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無言夜曲  作者: 星水晶
第5章 グウィディオンへ
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 本館でゆっくりしたのち、そろそろグウィディオンへ行くことにしました。森屋敷ではもうすっかり準備を整えて待っていてくれるとのこと。本館にある車椅子と同じものが、あちらにも用意してあるそうです。森屋敷の家令は、わたしが子どものころはフィッツロイ爺やでしたが、今は引退して、当時見習いだったクレイが勤めているそうです。クレイはオスカー兄と同じ年頃で、わたしとアーサーが小さい頃は、よく二人を追いかけて遊んでくれとねだったそうです。主馬頭のジョエルはもうすこし年上ですね。

 家政婦はテニソン夫人で、こちらは変わりがないとのこと。テニソン夫人というかヘイリーと言った方が早いです。おばあさまの侍女を長く勤め、おばあさまが森屋敷にお住まいになったときに、森屋敷の家政婦に就きました。いつもにこにことした人で、子どものように小柄で丸顔、くるくるとよく動く働き者。おばあさまは時々「ヘイリーは家小人の血が入ってるんだよ」と冗談をおっしゃるほど。おばあさまの所に遊びに行くと、いっしょに焼き菓子を作ってくれました。アーサーは男の子だから、つまみぐい専門でよく叱られましたね。

 森屋敷はおばあさまが亡くなってからは、馬も本館に戻し、人手も減らしていたのですが、今回わたしが住むというので、すっかり手を入れて整えてくれたそうです。それを見るのも楽しみです。グウィディオンは勤める人も選ぶので、前にいた人たちが喜んで戻ることにしてくれたそうです。新しい人も何人かいるそうなので、会うのが楽しみです。

 本館とグウィディオンの距離は、馬車で一日かかるほどです。箱馬車に乗りこむのは、わたしとスワニー、サザランド先生。本館の主馬頭のジョエルも同行していますが、わたしたちをグウィディオンに送ったら本館にもどります。ジョエルは森屋敷に置く馬を連れてきているのです。ジョエルとスワニーはもちろん、グウィディオンには何度も行ったことがありますが、サザランド先生は初めてなので、森屋敷が先生を受け入れてくれるかどうか、少し心配なのですが。おとうさまは「先生なら大丈夫」と太鼓判を押してくださいました。


 初夏の森は深い緑と浅緑がモザイクのようにちりばめられ、夏の花をつける木、実らせる木、小鳥の鳴き交わす声、セミの声など、命にあふれています。農地から原野へ、そして森林へ移動するほどに、それは明らかでした。もうじき、グウィディオンが見えてくるはず。わたしの胸はどきどきしています。そうです。グウィディオンでの暮らしは、今よりずっと安寧なものになるでしょう。わたしには強い守りがあるからです。そのかわり、後継者である勤めも果たさなくてはなりません。


「なんだかものすごい森ですね」


 サザランド先生が馬車の窓から外を見ながらおっしゃいました。


「あれがグウィディオンの太古の森ですわ。公爵領の外では『迷いの森』と呼ぶ人もいますけど」


 スワニーが答えています。先生が開けてくれた窓から、森のにおいが流れ込んできて、わたしは胸いっぱいにそれを吸い込みました。


「ただいま」


「おかえり」


 森がこだまを返すような気がします。枝がしなって、木々がざわめいて、木漏れ日がきらきらと踊ります。

 周囲の木々はどんどん深く、密になり、その間を一本の道だけが通っています。道はちょうど馬車がゆったり通れるほどの幅で、丈の低い野草で絨毯のようになっています。ここより前では普通に田舎道だったのですが、グウィディオンに向かう一本道にはいると、この様子になりました。これは昔からで、人の手ではなく、自然にこうなっているのです。道の両側の木々はまるで並木のようで、けっして道をふさごうとはしません。枝も道の上には伸びてこないので、日の光がさして、道は間違えようもなくはっきりとしています。この道の果てにグウィディオンの森屋敷があります。

 緑の道の果てにぽっかりと空間があき、田舎風の小ぢんまりとした屋敷が建っています。両側と後ろには柵囲いがありますが、正面にはありません。屋敷の前は庭になっていて、裏手には菜園があります。右手は厩ですね。ジョエルが連れてきた馬たちが入る予定です。厩の奥は家畜用の囲いがあり、ここからは見えませんが、ヤギやブタや家禽が飼われています。

 馬車が止まると、正面扉が大きく開いて、森屋敷のみなさんが総出でお出迎えのようです。てきぱきと馬車から馬をはずして、副え馬として繋がれてきた子たちも連れて、厩へ向かうのにジョエルがついていきます。手荷物もどんどん下ろされて、これも屋敷内に運ばれ、片付けられるのでしょう。ヘイリーが新しい車椅子を押して来たので、わたしはサザランド先生に手伝ってもらって、馬車から車椅子に乗り換えました。


「みんな、ただいま」


「おかえりなさい、イリスさま」


 クレイとヘイリーが声をそろえて言ってくれたのが、胸にじんと浸みこみました。あっという間に、わたしの車椅子は森屋敷のみんなに囲まれて、歓迎とおしゃべりのるつぼに呑み込まれていました。初対面のはずのサザランド先生も、唖然とするほど自然にその輪の中にまきこまれました。ヘイリーが「先生は鹿とブタとどっちが好き?」と聞く横から、「酒はいける口ですかね」と、これは庭仕事担当のハル。侍女のコレットが「さすが都会の男はちがうわぁ」とうっとりするのを、なぜかスワニーがひじでつつくといったありさま。


「鹿とはめずらしい」


「ゆうべ裏庭に落っこちててねぇ」


「今年は黒ビールの仕込みがよくできてさ」


「先生はヤギのチーズは大丈夫?」


「うまければ何でも食べますよ」


「うちの料理番は腕がいいよ。ちょっと頑固だけどさ」


「天気がよくて、敷布もぱりっと乾いたから、気持ちよく寝てもらえるわ」


「この車椅子、先生が作ったんだって」


「いや、作ったのは家具職人で」


「チェリーパイよりチョコレートケーキがよかったかねぇ。今日のデザートは」


「おれは、さぁ……」


 おしゃべりの洪水を止めたのはクレイでした。


「いいかげんにしろ!イリスさまがうちに入れないじゃないか!」


 わたしは車椅子にすわったまま、おなかが痛くなるほど笑いました。


 わたしの部屋は二階になっていました。寝室と書斎と居間と脇部屋が続いていて、居間と寝室からは広いベランダに出られるようになっています。ベランダから見えるのは、グウィディオンの森です。二階へ上がるのには、正式な表階段ではなく、新しく中央に階段ができていました。階段というより、数段分ごとにゆるい斜面と広めの踊場が繰り返しあるもので、車椅子での上り下りが楽にできる上、斜面には浅い桟が打ってあり、一気に落ちる心配もありません。手すりもあり、歩いても無理なく上れます。これは前にはありませんでしたね。誰がいつ作ったのでしょう。サザランド先生もしきりに「これは工夫してある」と感心しておいででした。

 二階の間取りも、おばあさまがいらした時とは違っています。先生のお部屋は家令のクレイの隣で、どちらも二間続きになっています。ヘイリーの部屋は料理番のヒルデガードの隣で、一階にあります。スワニーの部屋はわたしの隣ですが、それ以外の住込みの使用人は三階に部屋があります。女性と男性は区分けされていて、二階に下りないとそれぞれの区域には入れません。週に二回通ってくる洗濯係と、週一回の鍛冶屋のためには、予備の部屋がありました。厩番のジェフリーと奥さんのサラは厩の二階に住まいがあります。サラはヒルデガードの助手で、台所の調理以外を仕切っています。

 森屋敷は半分以上自給自足なので、日用品や食料の一部などを本館から運ぶ馬車便も月に二回ほどで大丈夫なのです。

 ここはまるで、大きな家族のようです。


 案ずるまでもなく、サザランド先生は屋敷の全員に尊敬をもって受け入れられました。そして、何事もなく朝を迎えたところから、森屋敷自体にも受け入れられたものと思われます。森屋敷が気に入らない訪問者に何をするのか、当人でないと実はわからないのですが、一説には、寝台が寝苦しく、深夜に物音が続き、廊下や階段でつまずき、扉が開かなくなり、室内に水が一滴もなくなり、着替えが全部裏返しになり、靴紐が切れ、悪夢にさいなまれて眠れず、非常に不快な朝を迎えるのだそうです。

 こんな目にあう人は今ではめったに出ないそうですが。おばあさまが爵位にあった頃に、無理やり押しかけたある貴族とその従者がそんな目にあったといいます。二人は夜明けとともに森屋敷を飛び出して、一目散に逃げていったとか。森屋敷に押しかけた理由が、グウィディオンで鹿狩りをする、というのでは、屋敷に拒まれて当然ですね。むしろ、実際に鹿狩りを強行していたら、おそらく命にかかわる事態だったでしょう。森屋敷のおかげで、イヤな目にあっただけ、命拾いをしたことになりますね。

 ええ、グウィディオンに入ることのできるのは、シプリス家の血縁の者だけ。グウィディオンで生き物を故意に殺すことは許されません。


 翌日、ぐっすり眠ったわたしは、クレイの提案で、森屋敷に仕える全員の挨拶を受けることになりました。ジョエルは連れてきた馬たちの世話の引継ぎを、厩番のジェフリーと無事にすませ、「本館もあまり長くあけられないから」と、お昼前には単身馬で帰るそうです。ありがとう、お疲れさまでした。

 朝ごはんを食べると、玄関ホールに出向きました。わたしの車椅子を押すのはスワニーです。わたしの横にはサザランド先生が立っています。向かい合わせにずらっと並んだのは、森屋敷のみなさんです。クレイが一人ずつ紹介し、これからの仕事を割り振るのです。もちろんよく知っている人が多いのですが、初めての顔ぶれもあるので、紹介は全員です。


「森屋敷の家令を勤めます、クレイです。本館との連絡もわたしがいたします」


 はい、よろしくお願いします。


「森屋敷の家政全体を束ねています、ヘイリーです」


 ヘイリー、いつまでも元気でいてね。


「上女中のコレットとポーラです」


 コレットはスワニーと同年代で、本館でおかあさまの侍女でした。ポーラはわたしより若くて初めて会う人だわ。


「ポーラはソニアの妹です」


 あら、ソニアはおばあさまがお住まいの頃、下働きに来ていたわたしと同じ年の人です。たしか結婚して辞めたと聞いたっけ。そういえばどこかしら似てるわ。


「二人とも、イリスさまの侍女になりますので、よろしくお願いいたします」


 こちらこそ、よろしくね。


「イリスさまの侍女頭は、引き続きスワニーが勤めます。二人とも、スワニーは王宮で女官も勤めた一流の侍女なので、よく教えてもらうように」


 スワニーが会釈したようですね。


「下女中のマリーとドリスです。屋敷の掃除と台所の下働きをします。二人ともウルスリー村の出身です」


 うん、ウルスリー村は森屋敷から一番近いところにあるかわいい村です。何度も遊びにいったので、村の人はよく知っていますね。二人とも、村長の孫じゃなかったかしら。


「料理番のヒルデガードと補佐のサラです。調理はヒルデガードが、食器や食材の管理はサラがいたします」


 またおいしいものを食べさせてくださいね。


「厩番のジェフリーとその助手のキットです。キットは本館のジョエルの従兄弟です」


 キットはマリーやドリスと同じくらいの年でしょうか。まだ少年といっていい年頃です。がんばってね。


「外働きのハルとダニーは、庭仕事や菜園の世話、家畜の世話をします」


 ハルもダニーも、おばあさまのおいでの頃からの顔なじみですね。草木の名前や、小鳥の名前を教えてくれたりしましたよ。ハルはアーサーがお気に入りでしたね。


「通いの洗濯係のエルシーとローズは火曜日と金曜日に、鍛冶屋のガイルは水曜日に、ウルスリー村から通ってきます」


 三人ともよく知ってますよ。エルシーは洗濯干しを手伝うと、エプロンから「ないしょですよ」とこっそりアメをくれる人。ローズはハンカチや下着のレースをピンとさせるこつを教えてくれましたね。ガイルは無口ですが、すごく力持ちで、やはりアーサーをかわいがってくれました。


「こちらがサザランド先生です。イリスさまの主治医で、王宮の医務官でもあられます。みんな失礼のないように」


 サザランド先生が困った顔をする中、みなさんきちっとお辞儀をしました。


「では、イリスさまにお言葉をいただきましょう」


 え、そこでわたしに振りますか、クレイ。何も聞いてないですよ。ぶっつけ本番ですか。


「イリスフィールです。療養のためグウィディオンに帰って来ました。まだうまく歩けないので、車椅子に乗ります。お世話をかけますが、よく知っている人も初めての人もよろしくお願いします」


 みんなざわざわ。うーん、いきなりで、あまりうまい挨拶じゃなかったからかな。


「イリスさま、もうずっとグウィディオンにいらっしゃるんですか」


「グウィディオンを継ぐ者だって聞いたんですけど」


「王宮にはもう行かなくていいの?」


「ずっとここにいて、体を治してください」


 あぁ、みんな、心配してくれてありがとう。すごくうれしい。


書き溜めていた分が尽きました。しばらくお待ちください。

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