第1話 バカのフリは命がけ
「おい、蓮、お前のクラス、全員名前の書き方忘れたバカの集まりなんだって? ほら、焼きそばパン。ダッシュで買ってこいよ」
神楽坂高校の2階廊下。
他クラスのサッカー部エースである男が、俺の胸元を乱暴に小突き、クシャクシャの千円札を押し付けてくる。
「ひぇっ、す、すぐ行ってきます! 焼きそばパンですね!」
俺――蓮は、情けない声を上げてヘコヘコと頭を下げた。
クラスメイトからは『パシリ委員長』と鼻で笑され、他クラスからはゴミのように見下されているのが、俺の表の顔だ。
千円札を握りしめ、全速力で廊下を駆け抜けながら、俺は耳の奥に仕込んだ超小型インカムのスイッチを舌で押した。
『――こちら、コードネーム【ウルフ】。ターゲットB、肉体的接触を確認。こちらの戦闘力偽装は完璧に機能。ただの調子に乗った高校生です。いつでも殺せます』
俺の情けない声は消え、冷徹なプロのトーンへと切り替わる。
すぐにインカムから、クラスの『ガリ勉オタク枠』である情報担当の声が返ってきた。
『了解、ウルフ。焼きそばパンの購買ルート上の防犯カメラ、3分間だけ映像のループ改ざんを完了しました。いつでもどうぞ』
『悪いな。ついでに今の男の全SNSアカウント、実家の銀行口座、過去の万引きの証拠をすべてサンプリングしておけ。有事の際の肉盾に使える』
俺たち私立神楽坂高校2年Xクラスは、学校一の落ちこぼれが集まる隔離クラスと呼ばれている。
だが、その正体は違う。
世界最大級の軍事複合企業・一条財閥。
その総帥の愛娘であり、親の因縁から常に世界中のテロリストから命を狙われ続けるお嬢様――一条冷華を一般社会に溶け込ませつつ、完璧に護衛するために編成された、超一流のプロの殺し屋、スナイパー、ハッカーたちの集団。それが、俺たちXクラスの正体だ。
俺たちの最優先ミッションは「お嬢様の防衛」、そして「プロだとバレないこと」。
そのために、他クラスからのいじめやパシリにも、あえて100点満点の『無能なバカ』を演じて溶け込んでいるのだ。
*
「ちょっと一条さん。没落寸前のバカ令嬢のくせに、その顔面だけは生意気よねぇ」
放課後。女子トイレの洗面所。
他クラスのいじめっ子女子グループが、我が主である一条冷華お嬢様を取り囲んでいた。
手には、カッターナイフ。そして、給湯室から持ってきたであろう、湯気の立つ熱湯の入ったマグカップ。
お嬢様をパシリにしている俺たち護衛も含めて、彼女たちはXクラスをまとめてゴミのように扱っている。
「うう、ひどいですわ……。私、何もしていませんのに……」
お嬢様は怯えたように肩を震わせ、今にも泣き出しそうな声を出す。
誰もが見れば同情する、可哀想な被害者の姿。
(――はぁ。退屈。ねえ蓮、天井裏で見てるんでしょう? このゴミ共、はやく片付けて頂戴)
だが、インカムから聞こえるお嬢様の地声は、ゾッとするほど冷酷で、退屈しきっていた。
彼女もまた、完璧にバカな被害者を演じているだけなのだ。
『御意。お嬢様、そのまま3秒間、硬直の演技を。――ハッカー、カメラを止めろ。ヤンキー、廊下の見張りを気絶させろ』
『完了です、委員長』
女子トイレの天井裏。
狭い隙間に音もなく伏せていた俺は、愛銃であるタクティカル・ピストルを抜き放った。
銃口には、長大なサイレンサーが装着されている。
「その澄ました顔、これできれいに切り刻んであげるわよ!」
いじめっ子のリーダー格の女子が、邪悪な笑みを浮かべてカッターナイフを振り下ろす。
お嬢様の白い頬に、刃が届く――その直前。
パシュッ!
極小の消音銃声が、狭いトイレに響いた。
「キャッ!?」
いじめっ子女子の手の中で、カッターナイフの刃がピンポイントで粉砕され、火花を散らした。衝撃でナイフが手から叩き落とされる。
「えっ!? な、なに!? カッターが急に爆発した!?」
驚愕する女子。間髪入れず、俺はもう一発引き金を引いた。
パシュッ!
放たれた9ミリ弾が、もう一人の女子が持っていたマグカップの『取っ手』だけを完璧に破壊する。
ガシャーン!と激しい音を立てて床に落ち、飛び散る熱湯。
「あっちぃ! な、なんなのよこれ! 呪われてるの!?」
「ひっ、お化け!? もう嫌、帰りましょうよ!」
突如として起きた『偶然の不可解な事故』に、いじめっ子女子たちは顔を真っ青にして、パニック状態でトイレから逃げ出していった。
あくまで偶然の事故。俺たちは毎日、こうしていじめっ子を銃火器で裏から処理している。
静かになったトイレ。
お嬢様は衣服の汚れをパッパと払い、天井を見上げて艶然と微笑んだ。
「ナイスショット、蓮。相変わらず腕だけはいいわね」
「恐れ入ります、お嬢様。ですが、一般人を相手にするには、サイレンサー付きとはいえ拳銃を使うのは少々過剰防衛かと」
天井の換気口から、俺は音もなく床へと着地する。
お嬢様はふう、と小さくため息をついた。
「仕方ないでしょう? 『一般社会に溶け込む』というパパの命令だから我慢しているけれど……毎日焼きそばパンを買いに行かされるあなたたちも、私をいじめてくるゴミ共を泳がせるのも、もう限界よ。はやく全員、合法的にミンチにできればいいのに」
「その時が来れば、我々Xクラスがいつでも先陣を切りますよ」
俺は銃を懐へ隠し、再び『頼りないパシリ委員長』の笑顔を作った。
――俺たちの日常をが崩壊しかけていることも知らずに。
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