ちょっとワガママ
少し前まで動いて喋っていた人間も、死んでしまえば動物のエサだ。
大量の死体を放置しておけば、ヘタすると疫病の温床になる。
つまり、もはや死体だらけのこの街に住み続けることはできない。
翌朝、男は目を覚ますと、荷物をまとめた。
この終わった街を出て、別のコミュニティに参加するのだ。もしそんなものがあれば、だが。
「え、どっか行くの?」
「そうだ」
昨日の女はまだ居座っていた。
しかもどこかの部屋を勝手に使って、ぐっすり一眠りしていたらしい。もうそれらは誰のものでもないのだから、特に問題にはならないが。
女はボサついた髪のまま、斜め下から顔を覗き込んできた。
「まさかとは思うけど、友達を置いていかないよね?」
「ああ、そうだな。友達は置いていかない。もし俺に友達がいればだが」
「いるんだよねぇ、いま、お兄さんの目の前に」
まったくめげない。皮肉も通じない。人として大事ななにかが壊れているとしか思えない。
男は荷物をまとめながら、こう尋ねた。
「恥も外聞も捨て去って質問するよ。消去法でこれしか思いつかなかったからな。あんた、なぜ俺に固執するんだ? まさか俺のことが好きなのか?」
返事はます舌打ちで来た。
女は不快そうに目を細めている。
「この勘違い野郎がよォ……」
「いや、好きじゃないならそれでもいいんだ。けど、だったら理由を教えてくれよ。ほかに理由が思いつかないんだから。だいたい、理由もなくついてこられたら怖いだろ。人はなんにでも理由を求めてしまうものなんだ」
「人は? 主語が大きくない?」
「大きくない。質問に答えられないなら置いていく」
また舌打ちが出た。
「お兄さんさ、人の心とかないワケ?」
「なくはない」
「見てよ、この世界! もう滅んじゃってるじゃん! つまり、誰とも出会えないの。会話の通じる相手には、特にね。言うなれば、長いこと宇宙を旅してた人間が、やっと知的生命体に出会えた感じなのよ。そしたらこの大虐殺でしょ? みんな死体になっちゃってんだから、もうお兄さんとお友達になるしかないじゃない。あたしに選択肢なんてある? ねぇ? どう思う?」
圧が強い。
男はいちど作業の手を止め、女を見た。正面から目が合ったが、あまりにもキマりすぎていたため、すぐさま視線をそらした。もしメデューサに元ネタがあるのなら、たぶんこの手の女だったのであろう。
「いいか。あいつはこの街を暴力で支配してたんだ。だから是正しようとしたら……結果として虐殺になった。悪いのはあいつだ。あいつがお行儀よくしていれば、俺だってムダな労働をせずに済んだ。いわばブルシット・ジョブだ。いや、料金さえ発生してないんだから、ブルシット・ボランティアだな。いや、ボランティアでさえ料金が発生するケースがあることを考えると、俺の扱いはもっとひどい。つまりこの世界がひどい」
「話が長い」
「苦情はこの世界に言ってくれ」
「主語が大きくない?」
「大きくない。反論は受けつけない。喋るな。呼吸もするな。俺はいま忙しいんだ」
「んぐーっ」
女は素直に呼吸を止めようとしてアホ顔になっている。
ただでさえヤバい目がさらにヤバくなっている。
どうしようもない。
*
荷物をまとめた男は、旅立ちの前にバーカウンターへ立ち寄った。
すべての酒を運ぶことはできないから、いまこの場で飲めるだけ飲んでおくしかない。
「そういえばあのジュース飲んだあと下痢になったんだけど。もう水みたいなのがびゃーっと出てさ。死ぬかと思っちゃった」
「そうか。だが、その報告は俺が酒を飲み終えてからにしてくれ」
「あ、ごめん。いまのはわざとじゃないよ。でも友達なんだからさぁ。楽しいお話は共有したいじゃん?」
「そ、そうだな」
下痢で楽しめるのは子供だけだろう。
いや、子供でさえ顔をしかめるかもしれない。
だからこの手の話は、一部の特殊な嗜好の相手にするのがいいだろう。きっと喜んでもらえるはずだ。
女はしばらく冷蔵庫をあさってから、「どうせこれも下痢確定じゃん」と言いながらドアを閉めた。まったく反省していない。
「ねえ、お兄さん。もしかしてあたしたちの出会い、運命だとか思ってない?」
「まったく思ってないです」
心の距離が敬語となって出てしまった。
お兄さんの心は確実に傷ついている。
「ま、運命じゃないかも。でも、ただの偶然でもないんだよね」
「なにか導線があったと?」
「そう」
「……」
答えはイエス。
だが、男がどれだけ待っても、女は中身を言わなかった。
「どんな導線が?」
やむをえず男が尋ねると、女はダブルピースで応じた。
「ワロリンチョ! 言わないってことはさ、つまり言わないってことじゃん」
「大臣の答弁かよ。あとそのワロリンチョってのはやめてくれ。精神衛生上よくない」
「あ、イラついちゃった? いいじゃん。お互いさまなんだし。今後もお互いの精神を削ってこうよ。友達じゃん?」
「友達っていうか拷問官じゃないか?」
人間は完璧ではない。
中には傷つけてくる友人だっているだろう。
しかしこの女は傷しか与えてこない。マイナスしかない。害そのものだ。目つきもヤバい。成人した女が臆面もなくセーラー服を着用しているのもいくらか許しがたい。
女はやれやれとばかりにおどけた表情を見せた。
「拷問官? それ、本気で言ってる?」
「本気じゃないけど。少なくとも俺の知ってる友達の関係じゃない」
「お兄さんの想定する友達ってなによ? 言ってみ? セクハラ以外で」
完全にセクハラ認定されている。
昨日のことをまだ引きずっていのか。
「俺にとっての友達ってのは、何年かにいっぺん会うかどうかってヤツのことだよ」
「友達いねーだけじゃん」
「いるんだよ。あんたと違ってな」
「……」
「いるよ」
「……」
女の顔面から、みるみる表情が失われていった。
大袈裟な演技かもしれないが。
そこかしこでカラスが喚いている。
一面エサだらけでさぞ嬉しかろう。
カラス以外もいる。
女は完全にしょげ返り、黙り込んでしまった。
男は気づかないフリで瓶からビールを飲んでいる。
時間だけが過ぎてゆく。
あるとき男は立ち上がり、棚から袋詰めのチョコを手に取った。それを開封してテーブルに置く。
「食べる?」
「うん」
「ビールとチョコって合うんだよね。ピーナッツもあれば最高なんだけど。もう誰も農業なんてやってないだろうから、いまとなっては貴重品だ」
「うん」
女はチョコの包みをとって、口に放り込んだ。
黙って味わっている。
男は仕方なく酒を飲み続ける。
カラスがケンカしている。
他の縄張りから出張してきたヤツがいたのだろう。
やってることが人間と同じだ。
いや、人間が動物と同じなのかもしれない。
「いるもん……」
女が、突然そんなことを言い出した。
「えっ?」
「友達。いるし」
「ああ、ごめん。勝手に決めつけて……」
「昨日できたばっかりだけど」
「……」
あきらかに男のことを言っている。
だが、反論しづらい雰囲気であった。茶化したら余計に面倒なことになる。しかも女は、おそらく「こっち側」の人間。戦闘になったら泥仕合になる。
男は頭の中で慎重に言葉を選び続けた。
「友達っていうのはさ……。なんていうか……。互いに分かち合える存在だと思うワケよ。俺はね。あくまで俺の意見ね」
「だからチョコくれたの?」
「いやまあ……そう……かな……」
「じゃあお友達ってことでいいの?」
「そ……うかも? いまにして思えば、そこまで否定するほどのことでもなかったし……」
成人した男女が、友達かどうかでモメている。まるで学生レベルのやり取りだ。
女はダァンとカウンターを叩いた。カラスたちが一斉に静まるほどの勢いで。
「だったらいるじゃん! あたし、友達いるんじゃん! なんでさっき違うみたいに言ったの!?」
「え、急に怖……。落ち着いてくれよ。ホントに」
女は血走った眼球のまま、ぐっと顔を近づけて威圧してきた。
「友達の縁ってのはさぁ、そんなに簡単に切ったりつないだりできないんだよ? 分かる?」
「こっちはずいぶん簡単につながれた気がするんだが」
「はい? じゃあつなぐほうは簡単でいいわ。でも切るのは簡単じゃない。分かるよね?」
「試合中にルール変更しないでくれ」
「試合じゃない! 戦ってないんだから! あーっ! 怒ったらまた下痢しそう! 怒らせないで!」
「いっかい座ろう。ね?」
「あたしもお酒飲もうかな」
「いや、君は飲まないほうがいいんじゃないかな」
男はまるで爆弾でも解体している気分であった。
誤った刺激を与えれば、爆発しかねない。
「なんで飲んじゃいかんの? もう未成年じゃないんですけど?」
「バッグにミネラルウォーターあるから。これ飲んで。いまたぶん水分足りてないんだと思う」
「うん」
ペットボトルの水を与えると、女は両手で抱えてごくごくと飲み始めた。
おそらく実際に、下痢のせいで軽い脱水になっていたのであろう。
「ぷはぁ。落ち着いたぁ。っぱ水よ。人体の七割は水だし」
「うん、そうだね……」
「あ、チョコもいっこ食べていい?」
「好きに食べてくれ。いっぱいあるから」
女はにこりと笑みを浮かべた。
「お兄さん、もしかして優しい人? だって、あたしがちょっとワガママ言っても怒らないんだもん」
ちょっとワガママ?
明らかにそんなレベルではなかった。
しかし幸い、そこに触れないだけの理性が、この男には備わっていた。
「もう少ししたら、この街を出よう」
「置いてかない?」
「置いてかないよ。新しい街に行って、新しい友達を作るんだ」
そしてその友達とやらにこの女を押しつけるのだ。
さもなくば男に自由はない。
女は満面の笑みだ。
「あー、はいはい! だったらあたし、修学旅行の続きがしたい! ほんで新宿行って、鎌倉行って、京都行って、奈良行って、川越行って、ほんで……沖縄も行く!」
「海外は?」
「えー、マジで? 海外もアリなん? けどあたし、英語分かんないしさぁ」
「補陀落とかいいんじゃないかな? 君にオススメだよ」
「なにそれぇ? 聞いたことないんだけどぉ。お兄さん、もしかして海外とか詳しいタイプ?」
「いや、たまたま知ってる場所言っただけだよ」
補陀落は浄土である。
生きたまま行き着いたものはいない。
男はつい小粋なジョークを言いたくて、補陀落などと口走ってしまった。だが、それがなんなのか女にバレてしまったら、またしても先程の発狂を食らうハメになるだろう。
決して知られてはならない。
口は災いのもととはよく言ったものだ。
「えーと、もっとチョコ食べる?」
「食べる食べる! え、ヤバ。お兄さん、もしかしてあたしのこと好きだったりする? あー、でもごめん。あたし、お兄さんみたいな人タイプじゃないんだよね。ごめんねごめんねぇ」
「ははは、まいったな……」
今回も「死ねよ」という言葉を飲み込んだ。
かなり偉い。
ノーベル平和賞の候補になっていないのがおかしいレベルだ。
カラスはずっと喚いている。
もはやここらは人間の支配するエリアではない。
そのことを、彼らも理解したのだろう。
(続く)




