第9章
源頼朝と北条政子の長女・大姫の生涯を描いた作品です
大姫さまと静さまがお別れしてから十年の月日が流れました。その間、ほとんどの時間を大姫さまはご自分の部屋に籠って過ごされました。このままではいけないとお考えになった政子さまが、何度も大姫さまを元の明るく元気な娘に戻そうと試みましたけど、効果はありませんでした。大姫さまを元の姿に戻す為には、義高さまを連れて来るしかない・・・それは分かっているのですが、死んだ者を生き返らせる事は誰にも出来ません。したがって、打つ手が無いというのが正直なところでした。
このまま永遠に続くかと思われた大姫さまの隠遁生活でしたが、大姫さまが十七歳の時、一つの転機が訪れました。大姫さまに縁談が持ち上がったのです。お相手は都の青年貴族で、頼朝さまの甥に当たる一条高能さまでした。年齢は十八歳。大姫さまのひとつ年上で、丁度お似合いの相手です。
都から高能さまが鎌倉へ下っていらっしゃいました。頼朝さまも義高さまもそうでしたけど、都からやって来る殿方はどうしてこうも素敵に映るのでしょう? 高能さまも、凛々しくて、知的で、洗練された雰囲気が漂っていて、それはもう絵に描いたような素晴らしい若者でした。これなら大姫さまの心が動くかもしれない、と皆が期待いたしました。
館では、毎晩、高能さまを歓迎する宴が催されました。当然、頼朝さまの長女である大姫さまは、ご挨拶に出て行かなければなりません。最初は体調の悪さを理由に挨拶を断っていた大姫さまでしたけど、わたくしどもが一度くらいは顔を出さないと娘としての義理が立ちませんよとさんざん説得すると、静さまが以前おっしゃった義理という言葉に反応なされたのか、ようやく思い腰をお上げになってくださいました。
事実上のお見合いですから何としても大姫さまを引っ張り出さなくては・・・そういう思いでわたくしとしても頑張ったのです・・・わたくしだって大姫さまに幸せになってもらいたいですからね・・・愛する大姫さまに・・・
宴がおこなわれている大広間に大姫さまが姿を現しますと、いちばん奥の席に坐っていらっしゃった高能さまの顔がパッと明るく輝き、
「姫、やっとお会いすることができましたね」
と爽やかに微笑まれました。
「お体の具合がまだよろしく無いのですか?」
しずしずと進んできて目の前に坐り、無言のまま一礼をした大姫さまに、高能さまが心配げな様子でそう話しかけられると、大姫さまは高能さまのお顔をチラッと見た後、ムスッとした表情で
「ええ」
とだけお答えになりました。
「姫の体に効くお薬が見つかると良いのですけどね」
「・・・」
「姫の体調が良くなったら、わたしは姫と色々なお話をしたいのですよ」
「・・・」
「都の話とか、鎌倉へ来る途中で見た珍しい風景の話、美しい花々の話、可愛い動物の話、大好きな本の話・・・あ、姫もわたしに鎌倉の話をたくさんしてくださらなくちゃいけませんよ。何しろ、わたしは着いたばかりで、鎌倉の事を何も知らないのですから」
「・・・」
「・・・あの・・・姫はこういう話には興味がありませんか?」
「申し訳ありませんけど、疲れたので下がらせていただきます」
そう言うと大姫さまは、呆然とする高能さまを後に残し、さっさと部屋へ戻ってしまわれました。その一部始終を見ていた頼朝さまと政子さまが、ひどく落胆したご様子でいらしたのは、改めて説明するまでも無いでしょう。
しかしながら、頼朝さまは諦めませんでした。大姫さまがこんな風になった原因を作った張本人のくせに、やはり父親なのでしょうね、大姫さまへの愛情が変わることは無く、ただただ娘の幸せを一心に願っていらっしゃいました。そして、この機を逃したら大姫さまを正常に戻すことは永久に出来ないかもしれない・・・そうお考えになった頼朝さまは、何としてもこの縁談をまとめようと決心なさったようでした。
「おいちや」
数日後、征夷大将軍らしからぬわざとらしい作り笑顔を浮かべながら、頼朝さまが大姫さまの部屋へ入って来られました。
「高能はどうじゃった? なかなか良い青年じゃろう?」
義高さまが亡くなって以降、大姫さまは頼朝さまに話かけられても返事なんかしません。この時も黙ったまま、そっぽを向いていらっしゃいました。
今までの頼朝さまなら、ここで腹を立てるか、あるいは気後れするか、いずれにせよすごすごと部屋から退散したものですが、この度は違いました。辛抱強く大姫さまを説得するおつもりのようでした。
「わしは高能が気に入っておるのじゃ。あいつは誠実で、正直で、心の優しい、実によく出来た青年じゃぞ。おいちもそう思うじゃろう?」
「・・・」
「そこで、わしとしては、高能をおいちの婿に迎えたいと思っておるのじゃ。どうだ? 悪い話ではないじゃろうが」
「・・・」
「不本意ながら、おいちに辛い思いをさせる結果になってしまったのは、わしも悪かったと思うておる。しかし、人間、いつまでも過去の事にこだわっていてもしょうが無いではないか。たった一度しかない人生、しかも花の盛りは短い。わしはおいちに人生を無駄にして欲しくないのじゃ。おいちに幸せになってもらいたいのじゃ。女の幸せを味わってもらいたいのじゃ。父の願いは、ただそれだけだ。な、分かるな? おいち、父の気持ちが」
「わたしに幸せになって欲しいのなら・・・」
と、大姫さまはここで初めてお口を開かれました。
「義高さまを返してください」