不安と前進
わたしのせいで安眠できなかったライルさんに休むよう伝え、自室に戻る。
考えたいことがあった。
メル姉の話だ。
メル姉はわたしの代わりに自分がカナンの王妃になると言ってくれた。でもわたしは、本当にメル姉の代わりにナギの女王になんてなれるのだろうか。
そもそもわたしの中身はただの女子高生なのだ。こちらで過ごした幼少時代の記憶は戻らず、王族としての心得どころか、未だにこちらの世界の一般常識すら分からない。
思わずため息を漏らす。
優しいメル姉とジェイド王子の強い願いに応えたい。
けれど自信がない。
それにこちらの世界で暮らすということは、最終的に陽菜としての人生を捨てるということだ。
その時、部屋にノック音が響いた。
扉を開けると、優しい笑みをたたえたお母さんが立っていた。
「メルから話を聞きました。少し話をしたいのだけれど、いいかしら?」
わたしは頷く。
わたしとお母さんはソファーへ移動し、対面で座る。
メル姉の決断はきっとこの国の国王、王妃である父母にも多大な迷惑をかけるものだろう。
全てはライルさんと一緒にいたいと望んだわたしのせい。
顔を上げることができない。
「セリア、悩んでいるのね。15年もの間、こちらを離れていたあなたに重責を負わせるようなことになってしまって申し訳なく思っています」
「お母さ……いえ、お母様……」
「メルもね、あなたに申し訳ないと思っています。自分の願いを止められない。セリアを完全に自由にしてあげられないと」
「そんなこと!! わたしが、わたしのほうがメル姉の女王としての未来を奪ってしまいました」
「そんな風に言わないで。今回のことはメルの望みです。あの子はこれまで私たちに一度として我儘を言ったことなんてありません。次期女王として敷かれたレールを粛々と歩き、あなたが見つからなくて不安だった時も弱音すら吐きませんでした。そんなメルが初めて我儘を言ったのです。あの子の唯一の望みをできることなら叶えてあげたい」
「わたしもそう思います。応えたい。……でも自信がないんです」
お母様は立ち上がりわたしの手を取る。
「自信なんてなくて良いのです。強い気持ちがあればどうにでもなるのですから。あなたが分からないことは全て、時間をかけて私やメルが教えます。ナナハン王家には頼もしい臣下もたくさんいます。それに、あなたには特別な人がいるでしょう?」
ライルさん……。
ようやく心が通じ合えた。
ライルさんと一緒にいるためならどんなことだって頑張れる。
何を犠牲にしても一緒にいたい。
わたしは小さく頷く。
「本当に……わたしでいいんでしょうか?」
「勿論です。あなたの真の心の強さは本物です。上に立つ者にとって、それが一番大事なことです。きっと陛下も同じ気持ちでいますよ」
お母様は、きっぱりと言い放つ。
ふんわりとした雰囲気のお母様だけど、その迷いのない言い方がメル姉にそっくりだった。
思わず笑みがこぼれる。
それからしばらく、お城で平穏な日々を送った。
当分の間は、トキ王子やカナンの情勢を見守るという話だ。
メル姉はサイネリアやナギについて、改めてわたしに教えてくれた。
5国について教えてもらった頃を思い出し、懐かしくなる。
本も読んだ。
カナンに滞在しているときにも読んだけれど、こちらの文字が読めるというのはありがたい。教材があると勉強もはかどる。
ライルさんのことはたまに見かける程度で、お城の中でわたしに始終ついて回ることはなかった。
一度、護衛の職務怠慢ではないかと言ってみたが、城内の安全は保障されているとにべもない返事。
少し淋しい。
いつもより早く目が覚めてしまった朝、フラワーガーデンに行くと、例によってライルさんが水撒きをしていた。
「おはようございます」
わたしは声をかける。
「ああ、早いな」
彼は素っ気なく返した。
それからライルさんは無言でわたしを見つめた。
わたしは何度か瞬きを繰り返す。
そんなに見つめられたら恥ずかしい。
何かおかしなところでもあるのだろうか?
「……いつになったら行くんだ?」
ようやく口を開いたライルさんは、呆れた顔をしてそう聞いた。
「え?」
「一緒にハンナへ行きたかったのではないのか?」
「あ」
そうだった。毎日せわしくしているうちにすっかり忘れてしまっていた。
「もしかして、それで怒っていたんですか?」
「別に怒ってはいない。大体、見世物にならなくて済むならそれに越したことはない」
「じゃあ、予定がないなら今から行きましょう?」
「……俺は構わないが、お前の方こそ予定はないのか?」
「はい。多分メル姉に伝えれば大丈夫です。ライルさん、今日はずっと一緒にいられますね」
嬉しくて頰が自然と緩んでしまう。
「念のため、お前が戻ってから城の敷地内は特殊ゲートで覆っている。城内も今は信頼できる最小の官吏しかいない。護衛とはいえ、安全が保障されているところでお前に張り付いている必要性がなかった」
ライルさんは、決められたセリフのように珍しく流暢に話す。
どういう意味?
「必要性がなければ側には居られない」
ライルさんは更にそう続けた。
「えっと? 一緒にいたいけど、お城の中では護衛の必要がないから、わたしと一緒にいられなかったってことですか?」
尋ねると、彼はわたしから視線を外し黙ってしまった。
瞳の色は、これまで見たことのない色をしている。
宝石のトパーズのような色。
図星だったのかな?
困らせてしまったのかもしれない。
でもやっぱりどんな表情も綺麗で、また頬が緩んでしまう。
ライルさんとずっと一緒にいたら、わたしの頰はもう緩みっぱなしになってしまいそうだ。




