねえよ」


 ヴァンはそっぽを向きながら答えた。

 フリードは別の街に住んでいるらしく三日後の朝には王都から去るらしい。もしもその気があれば街の正門にある乗合所に荷物を纏めて来るように言われていた。

 もっとも全くその気のなかったヴァンはその場で断ったのだが。


「……私はとても良い話だと思っています。フリードさんは私と違い本職の画家さんですし、お弟子さんになればきっとヴァン君のためになると思いますよ」

「……何でそんなことがわかるんだよ? あのおっさん、見た目スゲー怪しかったじゃん」


 断った話を蒸し返されたヴァンは不満気に口を尖らせる。

 アオイからすれば実際に"見た"からわかるというだけなのだが、それをそのまま伝えるわけにもいかない。

 思い返す彼の簡易情報は――


◇ ◇ ◇


 名前:フリード・グレイフォード

 性別:男性

 年齢:32

 職業:画家

 人格:善

 行動:善

 才能:描画54/62

 備考:外見に似合わず中身はむしろ人が良いタイプ


◇ ◇ ◇


 やはりヴァンの未来のためにもこの申し出は受けるべきだと思うのだ。


「ヴァン君との話が終わった後で直接話しましたから。あの人は見た目は確かに怪しい方でしたが、根は善良な性分だと思います」

「…………」


 ヴァン君と同じで――という感想については告げないでおいた。どうにも反発を招きそうな予感があったからだ。

 なので詳細は省いて勧めてみたのだが、赤毛の少年は不満そうに頬を膨らませる。


「……先生はいいのかよ? 俺があいつの弟子になっても」

「……? もちろん良いことだと思っていますよ。正直言って私がヴァン君に絵に関して教えられることは、もうほとんど残っていませんし」


 アオイとしてはヴァンの将来を考えての発言だったのだが、それを聞いた少年はギュッと手を固く握りしめた。


――わかっていない。先生は何もわかっていない。


 しかしその内心を察するにはアオイには経験が足りず、ヴァンには本心を口にする度胸が足りなかった。

 この場で正しく状況を理解できたのは、顔にかかったお茶をタオルで拭き終わったオルグだけである。


「……ふぅむ。よし小僧、こっちゃ来い」

「い、いきなりなんだよ、じいさん」

「ええから大人しくついてこい。アオイ、こいつとは儂が話をするからお前さんはここでじっとしておれ」


 ヴァンの顔を眺めてニヤリと人の悪い笑みを浮かべた老爺。立ち上がるとそのまま少年の手を引っ張り家の奥へと向かって行った。

 残されたアオイは不思議そうに首を傾げたが、言われた通りお茶を飲みながら待つことにする。


(男性同士の方が話が通じるかもしれませんしね)


◆ ◆ ◆


「……で、いきなりこんなところに引っ張り込んでなんなんだよ?」


 三人の寝起きする邸の奥の一室。部屋に散らかる多くの魔術書が目を引くオルグの私室。普段は年少組の立ち入りを禁止している部屋にてヴァンはぼやいた。

 この老爺とも三週間の付き合いになるので二人きりでも別に不安はないのだが、しかし面白げに自分に向けられる視線は妙に居心地が悪い。

 そんなヴァンに人の悪い老爺はいきなり核心をついた。


「小僧……お前さん、アオイと離れるのが寂しいんじゃろ?」

「んなっ!?」


 バレないように巧妙に隠していた――つもりだったことを突然他者の口から告げられたヴァンは動揺を露わにした。


「な、なななななにを、言ってるんだか! さ、寂しいとかそ、そんなわけないだろ!?」


 首をブンブンと降って否定するヴァンだったが、耳まで真っ赤にした表情が言葉以上に少年の内心を示している。

 初心な少年の様子にオルグは微笑ましい気分になった。


(やれやれ……まぁ、今までまともに人間扱いもされとらんかったのじゃろうから無理もないのう)


 アオイに家に連れてこられた少年は、服を食事を寝床を与えられた。そして今まで知らなかった知識や技術を教え込まれた。

 だがもしもアオイがヴァンに優しさしか(・ ・)与えなかったのならば、少年はそれを憐れみとして受け取り反発していたかもしれない。しかし少女は上から押さえつけるのではなく、少年と視線を合わせ時に叱り諫め窘めた。

 悪意や敵意を伴わない叱咤。それはある意味で優しさ以上に少年にとって必要なものだったのだろう。


(おまけに相手は少し年上の美少女じゃからのう……終始無表情なのが玉に瑕じゃが)


 ヴァンがアオイを慕うようにようになっても無理はない。それが恩人への感謝か、家族に向けるようなものなのか、それとも恋慕なのかは分からない。まだ心が未成熟な少年にも区別はついていないだろう。

 おそらくそのいずれもが混じり合ったものだろうというのがオルグの見解だ。


「んん? 小僧がそう言うのなら儂の勘違いかのう。まぁそれならそれでいいわい、これからもアオイの世話になっとればいい」

「――あ゛?」


 オルグが故意に馬鹿にしたような態度を見せると、案の定ヴァンは苛立った様子を見せる。

 まだ幼くとも男である。老爺の言葉が少年の自尊心(プライド)を刺激したのだ。


「おい、それはどういう意味だよ?」

「別に大した意味なんかありゃせんよ。ただまぁ、今のままだとお前さんは何時までもアオイにとっては庇護の対象じゃろうからなぁ」

「…………」


 あの『真眼』を持つアオイが勧めるのだ。会ってはいないがフリードと言う男は悪人の類ではあるまい。

 オルグとてヴァンを好ましく思っているのだ。その才を伸ばす機会(チャンス)があるのならば背を押してやりたい。しかしそれはアオイには無理だろう。だからこそ自分が動くのだ。


「そうさな……若い頃の儂はそれはもう美青年でのう。数多くの美女美少女を泣かせたもんじゃ」

「――いやそれは嘘だろ」

「嘘じゃないわい!」


 過去に想いをはせ感慨深げに呟いたオルグだったが、半眼になったヴァンのツッコミにムキになって言い返した。

 なぜ誰も彼も信じてくれないのか。ともあれ先程までのどこかピリピリとしていた雰囲気はあっさりと霧散していた。


「ゴホンッ。ま、まぁそれは置いといてじゃ。その儂の経験からすると男は一人前になってこそ女の前に立てるというもんじゃよ」

「そもそも泣かせてたら駄目じゃねえか?」

「それは置いとくと言ったじゃろう!」


 辛辣なツッコミを繰り返すヴァンだったが、腕を組むと虚空を睨みながら黙って思案する。

 そうしてその幼い脳裡でオルグに言われたことをじっくりと考え始めた。


◆ ◆ ◆


 ――三日後の早朝。

 王都正門付近の乗合所には都から旅立つ人々で賑わっていた。街から街を行く旅芸人、故郷へと帰る旅行者、逆に地方へと移る街人、都市を繋ぐ武装商隊――と顔ぶれも様々だ。

 そんな中に旅立つ少年を見送る少女と老翁の姿があった。


「いいですかヴァン君。ちゃんと早寝早起きを心がけ、ご飯を食べたら歯を磨くこと。フリードさんの言うことを良く聞いて頑張って学ぶこと。それと何か困ったことがあれば手紙を――」

「わかった! わかったからそんなにクドクド言わなくてもいいよ、アオイ姉ちゃん!」


 最終的にヴァンはフリードの弟子となるのとに決めたらしい。それを直接ヴァンから告げられたアオイは我がことのように喜んだ。

 おそらくオルグと話したことで心境に変化があったのだろうが、詳しくは聞かないことにした。二人の様子からきっと秘密にしておきたいことなのだろうと思う。

 ちなみに"先生"呼びは改めさせた。アオイが教えられる技術はもうないし、これからの少年の"先生"はフリードだ。最初は渋っていたヴァンだったが、オルグが耳打ちすると顔を赤くしながら"姉ちゃん"と呼び始めた。


(……けど何度も見ても馴れませんね)


 アオイの視線の先には多くの荷物を乗せられた荷車を引く動物の姿。ただし彼女の知る"馬"ではない。その姿は一言で言うと――"鳥"だった。

 鶏のように逆立った鶏冠(とさか)、猛禽のように鋭い瞳、炎のように紅い羽毛、そして恐ろしく発達した二本足。アオイの知る中で最も近い形状の動物を挙げるなら駝鳥(ダチョウ)だろうか。

 初めてこの鳥を街中で目撃した時は目を疑ったものだが、オルグに聞いてみればこれが常識らしい。性質は温厚で従順、それでいて度胸もあり脚力・体力も凄まじいので騎士団で騎乗する者もいるそうだ。

 これからヴァンを預けることになる中年画家は、そんなビックリ鳥類が牽引する鳥車にすでに乗り込んでいる。


(さて……最後にこれだけは言っておかねばなりませんね)


 アオイは腰をかがめてヴァンと視線を合わせる。


「な、なんだよ、アオイ姉ちゃん?」


 吐息のかかりそうな近距離で見つめられ動揺するヴァン。しかし――


「ヴァン君、君の持っていた『スリ』の才能ですが……取り戻したいですか?」

「……っ!」


 ――アオイの言葉にヴァンは目を見開いた。 


 見つめ合う二人の間を沈黙が支配する。

 感情を読み通せない夜空のように黒い瞳。その瞳が真っ直ぐにヴァンを射抜いた。

 考える――告げられた言葉の意味を、それを口にした理由を、自分の答えから繋がる未来を。

 考えて考えて考えて――ヴァンは答えを出した。


「――ううん、その才能は俺にはいらないものだ。だから戻さなくていいよ」

「本当にいいんですか?」

「ああ、いらない。それを持ってたら絵の勉強に打ち込めない気がするからな」


 決して賢い選択とは言えないだろう。これから先の未来に保障はない。もしもの時を考えたらたとえ『スリ』という才能でも持っておくべきなのだろう。

 だが少年はあえてその選択を否定した。アオイに言った言葉は本当だが、同時に少年の意地であり決意表明でもあった。


「――そうですか」


 そんな少年の強い意思を宿した瞳を見つめていたアオイは軽く頷く。この才能は元々少年のもの。もしも彼が戻してほしいと言えば返すつもりだった。やろうと思えば少年に気づかれることなく『付与』することも可能だろう。

 しかしアオイはヴァンの返答を聞き、彼の意思を尊重することにした。少年がその選択をしてくれたことが素直に嬉しい。


「な、なぁ姉ちゃん。俺さ、これから絵の勉強頑張るからさ……」


 アオイの緩んだ気配を察したヴァンは緊張でつっかえつっかえになりながら言葉を紡ぐ。

 彼女のもとから離れる前にどうしても言っておきたかった。いろいろと世話をしてくれたこと、絵を教えてくれたこと、自分を叱ってくれたこと、


「それでもしも一人前になれたら――」


 なによりもこの想いを。

 ヴァンは全身は緊張でガチガチに強張っていた。動悸は激しく打ち鳴らされ、息は自然と荒くなり呼吸すら辛い。顔は耳まで真っ赤に染まり両手は皮が破れるほどに強く握り込まれる。

 そんなヴァンを前にして、不思議そうに首を傾げる少女に想いを告げようとして――


「姉ちゃんの絵を描かせてもらっていいかな!?」


 肝心なところでへこたれた。

 アオイの後ろで様子を窺っていた老爺は「あちゃー」と片手で顔を覆い天を仰ぐ。

 しかしここがヴァンの限界だったのだ。むしろ今までまともに人付き合いもしてこなかった幼い少年としては精一杯頑張ったと言える。

 勇気を振り絞ったヴァンの願いにアオイは、


「――はい、その日が来るのを楽しみにしています」

「……ッ!」

 

 その瞬間、少年は目を見張り息をつめた。


◆ ◆ ◆


「おい小僧、おい! ……ったく、呆けやがって。いったい何があったんだ?」


 ルブームと呼ばれる紅の鳥に引かれる鳥車の中でフリードはボリボリと頭をかいていた。原因は今日から彼の弟子となる赤毛の少年である。

 予定通り王都を出るために乗合所に赴いた今朝方、保護者連れで現れ弟子入りを承諾してきたのだ。

 保護者の一人が"あの"オルグレッド・レオニス・マルガ・ローデス・フェルデザルクだというのには驚いたし、異国風の容姿をした少女からは脅すように「くれぐれもよろしくお願いします」と言われたがそれはいい。

 もとより才能を見込んで勧誘したのだ。甘やかすつもりはないが、騙すつもりも虐げるつもりもない。

 

(あの嬢ちゃんと別れの挨拶をしてたみたいだが……何かあったんかね?)


 しかしこれはどうしたものか。

 隣の席に座る弟子は虚空をボーッと見つめ心ここにあらず。声かけても目の前で手を振ってみても一切反応なし。

 邪魔をするのも悪かろうと、鳥車の窓から様子を見ていたフリードには状況がまるで分らず困惑しきりだ。

 そしてこれから世話になる師の心境など知らない弟子は――


(~~~~~ッ!!)


 ひたすらにも先程の出来事を思い返していた。

 少年は見たのだ――桃色の唇を微かにほころばせた微笑みを。

 時間さえも止めてしまうような―――アオイのそんな透明極まりない微笑を。


 ――絵にしたい、今すぐにでも。

 だが駄目だ。自分の今の技量ではとてもではないが、あの瞬間の感動を描写しきることなど出来ない。その確信がある。

 ならばどうするか――決まっている。精進あるのみだ。そしてもう一度、今度こそあの微笑みを自分の手で絵として残すのだ。


「おい、おっさん! 絵だ、絵を教えてくれ! 早く早く!」

「やっと動き出したと思ったら……何だってんだ小僧。そんなに慌てなくとも俺の家に着いたら教えてやるよ。それとな、おっさん呼ばわりはやめろ、先生と呼べ」

「鳥車の中でも教えられることはあるだろ。あと俺は小僧じゃない、ヴァンだ。ついでにあんたを"先生"と呼ぶ気はない。他の呼び方にしてくれ」


 密かに弟子をとったら先生と呼ばせようと思っていた中年は、この言葉に「ぐぬぅ」と唸った。

 しかしヴァンとしてもこればかりは譲れない。本人からは否定されたが、己が"先生"と呼ぶ相手は一人だけだと決めていた。


「わーったよ。それじゃあヴァン、俺のことは師匠と呼べ。そうだな……技術的なことはともかく知識的なことくらいならここでも教えられるだろ」

「ウスッ! これからよろしくお願いします師匠!!」

「……えらい良い返事だなぁ、おい」


 少年のあまりの切り替わりの速さにフリードは思わず苦笑した。




 ――いずれ新進気鋭の若手画家として王都でも知られることとなるヴァン・グレイフォード、その若かりし頃の決意の日の出来事であった。

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