日本1
目覚めると、目の前に心配そうな表情のライルさんがいた。
ゆっくりと周りを見渡す。
見慣れた、でもとても懐かしい自分の部屋だ。
「日本に……戻ってきたんですね」
わたしはベッドから起き上がる。
ベッドの上には針の止まった目覚まし時計が無造作に転がっていた。
「セリア、いや、こちらではヒナと呼ぶべきだな。ヒナ、体は平気か?」
ライルさんが尋ねる。
「はい。平気です。ライルさん、2人きりの時はセリアで大丈夫ですよ」
少しだけ違和感があったけれど、特に痛みはない。
鏡で確認しなくても分かる。
間違いなく慣れ親しんだ陽菜の体だ。
「時が……」
わたしは静寂な世界で、ライルさんを見上げた。
「ああ。まだ止めたままだ」
「どうしてですか?」
「不法侵入ではないのか?」
「え?」
「俺は時を止めて勝手にこの家に入った。下の階にはお前の家族が居るのだろう? 大体、こんな状態で戻したら辻褄が合わない。止めた場所まで戻って動かすのが正しい」
「隼人と一緒にいた裏通りですね」
ライルさんは頷く。
ライルさんはわたしを抱いて裏通りまで飛んだ。
その間、彼は興味深く動かない人々や街並みを観察していた。
「この辺りだったな」
ライルさんはわたしを下ろし、前に見た三角錐のようなものを手のひらに浮かべる。
数歩先には、口を開けた銅像状態の隼人が立っていた。
「問題が山積みだが、長い間この状態で居るとお前とこの世界との乖離が酷くなる。一先ず時を戻して考えるということでいいか?」
「いいですけど」
「どうした?」
「今更ですが……ライルさん、目立ちますね」
わたしは小声で言った。
「それは考えていた。多分馴染みのない衣装と色味の問題だろう」
ライルさんは冷静に返す。
確かにそれもあるけど、そればかりではない。
外観だけの問題なら、コスプレとか前衛的な奇抜なファッションということで、一瞬注目されるだけで済む。
でも、ライルさんの場合は彼自身がとんでもない美しさを放っている。
一目見ただけで老若男女、釘付けになることは間違いなかった。
「仕方がない」
そう言ってライルさんは三角錐を浮かべた手と逆の手を軽く振る。
途端に彼の髪色と瞳の色が茶系に変わった。
いつものライルさんほど目立つことはないが、タイガーズアイのような瞳が濃度を変えながら絶えず変化している。
「ただの目眩しだが、これで問題ないか?」
素直に頷けない。問題はある。落ち着いた色合いにしたところで、やっぱりどうしたって美しさが際立ってしまう。
彼は気にする様子もなく、もう一度手を振った。
今度はライルさんの服装が無難なTシャツと麻の素材のボトムスに変わる。それはそこら辺を歩いている地味な大学生のファッションと変わりなかった。
けれど、こんな超絶美形な大学生は絶対にいない。
それから額のリングを一瞬で消してしまった。
「額からは外しておくが、このリングは片時も離さず持っている。そういえば、リングで思い出した。これは返しておこう」
ライルさんの手のひらに、クライの髪飾りが載っている。
「ヒナの髪にも似合うな」
ライルさんは笑った。
時が動き出す。
ライルさんはもう三角錐を浮かべていなかった。
「は? どういうこと?」
突然何事もなかったかのように動き始めた隼人が、わたしとライルさんに詰め寄る。
「見た目を変えたって誤魔化せないから。この外人、妙な術が使えるんだね。その術で陽菜の夢から出てきたの?」
夢から出てくるってどういう発想だろう。
隼人は意外とファンタジー的な思考回路をしているらしい。
「生計を立てる以前に、言語の問題があったな」
ライルさんはため息をつく。
確かに…… 。
「魔法でどうにかできますか?」
わたしは尋ねる。
「前にも言ったと思うが、そんなに都合の良い魔法ばかりあるわけではない」
「じゃあ、わたしがライルさんに日本語を教えますね」
ライルさんは頷く。
「でもわたしがライルさんに教えられることがあるなんて嬉しいです。あ、ちょうどよかった。明日から夏休みなんです。夏休みは1ヶ月くらいありますから」
「そんなに時間はかからない。話すだけなら20時間もあれば十分だろう」
「日本語って難しいですよ?」
「理解と記憶の魔法を応用すればどんな言語も話す事は容易だ。文字を覚えるとなると少し手間取るが、それも40時間くらいあれば何とかなるだろう」
「 え? 1週間で読み書きができるってことですか?」
「おそらく」
ライルさんは答える。
「陽菜、長々と何意味不明なこと喋ってんの? いい加減その外人から離れてよ」
隼人がわたしの腕を掴む。
「彼はさっきから何を怒っている?」
ライルさんは首を傾げた。
「あの、言いにくいんですけど、実は隼人に前から付き合ってほしいと言われていて」
「付き合う?」
「好きだって言われてるんです。でも隼人はちゃんとわたしがライルさんのことを好きだって知っていますから」
「……嫉妬か」
ライルさんは視線を落とす。
「今、俺のこと馬鹿にしたでしょ?」
「馬鹿にしたわけではない……と彼に伝えてくれ」
「ライルさん、隼人が何を言っているのか分かるんですか?」
「いや。ただ彼は感情が見えやすい。それにしたってどこへ行っても嫉妬だな。それだけお前が愛されているということか」
ライルさんは苦笑する。
見渡すと遠巻きに女性の集団ができていた。
裏通りとはいえ、こんなに騒いでたら注目されて当然だ。
ライルさんだけではなく、隼人だって相当な美形なのだ。目立つことこの上ない。
「隼人、家に帰ろう?」
「この外人、どうすんの? 陽菜ん家に連れて行くつもり?」
「うん。お母さんにちゃんと説明する」
「やめなよ。そんなことしたら、怜ちゃん卒倒しちゃうって」
隼人はそう言って、黙り込む。
「隼人?」
「……分かった。とりあえず俺の家に来ていいよ。母さん出張中で誰もいないし」
「ありがと。あの、隼人、1つだけお願いがあるんだけど」
「何?」
「ライルさんのこと外人って呼ぶのやめて。それに、ライルさんはわたしたちより年上だからね」
「あ、そ。陽菜の王子様は子供じゃなかったっけ?」
隼人はそう言ってライルさんに冷たい視線を送った。




