構造主義者とコスプレ女
「構造主義ってどう思う? もうそんなの古いよって言う? いや、どうかな。俺はそうとも言い切れないと思うね。なぜなら……。そうだな。たとえば、あんたは人間だし、俺も同じ人間だろう。つまりあんたにとってイヤなことは、大部分は俺もイヤなんだよ。そうだよな? けど、あんたはそんなことちっとも気にしなかった。なんでだと思う? いや、考えなくていい。どうせ分からないだろうから。理由がなんであれ、もし他人のことを障害物かなんかにしか見えなくなっちまったんだとしたら……それはあんた自身が、障害物と同じ価値になっちまったってことだ。なに? 泣いてんの? さんざん人を泣かせておいて? いやまあ……あんたにもその程度の自由はある、か」
廃墟の中心に、まだ生きている人間が二人いた。
一人はビールケースに腰をおろし、拳銃をもてあそぶ男。
もう一人は、瀕死になって呼吸を繰り返しているだけの男。彼は遠からず絶命する予定だ。
周囲には、もう生きてはいない人間たちが散らばっている。
ここは街であった。
数年前に世界の秩序が失われてから、暴力によって再構築された街。
支配は苛烈であった。
だから抵抗が起きた。
たった一人の人間によって、革命が起きたのだ。
代償として、街そのものが滅ぶことになったが。
瀕死の男が、恨みがましい目を向けた。
「なにが同じ人間だよ……バケモノがよ……」
彼はすでに両足を撃ち抜かれている。立ち上がることもできない。
ビールケースに腰をおろした男は、ワイシャツの襟についた返り血を気にしながら溜め息をついた。
「それが、いまの話を聞いた感想か? だとすると、案外、あんたのほうが正しかったのかもな。俺たちは同じ人間じゃなかったんだ。つまり交換可能性の成立しない関係ってことだ。残念だよ……。いや、最初から残念だったわけだから、いまの感傷は余計か」
男は銃を持ち上げて、横へ向けた。
想定にない女が近づいてきたからだ。
女は刀を抜き身のまま持ち歩いていた。刃は薄茶色に錆びついている。もはやまともにモノを切れるのかさえ怪しい。しかも安っぽい生地のセーラー服。目は虚ろで、髪はボサついている。不審者であろう。
女は不快そうに目を細めた。
「なんでこっちに銃向けるんですか? ちょっと聞きたいことがあっただけなのに」
「いま取り込み中なんだ」
「新宿ってどっちですか?」
「知らないよ」
「あたしいま修学旅行ごっこしてて」
「そうかい。こっちは革命ごっこの最中なんだ。邪魔しないでくれ」
真っ白な空だ。
おかげで、昼間だというのに薄暗い。水蒸気に光が乱反射して、空だけがまばゆく輝いている。
女は周囲の死体を見回してから、ふたたび尋ねた。
「え、殺人事件?」
「どうやらそのようだな」
「お兄さんがやったんじゃないの?」
「俺がやったんだ」
「なんで?」
「そうする理由があったからだ」
「そうなんだ」
女が踏み出そうとしたので、男はトリガーを引いて女の足元へ弾丸を撃ち込んだ。
瓦礫の街にパァンと炸裂音がこだまして、カラスどもが一斉に飛び立った。
「え、ホントに撃ってきたんだけど。ワロリンチョ」
「あんた、不法侵入だぞ。引き返してくれ。次は当てる」
「当たると思う?」
「何発か撃てば一発くらいは当たるだろ」
「えー、そこは一発でキメてよ」
「うるせぇな。俺はヘタクソなんだよ。それより、早くどっか行ってくれよ。いま最高潮に盛り上がってる復讐シーンなんだから。あんたと雑談してたら、肝心の敵が死んじまうだろ」
男もさすがにイライラしてきた。
暴力による支配をくつがえすため、意を決して立ち上がり、そして敵のトップを追い詰めたのだ。ここで長々と演説させないことは、もはや拷問かなにかに相当するはずだ。
女は後頭部をわしわしとかいた。
「え、でも結局、殺すつもりなんでしょ?」
「演説してから殺すんだ。なのにあんたは、その演説を妨害してる。俺のプランを台無しにしようとしているんだ。もし法が機能していたら、民事訴訟に発展してもおかしくない事案だ」
「じゃあ裁判ごっこする?」
「いい提案だな。だが、人数が足りない」
「三人いるじゃん」
男は腹の底から溜め息をついた。
「裁判には、検察、弁護士、裁判長、それに被告と原告が必要なんだよ。五人だぞ、五人。二人足りない。それにこいつはもうすぐ死ぬから、裁判どころじゃない」
「じゃあさ、じゃあさ、あたしが検察と弁護士と裁判長やるからさ」
「やめてくれ。考えうる最悪の提案だ。地獄だろ、そんな裁判。ていうか、さっきから誰なんだ? 住所、氏名、年齢、それから出身地と、好きな体位を言えよ」
「セクハラで訴えてもいい?」
「いいけど、裁判をするには人数が足りないんだ。いま俺が言ったばかりだよね? 人の話、聞いてる?」
乾いた風が吹いている。
カラスたちも地上へ戻ってきた。
女は斜め上を見て、しばらくなにかを考えてから、こう尋ねた。
「んでさぁ、結局のところ、どっちが悪いヤツなの?」
シンプルな質問だ。
男はさすがに口の端に笑みを浮かべた。
「答えは二つある。俺はこいつが悪いと言う。だが、こいつは俺が悪いと言うだろう。そういうものなんだよ、世界ってのはよ」
「なにそれ? カッコマンなの? むしろダサくない?」
「俺はダサさを恐れない」
「ヒュー」
口笛も吹けないのに、女は擬音語で茶化した。
男はもう女を無視して、みずからの敵へ声をかけた。
「なあ、ボス。あんたもそう思うよな? 悪いのは俺だって思ってんだろ?」
すると瀕死の男は、かすかに首を振った。
「いや……悪いのは……俺だ……」
「はい? 急に? 改心したフリしても、助けないけど?」
「ウソじゃない……。俺が……悪かった……。小さな成功が続いて……勘違いしてたんだ……」
ビールケースに座った男は、ひかえめに舌打ちした。
「ティッピングポイントを迎える前に、そいつに気づいてくれりゃあな」
「てぃ……?」
言葉は、しかし続かなかった。
女が真上から刀を振り下ろし、瀕死だった男の首を刎ねてしまったからだ。
胴体から、信じられない量の血液が噴き出した。
生き残ったほうの男は、大袈裟に天を仰いだ。
「まだ話してる途中でしょうが……」
「でもテンプラのハナシしてた」
「頭Fランか?」
「うわー、最低じゃん。他人にランクつけるタイプ? 自分だけは上等ってか?」
刀にぶつかった血液が、跳ねて女にも付着していた。その顔についた血液を、女は指で拭った。
「ランクか。なるほど。あんたの言う通りだ。悪かった。謝ろう。でもFランって表現は俺のオリジナルじゃないんだ。責めるなら世間を責めてくれ。もっとも、その世間とやらも滅んじまったけどな」
「えっ? えっ? じゃあ結局、誰を責めればいいっての?」
「この世界、かな」
*
男はその後、無人となったバーカウンターで、勝手に酒を飲み始めた。
バーカウンターという名の、天井もない即席の屋台だが。
いまや無料で飲み放題だ。
「え、マジで? そこらに死体あるのに、普通にお酒を?」
「未成年は飲むなよ。法のない世界にも、倫理はある」
男は目も向けずに瓶ビールを口にした。
ぬるい。
地獄みたいな世界に似合いの味だ。
「未成年じゃない」
「んぶっ」
男はむせた。
未成年じゃない――。だったらなぜセーラー服を着ているのか。
女は両手をひらいた。
「このカッコ、ただのコスプレだよ。言ったじゃん、修学旅行ごっこだって」
「つまり、何者なんだよ?」
「何者ってなに? 社会が壊れちゃったんだから、なんとか必死に生きようとしてるだけの人間だよ。お兄さんは違うの?」
「まあ、そうだな。おっしゃる通りだ」
女は電源の入っていない冷蔵庫から、瓶のみかんジュースを取り出した。
「あたしはこれでいいや」
「好きにしてくれ」
「なんか汚いコップしかない」
「直接飲んだら?」
「そうする」
女は一人分のスペースをあけて、カウンター席についた。
たまたま同じ屋台に寄っただけの、無関係の客同士みたいに。
「刀はどうしたんだ?」
「え? 地面に刺しっぱだけど」
「不用心じゃないか?」
「でも、お兄さんくらいしか不審者いないし」
「俺は不審者じゃない」
どちらかというと不審者は女のほうだ。
男はもともとこの街で暮らしていたのだから。
男はゲップをうまく逃がして、一息ついた。
「ところで、なんで修学旅行を?」
「いやー。これがいろいろあんのよ。あたしって闇深いとこあるからさぁ」
「自分で言うのか……」
「言うよ。平気で不幸自慢もするし。これからよろしくね」
「これからなどない」
男は瓶を持ち上げ、一気に流し込んだ。といっても瓶の口は狭いから、そんなにたくさんは入ってこない。じつに人体に配慮された構造だ。
カラスが鳴いている。
日は傾いている。彼らも巣に帰る時間なのだろう。
男はカウンターに背をあずけ、ビールを飲み干した。
「ひとつ確認なんだが……」
「セクハラ以外でね」
「もちろんだ。あんたがどっち側の人間か知りたかっただけだからな。どっちなんだ? あっち側か? それとも、こっち側か?」
「……」
女の動きが止まった。
意味は通じたのだろう。
女はにぃと不気味な笑みを浮かべた。
「どっちだと思う?」
「おそらくはご同類だろう。あれだけの量の死体を見てもまったく警戒してなかった。きっと生き延びる自信があったんだろう。そうじゃなかったら、ただのサイコパスってことになる」
「サイコパスって言葉、なんか軽くなりすぎじゃない?」
「否定はしないが。少なくとも俺は、あんた以外にこの言葉を使ったことはない。で、答えは?」
女は瓶を置くと、ダブルピースしてこう答えた。
「ワロリンチョ」
「……」
男はなんとか「死ねよ」という言葉を飲み込んだ。
偉い。
あまりにも偉い。
女は、しかしそんな配慮など一切気にしたふうもなく続けた。
「どっちでもいいじゃん。同じ人間なんだから、さ」
「ああ、その通り。同じだよ。致命的な差異に目をつむればな」
「さっきぶっこいてた演説と違うこと言うのやめてよ」
「違わない。違うとしたら、それは話の抽象度だけだ」
女はふんと鼻を鳴らし、みかんジュースをがぶ飲みした。
「ぷはぁ。逆に聞きたいよねぇ。どうやったら同じ人間じゃなくなれるのかをさぁ」
「簡単だよ。他人を障害物かなにかだと思えばいい」
「それが簡単じゃないから困ってんの」
「だったらあんたは、根っからの人間ってことだ。人間以外になるのはあきらめるんだな。クジラは鳥になれない」
男がそう告げると、女はまたにぃと笑みを浮かべた。喜びではなく、皮肉を伝えるための笑みだ。
「お兄さんの言い回し、さっきからなんかイラっとすんね」
「同感だな」
「けど、いいよ。あたしも同じくらい人をイラつかせんの得意だから。友達とかいないし。お兄さんも同じでしょ? どこにも居場所とかない感じでしょ? 大丈夫、大丈夫。あたしが友達になってやっから。あたしがあんたのお友達第一号だよ。じゃ、これからよろしくね」
「……」
ゴリ押しである。
論理的な反論など意味をなすまい。女のキマりきった眼球がそう告げている。
男は無言のまま立ち上がり、別のビール瓶を手に取った。
人の心を癒すのは人じゃない。アルコールだ。少なくともこの現場では。
(続く)




