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透磨とミドルフィンガーリング(編集版)  作者: 空木白檀
第一章 透磨と素敵な仲間たち
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学園生活の始まり(一)

 ぼくの名前は透磨。

 物心ついたころから、ぼくは独りだった。


 特異な遺伝子を色濃く残すために、特に選ばれた精子と卵子の結合の結果に生まれた無機質な生命体、それがぼくだ。

それでも十六年という歳月は、ぼくを少し大人びた少年に成長させた。


 ぼくの生みの親である中村教授は「もう自分には教えられることはない。あとは君が興味を持つ研究をするといい。大学院でもどこかの研究室でも、どこでもかまわない。君ならばその才能を、未来のために存分に活かせることができるだろう」と言った。


でも先生、ぼくは興味ありません。そんなことは望んでいないのです。

ぼくを引き付けるのは無の世界。そこでぼくは眠りたい。

他人の情念はぼくを深く傷つけ苦しめるだけ。


嵐の海の中、上も下もわからないほどグルングルンと、もみくちゃにされてやがて静かにゆっくりと、ゆうくりと海底に沈んでいくぼくは、怒り狂っている上空を眺めながら、奈落の底に落ちていく。

真の暗闇に到着して、そして時は永遠に止まり、そこでぼくは眠りたい。


だってぼくは……たぶん魔物なのだから。



「遠藤君、今朝、透磨のところに行ってきた? 彼は何をしていた? これからのことを何か言ってなかったかな?」


 昼間はまだ肌を焦がすほどの日差しが降りそそいでいるけれど、夕方になるとほっと一息できる涼風が吹いて、夏も秋に場所を譲りだした初秋のある日、窓から秋風を感じ紅茶を飲みながら、焦点の定まらない視線を遠藤助手に向けて、教授は訊いてきた。


「いえ、とくに何も。相変わらず小難しい顔で、レポートを書いていましたよ」


 まったく別のことを考えているときの教授の深い瞳は、僕を見ているけれど僕を見ていない。

そんな『心はここにあらずの目』は、透磨も同じ目をすることがあるけれど、これって天才の共通点なのかな? などと思いながら、遠藤は教授の空になったティーカップに紅茶を注いだ。 


 遠藤も世間一般的には至極優秀で、見るからに実直そうなこの大柄な好青年は、この研究室に来るまではみんなにチヤホヤされていたけれど、天才二人の前では己の平凡さに顔が赤くなるのである。


「僕はね……」

 教授は、今度は視線を遠藤の目に合わせて続ける。


「今更だけれど、僕は透磨の多感な十代を奪っていることに後悔しているんだよ。彼は最近ふさぎこんでいるだろう? だからすごく心配している。彼に少しのんびりとしてもらうために、しばらく普通の男子学生として過ごさせてあげたいのだけれど、遠藤君はどう思う?」


 教授の憂いのこもった瞳をみて、ああこの人も本当は透磨を気にかけているのだと感じられて、少しほっとした。

二人とも感情表現が下手だから、僕はいつも二人の間に入って困ることが多い。


「同年代との付き合いのない透磨には良い経験になると思いますが、彼はこれまで集団生活をしたことがないから、その点は少し不安ですね」


「うん、そうなんだ。透磨ひとりだと心配だよね。それでね、君にも……」

 教授はまた視線を外して、これからの計画を話しだした。



 最寄りの駅からタクシーで十五分ほど海岸沿いを揺られていくと、やがて山に延びる山道が左手に現れ、その山道をさらに上っていくと、石作の威厳ある大きな建築物が二棟現れる。

それはかつてイングランドに建てられていたお城で、それをわざわざ解体して船で運び込み、この地に再構築させたものである。


 見た目通りまさに本物の城であり、様々な持ち主に渡り最終的に全寮制の中高一貫の男子校として開校したのが、今から五十年ほど前になる。

個性的なカリキュラムで人気があり、入学するには能力以外に学園関係の有識者の推薦が必要で、現在では世界中で活躍している卒業生を多く輩出している。


 校門を入ってしばらく進むと左右に道が分かれ、その先にそれぞれ校庭とお城が見えてくる。

右手が高校棟、左手が中学棟である。

高校棟の後方には岬に続く山道があり、広い海原が木々の隙間から垣間見える。


 透磨と遠藤がこの輝月城学園に現れたのは、秋も深まり朝晩の冷え込みが身に染みる、十一月の中旬であった。

龍神透磨は高校一年生、遠藤樹生は生物学の教師として紹介された。


 この季節外れにやって来た凸凹コンビのうわさは、あっという間に高校棟を駆け巡り正しいことや正しくないこともごちゃ混ぜになって、最終的に龍神君は危ないやつで(どう危ないかは謎らしい)輝月城大学の学長の懇意でこの附属学園に転校し、遠藤先生は彼の見張り役として送り込まれてきた、ということに落ち着いた。

   

 しかし十二月に実施される、進級や大学に進学するのに重要かつ難解な試験日が近づくと、生徒達はうわさ話どころではなくなり、みんなが頭を抱えながら勉学に勤しんだ。


 冷たい海風が吹く師走に入ると全学年の学力試験も終わり、内心穏やかでない生徒も試験の結果が出るまでは努めて平静を装い、これから訪れる冬休みの過ごし方を友達と自慢しあっている。



 高校棟一階の西側の一番奥まったところに保健室があり、その隣が生徒会室になっていて、十二月の第二土曜日の午後、生徒会長の百目鬼と副会長の新垣が、暖房の効いた趣味の良い調度品で統一されているこの部屋で、雑談をして過ごしていた。


 新垣がふと校庭に目をやると、痩せ気味の小柄な透磨がのろのろと歩いていた。


「あの子、例の転校生だ」

 言いながら、新垣が窓を開けて声をかける。

「君ぃ、この寒い中何をしているの?」


 透磨が新垣に気がついて、窓の下まで小走りでやってきた。


「こんにちは。ぶらぶらと散歩をしています」

「寒くないかい?」

 新垣は小窓に肘をつき顎をのせて、人懐っこい笑顔を向ける。


「この寒さがかえって身を引き締めて気持ちいいです。この部屋は生徒会室ですか?」

 興味深そうに背伸びをしながら中を覗き込むと、百目鬼の黒縁眼鏡の中の、ややつり目と目が合った。


「そうだよ。よければお茶を御馳走するよ。くるかい?」

 長身な百目鬼がソファーから立ち上がり、二人に近づいてくる。


「ありがとうございます。でもこれから岬のほうまで足を延ばしたいので、またの機会にお誘いください」

「そう、明日もぼくたちはここにいるから、いつでも良いからおいで」

「あ、はい。じゃあ明日にでも」


 ぺこりとお辞儀をして、またのろのろと歩き出す。

遠ざかっていく透磨に「風邪ひくなよ」と声を掛け、新垣はぶるっと身震いして「おお、寒い」と言いながら窓を閉めた。


 外に目をやり、何やら考え込んでいた百目鬼が、

「あの子を見ていると、小川海斗を思い出してしまう」

 小声でぼそっと言って、顎で小さくなった後ろ姿の透磨を、くいと指した。


「このあいだ、あの子が夜ひとりで廊下にいたときがあってさ、その姿が海斗そっくりだったんだ……。海斗の幽霊かと思って、心臓が止まりそうになったよ」

 言いながら眉間に皺を寄せる。


「ああ、海斗か。うん、確かに背格好とか似ているね……。あれは中等部一年のときだから、もう五年前になるのか。あまり思い出したくない出来事が多い一年だったな」

 そこで声を潜めて、新垣が続ける。


「ぼくら『呪われた中坊一年生』とか言われてさ。彼は見つかったの? まだ行方不明のままなんだろう?」


「うん、たぶんそう。進展があった話は聞いてないからね。上級生はみんな卒業してしまったから、当時を知る在校生は、もうぼくら三年生だけになってしまったな。下級生は誰一人、海斗に会ったことがないのか」


 視線を、小さくなった透磨から新垣に移し、

「ぼくさ、何かこれから悪いことが起こりそうな気がするんだよ……。ああ! 何も起こらなきゃいいけど」

 百目鬼が、ふうとため息をつく。


「ええ! おまえ怖いこと言うなよ」

 新垣もつられて、漠然とした不安を感じた。


 

 校舎の裏を回って崖沿いに進んでいくと、見晴らしの良い岬に到達する。透磨はこの場所が好きで、よくここにきて海を眺めながら読書をしたり、物思いにふけったりする。


 今日は風が弱い分寒さが和らいでいるが、それでも吐く息は白く、冷たい空気が肺を通って濁った頭をろ過し、すっきりとなるのが心地よい。


 透磨が岬に向かって歩いているのを、校舎二階の生物学研究室にいた樹生が確認して、追いかけてきた。


 樹生は、海に突き出た岬の先端で透磨が立ち尽くしているのを目にした。

次の瞬間、不意にしゃがんだので、一瞬海に落ちたのではないかと心臓を鷲掴みされた。


「透磨! 危ないじゃないか。何してるんだよ」

 思わず叫びそうになるのをグッとこらえる。


「あれ? 樹生さん。ぼくがここにいるって、よくわかったね」

 振り向くと樹生がいたので戸惑ったようだ。


「ああ、透磨が歩いているのを研究室から見かけたから、少し話そうと思ってね。ああ! 危ない! こっちに来いよ。ん? 何か見つけたのか?」


 左手の中の物を右手でこすっていたようで、指先が汚れている。


「うん、ペンダントトップみたい。岩の隙間に隠すように押し込まれていた。だいぶ汚れているから長い間ここにあったようだね」

 右手でつまんでまじまじと見つめると、片方の眉を上げた。


「思い入れのあるペンダントだよ、これ……。石みたいだな。何だろ……」

 汚れを落としながら神妙な顔で呟く透磨を見ていると、場所が場所なだけに、樹生は嫌な感じがした。


「ねえ、週末なのに街に繰り出さないの?」

 話題を変えたくて、樹生が明るく話す。


「ぼくはそんなの興味ないよ。樹生さんこそ出かけないの?」

 ペンダントトップをハンカチでそっと包み、大事そうにポケットにしまう。


「出かけたくても色々と忙しくてね。ところで透磨は問題なく過ごしているかい?」

 実際、雑務に追われて忙しく、そのため面倒をあまりよく見てあげられないのが心苦しかった。

少し躊躇しながら、暗い目つきで水平線を眺めていた透磨がつぶやいた。


「夢見が悪くて、あまりよく眠れない……。樹生さん、ここには魔物がいるかもしれないよ」


 いつも顔色の優れないこの少年には、見えるはずのないものが見え、聞こえないはずの声が聞こえてしまうという能力をもっている。

その力は少年を長年悩ませていて、少年を不健康にしている。

樹生は天才的な頭脳をもつこの少年を尊敬しているが、と同時に憐れんでもいた。

繊細さゆえに、人が発する負の感情にいつも苦しんでいるのだ。


「魔物って……何か見えたの?」

 こんな田舎に来てまで、他人の情念に巻き込まれてしまう透磨に同情する。


「まだはっきりとはしないけれど、あまり良くない感じがする……。ぼくは明日生徒会室を訪ねてみるから、樹生さんも気になることがあったら、ぼくに教えて」

 樹生から視線を外し、眼下の海面を思案顔で凝視する。


「うん、わかった。透磨が何か察知したのならば、これから何かが起きるのは確実だな。僕も注意しとくよ」

 樹生はため息交じりで言ってから大きく息を吸い、眼前の水平線に目をやる。

波は穏やかで遠くに二隻の大型船が、近くには数艘のボートが、ゆったりと浮かんでいる。


「実にいい眺めだね、ここにはよく来るの?」

 遮るものがない大パノラマは、地球が球体であることを思い出させてくれる。


「うん、一番好きな場所だよ。というか、ここに呼ばれるんだ。海がぼくを手招きしているんだよ」

 透磨の哀愁を帯びた瞳と重い声に、言いようのない不安を抱いた樹生は透磨の細い手を取り、ここに長居は禁物だと直感する。


「さあ、もう帰ろう。なんて冷たい手なんだ。僕の部屋に行って温かい飲み物を飲もう。そうそう、ココアがあるよ。美味しいのを入れてあげる」

 そう言うと返事も聞かずにその場を後にして、ぐいぐいと連れ去った。


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