第1節 Ⅲ「謎の部屋」
「ふぅ……」
障子の向こうから再び話し声が聞こえてくる。
私は、あのジャンヌの護衛するだけに雇われただけの関係だ。二人だけで話をするなら護衛する必要はないし、むしろ邪魔に思えてしまうだろう。ただほうけているのもしゃくに障るから、少しこの屋敷を散策しよう。何か、面白いものとか見つかるかもしれない。
庭園を眺めることが出来る縁側を通り、奥の怪しげな部屋を見つけた。一体何があるだろうと興味本位で扉を開くと、まだ廊下が続いている。更に進んでみると、不気味なガラス張りの扉の二つの部屋があった。一つは頑丈な南京錠で施錠されていて、もう一つは……施錠されていない。
(なんだ……片方だけ施錠していないんだ?)
気がかりな部屋を恐る恐る、ドアノブに手をかける。ぎぎぃと軋んだドアを少しずつ開ける……。
「おい、ここは立ち入り禁止だ!」
低い怒鳴り声が響き、思わずドアノブから手を引っ込んだ。声の方向に向けると、なんとも堅い体つきの大男が立っていた。大きな斬馬刀を背負っているから、相当腕のある剣士なのだろう。
「あぁ、いや、その……すいません。この部屋は、一体何が?」
「貴様が知る必要はない」
「あの……わたし申し遅れましたが、今日来国された外国人の護衛を頼まれた赤碕姫香です。護衛とならば、この屋敷を隈なく確認したほうがよいでのではないかと思っていまして……」
な……なにカタコトな敬語で言っているんだ、私は……。自分自身でも気づかないことだが、余程テンパっている様子だった。まあ、久々に見る大男だから緊張するのも無理はないかな、と私はそう解釈した。
「あぁ、あの外人の護衛か……なら失礼した。俺は鍛冶徹輔、西園寺殿の用心棒だ。護衛中は以後よろしく頼む」
「あぁ、それで徹輔殿――」
「徹輔でいい。その呼ばわりされるのは嫌いなんだ」
「それじゃあ、徹輔。この部屋は一体何がある?」
「この部屋は、西園寺殿の部屋だ。絶対に誰も入るなって言われている」
「じゃあ、あんたも?」
「あぁ、余程な事ぐらいしか俺も入ったことがない」
「へぇ、じゃあこの部屋について教えてもらってもいい?」
「だめだ。この部屋は誰にも教えられないと西園寺殿に固く言われている」
「まあまあ、そう言わずに……」
懐から出した百円(現在では二万円相当)を彼の手に突っ込んだ。いわゆる賄賂だ。こうでもしないと、情報を得られない場合が多々ある。予めくすねた金を使って情報を聞き出す作戦で決行した。
「お気遣い結構。俺は、一応食っていける人間なんだ」
遠慮な事を言って、彼の手に仕込ませた金を私の懐に戻した。
「小賢しいのが効かない、頑固な男だと」
しかし、なんか気になる。あの部屋から阿片とかの麻薬の匂いとは違った、甘くて魅了されそうな媚薬っぽい香り……。西園寺木見助……聞いた話だと海外から輸入されるものを売りさばく商人だ。北海道のお偉いさんが公認するほど、売り手として慕われている。だが、黒い噂を耳にする人も多い……。
「……まさか、首を突っ込んじゃまずい場所に入っているのか?」
いや、考えるのをやめよう。西園寺殿にこの部屋のことを知られたら、この屋敷にいられなくなりそうだ。
昔からの癖だ……いや、戊辰戦争から怪しいと思えばすぐに疑うべきだと叩き込まれていたから抜けていないだけかも。そろそろ、人を信じないといけない時代になってきたから癖を抜かないと。
(さて、あの人たちは話を終えたのか確認してこよう)
謎の部屋のことは後に回して、ジャンヌの護衛に戻らないといけない。任務放棄って言われて首にされるのはゴメンだ!
そうして、私は部屋に向かった。障子を開くとちょうど部屋から出ようとしたジャンヌと出くわした。
「あ、姫香さん――」
「ちょうど、話が終わったのか……」
「はい、ちょうど終わりました。――それですね、姫香さん。夕飯まで時間がありますから、私を街まで案内してくれませんか!」
「え、えええええええええええええええええええええええええッ!?」
と、思わず驚いてしまった。いや、私が理解に追いついていないだけか。
「日本人って、案内をお願いしただけで驚くものなのかしら?」
「い、いやいや、……そのだな、まあ、別に問題はないけど……」
どうしよう……函館も最近は治安が良くなってきたけど、こんな貴賓なお嬢様を街に出せばチンピラに絡まれて金銭取られちゃうよ。てか、最悪男どもに陵辱を受けて最後には快楽しか感じなくなる廃人になってしまう!
「なに、案内が嫌か?」
ジャンヌの背後から出た西園寺殿が問うてきた。
「いや、案内は嫌じゃないですけど……だって――」
「御託はいい。それか、今ここで護衛の任を解いて貰うしかあるまい」
「う……」
護衛の任を解かれると、金が入らなくなる。それは働く身でなら、最悪の状況だ。
でも……しかし、あまり治安の良くない場所を観光するっていうのも……ん? てか、今思ったけど、私って元・人喰い姫って呼ばれていた最強の人だよ。護衛もお安い御用の強さを持っている。
なんで、観光案内を拒んでいるのだろう……。
パチンと頬を叩いて、先程までの思考を全部消し去った。そして、私はジャンヌに西洋の本に書かれていたエスコートのセリフを言って手を差し伸べた。
「――分かりました。それでは行きましょう」
「それじゃ、案内よろしくね」
微笑みながら言って、天使のような儚い手を摘み取り屋敷を出た。