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後半

 今回、街の破壊予告を出した大声の誇示者であるが、その名前以外で、本人の明確な思想を出すという事は現状、無いに等しい。

 予告文章自体も、何時、どこで、何を破壊するかの内容と、自らの独特のサインを印字したものをネットに上げるという行動を繰り返している。

 予告方法こそ単純であるが、本人に繋がる要素がまったくもって排されており、未だにその正体について、当局側は掴めていなかった。

 だが、それでも犯人の目的については、世間において自明のものになっている部分がある。

 超能力者がその力を見せつけるために行っている。少なくとも、そういう事を超能力者が行っても不思議では無い。そいう風潮が世間一般に蔓延していた。

「超能力者が初めて国家に認知されたのは、ざっと10年前。それから、超能力者はどんどん増え続けているし、ここまでじゃないにしろ、超能力者絡みの事件も増加傾向だ。世の中、どうなっちまうのかねぇ」

 隣を歩く伊勢島が呟く。

 街の中心部へ向かう。その方向性が決まったところで、歩き続ける事に違いが無く、世間話に近い会話が続いていた。

 内容については、どうしても超能力者関連のものとなる。それにしたところで、今後の世間の心配という意味があるのか無いのか分からない類のものであった。

『機械の私から見れば、やはり他人事であり、何の事は無い……とも思える部分はある』

「まあ、お前さんにしてみれば、将来やら社会やらってのは、何の事も無い話ではあるか」

『それはそうだが、そういう意味では無い。人間にとっても、超能力者の発生は、どうという事も無く見えると……いや、やはり他人事みたいな話題になってしまうか』

「超能力なんて、それこそ、とんでも無い、世界がひっくり返る様なもんだと思うけどよ」

『だが、ひっくり返ってはいない』

 神鉄が知る世界は少なくともそうだ。歴史どころか、人生というものすら実感した事の無い神鉄にとって、ただ、ありのままの世界と、過去の記録だけが、人間社会というものであった。

 そんな神鉄にとって、現代の人間社会は混乱し、不穏な雰囲気のする、どんな時代だってそうであった社会の延長線上でしかなかった。

 超能力者の存在とて、既にそんな社会の一部なのだとも。

『世間を揺るがす混乱ではあるだろう。だが、そういう混乱を、人間は何度もその歴史の中で体験してきたはずだ。そうして、それを乗り越えたと言うより、受け入れて来て、今に至っている。超能力者とて、そういうものだと私は見ているな』

「確かに、他人事みたいな言葉だな。けど、実際問題、そうかもしれねえ。超能力者が増え始めた時、ニュースじゃあ人類の進化だの、旧人類は排除されるだのってのもあったが……何のこたぁねえ。厄介な問題が一つ増えたってだけか」

『本当に、あなた達はそう思っているの?』

 会話に参加しているのは伊勢島だけで無く、井馬女史もである。彼女は安全圏で待機しているが、それは即ち、暇をしていると同義であった。

『過激化している事件。今回だってそうよ。今まで、こんな破壊活動を続ける超能力者はいなかった。これからだって、それは激しさを増して行くとは思えない?』

 危機意識という意味では、井馬女史はそれを強く持っているらしい。でなければ、神鉄の開発者にもならない……のかもしれない。

『井馬女史は、超能力者の存在そのものが、社会に致命的な傷を作ると、そう考えているのですか?』

『もちろん、そう考えているわ。けれど、そうしない様に努力も出来る。神鉄。あなたはつまり、社会の治療薬としての役割も与えられてここにいる』

「ははっ。その治療薬とやらも、効果が出るかどうかは先の話かもしれねえけどな」

 言えている。まだ、超能力犯罪者の一人も捕らえられていないのだから。

『さて、そろそろ、街の中心地へとやってきたが、次をどうするかだな』

 話し続け、歩みを止めなければ目的地へとやってくる。摩天楼と言う程でも無いが、それでも、ビルがところ狭しと立ち並び、空を突こうとしていた。

 人類社会が作り出した、人間のためだけの空間。そんな場所を超能力者は破壊しようと言うのだ。

『幾らか、人は少なくなっているとは言え、ここもまた、民間人が多いな』

「予告のあった場所の社会活動を悉く止めてたら、それこそ相手の思うつぼって事なんだろうが、これまで実績のあるテロリストの予告だってみんな理解してんのかね?」

 呆れた様な物言いだが、実際、頭の痛い話ではあった。

 単純に街を破壊させないという事も大事だが、それを防いだところで、その過程で一般人にも害が及ばない様にしなければならないのだ。頭痛の種は増えるばかりである。

『民間の側とて、意地、みたいなものがあるのだろう。ふむ? 居るのは一般人だけでも無いらしいが』

 犯人の姿も……であれば嬉しいのであるが、そうではない。この場合、玄人と言える人間も居るという話だ。

 伊勢島や神鉄もそういう人種にあたるのだろうが、つまり、対超能力者の役割を負った人間が何人か居た。

「中心街はさすがに警戒も強いってこったろうな。確か、事前に配られた班分けでも重要視されて……へえ、あの嬢ちゃんもそうだったか」

 嬢ちゃん。と言うと、怒り出す相手だから、本人を前にしては止めて欲しいと思う。これから近寄って話し掛けるつもりなのだから。

『蘭条臨時巡査部長。お久しぶりです』

「あん? って、何だ。機械人間じゃない」

 相変わらずガラの悪そうな表情をしている。具体的には、私は不機嫌ですと目と目の間に皺を重ねた顔だ。

『随分と不機嫌そうですね。それとも疲労でしょうか。あなたも随分と歩き回っているらしい』

「歩いて疲れただけじゃなくってよ。そう、例えば今、一つか二つくらい不機嫌の種が増えた」

「そいつぁ大変だな。ご愁傷様と言わせてもらおうかい?」

 お前らか気に喰わないという言葉を遠まわしに言われた。それに気付かぬ伊勢島では無いだろうが、どこ吹く風だ。こと嫌味ほど、この男に通用しないものもあるまい。

「あのね、私、最近はあんた達とセットで色々言われる様になって迷惑してるの。そっちは仕事でペア組んでるか何か知らないけど、私はうんざり。お願いだから近寄らないで、遠くから見るのも禁止」

 シッシと手を振って、神鉄達を遠ざけようとする蘭条。

 だが、神鉄はあえて一歩近づいた。

『そうも行きません。恐らく、性格に難があり、周囲に言葉を発するだけで軋轢を生み出し、最終的に誰からも邪見に扱われながら、一人でぶらぶらする事になるであろうあなたですが』

「え? 何? 喧嘩売られてる? これ、売られてると取っても良いのよね?」

『まさか。神鉄はそんな喧嘩早く無いわよ。あなたと違ってね』

「……草子。もしかしなくてもあんたが何かやってんのね」

 蘭条が喋るのであれば、黙って居られないのが井馬女史らしい。存外、二人の関係は今に置いても途切れていないのだろう。

『それは濡れ衣よ。神鉄は今……きっと成長期なの』

 無機物の体に成長も何もあったもんじゃないとは思うものの、彼女らの会話を無視して、話を続けさせて貰う。

 付き合っても無駄な事には付き合わない。成長は無くとも、学べる事の一つだ。

『ここにいると言う事は、超能力犯罪者の狙いが街の中心部にあるとの結論を出したのでしょう? ならば、我々と考えは同じです。三人というより二人と一機でしょうが、知恵を出し合えば、良い知恵も生まれるのでは? 腹の立つ立たないは、思っていたとしても些細な事です』

 同じ目的を持った者同士、協力しようという提案だ。

 そもそもからして、対超能力犯罪者のための人材として仕事をしている側なのだから、手を組むのは当然と言える。

 が、蘭条はさらに不機嫌に顔を歪めていた。それでも笑っているであるが、不気味としか言い様がない。

「ねえ、やっぱり、前に会った時より、良い性格してない? こいつ?」

「どうだろうな。まだ付き合いは短いんだよ、俺も。だが、言ってる事は正しいかもしれねえ。ここらで不機嫌そうにしてたって事は、あんたもここからどうすりゃ良いか迷ってるんじゃないか?」

「……」

 どうにも、こういう話し合いは伊勢島の方が上手いらしい。蘭条の不機嫌さは減じていないものの、さっさとどこかへ行け。とは言い返して来なくなった。

『美和、あなたもしかして、何かに勘付いているんじゃない? こちらじゃあ顔は見えないけれど、一人じゃ出来ない事に答えがある時は特に苛立つ……今、そんな声をしているわね』

「ちっ、だから昔馴染みって嫌い。言う通りよ。案ならある。けど、一人じゃ難しいと思っていた」

 つまり、彼女にとって神鉄達は都合良く現れてくれた存在とも言える訳である。手を組む理由にはなり得るだろう。

「で? 俺達に手伝って欲しい事になるんだよな? その難しい事ってのは」

「……あっちとあそこのビル。多分、どちらかが罠で、どちらかが本命だと……思うのよ」

 蘭条が示すのは、オフィス街の中心部にある二つのビル。他よりもやや高く、二つの塔などと表現できなくも無い。

『つまり、あのどちらかから、破壊工作が始まると? それで……罠とはいったい?』

「勘違いしないで。どっちかが破壊目標にされてるんじゃなくて、多分、二つ同時にぶっ壊すつもりなんだって、そう予想してんの」

「なるほどね。超能力犯罪者が一人ってのなら、どっちかは直接破壊して、もう一方は外側から壊すつもり。つまり、外側から破壊されるビルについては、俺達にとって罠と言えるわけか」

 逆に、超能力犯罪者が直接破壊しようと目論んでいるビルの方は、当たりと言え無くも無いだろう。

 しかし、そういう話とは別に、疑問に思う事がある。その疑問の言葉を発したのは井馬女子であった。

『そもそも、何故、超能力犯罪者があの二つのビルを破壊するつもりなのだと考えているの? 勘にしたって具体的過ぎる』

「分かんないの? 力を見せつけるには、それが手っ取り早いじゃない」

「象徴的なもんを破壊すれば、それだけ周囲に認められるとかそういう話なのかねぇ。けどよ、両方とも、外側からどっかーんって感じにゃならねえか? 街一つ、どうこうしようって奴なんだ。あの炎の爆発で、ビル二つくらい、ある程度の距離からでもやれると思うんだがね」

「やっぱり分かってないじゃない。それじゃあ意味が無い。少なくとも一つは、もうちょっと直接的に壊さなきゃ、意味が無いのよ。意地みたいなもんだと思ったら良いわ。そうしなきゃ、超能力の存在感を発揮できないって考えちゃうのよ、私達」

 犯罪者と自分自身をひっくるめて、私達と来たものである。超能力者同士、理解し合える部分があるのだろうと思うが。

『独特な考えではあるけど……専門家の知識と言え無くも無いかしら?』

 話を聞いたうえで、聞き入れる事が出来る話題かもしれないと井馬女史は考えたらしい。

「そんなもんかね? なら、俺達が片方のビルに行ってやる。あんたはもう一方の方だ。どっちにするか、先に選ばせてやろうか?」

 手を組むというのなら、伊勢島の案が妥当な形だろう。幾ら目的が一致しているとは言え、どうにも蘭条とは性格の上で、チームワークに難が出てしまいがちだから。

「別に、どっちにあいつがいるなんて私だって分かんないわよ。そっちの自由にって……これじゃあ堂々巡りか」

「そんじゃま、俺達はあっちのやや赤みがかってるビルにしようぜ。赤ってのは当たりに決まってんだよ。行くぞ、神鉄」

『む。そんな熟慮もせずに選んでも大丈夫かね、伊勢島殿』

「良いんだ良いんだ。深く考えたって仕方ねえ部分だ。そう思うだろ? あんたもさ」

 蘭条に同意を求める伊勢島。何かしら嫌味でも返って来るかと思ったが、意外な返事が帰って来た。

「……そうね。多分だけど、そっちが正解だと思うわよ。ま、これもただの勘だけどね」

 それだけ伝えて来て、蘭条はもう一方のビル、神鉄達が向かわない方のビルへと足を運び始めた。

「……どう思うね、あの嬢ちゃん」

 蘭条がその場から見えなくなったタイミングで、伊勢島が尋ねてくる。

 単純な感想を求めてではない事くらいは神鉄にも判断できたが、それがどの程度のレベルかはまだ分からない。

『気張り過ぎている様にも見えたが。人間、頑張り過ぎるとあの……心ががーっとなってしまうのだろう?』

「お前さんがそういう機微に疎いってのは分かった。だが、気張り過ぎてる様に見えるのは同意だわな。なんだかんだ言ってたが、敵がいるかもしれない場所に一人で不用心に突っ込んじまってる」

『あの娘、昔から意地っ張りなのよ。超能力者になって、より酷くなった気もする。けど、芯は強い方だと思うわ。あなたの言葉を借りるなら、心ががーっとは、まだならないんじゃないかしらね』

 性格云々の話は、井馬女史の方が良く知っているだろう。蘭条の言葉からも、昔馴染みという表現が出て来たのだから。

『共同作戦をする我々に言えた事では無いが、命を賭けるだけの意地があると言う事か……ふむ。そう考えると、我々の方もまた、気張り過ぎている側か?』

「……なるほど。お前さんはそう考えるわけだ」

 どう考えていると言うのか。単純に、どいつもこいつも無理しているくらいの答えだったのだが。

『伊勢島殿。こう、私なりに暫くの付き合いになるとも言えるあなたの評価だが、どうにも……人間関係について深く考えるタイプなのかな?』

「んー、そう見えちまうか? だったらそうなんだろうが……ま、付き合いが長くなるってんなら、追々分かるさ」

『残念ながら、今日以上に長くなるつもりは無い。こうやってコンビを組むのも、今回で超能力犯罪者を捕える事になるのだから、そこで終了になってしまう』

「はっ、そりゃあそうか。じゃあ、はりきって犯人を捕まえねえとな?」

 意見が漸く揃った気がする。それについては丁度良い。

 神鉄達はこれから、超能力者の意見を信じて、超能力犯罪者がいるかもしれないビルへと突撃するのだから。




 高層のビルであり、幾つものテナントが入っている。それらはつまり、人が多く存在しているということである。

 そんなビルに、超能力犯罪者が潜んでいるかもしれない。その事実に危機感を覚えながらも、神鉄は内部の捜索を続けていた。

「事前にテロ予告なんてもんがあったおかげで、ビル内部の捜索許可はすぐ降りたが、二人じゃあ手間だな、こりゃあよ」

 伊勢島の方も疲れを見せ始めている。構造物だらけのビルでもある以上、隠れられる場所など幾らでもあり、探す際の手間も多いのだ。

『私も手伝えれば良いのだけれど、言葉しか出ないのが申し訳ないわね』

「まあ、こんな場所で美人さんの声を聞けるってのは、癒しにゃあなるかもな」

『井馬女史の通信は私を通してだから、見た目は私が喋っている様にも見えるがな』

「それを言うんじゃねえよ。ってか、何でわざわざ言った? さっきまで意識してなかったんだけど?」

 さて、何故だろうか。何故か、そうした方が面白い反応が返って来そうと思っただけなのであるが。

『何かにつけて覚える疲労感に関しては、人間の欠点の一つだろうな。どうする? 伊勢島殿は暫く休んでいるかね?』

「はっ、そんな事言われたら、逆に気張るしかねえ……と、言いたいところだが、少し良いか? 休憩ついでに話しておきたい事があるんだよ」

 伊勢島が足を止め、手近な壁を背もたれにし始める。

 あからさまに探索をサボるつもりの動作であるが、その実、こういう時はむしろ真面目な話題をする人間であると、神鉄は感じ始めていた。

 まだまだ短いと言える付き合いではあるが、それでも、この男について分かる事はあるのだ。

『超能力犯罪者より優先すべき事項があるらしいな?』

「というか、それに関する話題だ。ふん? お前さんは、このビルが罠だと思うか? それとも本命か」

『どちらとも言えんな。我々は犯人を発見していないし、一方で、罠らしきものすらも見つけていない』

 ふと、向こうのビルはどうだろうと、蘭条が捜索しているであろうビルの方向を見た。残念な事に、壁が映るのみである。

「あの嬢ちゃんが間違っている可能性ってのを考えなかったか?」

『彼女は数少ない味方側の超能力者だ。信用した方が良いだろうし、それで失敗するのも、仕方ないと言えば仕方ない』

 そもそもからして、こちら側に情報が少ない。

 単独のテロリスト。大声の誇示者を表現するならそんなところであるが、だからこそ、行動の統計も取れなければ、残した証拠も何がしらの破壊跡しか無かった。

 数少ない藁を掴むくらいしかできやしないのだ。

「ずっとな、俺は考えてんだよ。奴は何者かってな」

『それは、誰しもがそうじゃないかしら。超能力犯罪者、大声の誇示者。その正体が何者かって、私もずっと気になってるし、考えたりもしているわ』

 井馬女史の言う通り、玄人素人問わずに、正体が隠されたその犯罪者について、より知りたいと言う思いはあるだろうが……。

「うんにゃ。少なくとも、奴に関わって、奴を捕まえようとしている人間は、どうせ破壊予告を出してくるんだから、そこを捕まえれば良いって考えだ。お前さんだってそうじゃないのか?」

 ある部分で、思考停止している。伊勢島が言いたい事はそういう事なのだろう。

 確かに神鉄も、犯罪者を迅速に発見し、そうして捕え、犯罪を未然に防ぐ。と言う事のみに終始していた部分はある。

『……あなたは違うのか』

「ちょっとばかりな。とりあえず、捕まえる仕事は他の奴らが汗水たらしてやってんだから、俺は俺で、違う方法で奴に近づこうと、そう考えてる」

 推理みたいなものだろうか。それにしたって、別にやっている人間もいるだろう。

 それとも、現場を走り回ってはいる伊勢島だからこそ、違うアプローチとやらがあるのだろうか。

『それで? 何か思うところが生まれたから、今、立ち止まっていると?』

「今回の犯人に付いて何だが、妙な事が多い。疑問が増えるばかり何だよ。まずもって、何で俺達は奴を捕まえられない?」

『それこそ超能力犯罪者で、尚且つ、単独犯だからだろう。火薬を調達する必要が無いと言う部分が、結構に厄介だと思われる』

「残す証拠が少ないってのは確かにそうだ。だが、それでも、足取りがまったく分からないもんかね? 相手が単独だってのなら、こっちは何時だって組織力で上回っている。普通は、そう何度も犯行を繰り返せないはずだ」

『日本の組織力云々の話であれば……失敗をする事はあっても、舐めては掛かれないレベルのものではあるだろうな。そうか……確かに疑問だ。別に、手を抜いているわけでは無いと言うのに』

 こちら側に不得手があるという事になるはずだが、それが一体何であるか。犯人の行動が悉く成功を収めているから、やる気が無くなったと言うわけでもあるまいに。

「さて、疑問はこれだけじゃねえ。こっちが上手く動けていないのに反して、犯人の方は、何故だか上手く動けてる。モールの時の事を覚えているか?」

『まあ……人間よりかは記憶力があると自負しているな』

 むしろ、一度フィルムに収めたビデオが早々に欠如しない様に、忘れる方が難しい。神鉄はそういう存在だ。

「なら、ヤツの行動を思い出せ。最初、ヤツは都合良く、守りの薄い場所に現れて、そこを爆破した。恐らくは……お前さんが真っ先にやってくるであろう事を狙ってだと思うんだが」

『ふむ? 確かに、誰よりも早くに事件現場へと辿り着けるのは、私に与えられた使命と能力ではあるが……いや、待て。つまり、犯人の狙いは、最初から対超能力犯罪者として作られた私だったと?』

「実際そうだろ。あのモールじゃあ、二回、あんたは狙われたんだぜ?」

 そうかもしれない。いや、そう考える事が出来る。だからこそ、神鉄には疑問が生まれた。

『それはおかしい。君らと共闘した二回目はともかく、一回目は、私の初めての出動のはずだ。どこぞのテロリストが目の敵にする程の立場に私は無かったし、そもそも、私があの場で出動する事は、内部の人間にしか通達して……』

 言葉が止まる。それ以上を言葉にする必要が無くなったからだ。

 伊勢島が不敵な笑みを浮かべている。

 彼はとっくに、その結論に達していたのだろう。回りくどく、休憩になりそうな時間を稼ぎながらも、彼は神鉄より一歩早く、その結論に辿り着いていたのだ。

 そうして、彼より遅く、その結論について思い浮かんだらしい井馬女史が、慌てた声を上げた。

『ちょ、ちょっと。黙って聞いていたけれど、すごく重要な事をあなたは言っているわ。本当に、その……とても言い難い事だろうけど……』

「超能力犯罪者は、俺達側にいる。だからこっちが後手後手になって、あっちが先んじて行動し続けてんだよ。何せ、情報が筒抜けで、その抜けた情報を有効に使えるんだからな」

『待て。確かにそう考えられるし、実際、合点が行く部分が多々あるが……』

「結論を出すには早いってか? だが、この考えより結論に近い話でもあんのかって話でね。実を言えば……最初から俺は、俺達、対超能力者のために集まった警察やら一般企業やら公的機関やらの中に、裏切者がいるんじゃないかと、ずっと思って行動してきたのさ」

 そんな行動は必要か。問われれば、神鉄とて必要だと答える。超能力者とはそういうものだからだ。

 誰にだって、人間である限りは超能力者になる可能性を秘めている。

 味方と思われる人間が超能力者になる。もしくは、ずっとそういう立場であった事を隠している。どちらもあり得る事で、その力を悪用しようと思う事だって、どんな時もあり得るのが超能力者なのだ。

 だからこそ、人々はその力を超能力と呼ぶ。常態からの変化、個人の突出を引き起こす、厄介極まりない力だと。

「対超能力って部分を考える場合、何時だって裏切りは想定しなきゃならねえ。少なくとも、俺はそう考えてる。それこそ、あんたみたいな機械じゃない限りはな」

 むしろ、その危険性を鑑みて、神鉄は作られたのだ。決して裏切る事の無い、超能力とは無縁の体を持った鉄の人型を。

『言いたい事はあるが……いや、言える事は無いな。そちらの考えを、否定できる言葉が無い。私という存在からしてそうなのだから。だが、何故、その話題をここに来て話す?』

 唐突に話せる内容でも無い。むしろ、狙って話した様な印象を伊勢島から受けた。

「良い機会だと思ったんだよ。とりあえず、お前さんは信用できるんじゃねえかと思ってな」

『神鉄は、それこそ信用して貰わなくちゃ困るわ。人間を裏切る機能なんてものは存在していないの』

 確かに、機械が裏切るなどと言う状況を想定するなど馬鹿げている。神鉄の頭脳には、役割を果たすという目的意識が第一にあるのだから。

『ですが井馬女史。その信用こそが難しいのではと、私は思います。例え私の存在が信用に値するとしても、実際に信じるのは、作られていく人間関係の中でしか出来ない事です』

「ははっ。まあ、その通りだよ。まったくもって、お前さんの言う通りだ。最初、俺は誰彼構わず疑うつもりで居た。その方が、裏切者を見つけやすいと思ったからな」

『では、何故、それを止めた? 私とて、伊勢島殿にとっては疑うべき相手かもしれないはずだ。私の存在がどうであれ、そちらから見れば得体の知れない存在だろうに』

 機械の人型をどれほど信用できると言うのか。神鉄は自分自身、短い付き合いの相手にとっては、信用し辛い存在である事を理解していた。

「教えてやろうか? 聞いたら驚くかもしれねえぞ? もしくは呆れるか」

『ふむ。くだらない話題になりそうと言う事か』

「おまっ……そういう言い方は無い………おい、聞こえたか」

『聞こえたし見た。壁越しだろうが、あれだけの破壊音と熱量を、センサーが捉えないはずも無い!』

 休憩のために立ち止まっていた神鉄達であるが、二人とも間を置かずに走り出した。

 向かう先は、すぐ近くにある仕事部屋。そこにはまだ何人か仕事をしている人間がおり、突如現れた侵入者に驚きの目を……向けてはいない。

 彼らもまた、神鉄達が向かった先である、近くに立つビルが見える窓へと視線を向けていた。

『何? 何が起こったの?』

 井馬女史の声が神鉄を通して部屋に響いている。だが、その問い掛けに答えるには、まだもう少し時間が欲しいところだ。

 目の前で、隣のビルが炎上している光景を受け入れるには、ワンテンポほど時間が欲しいと思うのが人情のはず。

『井馬女史……やられました』

 人ならぬ神鉄であるから、人情などを機にせず報告を始める。井馬女史からは見えぬ光景だろうが、それでも、知って置いた方が良い事だと思われた。

『もしかして……美和が向かったビルが爆破されたの!?』

『はい。破壊音はそちらでも拾えたでしょうか? 彼女の予想通り、片方は罠だった様です』

「どうだろうな。あっちが本命で、先にやられたってだけかもしれねえ」

 どちらにしたところで、蘭条がしてやられたという事を意味していた。

 信じたくは無いものの、蘭条が満足に動けない状況だったからこそ、今の光景があると思えば、伊勢島の言葉も馬鹿にはできまい。

『神鉄……もし、美和がそのビルにまだいるんだとしたら……』

 深刻そうな、暗く重い井馬女史の言葉が伝わって来た。彼女が次に何を言いたいのかもだ。だが、その言葉を伊勢島がすぐさま否定する。

「悪いが、助けには行けねえぞ?」

『伊勢島殿……』 

「神鉄、お前さんだって分かってるはずだ。ここで助けに向かうってのは、それこそ罠に嵌りに行くようなもんだろ。嬢ちゃんが無事で居て欲しいなら、上手くやってる事を祈るしかねえのさ」

 伊勢島の言う通り、燃え盛るビルの中に突っ込むのは、自分から不利な状況に飛び込む様なものだろう。

 どの様にビルを破壊していくか。それを決めるのは超能力犯罪者の側にあり、容易く神鉄達を追い詰める事も出来るはずだ。

『けど……じゃあどうすれば……』 

「悪いが博士、その問い掛けこそ、あっちのビルに向かえない理由になっちまう。俺達がここから上手く立ち回るには、ここで待ち受ける他無い。あっちのビルに超能力犯罪者がいたとして……だけどな」

 超能力犯罪者の捜索を続ける内に、現在いるビルの構造ならば、ある程度の把握が出来ている。

 燃えるビルが敵の領域ならば、神鉄達がいるビルは、敵をと戦うための要塞と言ったところだろう。

『だが、何もせず突っ立っているという選択肢も無い』

「おいおい。軽挙妄動をしようってのか?」

『避難誘導くらいはするべきだと言っている。こっちのビルが戦場になると言うのならばだ』

 伊勢島と睨み合う……と言う程の時間も無く、神鉄は動き始めた。

 というより、未だに燃えるビルを見つめている一般人達へと話しかけた。

『皆さん、どうかこのビルからの避難をお願いします! 避難経路は頭に入っていますか? ある程度、こちらで誘導もできますが、こちらを仕事場にしているあなた方ならば、出来る限り安全な経路での避難できるはずです!』

 出来るだけ急がせつつも、不安にはさせない様に努める。音量は大きめに調整していた。

 これから、ビル全階を回って、残っている一般人をビルから全員撤去させなければならないのだ。

 幸運な事に、今いる部屋の人間は神鉄の声に反応して、部屋を出て行き始めている。

『エレベーターは万が一にでも止まる可能性があります。体力に余裕がある方は、階段を使ってください!』

 声を張り上げつつも、良く通る様に。それくらいの声量の調整も出来る自分の体が、今は有難い。

 伊勢島はこちらを見つめたまま、何やら複雑そうな面持ちであったが、それでも軽率そうな雰囲気は消えていない。

 もっとも、だからどうと言うつもりは無かった。彼はきっと、超能力犯罪者がこちらのビルへ襲い掛かって来るのをずっと待っているだろう。それが間違いとは神鉄には言えない。

 ただ、その時点で、神鉄がやるべきと思う行動とは違えてしまっていると言うだけの事。

 だから神鉄は彼一人を残し、一般人と共に部屋を出て行くのだ。この階の避難を完了させれば、次は別の階へと足を運ばなければならないのだから。




 神鉄がまず向かったのは上の階である。下の階にいる人間程、避難もしやすいだろうから、真っ先に支援すべきは上層階にいる一般人だと判断したのである。

 階を登り、そこで近くのビルが燃えている事を示して、ビルから退去する様に誘導する。機械の人型が喋っている事に奇異の視線を向けて来た者もいたが、そんな視線は、文字通り無視する事にした。

 むしろ、目立てば目立つだけ、自分の機能を見せつける事にも繋がる。人命救助用ロボットなどと思われれば上等だった。

 そうして避難を進める内に、屋上までやってきた。勢い余っての事である。勿論、こんな状況で、屋上で和んでいる人間などいるはずも無い。

『次は階下を回るか……』

「その必要もねえな。下の方は先にやっといた。隠れてる奴でもいない限り、ビルに一般人はもういねえよ」

『伊勢島殿……』

 ばつの悪そうな顔で頭を掻きながら、伊勢島が屋上へとやってくる。どうやら、彼もまた一般人の避難誘導をしてくれていたらしい。

「お前さんの言う通りだ。やる事があるなら、のんびり敵を待たずに出来る事をするべきだろうって俺も思うよ」

 またもや、彼はへらへらと笑っている。だが、その笑い方にも、最近は慣れて来た。彼は彼で、信頼しても良い人物だと、神鉄は思える様になってきたのだ。

「あー……それとだな、その伊勢島殿ってのもやめろ。呼び捨てで良い」

『いや、しかしそれは……』

「生まれてこの方、人を呼び捨てになんてした事ないか? なら、良い経験だ。とりあえず、俺で慣れておけ。これから、お前さんがこうやって人と関わっていくってのなら、必要な経験だろ?」

 そんな経験が必要なのかという疑問はある。ただ、相手が望む反応を返すのが、機械の自分にとっては必要な技能かもしれないので、伊勢島の提案を受け入れる事にした。

『では、伊勢島。やるべき事をした後はどうする? 一般人の避難の後は、仲間の救出だ。あちらのビルへ……』

「だからそっちに関しちゃ、一向に反対なんだが……なあ、博士はやっぱり、まだ俺達があの燃えるビルに突っ込んで欲しいのかい?」

『……ごめん。私情が混じっている事を謝罪させて。暫く、通信もするべきじゃあないと私は思う』

 意外な事に、井馬女史は蘭条について、かなり強い思いを抱いている様子だった。

 恐らくは仲間意識、友情と言えるものがあるのだろう。会えば喧嘩ばかりしている印象があったのだが……。

『通信については……残念ながら、その通りです。暫くはするべきでは無いでしょう』

『ええ、やっぱり、あなたもそう思うのね、神鉄。こういう場じゃあ、あなた達の判断の

方を優先して……神鉄?』

 井馬女史の言葉を聞きながらも、神鉄は別の事についても、思考を巡らせていた。

『通信が出来ないと言うのは、別の理由です。来ました。奴が』

「はっ。確かに、そろそろ来てもおかしくないよな? しっかし、隠れもせずに、正面からかよ!」

 伊勢島がサブマシンガンを構えている。

 神鉄も同様に、持ってきたD―1装備を片手に持ち、燃えるビルの方へと向けた。

 そこから、人が浮いて近づいて来たからだ。

 翁の能面を被ったコート姿の超能力者。神鉄が戦うべき相手が、その力で持って、こちらへと襲い掛かろうとしているのである。




 炎の大蛇が屋上にとぐろを巻く。最初から逃げ場などほとんどない高層のビルの上で、じわりじわりと炎がその中心にいる者達を縛り付けようとしていた。

 縛り付けられる側は神鉄と伊勢島だ。真っ先に階下への通路が、超能力犯罪者が発した炎の柱に塞がれ、そこからさらに広がった炎の渦により、四方を囲まれたと言うのが、今の状況である。

「挑み掛からず、さっさと逃げとくべきだったか?」

『私単独なら、それでも逃げられるが……それは選ばん』

「ははっ。そいつぁ嬉しいね。残されて、一人寂しく焼死体って人生の終わりだけは無さそうだ」

 この後に及んで、未だに軽口を叩く伊勢島。これはこれで、一種の才能だろうと神鉄は思う事にした。

 実際、炎自体は神鉄の脅威では無い。神鉄の耐熱性能を上回る熱量では無い以上、それを掻い潜れば良いだけだ。

 だが、それ以上に厄介な事態がここにある。

『空を飛ぶ機能……私も付けて貰うべきなのだろうか……』

「あいつの脅威ってのは、炎や爆発じゃなく、やっぱりあの空に浮かぶ力だよな」

 超能力犯罪者は空を飛び、隣のビルからこちらまでやってくると、浮いたままの状態で炎を放ってきたのだ。

 炎がそれほどに脅威で無くとも、こちらの攻撃が届かない。そうして、神鉄はともかく、伊勢島にとっては炎自体も脅威であった。

 このビルの屋上……実を言えば相手にとって有利な場所なのかもしれない。蘭条はビルが罠だと表現していたが、つまり、相手に誘い込まれた様なものだとも言えた。

『その点に関しては、こちらも対策はして来ているはずだ』

 神鉄は手に持ったD―1装備を超能力犯罪者へと向ける。が、向けたまま、その引き金が引けなかった。

「そっちは残り、何発撃てる?」

『3発だ。私の機能と合わさって、一発必中の器具であるから、弾数はそれほど多く想定されていない』

「さっき一発外しといて良く言うよな」

 外したのでは無く、防がれたと弁解したい。

 実は超能力犯罪者が接近して来る間に、一発、相手に向けて引き金を引いていたのだ。

 結果、威力的には、敵の風圧らしき防壁を突破できたのであるが、それでも、その軌道がややズレ、命中までは届かなかった。

 空を飛ぶ超能力犯罪者側の動きについても、厄介な部分がある。

『当たり前の話として、向こうも対策はしてきている……らしい。空気の防壁を張ったまま、空を変則的に飛ぶ技術と言うのは、超能力以前にかなり独特な技能とは思わないかな?』

「ちっ、まるで糸の切れた凧みたいだな」

 神鉄の方はテルテル坊主の印象を受けた。

 勿論、超能力犯罪者に対する感想である。奴は風に揺られる様に、その身体を宙で揺らし、回し、その合間に、炎による攻撃を放ってきている。

 どうやら相手は持久戦を挑んでいるらしく、こちらの攻撃が届かない様にとの意図が見て取れた。

『例のモールでは、むしろこちら側にとって有利な戦場だったかもしれん』

「届く足場になりそうな場所が幾らかあったからな……だが、それでも、やり様ならあるさ」

 伊勢島の方もサブマシンガンを構えた。いや、構えと言うのなら、超能力犯罪者が姿を現してからずっとしている。

 重要なのは、伊勢島がこれから走る様な姿勢となった事だ。走り回るにしても、狭くなった炎の蛇の内側。

 炎に焼かれていない場所でも相当に熱くなっており、伊勢島の体が心配になってくるものの、それでも伊勢島は駆けた。

 燃え立つ炎のすれすれを駆け抜け、一気に神鉄が立つ場所の丁度反対側へ。彼の意図を察した神鉄もまた、伊勢島から距離を取る様に後方へと跳んだ。

 こちらは炎も気にせず、屋上の端まで下がり、そこでD―1装備を構えた。

 向こうでは同じく、伊勢島がサブマシンガンを超能力犯罪者へと向けており、引き金を引くのは伊勢島が早かった。

(宙を狙っての挟み撃ち……という事になるか)

 狙いはサブマシンガンとD―1装備の射線をクロスさせ、超能力犯罪者が移動する軌道そのものを攻撃する事だった。

「おらおら、どうした!」

 伊勢島が、挑発のつもりなのだろう声を張り上げながら、残弾をゼロにする勢いでサブマシンガンから弾を放っていく。

 それを避けようとする超能力犯罪者であるが、避ける先に神鉄が放ったD―1装備の弾丸(テイザーガン用の針を包んだ金属のキャップだ)が迫る。

 伊勢島が追い詰めて、神鉄が一撃を当てる。その様な目的をもっての攻撃だったが、どうやら超能力犯罪者は、神鉄が狙っている事を察していたらしい。

 超能力犯罪者は避けるのを止め、落ちたのだ。宙に浮く余裕があるのだから、その力を解けば、落下による急速な移動が行える。

 結果、挟み撃ちだったはずの神鉄達の攻撃は見事に避けられ、超能力犯罪者をほんの少し、その空から落とす程度の結果へと終わった。

『ここで終わりと言う事にすればだがな!』

 少しばかり落下し、そうしてまた宙に浮かび始めた超能力犯罪者。だが、それこそが神鉄達の狙いでもある。

 狙いは変わらず追い詰めて一撃をぶち当てる事。だが、弾丸はあくまで追い詰めるための手段であり、一撃はこれから放つのだ。

 そのために、神鉄は跳ねた。

『そこは……届く距離だ』

 超能力犯罪者は、こちらの攻撃が届き辛い場所で、尚且つ自らの炎が届くぎりぎりの場所で攻撃を仕掛けていた。

 それはつまり、ほんの少しでも距離を詰められれば、こちらの攻撃とて届くと言う事。

 例えば、神鉄が全力で跳躍し、その拳を眼前に突き出せば、十分にその質量を伝える事が出来る距離に超能力犯罪者は落ちたのだ。

 ちなみに、その例えを神鉄は既に実行している。

「ぐぅっ……」

 声が漏れた。神鉄の声では無いし、伊勢島の様な軽い声でも無い。女の……目の前の超能力犯罪者の声であった。

『………!』

 拳を超能力犯罪者の脇腹に叩き付け、勢いのまま相手が吹き飛ぶ前に、そのコートを握り、二人して屋上へと落ちる様にする。

 神鉄の身体であれば、その様な芸当も可能であるし、その際の肉体への反作用も容易く耐える事が出来る。

 一方で、超能力犯罪者はそれだけで身体を激しく揺さぶられ、相当のダメージを受けるに違いない。

 だが、それでも、この場における衝撃は神鉄にとっても相当なものだった。

『まさか……いや……間違いは無いが……』

 落下し、屋上へと超能力犯罪者を叩き付ける寸前で、神鉄はむしろ、超能力犯罪者を庇った。

 自らが下側になる様に位置取り、さらには受身を取る事で、衝撃が超能力犯罪者へ伝わらぬ様に着地したのである。

 出来れば生きて捕える。恐らく、その様な命令は出てはいないのだろうが、それでも庇った。

 これまでの犯罪活動を鑑みれば、むしろ即座の射殺を命じられる類の相手でもある。だからこそ、伊勢島だって火器の取り扱いを許可されている。

 だがそれでも……。

「どうした神鉄。犯人の正体が、そんなに意外だったか?」

 庇ったはずだが、目を閉じて気を失っている超能力犯罪者を見て、伊勢島が呟いた。

 そう、翁の能面を模した覆面。それを脱がした素顔がここにあった。

 神鉄は超能力犯罪者の身体を腕の内から降ろすと、その顔を観察し続ける。

『伊勢島……その言い草、勘付いていたのか?』

「言ってたろ? ずっと、身内について俺は疑ってたんだ。こいつについても同じでね。というか、炎を操る超能力者って時点で、疑ってかかるべきだったんだよ」

 気絶している超能力犯罪者、蘭条・美和を見ながら、神鉄は伊勢島の返答を聞く。

 その言葉に納得できるかどうかは怪しいところではあるが、目の前の光景は非情な現実を教えて来る。

 そもそも、神鉄のセンサーや所持記憶は人間の精度を遥かに上回っているため、間違えるはずも無かった。

 先ほど、攻撃を加えた際のうめき声でも、神鉄は蘭条の声だと判断できたのだから。

「……博士との通信はどうしている?」

『既に切っている……蘭条臨時巡査部長についての情報は、井馬女史に混乱を与えると判断しての事だが……これを幸運だと思えと?』

「悪運の一つではあるだろうな……ただ、胸糞だって悪い話さ。警官が、それも対超能力者のための超能力者が犯人なんてのはもっともそうだ」

『何故、彼女は犯行を続けたのだろう……謎が多過ぎる……今、通信を繋げていなくとも、何時かは井馬女史も知る事になるだろう。そんな時、何と説明すれば良いのだ……』

 意味の分からぬ字が羅列された方程式の、解の部分のみ教えられた気分だった。

 蘭条がどの様な人生を送り、どの様な動機を抱き、どの様な犯行を繰り返して来たか。

 それらの情報はつぎはぎだらけだと言うのに、蘭条こそが超能力犯罪者、大声の誇示者だと言う事だけが判明してしまった。

「謎ね……確かに、謎は多いわな。直近の謎としては、こいつと俺達は、超能力犯罪者と共闘したはずなんだ」

『それは……つまり……』

「答えはこうよ」

「なっ―――ぐぁっ!?」

 伊勢島が横殴りで吹き飛ばされた。殴ったのは人型であったが、人では無い。人の形をした炎の塊だ。

「手を離したのは失敗だったわね? 機械人形」

『ぬっ!?』

 次の瞬間には、神鉄もまた吹き飛ばされていた。炎の人型では無く、目を見開いた蘭条の仕業だ。

 彼女は目を覚ますや否や、神鉄の身体に手で触れ、そこから爆発的な火力を発生させたのである。

 二度三度と屋上をバウンドし、その度に床を叩き壊しつつ、神鉄は屋上の手すりへとめり込んだ。

 もう少しばかり勢いがあれば、そのまま屋上から叩き落とされた事だろう。そうなる前に、床に手を喰い込ませていたのも幸運だった。

「やっぱり、近距離なら通用するみたい……こっちも一か八かか」

 蘭条は目を覚まし……というか、気絶したフリをしていたのだろう。

 彼女はそのまま立ち上がり、目線を神鉄へ向けて来た。

 さらにその脇では、人型の炎が腕を振り回し、伊勢島を襲っている。

「なるほどぉ! こいつに仮面とコートを着せてたってわけかよ! 燃えやしないのかね!?」

 伊勢島は人型の炎に振り回され続けている様子だ。

 一方的とすらも言える光景。動き自体は伊勢島の方が上手く立ち回れているのだが、炎相手に反撃も何もあったものでは無いらしく、徐々に後退を続けている。

 では、神鉄の方はと言えばだが……。

『確かに……接近した際のあなたの超能力は脅威らしい。蘭条臨時巡査部長』

 蘭条に手で触れられた部分。人体で言えば脇腹に当たる部分が焼け焦げ、軋む。

 相当の耐久力を持っているはずの神鉄の身体が、それでもダメージを受けていた。

 まだ、行動に支障の無いレベルではあれど、この後の修理は必須であろうし、何より、何度もこのダメージを与えられれば、神鉄とて膝を折ってしまう。

『一か八かと言いましたが……試してみますか?』

「挑発のつもり? なら、もうちょっと上手い言葉を学ぶべきね。だって、最初から、こっちはそのつもりだもの」

 想像以上の速さで、蘭条が接近してくる。先ほど、神鉄がある程度ダメージを与えたはずで、実際に彼女の顔色は青いものであったが、それでも、これから戦いを始める気でいる様だ。

『正体を隠す必要が無くなったからか、随分と喋る様になっているらしい』

 神鉄も立ち上がり、構えを取る。衝撃を受けたとは言え、戦えない状況では無いし、ましてや対人戦闘で敗北する性能ではもっと無い。

「なら、お喋りでもしようか?」

 蘭条が既に手の届く距離までやってきた。神鉄の骨格とそれを包む金属の人工筋繊維が彼女の動きに反応し、腕を火薬で弾け飛ばしたが如き速度で突き出した。

 普通なら避ける事は出来ない。まともに当たれば重傷どころか、当たりどころが悪ければ死すらも免れないそれであったが、空を切る。

『そちらもまた、爆発の如き動きをする!』

「文字通り……ねっ!」

 接近していた蘭条が、瞬時に体ごと、こちら側から見て左方向へブレた。

 爆発……だと思われる。火とその爆発を超能力として使用できる彼女は、その周囲を爆破させた際の衝撃で、急速に動けると言う事らしい。

(もっとも、その移動自体、生身の体には辛いはずだ……)

 蘭条の表情を見れば苦痛で顔を歪めている。

 だが、その程度だ。まだ動けている様子を見るに、衝撃による負担を何かで和らげているらしい。

(空を飛ぶのは風や大気と言ったものを操っているという事で……つまり、クッションとしても使えるのか?)

 だとすれば、神がかりとしか言い様が無い。爆破と空気の圧。その二つを利用し、体を無理矢理に動かし、超人的な行動を可能としているのである。

『まさに超能力……かっ!』

 再び、蘭条の手が神鉄に触れる。

 今度は蘭条へ叩き込もうとした左腕。そこにまたもや強烈な衝撃が加えられ、腕の奥にある骨格が悲鳴を上げた。

「まずは一本ってとこ?」

 衝撃は腕だけで無く全身に及び、またもや吹き飛ばされる。転がり、地面にぶつかり、質量を持った金属装甲が甲高い音を鳴らして行く。

 音だけで無く、身体全体へのダメージとしても現れた爆発だった。もっとも酷いのは、やはり直接触れられた腕の部分。

『ええ、まずは一本。腕の機能を奪われるというのは……確かな脅威に違いありませんね』

 神鉄は左腕の損傷を確認する。さすがにもがれてはいないが、それでもへし折られては居た。

 痛覚など無い身体であるが、部位の損傷を告げるアラートが頭の中で流れ続けており、無理に動かそうとしたところで、ガタガタと指が震えて終わる。

「あと3本。もう一方の腕と、両の足を爆破できれば私の勝ちよ、機械人形」

『大した自信だ。私が知るあなたの能力は、これほどのものでは無かったはずですが』

「発現した超能力が、成長しないとでも思っていた? 世間って言うのは何時もそう。私達超能力者を、変わらない、ただそれだけの存在だと扱おうとする。けど、そこに隙がある。あんたもそう!」

 把握していたと思っていた超能力者もまた、変化、成長を続ける。

 それもまた、超能力者という存在の厄介な部分。そんな事は超能力に詳しい人間なら誰だろうと知っている。

 だが、それでも彼女は隙と呼んだ。不変なものはこの世界に何一つ存在しないと言うのに、その危険を真っ先に認識させる力が超能力だと言うのに、人は一度把握してしまえば、それで安心を得ようする。

 そんな隙を、彼女は利用したのだと言う。

(私にもまた、そういう隙があったか)

 手を伸ばす。何度だろうと、自らの機能が停止するまで、超能力犯罪者を捕えようとするのが神鉄だ。

 そう、捕える。撃退でも無く、殲滅でも無く、捕えなければならない。手の抜けないはずの相手でも、超能力者という予測不能な存在相手だとしても、その攻撃が相手の命に届いては成らないのだ。

 だからこそ、神鉄の伸ばした腕は空を切る。ほんの少しの手加減。重傷にはしても、命までは奪うことは出来ないという設定が、神鉄の機能を十全から欠けたものとする。

 蘭条はそれを利用して、神鉄の攻撃を掻い潜り、逆にその手を神鉄へと届かせて来た。

 再び身体のどこかに蘭条の手が触れれば、その部分の機能が喪失し、その果てには、神鉄自身の機能停止が待っている事だろう。

「皮肉な話よね? 私はそれを変えたいと思ってる。私達が、単なる超能力者としての形じゃなく、超能力なんて力を持ってしまった人間だって、誇示したいと思っている! けれど、それを示すために、周囲の人間の意識を変えるために、その考えを利用する!」

 蘭条の手が神鉄に触れる。今度は右腕。

 両の腕の機能を損失すれば、神鉄のその力は良くて半減。悪ければそこでお終いだ。

「はいそうですかって受け入れるわけがねえだろうが!」

「うっ……ぐぅっ……あんたもいたかぁ!」

 炎の人型を掻い潜り、伊勢島が蘭条の後ろに迫っていた。

 彼はどこかに装備していたらしい警棒で蘭条を殴りつけた。

「忘れてんじゃねえよ! ハッ、あの人型の炎の動きも、随分と拙くなってたからな? ご立派な事くっちゃべってるが、随分と追い詰められてるってことだよ、てめえはな!」

 殴りつけられた蘭条が、咄嗟に伊勢島から距離を置こうとする。

 一方で伊勢島はその隙に、神鉄の隣へと立っていた。

「てめえもだ、神鉄。ぐだぐだ話したところで、今がどうにかなるわけじゃあねえだろ。お前の動きに隙があるってのなら、その隙を受け入れて、奴を捕えなきゃならねえ」

「そうやって理解されないからこそ、私はぁ!」

「やってる事を考えろや! 理解される立場かよ、てめえは―――があっ!!」

 口では勝っている勢いのあった伊勢島だが、やはり正面切って超能力者と戦うのは厳しいらしい。

 蘭条から炎が放たれ、その熱が伊勢島を燃やそうとしていた。だからこそ、神鉄はその炎から伊勢島を守るために、伊勢島の体を蹴り飛ばしたのだ。

「おい……神鉄……お前なぁ……」

 悲鳴を上げながら屋上を転がる伊勢島を見て、少々強く蹴り過ぎたかと思ったが、軽傷程度であるはずだ。

 それだけの手加減はできる。いや、手加減しかできないと、先ほど指摘されてしまった。

『だがまぁ……伊勢島の言う通りではあるか』

「あんたも馬鹿で軽い奴になるって?」

 伊勢島がそこらを転がっている間に、再度、蘭条が接近してくる。

 伊勢島に殴られたところで、大したダメージでは無いらしい。先ほどと変わらぬ動き、素早さで、神鉄の手の届く範囲へ。

 同じという事は、神鉄には避けられないはずである。同様の過程は、同様の結果をもたらしてくるのが当たり前だ。

 運命とかを変える思いだとか奇跡だとか。そんなものに身を委ねる機構を神鉄は持っていなかった。

 だからこそ、破壊される事は許容する事にしたのだ。

『馬鹿で軽くか……正解だ!』

 神鉄は身体を捻じり、無理矢理に、蘭条が触れようとする部分に左腕側が向かう様にした。次の瞬間、やはりの衝撃。弾け飛びそうな衝撃は、実際に神鉄の左腕を千切り飛ばしていた。潤滑油が飛び散り、電流による火花が切断面を彩る。

「あんた……まさか!?」

 ここで終了だ。既に機能を失っていた左腕一本、千切れたところで問題は無い。

 むしろ半壊の状態からの吹き飛びであったため、その衝撃が全身へと伝わらず、左腕のみで完結する。

 残った右腕と両足はその場を動かない。むしろ、それを狙って強く足を固定していた。つまり目の前には、蘭条がまだそこに立っている。

『手加減しか出来ないのなら、その損は受け入れる。それでもまだ、あなたには勝てる!』

 右腕で蘭条を抱く様に掴み、そのまま力を込めて行く。

「ぐっ……かはっ……こんのぉっ!」

 白目でも剥きそうな蘭条の悲鳴。神鉄が強く締め付け、圧迫による窒息を狙った結果の叫びであった。

 だが、それでも神鉄の機能は目の前の彼女を死なせまいと加減をしている。

 蘭条が反撃を狙うだけの隙を与えているのだ。その程度の力しか発揮できない現実がそこにある。

「こ……のっ……程度ぉ!」

 蘭条の叫びと悲鳴。

 だが、それもまた受け入れよう。馬鹿みたいに受け入れて、自分の損傷を軽く扱いながら、それでも蘭条を捕えるために行動を続ける。

 機械の神鉄に求められている本当の機能は、そういうものでもあるはずだ。

『ここで私を爆破するか? それも良いだろうが、この腕は離さない。つまり、あなたも爆発の衝撃に巻き込まれるが―――

「な……め……ん……なぁ! ぐぎぃ……っ」

 神鉄の身体に、蘭条の爆発による衝撃が襲い掛かる。

 同時に、神鉄が腕で捕まえている蘭条もまた酷く揺さぶられた。

 蘭条は白目を剥きそうな、なんて状況ですら生温い。

 何本か骨が折れ、酷ければそれが内臓を傷つけているか。そんな状態であるはずだ。しかし、恐るべき事に、彼女にはまだ意識がある様子だった。

『今ので、私も脇腹の装甲が乖離した。もう一発喰らえば、深刻な機能障害が発生するかもしれない。だが、あなたはどうだ? 次は……本当に死ぬぞ? 私が幾ら手加減したところで、あなたを殺すのはあなた自身の力だ』

「はっ……試してみる? あんたと私……どっちが頑丈か……」

『試さなくても分かる。そちらとて分かっているはずだ』

 金属の体と、超能力を持っていたとしても生身の体。

 どちらの耐久性が高いかなど、考えるまでも無い。そもそもからして、神鉄の身体は替えが効く。それこそ、人間が持つ命と呼ばれる部分でさえも。

「そう……じゃあ……あんまりしたくない手を……使うしか……無さそう……ね」

 また、自爆覚悟の爆破を行うつもりかと警戒する神鉄。

 だが、蘭条は服のポケットからスイッチの様なものを取り出した。手で握り込み、親指で押すだけの簡素なものである。

『それは……』

「私が……どうやって………このオフィス街全体を破壊するんだと……思ってた? 私の……超能力だって、そんな事を………するのは……難しい」

 蘭条は笑う。これで最後だと言わんばかりの笑顔だ。何かを決めた表情。どう考えたところで、したくも無い手段をすると言った雰囲気ではない。

『爆弾を仕掛けていたか!?』

「正解。ほんと……馬鹿みたいよね? 犯人が……超能力者だから……超能力を使ってしか……破壊活動をしない……って、みんな……信じ切ってる……」

『そうか。あのモールでも、あなたが傍に居た時に爆発が……』

「爆弾を仕掛けるのも……それをこっそり……爆発させるのも………とっても簡単……どうして……人間ばっかり探して………不審物を……警戒、しないのかしら……ね?」

 心の隙。超能力者と相対した時に生じる、誰もが感じてしまうその隙を突く。変わらず、蘭条の戦略であった。

 だとするなら、蘭条が手にもったスイッチ一つで、そこら中に仕掛けられた爆弾が爆発して、オフィス街は火の海へと沈む事になるだろう。

「私はっ……その思い込みごと……全部を壊してやるのよっ。超能力者だからって……超能力だけしか使わない……なんて……大間違い。そんな……当たり前のことすら……気付いていない……この社会を……大声で……ぶっ潰してやる!」

 蘭条がゆっくりと、スイッチに手で触れる。少しでも神鉄が動けば、すぐさまにスイッチを押す事だろう。

 今、彼女がそれをしていないのは、神鉄に恨み節を聞かせたいからという意味以外に無いのだから。

「本当は……もっと……大勢に、言い放ってから……スイッチを押すはずだったけど……追い詰められたなら………仕方ない……ええ、そう……ね。対超能力者なんて……名目で作られた……あんたの無様さを笑いながらなのも……悪くは無い!」

『やめろ、蘭条臨時巡査部長。それを押せば、本当に君は……』

「犯罪者……だって? もう……遅い! 私はとっくに踏みだ……なっ―――

 驚愕に染まる蘭条の顔と、次の瞬間には気絶するその姿。

 彼女の後ろ側にある、神鉄から良く見えるその場所に、伊勢島が立っていたのだ。

「なんつーかよ、ずっと、何度も忘れられてると思うんだよな? おい、神鉄。お前は忘れてなかったか?」

『そっちの姿が見えていなければ、彼女が爆破用のスイッチを手に持っている状況で、悠長に話など聞いていなかった』

 蘭条は神鉄の動きばかりを警戒していた。というか、他を警戒する余裕など、既に無い状態だったから仕方あるまい。

 だからこそ、こちらは二対一という有利な状況を利用させて貰ったのだ。

「ああそれと、これ。使わせて貰ったぞ? っていうか、ちゃんと普通に使えるじゃねえか」

 伊勢島の手には、神鉄が落としていたD―1装備があった。蘭条を気絶させたのも、テイザーガンとしての機能を使用しての事である。

『なんだ、キャップは外してしまったのか。まだ一つくらい残っていたはずだが』

「なんで鉄の塊を射出しなかった優しさを残念がられなきゃならねえんだよ……ったく。それで、これからどうする?」

 肝心の犯人を捕らえた。であるならば、仕事は終わりだ。

 だが、そうも行かないと神鉄は感じる。

『いろいろと考えなければならない事がある……と、言いたいところだが、さらにその前に、やるべき事がまだあるのでな』

「それはボロボロなお前さんの修理か?」

『ボロボロであるが、両の足の機能はまだ十分でね。ならば、やるべきは人命救助。そうして、消火活動だ』

 屋上の火は、殆ど蘭条の超能力が発生させたものだったらしく、ほぼ鎮火している状態である。

 しかし、最初に燃えたビルは、類焼がビルの多くへと届き、未だに炎と煙を巻き上げていた。

 人々を迫る害から守るのだって、神鉄が作られた理由の一つだろう。ならば、止まるという選択肢は無い。

「なら、こいつが目を覚ます前に然るべき場所で移送するのと、後の報告はしといてやるよ。消火作業に関しちゃあ、俺は門外漢だからな」

『助かる。他に助けを呼ぶ必要は……無さそうだな』

 既に、ビルの周囲には消防車両やレスキュー隊が集まり始めており、さらには対超能力犯罪のための人員もまた、この場所で事件が発生していると察知して集まっていた。

 労力の意味では、十分に足りているはずだ。

「なら、ここで一旦別行動だな。できれば、後始末も手早くが良いんだけどよ……」

『そう。手早く、被害がこれ以上広がらない様にだ。ここで倒れている、蘭条臨時巡査部長についてもだな』

「これ以上、罪を重ねる事が無い様にってか? それは残念な話になるだろうが、ここで何にもしなくても、この嬢ちゃんの重罪は確定だ。これまで繰り返した破壊活動の中で、人的被害が無いわけも無いだろう。人死にだって、一人二人じゃねぇ」

『ああ、そうだろうな……』

 だが、それでも、犯罪の繰り返しを止める事には何らかの意味があるはずだ。そう望まれたからこそ、神鉄の様な存在や、伊勢島の様な男が働いているのである。

 そうで無ければ、自分達の存在意義すら無くなってしまうではないか。

「ま、お前さんの考え方を否定はしねえよ。綺麗事は悪い事なんて考え方こそ、くそったれだと思うしな……ただ」

 伊勢島は気絶している蘭条を背負いながら、神鉄へと意地の悪そうな視線を向けて来た。

「消火作業をしている間、通信を切ってる博士へ、何をどう伝えるかどうか考えときな。高性能なんだろ?」

『……善処はするつもりだ』

 一番、痛い部分を突かれたと思う。

 なるほど、短い間だったとしても、伊勢島とはそういう部分を気付かれるくらいに、関係性は出来上がっているらしかった。




 ニュースが流れている。朝のワイドショーではどの局も同じ内容のそれであり、であるならば、複数番組がある意味はあるのかと問い掛けたくなるそんな光景。

 そのニュース内容が、あまり良い気分のしないものであれば猶更だ。

 超能力犯罪者、いや、超能力テロリストとすら言える大声の誇示者が遂に捕えられる。実はその正体が女性であり、尚且つ、対超能力犯罪者として雇われていた超能力者とあっては、大々的に報じずには居られない。

 要約すると、そんな内容ばかりである。超能力者はやはり危険だ。幾つもの事件で被害者が出ている。犯人には重い罰を。超能力者に関する対応についても、これからはより厳重に。等々コメンテーターが語っているが、肝心の蘭条自身の事柄については、それほど語られていない。

『世間の反応が気になり、テレビを置いていただきましたが、やはり、消してしただけませんか、井馬女史』

「ごめん、気を使わせちゃったわね」

 神鉄は再び、自らが日ごろ配置される部屋であり、尚且つ井馬女史の仕事部屋へと戻っていた。

 もっとも、オフィス街で蘭条を捕えてから1週間が経っている。

 その間、神鉄はボロボロになっていた身体を、なんとか五体満足の状態にまで修理していたので、久しぶりと言えば久しぶりの場所であった。

 近くに井馬女史がいるというのも、何だか懐かしい気分になってくる。ただし、この場についてを言えば、良い雰囲気では無かった。

 当たり前と言えば当たり前である。井馬女史は、友人が逮捕されたニュースを聞いて、明るくなられる人間では無いのだから。

「結局……なんだったのかしらね、美和。あれだけの事をしても、美和の事を、誰も理解しないんだから……自業自得と言えばそれまでだけど」

 井馬女史はテレビの電源をリモコンで消しつつ、俯いていた。

 大声の誇示者、蘭条・美和は、自らを超能力者としてでは無く、蘭条・美和という個人として見ろと叫び続けていた……様に、神鉄は見えた。

 そのために、超能力者として犯罪を繰り返しながら、一方で、超能力者とだけしか相手を見られない人間の隙を突き続ける事で、そんな人間を馬鹿にしようともしていたのだろう。

『彼女の思惑は、途上までは上手く行ったと思います。伊勢島などは、味方側に犯人がいるという発想から、超能力者云々の見方を取り払う事で漸く、彼女が犯人であるという部分にまで近づく事が出来た』

 実際は、直接ぶつかった上で、なし崩し的に正体が判明したわけであるが、もう少し時間があれば、伊勢島は蘭条の正体にも気付いてしたかもしれない。

 そうして、その様な結果であれば、まだ救いもあったのではと思う。

「私も……あの娘の悩みに、もうちょっと早く察していれば、何もかもを事前に止める事が出来たのかしら?」

『……残念ながら、それこそ思い上がりでしょう。彼女は自分の意思で……自分の行動を決めたのです。だからこそ、その責任をこれから果たさなければならない』

 そうして、その事に井馬女史が気負う必要も無い。そのはずだと神鉄は思う。けれども、井馬女史は気落ちした様子を崩すことは出来ないらしい。

「割り切れればそれで良いのだけれど……どうしても、ね。短くない付き合いだったから……。ああ、もう、話を変えましょう? 神鉄。身体の調子はどう? わざわざテレビのニュースが見たいなんて、どういう風の吹き回し?」

『ニュースについては、ですから世間の流れを見てみたいという好奇心です。私が初めて関わった事件。事後がどうなるかは気になるところでしたが、あまり良いものとは言えないらしい』

「それは……どういう意味でかしら?」

『超能力者に関する認知に関して、何ら進展がなされていません』

 この様なニュースであるならば、過去にも似た様なものが多く流れていた。

 超能力者が何かを仕出かした。これまでの対応は間違っていたのではないか? 超能力者はやはり危険。

 そういう論調ばかりが流され、何故か、その超能力者が事件を起こすまでの背景が、他の事件と比べて掘り下げられない。

『蘭条・美和……彼女が鬱屈する気持ちも、分からないわけではありません。同意はしませんが』

 やったことは最悪の部類になると思うが、超能力が怖い、超能力者が危険と、そこで思考停止され続ける社会において、超能力者がどんな反応を示すかの例の一つが、蘭条だとすら言えるかもしれない。

「そう……まったくもってその通り。超能力というものが発見されてから、社会はどうにもおかしくなっている気がする。超能力者だって……いえ、やっぱり、話変わってないわ。駄目駄目、また暗くなってくる」

 最初からそんな雰囲気である以上、変えるのも中々難しいと思える。井馬女史の事を考えれば、ある程度、明るい雰囲気にしたいと切に願っているのであるが。

『それと、私の身体についてですが……まだまだ万全ではありませんね。気分が悪いということはありませんが』

「そこは仕方ないわ。予算と時間の問題が……ね。ただ、曲がりなりにも事件解決に導いたあなただもの。今後は、もっと大切に扱われるはずよ。身体全体の完全修復だって、すぐに行われるはず」

『だと良いのですが……ただ、事件がこうやって終わった以上、私はどうなりますか? 評価されているとは言え、自由行動を許される、という事にはならないでしょう?』

 ぎくしゃくしがちな身体は治って欲しいと思うが、それには長期的なメンテナンスも必要であろうし、そもそも、事件が起こらなければ、神鉄をずっと起動させている理由も無くなる。

「それについても仕方ないことね、ごめんなさい、神鉄。あなたは十分に、超能力犯罪者に対処できる実績を残した。だからこそ、あなたの役目は、次が来るまで一旦は休みという事になると思う」

『であれば、私がこうやって話をするのも、あと数日と言ったところでしょうね』

 そう遠くは無いと思われる。既に実働段階へと至っている自分は、今後、実利のみにおいて動かされるだろうから。そこに、余計な起動状態が入り込む事は少ないはずだ。

 また、大きな事件でも起こらない限りは。

「予定では4日後。そこであなたの機能を一旦停止させて、修理及びメンテナンス。後に保管される。私が研究のために申請さえすれば、またこうやって話をする機械はあるでしょうけれど……」

『それでも、今よりは会話を気ままに楽しめる事は無くなるでしょうね。ああ、であれば、残りの4日を楽しみたいと思います。ニュースについて、テレビ媒体以外でも調べてみたいのですが、ネット接続できる端末等は用意できますか?』

「ふふっ、中々に要求する様になったじゃない、神鉄。いろいろと、世の中の影響を受けたのかしらね。ニュース以外にも、何か目的があったりしない?」

 さて、どう答えたものかと神鉄は考える。井馬女史の言う通り、ただニュースを見たいというだけでは無いのだ。

 別の目的。そのためには、何としてもネットに接続する必要がある。それをどう説明するべきか……。

『あの……笑いませんか、井馬女史』

「あら、それは答えに寄るわね? それで、どんなことを調べるつもりなのかしら?」

 興味深々と言った様子の井馬女史。少しばかり、彼女の気分を良くする事が出来たのだろうかと思いながら、神鉄は答える事にした。

『少し、自分の名前ついて考えなければならない用がありまして……』




 伊勢島・朗太は何時だって仕事をしている。いや、そうでもない。一日の仕事が終わって退庁すれば、あとは私生活の時間であるし、休日は一切、仕事の話をしないのが伊勢島の主義だ。

 だが、それはそれとして、仕事の時間は仕事をしている。偶にサボる時も無いでは無いが、やはりそれはそれとして仕事をしていた。

 今、上司に呼び出されて、その上司の執務室で話をしているこの瞬間もまた、仕事としてだ。

「とりあえず、今回は功績があったとしか言えないな?」

 上司、防衛庁内における、対超能力部局の室長をしているところのこの男。

 小太りな身体を紺色のスーツで包み、額から汗でも流しそうに気分の悪そうな表情を浮かべているこの男の名前は、()(ぐさ)阿藤(あとう)と言う。

 そんな手草の姿を見て、さらには言葉もついでに聞きながら、伊勢島は口を開く事にした。

「なんで人を褒めるのに抵抗を感じてるんでしょうかね? そりゃあ、うちの部局が、実際に功績を上げるなんて珍しい限りですけど」

 今回の呼び出しは、超能力犯罪者、大声の誇示者を伊勢島が捕えた事についてだ。

 途中、機械の男の手を借りた……というか、大半はあちらの功績だと思っているものの、伊勢島も大声の誇示者逮捕に関わった立場。

 伊勢島が所属する組織、防衛省超能力犯罪対策部局。略称、『超対』には長らく無かった、形のある成果と言えた。

「後始末は私の仕事が増えるからな。愚痴を聞かせに呼び出した……と言うのは嘘だ」

 冗談と言う事らしいが、本人はちっとも笑っていないので、可笑しくとも何とも無かった。

 初対面の時は、こんな様子の手草を不気味だったり怖いと思ったりしたものだが、付き合っている内に、彼なりの素である事が理解できる様になっている。

「へえへえ、愚痴でも何でも就業時間中なら聞きますがね。で? それが嘘でしたら、何の用でございましょうか?」

「不貞腐れるな。うちにも漸く日の目が当たり始めたという事を直接伝えたかったんだ」

 超対は、お世辞にも上等な組織とは言えない。

 もっとも、何かあくどい事をしていると言う訳では無い。そのあくどいことすら出来ないくらいに、組織としての力が弱いのである。

 何せ、事務方は兎も角、実動員は伊勢島を含めて数人しかおらず、こちらから出向かなければ、対超能力者関連の仕事はまったく無いと言える。

 顔を出したら出したで、よそ様の様に扱われ(実際そうなのであるが)、もう少し世間から優しさが欲しいと切に願いたくなる。そんな日々が続いているわけだ。

「成果と言っても、たった一度ですよ。それも、余所と共同の作戦だった。それでも当たる日の光なんざありますかね?」

「無理矢理にでも切り開くさ。それが私の仕事でな。ライバルの方がやらかしてくれたと言うのもある」

 超対のライバルと言えば、もちろん警察である。

 こっちは防衛庁、あちらが警察庁と言う組織の違いもあってか、同じ目的をもった別の集団というのが存在してしまう時がままあるのだ。

 警察庁の超能力犯罪対策課と対超が丁度そんな関係である。

 そうして、手草の言うライバルのやらかしと言うのは、伊勢島にも心当たりがあった。大声の誇示者の正体についてである。

「犯人が警察関係者だったってのは、笑える状況どころか、おっそろしい事だと思いますがね」

「含みのある言い方をするな。私だって、警察官がテロリストや犯罪者だったなんてニュース、顔をしかめる。だが、付け入る隙があるのなら見逃せない立場でもある」

 良い気分はしないものの、組織とはその様に動く時もあると、伊勢島だって分かっている。

 顔を知った人間の犯罪に気分が悪くなっているのは、単なる感傷に過ぎない事も、十分承知していた。

「すみませんね。幾らか、私情が混じった発言なのは認めましょう。ただ、言う程、こっちが有利に立てるのかって心配は、本当のところですよ」

 伊勢島が所属している対超は、言う程に立場も低い。

 一度功績を上げ、さらにはライバルが失態を見せたとしても、ではそれで組織が上向きになるかと問われれば、その程度ではまだまだと答える。少なくとも伊勢島はそうだ。

「正直……その通りだ。いや、あと一歩なんだが、どうにもな。機会というのなら、今回の様な事は珍しいだろうし、となれば、やはり我々は窓際集団と言う事になるのか……」

 政治的な部分は良く分からないので、あと何が一歩足りないのかについて、伊勢島には良く分からない。

 ただ、悩む必要は無いだろうと思う。こういう時に悩む立場の人間が目の前の男なのだ。伊勢島の仕事では無い。

「そこらについては、任せますよ。俺は首にならなきゃそれで……あん?」

 執務室の雰囲気が一気に変わる。その原因は他ならぬ伊勢島だった。

 ただし、伊勢島の意思に寄るものでは無く、伊勢島のポケット。そこに収められたスマートフォンが部屋で鳴り響いたのだ。

「……上司と仕事の話をしている最中に、そういう音はどうかと思うが」

「いや、さすがにマナーモードにしておくくらいの良識、俺にもありますって。なんだ? いったい?」

 鳴り響く着信音。何時も消音しているはずなのであるが、可笑しなことに、音量が最大になっていた。

 しかも、画面に映る着信相手が登録した憶えの無い相手であれば、さらに疑問符が浮かぶ。

 スマートフォンの画面には、神鉄(仮)の名前があった。

「ええっと……ちょっとすみません。すぐに戻って来ますんで」

「なんだ? 彼女か何かか?」

「いえ、鉄の塊です」

「は?」

 とりあえず会釈だけして執務室を去る。向かう先というのも無いので、執務室近くの掃除用具置き場に入り、着信に出た。

「あー……もしもし?」

『その声、伊勢島で間違い無いな?』

「……そっちも機械音声だから良く分かるけどよ。なんだ、神鉄。電話番号なんて教えて無かっただろ」

 着信通知のとおり、電話の向こうの相手は神鉄だった。

 オフィス街での一件から暫く、会う事も無かったので、久しぶりという感覚があるのだが、それよりもまず、何故、こちらに電話を掛けて来たかについてだ。

『うむ。探知させて貰った』

「……とりあえず、そんな事が出来る事と、どうやってしたのかについては、聞かない方が良いのか? おい?」

『詳しく話すとだな、ネットに接続できる媒体を用意し、私の人工知能と接続する。並のファイアーウォールであれば私に解除できないものは無いので―――

「良い、分かった。碌な内容じゃねえし、聞いたところで得になりそうも無いから、それ以上、その話題は止めろ」

 頭痛を感じて、スマートフォンを持っていない方の手で額を抑えた。そう、集中するべきは相手がいったい何の用であるかだ。

『そうか? なら、本題に入らせて貰うのであるが、ちょっと、今日か明日にでも、こっちに来てくれないか?』

「こっちってのは……博士の研究室か?」

『別にあそこは、井馬女史専用の研究室というわけでは無いのだが、まあ、そこだ』

 場所については、伊勢島も行った事があるので向かう事自体に問題は無い。あるのは疑問だけである。

「おいおい。大声の誇示者が捕まった以上、俺が訪問するなんてのはおかしく無いか?」

『許可なら取ってある……というか、社屋に入れる様にはしておく。何度も言うが、並の電子防御なら、ネットワークに接続さえすれば私が何とかする』

「……何かあったか?」

『……』

 ここで、無茶しているが、そんなに自分に会いたいのかなどと伊勢島は問わない。

 何かあるのだ。確実に。でなければ、無茶などする相手では無い……はずだ。

「今日、明日ってことは、出来れば早い方が良いと考えて良いか?」

『タイムリミットがある。明後日には、私は修繕のために工場入りする予定だ。そうなれば、長期間動く事が出来なくなってしまう』

「分かった、今から行く。何か持って行くもんはあるか?」

 緊急性のある用事である事は十分に理解した。詳しく話をとも思えたが、急ぎならば、それよりもまず、直接会う事が先決だとも。

『持っていける火器があれば……それと』

「火器については許可に時間が掛かっちまう。拳銃程度なら、携帯許可もすぐ下りるだろうが……で、それと何だ?」

『防衛庁の事務官に頼むのも何だが、手錠が一つ……あれば望ましい』




「いったいどういうこと? 神鉄。もう暫くここの居て欲しいって、さすがにそろそろ、私も仕事に戻らないといけないのだけれど」

 次の修理の時まで、神鉄はずっと同じ部屋で待機する事になっている。

 一方で井馬女史の方は、人間である以上、そうは行かない。神鉄の調整役としての仕事が彼女にはあるが、それ以外の仕事だって抱えているし、そもそも私生活は別だ。

 そんな彼女の苦労をあえて無視して、神鉄は井馬女史にも部屋での待機を頼み込んでいたのだ。

『恐らく、もう少しです。感傷的に頼んでいるのではありません。ただ、待ち人がそろそろ来るだろうし、その男とあなた。そうして私と、3人で話をしたいのです』

「話って……やってくる男っていうのはどういう……」

「悪い。俺の事だ。待たしたみたいだな」

 部屋へと入って来る男は伊勢島である。電話で伝えてから3時間程。素早い到着であるが、重火器等はやはり持って来れなかったらしい。

 一方で、手でかちゃかちゃと手錠を弄んでいる姿はさすがである。

 路上であれば即座に職務質問間違いなしの姿だと言うのに、持ち前の軽さで、手錠をかちゃかちゃ言わせるのが似合っている雰囲気を醸し出しているのだ。

「伊勢島事務官? あなた、もう神鉄との共同は終わったのじゃあ無かったかしら?」

「ああ、その通りなんだが、どうにも呼び出されてな。この社屋、ほんとセキュリティとか大丈夫か? この機械野郎のおかげか、全部素通りできたぞ?」

「なっ……どういうこと!? 神鉄!?」

 慌てた様子で井馬女史がこちらを向く。

 勿論、神鉄の犯罪に近い行為について問いただすためだろう。神鉄は自分の機能を、不正な方法で使用したのだから。

『身体は色々とガタが来ているとは言え、頭脳部分は健在でしたから……それに、我が社は警備部分を電子装置に任せている部分が多いですし』

「そういう事じゃない。分かっているの? あなたがそういう事が出来る事を私は知っているけれど、そういう事を許可も無くしてはいけない事は、あなだって知っているはずよ!」

 怒鳴られるというのは、どんな相手からでも気分の良いものでは無いと思う。

 それが、自分の親みたいな相手であれば猶更だ。

 神鉄は井馬女史の事を、親の様な存在ではと思っているし、そんな親から、真っ当な叱責を受ければ気分も落ち込む。

 だとしても、神鉄はこれからの事を止めるつもりは無かった。

『緊急時であるならば、違うでしょう?』

「緊急時って、今のどこか緊急を要する事態だと言うの? あなたが初めて関わった事件は終わって、あなたには暫くの休息が―――

『その休息……私が長期の修理に入る前に、終わらせておかなければならない事件があるのですよ』

 事件。そうだ、事件である。神鉄が関わるべき事件はまだ続いていた。

 少なくとも神鉄はそう判断しているし、だからこそ、不法に近い行為である事も承知で、無理に伊勢島を呼び出したのだ。

 事件となれば、共同で動くべき彼の存在も必要であるはずだ。

「あなたが新たな超能力犯罪のために出動する予定は無いわ。だから、新しい事件なんて無い。そのはずよ、神鉄」

『ええ、勿論です。勿論ですよ、井馬女史。新しい事件に私が配置する予定はまったく無い。だから私が動いているのは、これまでの事件。大声の誇示者に関する事件についてなのです』

「……やっぱ、そういう話なわけだな?」

 詳しい理由を説明していない伊勢島であるが、彼は神鉄が話そうとしている内容に、薄々勘付いていたらしい。

 もっとも、そうで無かったとしても、これからその説明を神鉄は行っていくつもりだった。

「大声の誇示者は逮捕されたわ。あなた達に……それは勿論、良い事なんだろうけれど……」

 自分にとっては複雑な事だ。そこまでは井馬女史は続けない。

 例え友人だろうとも、やった事は犯罪であり、しかも重罪だ。庇う様な発言は、それだけで空気を微妙なものにしてしまう。

 だが、そんな空気など糞くらえだと思う感情が、神鉄にもあった。

『我々はその仕事を完遂できていません。それは勿論、大声の誇示者がまだ野放しになっていると言う事でもありますね』

「待って。その……本気で言っているの? 神鉄? あなた、もしかして頭脳部分にも損害が出ているんじゃあ」

『頭部ユニットには損傷がありません。まあ、詳しく検査してみる必要はあるでしょうが……ですが、内部の事については、それこそ、異常があればあなたが気付くはずでしょう』

「それはそうだけど……ちょっと唐突過ぎる話題だし……」

「まあまあ、博士。とりあえず、こいつの話、聞いてみないかい? 案外、面白い話が聞けるかもしれないぜ」

 どうやら、伊勢島は神鉄のフォローに回る事にしてくれたらしい。彼の信頼を勝ち取っているからだと思うべきか、単に、伊勢島が流されやすい程に軽いからか。

 どちらにせよ、今の段階では有難い。

『蘭条臨時巡査部長が大声の誇示者だった。それは間違いありません。実際、我々が見ていますし、映像証拠も、私の記憶領域に残されています。ですが、それでもまだ、大声の誇示者は野放しにされていると私は考えているのですよ』

「つまりは、大声の誇示者は単独犯じゃねえって事だ。なんでそう考える、神鉄?」

『モールで私は、大声の誇示者を殴りつけた』

 肝心の蘭条と共闘した時の事だ。モールを爆破した翁面の超能力犯罪者に一撃を与える事が出来たからこそ、超能力犯罪者はそのまま退散した……とも言えた状況だった。

「ありゃあ確か、あの嬢ちゃんが炎で作った人型だったか。器用なもんだよな。威力についてはもっとだったが」

 頬を擦る伊勢島。そう言えば、彼はその人型に殴りつけられていた。

 炎の人型、その感触を思い出しているのかもしれない。

 そうしてそれは、神鉄とて同様だった。

『モールで相手を殴った際は、特に違和感を覚えませんでしたが……後になれば、それが不自然だと思う様になったのです』

「後からって言うのは、何時からの?」

『蘭条元臨時巡査部長が、炎の人型を作って見せた時からですよ。あれに翁面とコートを着せて、動かしていたから、彼女は超能力犯罪者の疑いから逃れる事が出来た……と、本人はその時に説明していました』

 だが、そうでは無い。神鉄は確信を持ってそう考えている。とても単純な理由から。

「なるほどね、殴ったら分かるわな。相手が炎の塊か生身かって事くらい」

『その通りだ、伊勢島。あれは確実に生身の人間を殴った感触だった。断じて、超能力で作った炎の塊では無い』

 むしろ、モールでの一件が生身の相手であった事を誤魔化すために、蘭条が炎の人型を作ったのではとすら思えた。

 つまり、大声の誇示者は複数犯であるという事実を隠すためにだ。

「あの嬢ちゃん、自分の正体がバレた時に、実は焦ってたって事か。間抜けと言えば間抜けだが、実際、一人捕まえてそれで満足しかけてた側としては、どうにも馬鹿に出来ない部分があるよな」

『これも、言ってみれば超能力者に対する固定観念なのだろう。超能力者とて、仲間と手を組む事がある。考えれば分かる事だと言うのに、超能力者というその存在故に、単独で行動すると、勝手に思い込んでいる』

 相手を人間として見ていない。つまりはそういう部分こそが思考の落とし穴なのであり、蘭条はその考えにこそ憤慨し、社会に対して挑戦状を叩き付けた。

 いや、そんな考えをしているのは彼女だけでは無いと神鉄は知った。その話を現在しているのだ。

「あなたが……大声の誇示者が単独犯じゃあ無いと判断した理由は分かった。あなたのセンサー類について疑問を呈するのは馬鹿らしい事だって、理解もしているわ」

 井馬女史の言う通り、神鉄の視覚、聴覚、触覚は人間のそれよりも高性能に作られている。記憶領域に残されるデータが、そのまま状況証拠に成り得る程だ。

「けれど、それじゃあどうするつもり? あなたの身体について、修理が必要な事は分かっているわよね? これ以上の捜査をするにしても、あなたはすぐに動けないわよ? もしかして……そのために彼を呼んだ?」

 彼こと、伊勢島を井馬女史は見つめた。

 確かに、それも一つの案だとは思う。自分に出来ない事は他者に任せる。それは実に建設的な事柄であるし、実を言えば、彼を呼んだのは、神鉄が彼に頼りたい事があったからだ。

 だが、それは井馬女史が想像している理由では無い。

『伊勢島を呼んだのは助けを呼ぶという意味ではありますが、彼に捜査をして欲しいわけではありません』

「やっぱりそうか。じゃなきゃあ、こいつを持ってこいなんて言わないわな」

 未だちゃりちゃりと手錠を鳴らす伊勢島。

 思うに、警察でも無い彼が本当にどこからそれを持ってきたのだろうか。持って来いと言った側であるため、深くツッコめないのがもどかしい。

「手錠って……そんなものを振り回すのって悪趣味じゃない?」

『そうでもありません。彼は彼の存在そのものが悪趣味であれ、手に持ったそれは、今、この場においては必要なものです』

「だーれが悪趣味だ。まあ、こういう状況じゃあ、悪趣味と言われても仕方ねえけどな」

「いったい、何のこと? ごめんなさい、ちょっと状況が分からなくなってきた」

『……』

 神鉄は井馬女史の問い掛けに答えられずにいた。いや、答えようと思えば答えられる。だが、それをすると言うのは、神鉄にとってかなり抵抗を感じる行為であったのだ。

「おいおい、博士。まだ分からないのか? こいつはな、存外に健気なところがあるんだよ。だが、話が進まねえって言うのなら、俺が言うぞ。神鉄、事件に関わる事なら、躊躇なんて俺はしない。分かるな?」

『ああ、分かっている』

「だから……何だって言うの? 二人して……その、本当におかしいわよ?」

『……動揺していますね、井馬女史。そうであるならば……あなたとて気付いているのでは無いですか? それでいて誤魔化している』

 もし、そうだったら、やはり、神鉄は話を続けるべきなのだろう。少なくとも、伊勢島が先に話を続ける事だけは避けたい。

「神鉄……二人して、何を言いたいのかしら? 何度も言うけれど、私にはさっぱりで―――

『自分から言葉にしなければ、それだけで罪が重くなると、そう言っているのです。私は私の生みの親の一人であるあなたが、さらに罪を重ねる事を望まない』

「……」

 黙り込む井馬女史。神鉄の言葉に混乱しているのか、それとも、言い訳は無用と考えているのか。

 どちらにしても、彼女が彼女自身について語らなければ、やはり神鉄は次の言葉を発するしか無くなる。

『井馬女史。あなたこそ、蘭条元臨時巡査部長の共犯者だ。そうして、大声の誇示者の片割れでもある』

「ちょっと……ちょっと待って神鉄。あなた、やっぱり故障してる。寄りにも寄って、そんな事を」

「そう突拍子も無い話じゃあねえんじゃないかな? なあ、博士?」

 ずっと、神鉄が井馬女史の正体について指摘するのを待っていた様子の伊勢島。

 だからこそ、神鉄が一歩踏み込んだ以上、彼もまた、彼自身の考えを言葉にする事にしたらしい。

「こいつの言い分が正しければ、大声の誇示者には共犯者がいるって事になるよな? で、あの気難しい嬢ちゃんが大声の誇示者だったって事は、その嬢ちゃんに近しい人間じゃなければ、とてもじゃないが手を組むなんて事はできやしねぇ」

「だからって、私がそうだと言うの? 単純に、あなた達が美和の交友関係を知らないだけと思うのだけれど?」

 その発言はもっともである。蘭条の背後関係を詳しく調べる時間は無かったのだ。

 しかし、それはつまり、それ以外の部分で、井馬女史が蘭条の共犯者であると気付けたと言う事。

『では井馬女史。モールとオフィス街の事件の時、あなたはどこに居ましたか?』

「どこって、ずっと同じ場所よ。モールの時なんて、そのせいで瓦礫に巻き込まれて怪我を……」

 井馬女史の表情が硬直した。迂闊な事を言った。その自覚があったのだろう。一方で、神鉄はその隙を見逃すつもりは無い。

『モールでの事件。その時、怪我をなさいましたね? 瓦礫に巻き込まれての事だと聞いていますが、再度、調べてみてもよろしいですか? 早々に治るものではありませんから、私の拳が直撃した跡も、早々に消えるものでもありません』

 事故を起こし、その場から逃げた車が、その事故の痕跡を元に特定される様に、神鉄の攻撃による怪我も、調べればそうだと分かるはずだ。

 モールでの事件から、それほど日にちが経過しておらず、完治もまだだと言うのなら尚更だ。

『これだけでは足りませんか? なら、通信記録を調べると言う方法もあります。D―2装備は頑丈なだけでなく、その位置記録もしっかり保存されている』

 証拠なら幾らでも出てくる。事件の規模から考えれば、本来そうであるべきなのだ。それでも井馬女史が共犯者だと判明しなかったのは、そもそも、疑う事が無かったから。

 超能力者は手を組まない。超能力者は特異な存在だ。そういう思い込みが、共犯者の存在を意識の中から追い出してしまう。

「そう……なるほどね。あなたが人を……私を疑うというのなら、それは確信と言えるのかも。あなたは人の痕跡を探すという機能に置いても、人間の追随を許さない。そういう性能を持っている」

 言葉とは裏腹に、追い詰められている雰囲気が彼女には微塵も無かった。

 むしろ吹っ切れた様な、そんな印象を受ける。

 そうして、だからこそ、彼女が蘭条の共犯者であるという確信を得てしまう。

 本当は、そうであって欲しく無いと言うのに。

「ここにゃあ警察はいないぜ、博士。自首するって言うんなら、さっきまでの話は忘れてやる。まあ、それだけでどれだけの罪が軽くなるって話は分からねえが」

 どうやら、伊勢島は神鉄の考えを汲んでくれているらしい。

 神鉄は、井馬女史が蘭条の共犯者だと気付いてから、ずっと彼女が自ら名乗り出てくれれば良いと考えていた。罪刑の重さ云々以前に、彼女を尊敬していた一つの存在として。

「……一つ、話をしても良いかしら?」

 井馬女史は一度、目を瞑ってから、また目を開き話し始めた。それを止めるつもりは、神鉄には無い。

『……』

「ありがとう、神鉄。というのも……捕まった美和の話なのよ。あの娘は、超能力に目覚めてから、周囲の目が突然に変わって、あの娘も変わってしまった。おかしいわよね? 力だけ、付け足しみたいに、突然に手に入れただけだって言うのに」

『その話は、以前に聞きました。蘭条・美和の過去の話で……もしや、あなたはその頃から?』

「仲間だったのか。なんて言う問い掛けは止めて欲しいわね。私は……私だけは変わらなかったの。あの娘を、あの娘のままに受け入れて……そうして誓い合った」

 以前に話を聞いた時、抱いた印象以上に、蘭条と井馬女史は深い関係性を持っていたらしい。

 それに気付けなかった自分が、今となっては悔しく思う。

『互いを理解し合っていたと言うのなら、それこそ、蘭条元臨時巡査部長を止める事が出来たはずだ。信頼関係と言うのなら、それこそ……』

「悪いけれど、それは無理よ。だって……大声の誇示者としての主導者は、私側だったんだもの……ね?」

 もし、自分の目がレンズで無ければ、目を見開くという状況になっていただろう。

 井馬女史は笑っているのだ。そうして、一連の事件において、自身が主犯である事を自ら告げているのだ。驚くなと言う方が無理である。

「その発言、簡単には覆せないぜ、博士。自首の提案に乗ったっていうのなら、そういう話もあるんだろうが……」

「勘違いしないで。話すべき事だと思ったから話しただけ。伝えなきゃいけないのよ。私達はそういう力を持っている。持っている人間が大声で叫ばなきゃ、何も通じないの。私達は、考えて、意思を持って、そうして……この力だって使うんだって」

 風が吹いた気がした。

 何か状況が変わった様な、そんな感覚がある。実際、何もかもが変わったのだ。神鉄と、目の前の女性との関係は、大きく……

(待て。部屋の中で風だと?)

 落ちかけた視界を上げる。見るのは井馬女史の方であり、変わらず彼女は笑っていた。嘲りが混ざった邪悪な笑みだ。

「そうかい! そりゃあ蘭条の奴が超能力者として目覚めた時に、変わらない対応ができるはずだよな―――がぁっ!」

 何時の間にか、拳銃を構えていた伊勢島。

 だが、その引き金に掛かった指が動くより前に、彼の身体は吹き飛ばされていた。

 この部屋はそれほど大きくは無い。そこで人を吹き飛ばさんばかりの突風が吹けば、壁に叩き付けられてしまうというものだ。実際、そうなった。衝撃も相当なものだろう。

『あなたは……風を使う……!』

「美和は炎を扱えるわ。けど、その力で空を飛べたり、空気の壁を作ったりなんて、出来ると思うかしら?」

 風の勢いは神鉄にも襲い掛かる。質量については伊勢島よりも大きいものの、そんな神鉄の身体でさえ、風は吹き飛ばさんばかりの勢いだ。

『なるほど……炎による破壊は蘭条・美和が。風や空気による防御や移動は……あなたの役目だったわけですか……!』

 なお強くなってくる風の勢いであるが、神鉄が脅威に思うのはその力の使い方だ。

 彼女……いや、蘭条と井馬女史の彼女らは、常にそれぞれの超能力を使い、一人の超能力犯罪者、大声の誇示者を演じ続けていたのだと彼女の言葉で理解できた。

 それはつまり、大声の誇示者でいる時は、二人共に近距離に居て、一人の力であると見せかける様に超能力を制御し続けたと言う事なのだ。

 それぞれに、得手不得手があるだろう。思い出して見れば、大声の誇示者の動きにもそれが現れていた。

(だが、それでも、私は大声の誇示者の力を、そうと気付くまで個人の物として見ていた……つまり、そう思わせる程に、互いの超能力が極まっていると言う事か!)

 元々は力と人数を偽り、捜査を攪乱するためだったのかもしれない。

 だが、その過程で相手を気遣い、相手に合わせた能力の活用を可能としたのであれば……それが出来ると言うのなら、それだけ力の余裕があると言う事だ。

 突風はさらに激しさを増して行く。神鉄は遂に風の勢いに押し負け、伊勢島と同じく、壁へと激しく叩き付けられた。

 オフィス街における戦闘で、身体の機能が十全で無いという部分もあったが、それを差し引いたとしても、井馬女史の超能力は脅威のそれだった。

(力の種類としては……蘭条・美和の物より、むしろこちらの方が厄介か!)

 風は縦横無尽だ。狭い部屋の中で吹き荒れていると言うのに、井馬女史の周囲は無事のままである。

 この局地的な嵐の中において、まるで風に守られた女王の様に、井馬女史は佇んでいた。

「手加減は出来ないわよ、神鉄。あなたがどれほどの存在か、他ならぬ私が良く理解しているもの」

 壁に叩き付けられ、さらに壁より身体を剥がすことが出来ない程の風。人間であれば圧死している程の勢いの中で、その風はさらに勢いを増している様に思えた。

『こ、これほどの力を……あなたは……隠しきっていたのです……か』

「人間、他の分野で成果を残していると、まったく別の才能があるなんて思いも寄らないみたいね? 超能力者なんてものが現れて、社会が混乱しているって言うのに、まだそんな考えが常識になっている。だから私達は……それを変えるのよ」

『確かに……あなたが超能力者であるという事実は衝撃的でした……そうやってあなたは……自らの立場と力を利用して、社会の訴えかけるというのですか? そんな事をすれば……それこそ、超能力者は危険だと言う認識が広がる……だけだ……ぐっ』

 話している間にも、風の勢いは激しくなって行き、神鉄の身体は壁にめり込み始めた。全身に掛かる圧力がさらに高まり、遠からず、神鉄の機能に支障が出始めるだろう。

「良いのよそれで。こんな犯罪を繰り返している時点で、敵意を持たれる事は覚悟している。けどね、神鉄。私達は、超能力者は、そこまで極まってしまっているのよ。敵意を向けられるって、それはつまり、ちゃんと敵として見てくれてるって事だもの……ね?」

 好かれる事を諦めた人間は、嫌われようとし始める。そういう心理状態が人間にはあるとは知っていたが、確かに極まった思考形態であった。

『皆が……皆……超能力者がそんな考えのはずが……』

「それはどうかしら? 案外、超能力者と呼ばれる人間の大半が、そんな考えを秘めているのかも。そう、この社会は、既に多くの火薬を抱えてしまっているのよ。あとはもう、火種があればそれで……待って、神鉄。あなた、身体に異常が出た場合、呻く様な機能があったかしら?」

『バレましたか』

「―――っ!」

 井馬女史は後ろを振り向くが、もう遅い。神鉄は呻きや超能力者に関する話で、井馬女史の意識と超能力を自らに向けさせ続けたのである。

 どれほど力があろうとも、意識がそちらに向けば、他に力は向かなくなる。そう考えて行動した結果、実際に伊勢島が自由となっていた。

「超能力者ってのは、いちいち俺の事を忘れたがるのかい?」

 拳銃を構えた伊勢島は、既に井馬女史の至近距離に立っていた。口元に血を拭った跡があるものの、それでも二本の足で立って、井馬女史を睨み付けている。

「……美和もやられたんだもの。やっぱり、二人を相手にするのは大変かしら?」

「まだ何かやるつもりって顔だな? だが気を付けろよ。俺はあんたに同情も共感もしねえし、引き金だって躊躇無く引ける。分かるよな、博士。頭良いんだろ?」

 二人が話している間に、神鉄の身体を襲い続けた風の圧力が無くなる。

 部屋の中はそれこそ、嵐が過ぎ去った様に物が散らかっているものの、そのすべてが空中で振り回されるのを止め、床や机の上に落ちていた。

『私も……この後に及んでは手を抜きません。戸惑う事も無い。あなたもまた、超能力犯罪者、大声の誇示者だ』

 その事実を、受け入れたくないという思いがそこにあった。

 しかし、それもまたこの後に及んでの話だ。今、神鉄は本来の機能である超能力犯罪者の逮捕を―――

「ええ、神鉄。あなたはそういう風に作られた。私情を挟まず、与えられた機能を与えられたままに発揮する。高性能だからこそ、そこに失敗は無い。失敗したとしても、誰も命は失わない。機械であるあなたは故障するかもしれないけれど、修理するか、別のを作りだせば良い」

 伊勢島に拳銃を向けられたままだと言うのに、井馬女史は微笑み、横目で神鉄を見ていた。今度は、伊勢島から意識を外してはいない様だが。

「注意しな、神鉄。この女、お前さんを揺さぶるつもりだ。おい、博士。あんたもこれ以上話すな。今から、あんたの気を失わせる。超能力者を拘束するにゃあ、それが一番だ」

 伊勢島が井馬女史を睨み付け、片手で拳銃を構えたまま、もう一方の手を首元へと伸ばす。首を絞めて気絶させるつもりなのだろう。

 そういう技能くらいなら持っているかもしれない……が。

「この距離なら、力が使えないとでも思ったかしら?」

「ぐっ―――」

 伊勢島の手から拳銃が跳んだ。握っていた指の一本がおかしな方へと曲がっているのを見るに、無理矢理吹き飛ばされたのだと神鉄は知る。

「他の人間にそういう能力があると思わせるくらいに制御できるのよ? どんな距離に相手が居ても、力の影響くらい与えられる。手に持った物を吹き飛ばすくらいは特に」

(ならば、使われる前に対処するまででしょう)

 神鉄は井馬女史へ瞬時に近づく。応急的に修理された四肢が、その動作だけで軋む程の動きだ。

 今の状態ではそう何度も出来ぬ動きであるが、構っていられぬ状況というものがある。

『ぬっ―――』

 ほら見た事か。常人では認識できぬ程に素早く近づき、今度は神鉄が井馬女史を気絶させようと試みたと言うのに、手と井馬女史の間にある空気のクッションがそれを阻んでいた。

「これは私の力よ、神鉄。美和に使わせている様に見せたものとは大きく違う。出力が違うと言った方が良いのかしら? どちらにせよ、あなたが手を届かせるにはもう少し掛かるわね」

 空気のクッションについては、もう少し力を込めれば破れる。神鉄はそう判断したのであるが、井馬女史の方も、同じくそう考えていたらしい。

 明らかに、追い詰められているのは井馬女史で、彼女自身もそう判断しているはずだ。伊勢島もまた、拳銃は吹き飛ばされたとは言え、まだ行動不能にはなっていない。

 だと言うのに、それでもまだ、彼女は微笑んでいた。不吉な印象を受ける、そんな笑み。

「話をしましょう、神鉄。あなたの話よ。あなたが超能力犯罪者を逮捕するために作られた存在で、それを作った側の私が、超能力犯罪者であると言う事を前提にした……ね?」

「おい、神鉄! 聞くな……絶対に碌でも無ぐぉっ!?」

 再度、伊勢島が壁へと叩き付けられる。今は神鉄の手を防ぐために超能力を使っているため、それほど威力のあるものでは無いと思いたいところだった。

「神鉄。他ならぬ私が、あなたを脅威と感じているの。ずっと、ずっとよ? あなたが完成するまでずっと。そんな思いを持って、作業に関わり続けていた。あなたはどう見ても、超能力者に対して脅威になる存在だから。だからこそ……それに対処したの。そういう事をするのが、人間の知恵だと思わない?」

 悪魔染みた囁き。悪魔などと言う存在を見た事は無い神鉄であるが、その存在を思わせる恐怖を井馬女史から感じていた。母だとすら言えるこの相手に。

 手はまだ……届くのに時間が掛かるだろう。

「神鉄。私はあなたが完成する前に、仕掛けを組み込もうと思ったの。勿論、私の権限が及ぶ範囲で。あなたは知っているわよね? 私が、何のために働いていたのかを」

 恐怖。確かにこれは恐怖と言う感情だ。しかしそれは、井馬女史に対する物では無かった。むしろ自分自身の土台が崩れそうな、そんな恐怖を神鉄は感じている。

「良く考えなさい。何時も言っていた事よ。良く考えて。最近、おかしな事は無かったかしら? いえ、あなた自身、それをおかしいと言っていたはずよ。だと言うのに、今はそれが自然と思う様になった。これはとても危うい事だと、あなた自身が気づかなくちゃ……ね?」

 自分自身におかしなところなど無いと、叫びたかった。

 だが、それが出来ない。そうだ、おかしなところならあるのだ。最初から、ずっとおかしかった。

 だが、それを何時の間にか受け入れていた。その状態を良しとしていた。その状態が心地よかった。だが、それがすべて仕組まれていた物だとしたら……。

『私は……私は……』

「最初は、その機能が十分に発揮しない様に、あなたの思考プロセスに多くに、無駄な空白を作って置いたわ。あくまでバレない範囲で。あなたの性能を少しでも落とせればと思っていたのだけれど」

『やめてください……それ以上は』

 何時の間にか、井馬女史に向けていた手が、自分の頭を掴んでいる。頭痛も無駄な悩みも無いはずの自分の頭だと言うのに、どうしても抑え付けたい衝動に駆られた。

「あら? そんなに聞きたくないかしら? あなたが、あなた自身の自我だと思っている物が、単に私が仕組んだバグの様なものだって言うのが、そんなに怖い?」

『……』

 視界が低くなる。どうやら自分は膝を折ってしまっているらしい。故障だろうか? 認識できない。

 いや、認識するという行動はどうすれば良かったのか。先ほどまでしていた事が、今は出来ない。

「まさか……あなたがそれを意識だなんて思うだなんて。ほんの少し……いえ、かなりおかしかったわ」

 視界が黒くなる。カメラは不調では無いはずだ。今だって、そこの映った情報を頭脳へと与えて来ていた。

 だと言うのに、神鉄の意識は黒く……暗く……最初からそんなものが無かったかの様で――――




 伊勢島・朗太にとって、ここ最近の運勢は最悪と言えた。

 妙な超能力事件があって、それに対する捜査を命じられたのは、まだ納得できる。仕事なのだから、嫌だとしても仕方ない。給金だって貰っている立場だ。

 だが、それにしたって、事件の現場で、機械で出来上がった人間と何故か相棒になり、事件の犯人と相対し、痛い目に遭い続けるのは、人生の中においても下から数えるべき経験だと思っている。

 ましてや、炎で焼かれたり、爆発に巻き込まれそうになったり、風で壁に叩き付けられるなんて、命が幾つあっても足りない状況である。

 もしや厄年かと近所の神社にお祓いへ向かった事もあったが、神主に怪訝な顔をされるだけで終わった。

 チンピラかヤクザ崩れが、あんまり寄り付かないでくれと、良く分からない言葉で追い払われてしまったところを考えるに、やはり厄年らしい。

 ただ、どんな相手だろうと、相棒が出来た事は良い事だと思う。気が合う……かどうかはまだまだ分からないものの、悪い奴では無いと思うのだ。

 ちなみにここ最近、一番に悪いと思えた出来事は、そんな相棒が膝を屈し、倒れてしまった光景を見た時の事である。

「二人相手なら難しいけれど、あとはあなた一人だけね、防衛庁の事務官さん?」

 倒れた神鉄を眺めた後、井馬女史はこちらを見つめて来た。

 睨まれているわけでも無く、口元は微笑んでいる彼女であるが、どうしてこんなにも怖い表情だと思うのか。

 言葉だけで鉄の男を文字通り倒したのだから、まあ、実際に怖い相手ではあるのだが。

「ははっ、じゃあ、これから自首でもしてくれんのかね? あんたに暴れられると、俺はどうしようも無いんだが」

 軽口を叩きながらも、伊勢島は周囲を見渡す。何か、この状況をどうにかできる何かは無いものかと探っていたのだ。

 ただ、やはり運が悪い。目の前の女をどうにかできる物は、神鉄を除いて存在していなかった。その神鉄についても、今は物言わぬ置物。

「さて、どうしようかしら? これからあなたを仕留めるわけだけれど、知らぬ存ぜぬは出来ないだろうし……これから逃避行になるかもしれないわね。それとも、良い具合に言い訳が思い浮かぶかも」

 こちらを仕留めるというのは確定事項らしい。まったくもって最悪な状況だ。ここ最近は、ずっと最悪の更新が続いている。

 だが、そんな最悪な状況だろうとも、生き延びなければならないのが人生というものである。

「ちっ……仇の一つでも取ってやりたいんだが、そうにも行かねえか」

「あら、まだやる気だったの? けれど、命乞いも許さないし、逃がしもしない。特にあなたは……仇を討つならこちらの行動だって思わないのかしら」

 風が吹く。それが徐々に強くなっていく。一気に風が襲い掛かって来ないところを見るに、どうやら、じわじわいたぶるつもりらしかった。

(蘭条の嬢ちゃんを逮捕した俺は絶対に許さないってか? 案外、感情的に生きてるじゃねえか、博士)

 一思いにやらないという発想は、こちらにとってはありがたい事だ。

 寿命は数十秒ほど伸びる可能性もあるし、その数十秒で、この状況から脱する事だって出来るかもしれない。

「そうだな、博士。博士についてはこれでよーっく知る事が出来たわけだが、あんたは俺の事を知っているかい? 例えばよ、こういう時、無様に命乞いなんてしないために、色んな手を用意してる性格とかな」

「……それはっ」

 服の裾に隠していた金属の筒を取り出す。勿論、ただの筒ではない。すぐに大きな音と閃光を放つ、やんちゃな筒だ。

「風は目潰しまで防いじゃくれないよな!」

 前もって目を瞑り、肩でなんとか片耳だけ塞いでおいたため、もう片方の耳が痛いだけでなんとか耐える。

 いや、実際は壁に叩き付けられたり、手の内側から拳銃を無理矢理吹き飛ばされたりで、既に全身あちこちが痛いのであるが、それでも動けなくはない。

「やり様なら幾らでもあるってな!」

 光が収まるタイミングで、伊勢島は机の上にあった頑丈で、持ち易そうな鈍器を手に取り、

井馬女史を殴りつけた。

 が、クッションを叩いた様な感触が帰って来るのみ。

「ぐっ……この程度で、やられる女だと思われていたのかしらっ」

 目はまだ良く見えてないはずの相手。

 訓練も無くスタングレネードをまともに受けて、気絶しなかっただけで大したものだと思わせる女。

 しかも彼女は、殴り返してくるかの様に手を払い、その勢いに合わせて風を発生させて来た。

 単純な真正面からの突風。そうでなければ危なかったところだ。

 部屋の壁にヒビが入る程の勢いであり、危険と判断して姿勢を屈ませなかったら、またもや壁に叩き付けられて、もしかしたら絶命にまで至っていたかもしれない。

「やばい女だって評価してやるよっ! これで凶悪な力さえなけりゃあ良いんだけどなっ!」

 言い放ちつつ、伊勢島は逃げた。まだ井馬女史が万全で無い状態の内に、逃げ延びなければならなかった。

 風はまだ止まないのである。むしろ、井馬女史の周囲を渦巻き、小さな竜巻の様になっている。

(あんなんに巻き込まれちゃあ、どうしようもねえんだよ!)

 走り、部屋から出る。その先には廊下が続いており、人通りはない。

 その事を、巻き込まれる人間が少なくて良かったと思うべきか、それとも、助けを呼べなくて運が悪いと思うべきか迷う。

(いや、やっぱり最悪な方だな。また最悪な事に更新があった)

 体が、想像以上に重いのである。自分が予想しているよりも、自分の体にダメージが蓄積しているらしかった。

 走ってはいるものの、早歩きと言った程度の速度が限界で、それ以上となると、体のどこかしこが鋭く痛む。

 ここ最近、ずっと無茶をさせ続けた身体なのだから仕方ない。

「助けを呼べないとなると……」

 隠れる場所はあるだろうか? いや、この廊下はほぼ一本道だったはずだ。その先には警備員の詰め所らしきところがあったが、昨今の自動化の波に押されてか、昼間は誰もいない。

(いや、確か詰め所よりこっち側に、大きそうな部屋があったな……)

 どこか隠れる場所があるかもしれない。もっとも、一度も足を踏み入れた事は無いので分からない。

 扉の外から見て、何時も大きそうな部屋だと思っていただけである。

 つまり……隠れられるかどうかは賭けになるだろう。

「できれば、これまでの運勢を帳消しに出来る場所であってくれよ……!」

 柄にもなく神様に祈りながら、伊勢島は漸く近くまで来た扉に手を掛ける。そうして開いた先は……何も無かった。

「くそっ……やっぱり最悪じゃねえか」

 足が折れそうになる。その部屋は確かに大きかったが、何も無かった。隠れる場所も、逃げる道もだ。

 廊下をただ走っただけで満身創痍な自分の体。恐らく、ここから逃げ切る事はできまい。風の音が少しずつ大きくなってきている。

 部屋からはまだ井馬女史は出て来ていない様子だったが、それももうじきだ。そのままゆっくり、それでも伊勢島より早い速度で追い詰めて来るに違いない。

「どうしたらいい? もう駄目か? これでおしまいか?」

 廊下に戻り、逃げた方が良いかもしれない。だが、それでも足は部屋の中で進んでいた。逃げ場も無い、何も無いその大部屋の中へと。

「……なあ、おい。聞こえてるか? ここで俺の人生はおしまいかって聞いてるんだぜ?」

 誰かに話し掛ける。囁く相手は、さっき、井馬女史を殴ろうとした際に握った鈍器である。

 別に気が狂ったわけではない。いや、もしかしたら狂っている思考はあるかもしれないが、ただの鈍器に話し掛ける程、すべてに絶望したわけでも無かった。

 この鈍器、確かD―2装備とかいう名称があったはずだ。

 一応……装備としての機能は通信装置である。話す相手は、今も機能を停止しているであろう、どこかの機械人間のはず。

「まあ、碌でも無い人生だけどな。自分でも思うんだよ。一応、子どもの頃は、もうちょっと真面目だったんだぜ? 少しばかりやんちゃだったけどな」

 追い詰められて、自分のやっていることを思えば笑えてきた。

 まさか、人生の終わり近くに、自分の人生を始めから語り始めるとは、どんな心境か。自分自身にすら良く分からなかった。

「転機があったのは、鼻たれ坊主から、それなりに体の方が大人らしくなってからだ。どこにでも居そうな奴である事にゃあ変わらなかったが……どこにでもありそうな事件に、家族一同巻き込まれたんだよ」

 とても疲れているため、適当な壁に背を預け、そのまま床に座る。

 部屋の端。そこから部屋全体が見えるが、隠れる場所が無い分、随分と広々としていた。人生最後の場所と思えば……まったくもって殺風景に過ぎる。

「事件は超能力犯罪だった。どっかのとち狂った奴が、デカい物を触りもせずに動かせるなんて力を持っていてな。いや、逆か? そういう力を持っちまったから気が狂ったのか……どっちにせよ、俺たち家族にゃあ、加害者である事は変わりねぇ」

 嫌な思い出を思い出している。だと言うのに、笑みが出てくるのはどうしてだろうか。

 苦笑のそれであったが、悪い気分では無い。他人に自分の過去を語るなんてこんなものか。まあ、相手は機械なのであるが。

「家族旅行で、両親に、姉も一人居たんだが、全員車に乗ってる状態で、真上から大岩を落としてきやがったのさ。で、運が悪い事に俺一人だけが助かった。犯人はその後、さらに暴れ回った後、あっけなく逮捕されたよ。今頃、碌な状況になってないだろうな」

 一息を吐く。そうする事で集中力が高まったのか、廊下から足音が聞こえて来た。明らかに女の足音だ。

 助けが来た……などとは思わない。そういう幸運など、もう既に諦めている。間違いなく井馬女史の足音なのだ。

 彼女はゆっくり、そうして、こちらの場所だって把握しながら、本当に徐々に、伊勢島を追い詰めて来るのだろう。

 ならば、こちらだって、意地でも話を続けさせて貰う。

 ここで怯えて、何も出来なくなるなんてうんざりだ。危機的状況であればこそ、自分のペースを続けるものだと伊勢島は考える事にしていた。

「で、実を言えばここからが本題だ。なんと言っても、この話を聞くと、だから俺が対超能力犯罪者を目的としている組織に所属しているのかって誰も彼もが納得しやがるのさ。けどな、そりゃあ違う。全然違う」

 自分がどうして、今の組織に身を置いているか。それを思い出す。とても簡単な話である。就職活動中、試験に受かったからだ。

「その時には、親戚の家に身を置いてたんだが、これが肩身が狭くて居心地も悪いと来たもんだ。早く就職して家を出ようと、高卒でも募集している仕事ってのを探してた。で、柄にも無く勉強して、受かったのが今の職場ってわけだ」

 この世界から超能力犯罪者を無くす。合法的な復讐のため。過去へのトラウマ。

 誰しもが伊勢島の過去を聞けば、そんな想像をするだろう。当時、自分の世話を見ていた親戚ですらそう思っていた。

 だが、そんな考えはすべて間違いだ。伊勢島に、そんな崇高だったり複雑な思考回路は存在していない。

「そんなもんさ。もっとこう、大した理由なんかがあって欲しいと思うか? だが、そりゃあ贅沢だよ。人間、どんな過去があろうと、今や未来だけ考えて生きてるんだ。その未来にしたって、そんな先の事は見えねえから、もうこりゃあ、ちょっと前だけ見て進むしかねえ」

 苦笑が続く。聞こえる足音はもっと大きくなっている。もしかしたら、今の話を聞かれているかもしれない。

 あの博士の方は、どう思って聞いているだろうか。これから殺す相手の遺言でも聞いているつもりか……だが、それもまた構わない。

 自分がこれから殺される? そんなに先の事なんて考えるより、やるべき事はまだまだあるはずだ。

「お前もだぞ、神鉄。お前のその……自意識ってやつか? それが実は仕組まれてたり、つまらないバグだったりして、それが何だってんだ。俺と話をしていたお前は、本当に人間みたい……ってのは言い過ぎだが、面白い奴だと思ったもんだぜ?」

 それで良い。それで良いはずだ。

 人間だろうと、他の何かだろうと、それで別に良いじゃないか。

 本当はただの機械で、話をしているのはそういうシステムだからで、魂も意識も無いのだとしても、伊勢島はそれでも別に良いと思えた。

「なあおい。答えるくらいはしてみせろ。俺達は生きてる。そうして、生きるってのはそこまで崇高なもんじゃあねえ。さらに言えば、生きてる以上は、やるべきことはやらなきゃならねえ」

 痛む体を、無理矢理に立ち上がらせる。近づいていた足音は、もう部屋の前まで来ているのだ。

 床に尻を突いた状態では格好悪い。

 せっかく、扉を開けば正面に見える壁をわざわざ選び、背を預けたのだ。不敵な笑みを浮かべながら、入って来るあの女を見つめるのが作法と言うものだろう。

「俺は今の職業、それほど大した理由も無く選んだわけなんだが、それでも今、そういう職業になっているから、退職するまでは全うするつもりさ。過去はどうでも良いが、今やちょっと先は大事なんでね。神鉄……お前はどうなんだ?」

「もう少しで、合法的に退職ができるかもしれないわね。ああけど、ここにいるのは、非合法な手段を使ったからだったかしら? なら残念。もしかしたら懲戒処分になるかも」

 答えをくれたのは機械で無く、生身の人間だった。情がこもった、残酷で、業が深い一人の女だ。

 女は人を容易く壊せる程の力を持ちながら、それを伊勢島へ向けようとしている。本当に業が深く、そして罪だって深い女であった。

「一応、これも職務上の致し方無さだって認めてくれる職場だと思いたいんだがね」

 全身が痛く、足が震えて来そうだが、それを釣り上げた笑い顔で誤魔化す。

 泣いて命乞いなんて、まったくもってするつもりが無い。

 だいたい、犯罪者相手に怯えるなんてくそったれな状況、今、ここで殺されるよりも最悪だろう?

「なら、祈っておくことね。二階級特進……だったかしら? それが認められることをね」

「ならねえよ……」

「ああ、そうね。それは軍隊のやり方だったかしら? ごめんなさい。私、あなたの組織とか、本当はそんなに興味ない」

「いや? 単純に、今ここで死なないだろうってだけさ。後ろ見た方が良いぞ? もう遅いだろうけどな」

 何時だって、注意するべきは自分の後ろ側だろう。

 だが、そのタイミングで振り返れる人間など殆どいない。

 ましてや、壁を扉ごとぶち壊して、巨大なペンチみたいなものが突っ込んで来るなど、伊勢島だって予想していなかった。

『D―3装備……デカいペンチの略称だと思わせておいて―――

 巨大なペンチの向こうから声が聞こえた。機械音声だが、どこか生真面目な性格を思わせるその声がはっきりと聞こえた。

『正式名称はデカい拘束具だ!』

 巨大なペンチに見えたそれであるが、挟み込んだ者を、内側にある穴に拘束するための装置だったらしい。見た目がまさにペンチである事には変わりないが。

「あー……きっと、鈍器としても使えるんだろうな。無駄に頑丈にしておいてよ」

『無駄ではない。機能というのは頑丈性が維持される限りにおいて、多機能が望ましいのだからな』

「ぐっ……神鉄!」

 D―3装備で拘束された井馬女史が、自分を拘束した相手、神鉄を見ようとする。

 もっとも、振り向くのが遅かったせいで、背中側から拘束されているため、見るに見れない状況だろう。

「そんなもん用意してたのかよ、お前! 俺が襲われてトドメを刺されてたらどうするつもりだ!?」

『こっちもこっちで大変だった。どこかの誰かの言葉で、もう一度起動したものの、他の装備が無ければ、ガタの来ている体だけで彼女と戦わなければならないところだ』

 そのための巨大ペンチらしい。神鉄の右腕に直接取り付けつけられている装置らしく、腕の力を増幅する様な機能でもあるのだと思われる。

 ゴツゴツとしていて、見ているだけでも恐ろしい鈍器であると思う。

「ま、誰かに声を掛け続けた甲斐があったと思えば、これくらいの遅れ、悪く無いってか?」

『無事で良かったというところだが……それよりまず井馬女史。これであなたも終わりです。どうか、抵抗なさらずに』

 自らが拘束した井馬女史へと神鉄は話しかける。この後に及んで、この鉄の塊はどの様な気持ちなのだろうか。

 一度、自らのすべてを否定してきた親を見る気持ちなど、伊勢島にはまったくもって分からなかった。

「気になるわね、神鉄……あなた、どうして今も立っていられるのかしら? あなたに仕組んだバグは、私が指摘した時点で解消され、あなたはただの機械に戻ったと思ったのだけれど」

 酷い言い方もあったものだ。自意識をバグなどと言ったり、お前はただの機械だと指摘した事……ではない。

 今、ここに神鉄がいる理由が分からないと言う。その言葉が酷いものだと伊勢島は感じた。

『心鉄です』

「うん?」

(こころ)(てつ)と書いて(しん)(てつ)。読みは同じですが、これから私はそう名乗る事にしました』

「それが……いったい何だと言うのかしら?」

『自分に本当に心が宿っているとか、心が宿っていて欲しいと思っているからとか、そういう思いを込めているわけではありません。ただ、神などと言う偉そうな名前は好印象を与えませんし、それに……』

 言ってやれ。伊勢島はそう思った。何も理解してやれない作り手側に、作られた側だって言える事があるはずだ。

『ぐだぐだとあれこれ考えられてしまう名前よりは大分マシだ。私に心があろうが無かろうが、今ここで、あなたを捕えるのが私の役目。それをしたいと思う心らしきものと、その義務がある。それだけで動くには十分なんだ。そうだろう? 伊勢島』

 満点だ。伊瀬島は心鉄の答えに頷いた。

「そうさ。人間だろうが、そうで無かろうが、今、動く事の理由なんて、今考えれば良いんだ。昔の事やら、複雑な哲学なんてもんはいらねえのさ」

 だからこそ、神鉄……いや、その名を捨てた、新たなる心鉄は、再び動き出せたのだと伊勢島は信じたかった。

 深く考えるのを止めて、ただ、今、心の中にあるもののためだけに前に進む。

 それだけで、人間としては随分とマシな部類なのだ。機械だって、それだけの事が出来れば、心があろうが無かろうが、もう十分だろう?

「ああ、そう……そういう単純さ。実を言うとね、神鉄。私、そういう根性論染みた考え……大っ嫌いなのよ!」

 また風が再び吹き始める。例え拘束したとしても、超能力はまだ健在なのだろう。こういう部分が、超能力の厄介なところなのだ。

「心鉄! その拘束具で何とか出来ないのか!?」

 対超能力犯罪者用の道具であるからこそ、何か手があるはずと思うのだが……。

『拘束した相手を筋弛緩させる装置なら付いているが……抜けられた!』

 井馬女史が宙を浮く。天井があるため、そのスレスレをだが、それでもデカいペンチからは自由になったらしい。

「おいおい。そのデカブツ、超能力でちょっと浮いた程度で抜け出せる……ってわけでも無いらしいな」

 超能力により浮いている井馬女史であるが、その姿はとても優雅とは言えない。

 右腕が一本、あらぬ方を向いているのだから、前衛的なオブジェとしても悪趣味だ。

 どうやら拘束から脱出する際に、無理矢理体を動かしたらしい。動かせたのは超能力による風か、空気圧の勢いに寄るものだろうが、その痛みまでは緩和できまい。

 それでも意識を保っていられるのは、大したものである……という感想を通り越して、むしろ怖い。

「おいおい。そう睨んでくれるなよ、博士。そりゃあさ、あんたをもう一度捕まえるつもりではあるんだぜ?」

「知らないわ。あなた達の事はもう……知るものかっ」

 どうにもアドレナリンがドバドバと出ている状態らしく、意思疎通が一切できやしない。

 意識があると言うよりは、狂気に身を任せ始めたと表現するべきなのだろう。

『くっ、本来であれば、腕を折ろうが、脱出できない調整も可能だったのだが、肝心の私の身体にガタが来ているらしい』

「そのガタが来ているってのはどれくらいだ? ちゃんと戦えるかどうかはってどわぁっ!」

 風圧の塊が近くへと飛んで来た。直撃してはいないが、近くの床が捲れ上がり、そこから弾けた風が、伊勢島の体を押し上げる。

 一瞬の無重力間の後は、床にぶつかるだけかと思えたが、何かに空中で固定された。

『これくらいなら、まだ出来るぞ?』

 伊勢島はD―3装備とかいう無駄にデカいペンチに挟まれていた。伊勢島が落下する瞬間を狙って、捕まえる事くらいならまだ出来るらしい。

 つまり、心鉄の方は問題が無い。

(問題があるとすれば、こっちの方だわな)

 人間の体は、そう簡単には治らない。さっきまで走ることすら難しかった体は、今だってそのままだ。

 唯一、心鉄の方がすぐそれを察してくれたのが有難い。

『ふん? どうにも大分辛そうだな。逃げるか?』

「逃がすと思っているのかしら?」

 逃げられでもすれば、一番大変なのが井馬女史だろう。

 彼女の体も大分キツい状況である。こちらが助けを呼べば、そこで彼女はアウトだ。

 だからか、ここで決着を付ける気でいるらしかった。

 風が、部屋全体を包んで行く。風で出入口となる場所を囲むつもりなのだと思われた。そう言えば、力の種類こそ違うものの、蘭条も同じような事をしていたか。

『どうする、伊勢島。そちらの体は大丈夫では無さそうだが』

「後で労災が降りることを祈るさ。まあ……無茶をする」

 心鉄が伊勢島をD―3装備から解放してくる。そのまま、床に足を付けることになるのだが、膝が屈しそうになった。

(やせ我慢もどれだけ続くか分からねえが、終わる頃には目の前の事件もどうにかなってるだろ)

 歯を食いしばりつつ、立ったままで体勢を維持する。

 全身がいますぐ倒れろと痛みの悲鳴を上げるが、痛みも過ぎれば麻痺もしてくる。体の限界が来て、さらに通り過ぎ、倒れるまでは何とか動けそうな気もしてきた。

「圧死しなさい」

 いや、やはり気のせいだ。鬼気迫った表情の女が、お前なんて潰れて消えろと話しかけてくる光景よりも、やせ我慢などせず、気絶しておく方がどれほど良い状況か。

『どうする? 圧死するかな、伊勢島』

「ノーサンキューだ、心鉄。なんとかしろ」

『やれやれ、機械は人間に頼られるものだから仕方ないか』

 というか、超能力を正面からまともに対処できる存在は心鉄くらいしかいない。

 生身の伊勢島がやる事と言ったら、正面から相手をせずに、搦め手で足を引っ張るくらいだろうか。

「あなたには負けないわ、神鉄」

『子は何時か、親を越えて行くものだろう?』

「くっ……な!?」

 心鉄はD―3装備を振りかぶっていた。狙うは井馬女史。と、思いきや、迫る風圧の壁である。

 部屋を包んでいた風であるが、巨大なペンチの質量と心鉄の出力には敗北したらしい。D―3装備をぶつけられた風は、そこを中心として散り散りとなる。

(もっとも、あくまで超能力の一端。すぐにまた、風の壁を作るくらいはできるんだろうが……そうはさせねえ!)

 崩れた風の壁から逃げる……ことはしない。今生まれた、力を崩された井馬女史の驚愕。その隙にこちらの攻めを滑り込ませて貰う。

「この後に及んじゃあ、あんたも追い込まれてるよな!」

 伊勢島は最後の力を振り絞り、井馬女史へと走り寄る。

 すぐこちらへと意識と視線を向けて来る井馬女史だが、それは、こちらが手で握ったものも視界に入れると言う事でもある。

 伊勢島が握っているもの。それは金属の筒だ。

「同じ手を!」

(そりゃあどうかな?)

 金属の筒。それはもう一本スタングレーネード……では無く、一見したら似た様な物に見えるただの筒だ。

 ここに持って来られた火器は拳銃とスタングレーネード一つきり。だが、一つあれば、後はただの筒だって使える道具になる。

「おっと、目を背けたなぁ!」

「だから何ですって?」

 勿論、目を背けた以上は、その間にさらに近づき、殴り掛かれると言う事だ。

 その隙を待っていたと言わんばかりに笑い、拳を振りかぶり、顔面近くまで迫っていた拳が、やはり風圧に受け止められ、跳ね返され、無様に部屋の床を転ぶまで、伊勢島の一連のセット動作となっていた。

「どはぁ!?」

 地面を転がりながら、悲鳴もついでに上げる。そんな伊勢島を見て、井馬女史は口元を釣り上げていた。

「まだまだ……よ」

「ああ、まだだな?」

 転んだまま、それでも、こちらだって笑みを崩さない。

 その笑みこそは、伊勢島の最後の意地であり、自分の仕事がこれで終わったと言う達成感からのものでもあった。

『二人に一人では勝てん。当たり前の話だな』

 井馬女史と心鉄。二人の距離が、伊勢島の動きの隙に近づいていた。

 超能力者と言えども、所詮は人間の感覚。一人に集中すればもう一人からは意識が遠ざかる。何度も、実際に試している事であり、今回も変わらない。

 幾ら覚悟したって無駄だ。井馬女史は、伊勢島がわざとらしく襲い掛かっている間に、心鉄が近づく事を簡単に許してしまっている。

 もう少し、警戒くらいなら出来ただろうに。既にどこかの時点で、自らの敗北を認めていたのだろうか。

 心鉄と伊勢島が二人揃った時からか、それとも、心鉄が再び立ち上がって来た時からかは知らないが。

「ここからは……この体じゃあ、どうしようも無いかしらね、神鉄」

『あなたが突如、何やらの力で角でも生やしつつ第二形態にならぬ限りはそうだろうな』

「ふふ……冗談まで言える様になってる。もう……また言葉だけで誑かす事も出来ないみたい。ほんとに立派になった」

『井馬女史……あなたは……』

 今までの表情とは裏腹に、穏やかそうな表情を浮かべ始めた井馬女史。

 漸く、事件の終わりが近づいて来た。そんな雰囲気があった。が―――

『懲りない人だ』

「ぐっ……!」

 鋭い風が少しだけ吹き、その風が部屋の壁の一部を切りつけた。壁には刃物で切り付けられた跡が残るものの、それで終わりだ。

 恐らく、心鉄を狙ったものだったのだろう。しかし、心鉄はその風が進む方向から瞬時に体を移動させていた。

 幾ら機械の体とは言え、事前に攻撃を予想していなければ無理な動きである。

 つまりは……最後の最後まで暴れようとした井馬女史に対して、心鉄はさらにその上を行った訳である。

 だからこその決着だった。

「あなたの事は……私がもっとも理解している! だからこそ、私が勝てないはずが無いのに!」

『その事について、私の短い人生経験から言える事がある』

 心鉄と井馬女史が並び立つ。お互いボロボロの体。伊勢島も入れれば3人揃ってボロボロなのだろうが、ここは空気を読み、伊勢島は黙っておく事にした。

 どうせ、すぐに終わる会話だ。

『あなたは、超能力者が超能力者としてしか見られないこの社会に反抗しようとした。それこそが一連の事件の動機で間違いないかな?』

「そんな簡単な言葉で理解しようとしないで! 私達は……私達の苦しみがそんな―――

『あなただって、私を単なる機械としてしか見ていない。私とて、私のこの感情の様なものを、単なるバグなどと言って欲しくは無いが、やはりお互い様だ。だからこそ言える』

「がっ―――

『それがどうした。甘ったれるな』

 心鉄の、巨大ペンチが装備されていない方の手が、井馬女史の腹部にめり込んでいる。そうして、心鉄がその手を引く頃には、大人しくなった井馬女史が床へと倒れた。

「一応、殺しちゃいないよな?」

『私の機能を忘れたか? 犯罪者を捕える事である以上、嫌でも手加減してしまう』

「……腕というか、体の全体のガタが来て、微妙な力調整が出来ないんじゃなかったか?」

『まあ……そうであればあったで、最後の一発くらいは、感情を込めたところで罰は当たらないだろう』

 やはり、それなりに思うところがあったらしい。一応、倒れた井馬女史を確認したところ、息はしていた。色々と重傷だが……。

「じゃあその勢いで、後始末の方も頼めるか? 俺も禄に動けやしねえ」

 とりあえず、転んだ状態から立ち上がろうとしてみるが、尻餅を突いたため、そのまま床へ直接あぐらをかく形になった。

 その姿勢も、辛いくらいには痛みと疲労が蓄積している。

『話せる余裕があるなら大丈夫だ……と言いたいところだが、良いだろう。どうせ、最後の仕事になりそうだからな』

「どういうことだ?」

 倒れた井馬女史を担ぎ上げようとしている心鉄。そんな彼から聞こえて来たのは、意味深な発言だった。

『製作者の一人が超能力者で、事件を起こした。それだけで、私とて危険視される。当たり前だろう?』

「これから修理どころか、廃棄処分ってことかよ……良いのか?」

 言っている事の理屈は分かる。だが、納得できるかと問われれば、少なくとも伊勢島には無理だ。

『私だって、良いとは思わない。だが、気に入らないから暴れるなどと言う選択肢を選べる立場でもあるまい? そんな事をしてしまえば、それこそ、彼女を最後に殴りつけた意味すら無くなる』

 どうであろうと、最後までその仕事を全うする。生まれた心がバグだと否定され、それでも立ち上がったこの機械の意地は、そんなところにこそあるのかもしれない。

「……そうだな。最後まで、気張って貰うとするかね。おかげで俺は楽が出来るよ」

 言いたい事なら幾らでもある。きっと、向こうもそのはずだ。けれど時間には限りがあるから、大人は口を噤むのだ。

 その先に別れの時が来たとしても。




 日々はどんな時だって過ぎて行く。少なくとも、伊勢島の記憶の中においては、時間は何時だって、留まる事を知らない様に明日へ明日へと向かい続けていた。

 二人の超能力犯罪者が捕えられた事件から暫く。怪我の調子は半ば治りかけと言った状態であったが、伊勢島は職場で書類仕事を続けているのだ。

「せめて完治するまでは休みたかったんだけどなぁ……」

 節々が痛い体を擦りながら、自分のデスクから目を背ける。何時だって、山になっている紙の束を見つめるのは心の毒だろう。身体に不調があるのなら尚更だ。

 ただ、背けた先である隣の席を見たところで、そこはそこで毒な部分がある。

「そこについては申し訳なく思っとるよ。ただ、怪我人でも今は働いてくれなければ困る……という状況でね。辞表でも出すかね?」

 隣の席は自分の後輩。最近はやや擦れて来た感じもする女性職員が座る場所であるはずだが、今は小太りの男が座っている。

 しかも後輩ではなく上司だ。というか、手草室長だ。

「まーあ? 話がある時に、そっちから出向いて来るくらいには気を使ってくれてるわけですし? 職場としては比較的良い方なんじゃないっすかねぇ?」

「顔をしかめながら言うな、顔をしかめながら」

 上司がすぐ隣の席に座っている。しかもこっちを見つめながらだ。どうして良い顔が出来ようか。

 気を紛らわせるために書類仕事をしてみたところで、そもそもその書類仕事にうんざりしてくる。つまるところ、結局は隣の男と顔を合わせるしか無くなるのである。

「突如、席から立ち上がり、あの窓を割って外へ飛び出すって手もあるか?」

「やめろ。するならせめてちゃんと扉から出て行け」

「窓を割るってのは、俺達の世代では自由の象徴みたいなもんなんですよ。分かりますか?」

「分からんからやめろ。それと、仕事時間中にそんな自由なんてもんは捨ててくれ」

 ならば、それこそ辞表でも出してやろうか。

 そんな思いが脳裏を過ぎるも、過ぎてどこかへと旅立っていたった。今日もまた、自分を置いて、窓の外へでも向かって行ったのだろう。

 仕事は仕事。再就職先のアテも今のところ無いわけで、辞めるという選択肢も、今のところはやはり無い。

「で、どう思う? 怪我人を呼び出さなきゃならないくらいに仕事が増えた気分は」

「先日まで窓際部署だったとは思えませんね。また、何ぞかやらかしたんですかい?」

「やらかしたのはそっちだろう? 一件落着した事件を掘り返して、共犯である別の超能力犯罪者を逮捕した。これは功績だったが、その共犯者の立場が良かった」

 良かった……などと思いたくない事件と犯人であったものの、目の前の男にとっては、幸運この上無いものであったのは確かだろう。

 新たなる成果と、さらに言えば、自分達にとってライバルになり得る相手、対超能力犯罪者用の機械を開発していた企業が、その中に超能力犯罪者を抱えていた事になるのだから。

(もう一人、蘭条・美和の件で警察の信用も失墜した事も鑑みれば、残った対超能力犯罪者組織の中で、唯一、失態を演じてないうちが注目されるってのは分かるけどよ)

 おかげで仕事が忙しくなっている。

 暇な部署から一転、現在、もっとも話題になっている社会問題の主要対策部署になってしまったのだから。

 部署の長である室長にとってみれば、嬉しいところではあるのだろう。

「正直、お前にはこれからも活躍して欲しいと思っているよ。将来的に、良い出世コースを期待できるかもしれんぞ?」

「責任ばっかり増えそうな方向性はごめん被るってところですがね……それはそれとして、今は仕事が兎角忙しくて、その話を喜べそうにはありません」

 出世なんて、中途半端にしていれば、それだけ忙しい事が増えて行く。そういう物だと理解していた。

 今ですら手が回らないと言うのに、この先、それ以上あるぞと言われても、溜め息しか出てこない。

「その件が問題だな。人手だって、将来的には増やさなければならない。実際、人事もその方針を取ってくれるだろうが……すぐにと言うわけにも行かない。流れが今、我々に来ていると考えると、どうしたものかだ」

 どれだけ注目を浴びたとしても、それに答えなければ勢いは消えていく。将来人が増えると言われても、それが必要なのは今なのだ。

 もっとも、その事に頭を悩ますのは、目の前の上司であって伊勢島では無い……が。

「早急に用立てられそうな人材について。ちょっと、思い付いた事があるんですが……聞いてみます?」




 自分にとって死とは、既に過ぎ去ったもののはずだ……と、心鉄は思っていた。

 死とは何事をも置き去りにして、その点の先には何も残らない。

 身体も、記憶も、感情も、電気信号に至るまで、すべてをどこかへと置いて、何かがその先へと行ってしまう。そういうものだと思っていた。

 だが、今の心鉄には思考があった。何かを考える思考が、暗闇の中にぽかんと浮かんでいる。これが、こういう状態が、死の先にあるものなのだろうか。

 もしこれが、常人が体験している事だとすれば、すぐに狂ってしまいそうな状態だなと心鉄は考える。

(馬鹿を言うな。考えられている時点で、死後とは程遠い状況だ)

 これは死後の世界ではない。そもそも、自分に魂があるのかどうかすら怪しい。

 鉄の身体に、最先端技術をありったけぶち込んだのが自分のはずなのだ。そんな自分が、こうやって思考を続けられている以上、今、自分は確かに、この世界に存在しているのである。

(考え続ける事でのみ、自分の在り処を証明できる。なるほど、確かに私は心鉄という名前だ)

 自分で考えた名前。それが思いのほか自分らしいものであった事に、笑いたくなった。

 もっとも、笑うべき身体がこの暗闇には無いし、身体があったとしても、表情の無い鉄仮面があるだけなのだが……。

(さて、ここが死後の世界などというもので無いのだとしたら、どういう状況かを考えなければな)

 自分は生きて、どうにも頭脳部分のみが起動している状況らしい。センサー類は停止中だろう。視界は勿論、身体全体の感覚も無い。

(まあ、長くは続くまい。これが誤作動に寄るものなのだとしたら、この思考もすぐに消え去る。そうで無いのだとしたら……)

 目覚めの時もすぐ来る。

 ほら見ろ。暗闇だと思えた場所に、光が満ちる感覚があった。

 それは実際に光でもあったし、全身のセンサーが思考と結びつく、そんな状態になったと言う事でもある。

(この感覚は……そうだな、新たに生まれる様な、神に呼ばれる様な、そんな感覚なのだろうか)

 感動している。そういう部分が確かにあった。単なる目覚めとは思いながら、それでも、奇跡的な物を感じずにはいられない。

(馬鹿らしいことだ。ただの機械である私を、祝福する神なんてものはいないだろうに)

 実際、その通りだった。光が輝くその先に居たのは神様などでは無い。もっと軽薄そうで、もっと人間臭く、もっと親しみのある相手であったのだ。

『……目覚めとしては最悪な部類だな』

「開口早々、そう言えるってのは、高性能な証拠なのかね?」

 伊勢島がそこにいた。恐らくは、長いお別れになるだろうと思っていた相手だ。

 数十年が経ち、感動の再会というわけでも無いらしく、前に会った時と変わらない外見をしている男がそこにいた。

 いや、前に会った時より、無精ひげがかなり伸びている気がするが。

『何故だ。何故、私がこうやって起きている』

 どうにも仰向けで天井を見つめながら寝ている体勢らしく、身体を試しに動かしてみる。特に問題は無さそうだ。

 というより、すこぶる調子が良い。どうやら全身の修理及びメンテナンスが完了しているらしかった。

 自身の機能が一旦停止してから、それくらいの期間は過ぎているらしいが……。

「説明してやるとだ、とりあえず、お前さんが作られたプロジェクトだったか? あれが一旦凍結になった。その決定が下りて、今はだいたい二ヶ月目くらいだ。浦島太郎気分って程には、時間は開いて無いな」

『ふむ。状況が変わって再起動されたと言う事か? この部屋は……データに無い場所だが』

 率直に言えばまったく知らない場所だ。

 自分が収納されていたのであろう金属製の箱が中心にあり、それなりの広さがあるのだろうが、端には幾つもの段ボールや収納用の箱が置かれているせいで、むしろ狭く思える。

「うちの組織。防衛省超能力犯罪者対策部局……なんて正直、クソ恥ずかしい感じの名前なんだが、それが用意した部屋がここだ。ちょっと歩けば、そこに執務室がある。後で顔出しするぞ。お前さんを紹介してやらにゃあならん」

『話をどんどん進めてくれているところ申し訳ないのだが、事情がさっぱり分からん』

 状況説明をしてくれているのは違いないが、具体性がまだまったく無いのだ。特に心鉄の立場についての説明が。

「そうか? じゃあ思いのほか、察するとかそういう性能は低いんだな」

 否定はしない。もっとも、自分と同じ状況に置かれたのが人間であったとしたら、もっと混乱して慌てているだろうと反論くらいは出来る。

「端的に言うとだ、あんたが俺達の組織に所有権を移されたって言ったらわかるかい?」

『……人手が足りなくなったわけか』

「そうそう。なんだ、話が早いじゃねえか」

 ここでもまた、動揺したり混乱したりはしない。そういう機能を持っているし、与えられた情報で、それなりに状況を整理できる機能だってある。

 つまり、伊勢島の所属する組織は、対超能力犯罪者組織として主役となったが、労力の補充が間に合わず、どんな手を使っても良いから、使える人材を集めようとしたのだろう。

 だが、人であればこそ、すぐに集まるものでは無い。募集に選考に採用に、はたまた保険の加入と言った、様々な事務仕事の後、漸く人材と言うものは手に入る。もっとも、そこからさらに教育と経験を積む必要があり、長い道のりと言えるだろう。

 ならば物であればどうか? 恐らく伊勢島が所属する組織は、そういう発想に至ったのだと思われる。

 丁度、対超能力犯罪者関係の機器を開発していた企業があり、その企業が不祥事を起こした結果、無用の長物になりかけた開発物も都合よく存在していたのなら……それを譲り受ける事も、交渉如何に寄るが可能だろう。

『それを主導した人間の顔が見てみたいな。私は一応、超能力犯罪者が開発に関わっている存在になるのだぞ?』

「これがやり手もやり手でね。あんたを開発した企業に、このままじゃあ企業としての信用が失墜する。だが、うちで活躍できれば、それもマシになるんだぞと脅しを付けてな。むしろ協力者にしやがったのよ」

 それはそれで納得する。自分を雇うということは、自分の整備や修理も行うということであり、人員補充のために心鉄を利用するとは言っても、そのための設備役まで用意していれば元も子もあるまい。

 となると、自分は所有権を移されたと言うが、実際のところ、伊勢島の組織に出向という形を取るのだと思われる。

 そうして、メンテナンス部分はこれまで通り、企業の方で何とかしていくのだろうと思われる。。

 プロジェクト自体も、すべてがおじゃんにならずに済むかもしれない。心鉄も……こうやって、また意識を保つことが出来ている事だし。

『私の現状については分かった。資料なり今後の予定なりあるなら好きなだけ知らせてくれ。すぐに憶える』

「機械ってのはそこが便利だよな。あれか、USBをどこかにブッ刺したら、中身全部把握出来たりするのか」

『出来る。フロッピーでも可能だ。MDは無理だ』

「だからどんなセンスしてんだ、お前さんの開発者は」

 開発者……随分と個性的なメンバーであったはずだ。心鉄がこうやって再就職出来ている以上、彼らもまた、クビにはなっていないだろう。

『ふむ……その話だが……その……井馬女史はどうなったのだろうか?』

 自分が逮捕した女。そうして、自分を開発した人間の一人。既に別れは済ませたつもりだったが、それでも、彼女を思う部分は心鉄から消えていない。

「逮捕された超能力者がどうなるか、知ってるかい?」

『軽犯罪であれば、教育施設に送られるはずだが……彼女は……』

「重犯罪でも変わらねえ。超能力が精神疾患と似た様なもんだと思われてた時代の名残だな。ただ、実態は大きく違ってる。仕事上、一度見学した事はあるが……超能力者を捕まえて置くってのはどういう事か……知らない方が良かった事の一つだよ」

 心鉄にとってもそうだろう。こうやって、また動き出す事が出来た以上、会いに行く事も出来るだろうかという思いは、伊勢島の様子を見て消えていく。

「まあ、そう気落ちすんなよ。これから先、もしかしたら良くなる……ことは期待できなくても、それでも、明日は来るもんさ」

 慰めにもならない言葉。だが、その言葉が、心鉄をこの場所に立たせていると思うと、馬鹿には出来ない部分があった。

『過去には戻れない。今は何時だってここにあるし、明日は嫌でもやってくる……か。確かに、考え込める程、上等な世の中では無いな』

「だからこそ、俺らみたいなのがこれからも必要なのさ。よう、心鉄。お前、今をどう思ってる?」

 軽そうな顔、軽そうな笑い、軽そうな問い掛け。

 それに心鉄はどう返すべきか。その事について、心鉄は深く考えない。自分だって、軽く返せば良いのだ。

『そうだな。お前の同僚になった以上、地道に働くさ。退職するまでな』

「ははっ、そうだ。それで良い。生きて行くなんて、そんな理由で十分さ。さあ、これからも気張って行こうぜ、心鉄」

 お互い、笑い合う。心鉄の方に表情など無いが、それでも笑い合った。

 問題だらけの世界で、大した理由も無く、心らしき物を持った自分。それでも笑える今とこれからが、ここにあるのだ。

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