13.夏期講習は、出会いの教室?
夏休み初日。といっても、さっき終業式が終わって帰宅したばかりなので、実質的な休暇は明日からだ。
今年の夏はダラけて過ごすわけにはいかない。三年生になる前に、少しでも受験に向けて準備をしておきたい。そう思って申し込んだのが、学校が提携している予備校の夏期講習。今日から3日間、高校英語を総復習する講習だ。うちは、あんまり金銭的な余裕もないのでな。
「いってらっしゃい、蓮くん! ……えへへ、ちょっと言ってみたかっただけ!」
玄関先で芽衣が笑って手を振ってくる。芽衣も帰ったばかりなのに、もう部屋着に着替えている。
「ありがと。じゃ、行ってくるわ」
あまりに自然な“家族っぽさ”にちょっとだけ照れつつ、俺は家を出た。
◆
夏期講習の会場は、駅前にあるビルの五階。空調の効いた教室には、同じ高校生らしき姿がぽつぽつとあった。
(知り合い、いないといいな)
……いや、いるといいのか? でも、紗耶や柚月みたいなテンションで来られると、勉強に集中できる自信がない。
そんなことを考えながら指定された席に座ると、隣にすでに座っていた女子生徒が一瞬だけこっちを見て、ぺこっと小さく頭を下げた。
(……同じ制服? 同じ学校?)
地味な印象の女の子だった。前髪は目にかかるくらい長く、メイクもしていないように見える。
「えっと……同じ学校、だよね?」
俺が思い切って話しかけると、彼女はちょっと驚いた顔をしてから、そっと頷いた。
「う、うん……。二年の、C組です。三好……奈々です」
「あ、俺はB組の風間、蓮。よろしく」
名前を聞くと、少しだけ表情がほぐれた気がした。
「こちらこそ……よろしく、お願いします」
◆
講義が終わると、自然とふたりで会話をしながら帰る流れになった。彼女は物静かで、どちらかというと人見知りタイプらしい。でも、質問には丁寧に答えてくれて、何となく波長は合う気がした。
「……受験、がんばらなきゃだよね」
「そうだな。俺も、夏は勝負だと思ってる」
「……そういう人と、一緒に講習受けられて、よかったかも」
その言葉に、なんとなくくすぐったい気持ちになりながら、俺は「俺も」と返した。
新しい夏の始まりに、新しい誰かと出会った――そんな感覚が、少しだけ心に残った。
電車で数駅、帰り道は互いに多くを話すわけでもなかったけど、沈黙が苦になることもなかった。
車窓の向こうを流れる夏の空は、どこまでも青かった。
最寄りの駅で降りて、改札口の前で軽く会釈を交わす。
「じゃあ、また明日……講習で」
「うん。気をつけて帰ってな」
三好は軽く頭を下げてから、足早に去っていった。
……なんか、ちょっと不器用なところ、かわいいなと思ってしまったのは、俺の気のせいだろうか。
と、ふと足元を見ると、小さなカードのようなものが落ちているのに気づいた。
「ん……? これ、学生証……」
拾ってみると、案の定そこには「三好奈々」の名前と写真が載っていた。
……言って渡す間もなかったし、明日講習でまた会うならその時に――そう思って、念のため持っておくことにした。
◆
家に帰ると、ちょうど芽衣がリビングでスイカを食べていた。
「おかえり〜! どーだった夏期講習!」
「まあまあ……って感じ。でも、一緒の学校の子と隣になってな。三好っていう」
「へぇ、女の子?」
「……お前、探偵かよ」
「フフーン、義妹の勘ってやつ?」
あっけらかんと笑う芽衣に、つい笑ってしまった。やっぱこの家は、帰ってくるとほっとする。
「今日は紗耶ねえ、夜まで柚月ちゃんたちと遊んでくるって。夕飯どうする?」
「じゃ、俺が作るわ。買い出し付き合ってくれ」
「はーい、シェフ・蓮くん!」
そんなふうに、日常はいつも通りに流れていく。
でも、机の上に置いた三好の学生証が、そこに新しい何かが混ざり始めていることを静かに示していた。
◆
二日目の講習。
指定された教室の席につくと、しばらくして、昨日と同じように三好がひょこっと入ってきた。
「あっ……おはようございます」
「ああ、よかった。来たんだな」
「? はい、昨日と同じで……あ、あのっ……」
彼女が席につこうとした瞬間、俺はバッグから学生証を取り出して差し出した。
「昨日、駅で落としてたみたいで」
「――えっ! あっ、わ、私の……!」
三好は顔を赤くしながら学生証を受け取った。
その手が、少し震えていた。まあ、俺じゃなかったら紛失・盗難の可能性も否めなかった。
「ありがとう……ございます。ほんとに……気づかなかった……」
「まあ、明日会えるだろって思って持って帰っただけだけどな」
「……助かりました。な、なんか、すみません……」
ぺこぺこと頭を下げる三好を見て、俺はちょっとだけ口元が緩み、少し調子に乗ってしまった。
「あのさ」
「……はい?」
「講習、終わったら……ちょっとだけ寄り道しねえ? 駅の本屋とかさ。今日も電車同じっぽいし」
「えっ……え、ええっ……」
昨日とはまた違う種類の驚きが、三好の顔に広がっていく。
……ま、その反応も嫌いじゃなかった。
夏は、まだ始まったばかりだ。




