12.ツン多め、デレ少々。でも、それがいい。
翌朝。
玄関に向かう途中、蓮はキッチンから漂ってくる香ばしい匂いに足を止めた。
「お、いい匂い……」
リビングに入ると、芽衣がエプロン姿で目玉焼きを焼いていた。紗耶はソファで髪を結びながらスマホをいじっている。
「おはよう、お兄ちゃん。眠そうじゃん」
「おはよう。昨日歩きまくったからな。遊園地って、意外と体力使うな」
「だよねー。わたし、帰ってから即バタンキューだったし」
芽衣が皿を並べながら笑う。
「二人とも、朝ごはんできたよ。先に食べてて」
「ありがとう芽衣。……ってか、本当女子力高いね」
「まーね!」
芽衣が誇らしげにウインクすると、紗耶が小さく笑う。いつもならそのまま冗談を返すはずの蓮だったが、どこか様子が違った。
昨晩の遊園地で見た、それぞれの表情。
紗耶がわずかに顔を赤らめたあの瞬間も、芽衣が蓮の袖をそっと掴んだ場面も、頭から離れなかった。
「……柚月からLINEきてた。『また遊ぼーね!』ってさ」
紗耶がスマホを見せながら、なにげなく言った。
だが、その口調は少しだけ、どこか引っかかるものがある。
「ん、そうだね。また行けたらいいな!」
「ふーん……ま、ヒマなら付き合ってやってもいいけど」
視線をそらす蓮。
芽衣がその様子にクスッと笑っていた。
* * *
学校の昼休み。
蓮がパンをかじりながら、クラスの前を通り過ぎた時。
「ねーねー、昨日柚月って誰と遊んでたの? なんか男といたって聞いたけど~」
「え? あー、それ、たぶん……」
ちらりと目が合った瞬間、紗耶はバツが悪そうに視線を逸らした。
──あれ? なんで俺、隠されたみたいになってるんだ?
柚月と一緒にいたのは事実だし、なんなら紗耶もいたのに。
ちくりと胸の奥が痛む。理由はわからないけど、その小さな違和感だけが残った。
* * *
放課後。
蓮が昇降口で靴を履いていると、後ろから軽い足音が近づいてくる。
「蓮くん、おまたせー」
声の主は芽衣だった。制服の裾を軽く整えて、小さく笑う。
「紗耶は?」
「委員会。ちょっと遅くなるって」
「そうか。じゃあ先に帰るか」
二人並んで歩く道すがら、芽衣が少しだけ口を尖らせた。
「ねぇ、蓮くんって……柚月ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「え?」
「べ、別に気にしてるわけじゃないけど、昨日からちょっと気になってて……」
芽衣の声は、風に紛れそうなほど小さくなっていた。
どっちだよ。と、蓮は苦笑しながら、空を仰ぐ。
「柚月は、紗耶の友達で……ちょっとおもしろい子だなって。それだけだよ」
「ふぅん。なら、よかった」
芽衣がホッとしたように笑った。
その無邪気さに、蓮はなんだか逆に胸がざわついた。
家に帰ると、リビングにはまだ誰もいなかった。
蓮と芽衣はなんとなくダイニングに並んで座り、テレビをつけた。
「……なんか、静かだね」
「そうだな。いつもより余計に静かに感じる」
ぽつりと、芽衣がつぶやく。
「蓮くんさ……最近、ちょっと変わった?」
「え、そうか?」
「うん。なんか……優しくなった、っていうか」
「……それ、前は優しくなかったってこと?」
「ちがうっ、ちがうけど! でも、今の方が、もっと……あったかい感じがする」
芽衣の視線が、真っすぐに蓮を見ていた。
その視線を受け止めきれなくて、蓮は照れ隠しに立ち上がった。
「ちょっと風呂沸かしてくる」
「……うん」
リビングを出た瞬間、背後で芽衣が小さく笑ったのが聞こえた。
その笑い声が、なぜかやけに心に残った。
湯が沸くのを待ちながら、蓮は洗面所の鏡の前で自分の顔を見つめていた。
芽衣の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
(優しくなった、か……俺、変わったのかな)
そんなことを考えているとちょうど玄関の鍵が開く音がした。紗耶が帰ってきたのだろうと思い、リビングへ向かった。
「ただいまー」
紗耶だった。制服のブレザーを脱ぎながら、リビングに入ってくる。
「あれ、芽衣だけ?」
「ああ、お兄ちゃん今ちょうどお風呂沸かしてるとこ」
「ふーん。……昨日はごめん。なんか、わたし、調子くるってた」
言いながら紗耶はソファにどさっと腰を下ろす。芽衣はにこにこしながら答えた。
「だいじょーぶ。柚月ちゃんと遊園地の話してたら、もう忘れちゃった!」
「それはそれでムカつくんだけど……まあいいか」
紗耶が少しだけ笑って、洗面所から出てきた蓮と目が合った。
「……蓮くんも、変わったよね。なんか、最近ちょっと“大人っぽい”っていうか」
「またそれか……」
苦笑いを浮かべながら、蓮はソファの背にもたれる。
「俺は俺のままだよ。ただ、いろいろ、慣れてきただけ」
「ふーん。だったら、ちょっとは甘えてみてもいい?」
「は?」
「もうすぐ夏休みだからさ、どこ行きたい? 遊園地だけで満足?」
現在は6月中旬。蓮たちの通う高校は七月初頭から夏休みに入るのである。
紗耶の問いかけに、芽衣も乗っかってくる。
「そうそう、あたしもまたどっか行きたいなー! 今度は、お姉ちゃん抜きでもいいかも!」
「ちょっと芽衣!?」
三人の声がリビングに響く。
もうすっかり、この家での時間が“当たり前”になっているのを、蓮はふと実感していた。
(なんだかんだで……楽しいのかもしれないな、こういうのも)
そんなふうに思いながら、湯が沸いた合図を聞いて、蓮は立ち上がった。