一方その頃人類軍は
新章だぞい
正暦一八八〇年七月一七日 連邦東部標準時一五時三〇分
連邦議会上院軍事委員会
「ご来場の皆様! 本日はあなた方にとって、そして『連邦党』の議員たちにとってとても不都合な真実を、私の口から語らねばならないことを謝罪いたします!」
この日行われた軍事委員会は、いつになく波乱に満ち溢れ、張り詰めた空気が漂っていた。
委員会室には委員会に所属していない、発言権の無い議員も訪れてその様子を窺い、傍聴席には報道関係者は勿論、一般市民も駆けつけていた。
彼らがそこまで興味を示すのは、この日の委員会で、とある衝撃的な事実が告げられるという情報が報道関係者にもたらされたからである。
「昨年行われた魔王軍に対する攻勢作戦『オーケストラ作戦』は、軍報道官の報道発表を信じれば成功だったかもしれない。しかしその裏で、汎人類連合軍は多大なる損害を受けたのもまた事実である」
抑揚をつけ、まるで大統領就任演説をするかのように「弾劾」するのは、白髪が目立ち始めた中老の男。
連邦議会最大野党「社会党」の議員にして、上院軍事委員会の理事。
「これを彼らは『聖戦に殉じた偉大なる犠牲』と釈明したのは、ご来場の議員諸君、そして傍聴者諸君にも周知の事実だろう。そこで先程皆様にお配りした資料の二一五をご覧になってほしい」
彼は右手に持つ資料を高々と掲げ、目の前の連邦議員、そして彼らの背後にいるだろう国民に向かって、ややかすれた声で叫ぶように口を開いた。
「汎人類連合軍による『オーケストラ作戦』の主たる目的は『魔王軍の首領たる魔王の討伐』にあったのである。これは機密保護のために、我々軍事委員会議員にすらその目的が伝えられてなかった上に、この事実を作戦後公表しなかった。無論、私もこの資料を手に入れるまで知らなかった事実である!」
まさに憤慨だ、自分に与えられた職責に対する侮辱だ。
そう言わんとするような声を張り上げて、彼は非難を続ける。
「それは何故なのか? それは、魔王討伐という作戦目的を果たすことなく、我らが連邦国民の血と税を無碍にしたという、軍部にとって極めて不都合な真実であったからに他ならない!」
委員会室が僅かにどよめく。
与党「連邦党」の議員でさえ「そのような事は知らなかった」という表情を隠そうともしない。
事実を知るほんの一部の議員だけが、忌々しそうな顔をしながら演説台に立つ野党議員から目を逸らす。
「この作戦案は元々、同盟国たる連合王国の発案である。
しかし無論彼の国だけで行った単独作戦ではなく、我が国や共和国、帝国、協商国、皇国、都市同盟、王国らの列強諸国もそれぞれが負担している。故に、我らにも作戦の可否について論ずる資格がある。実際、連邦軍参謀部の中にも懐疑論はあった。
にも拘らず、会議に出席した連邦軍参謀議長は大した議論もせず、彼らの声を拾い上げることなく、何も考えずに作戦案に賛同してしまった!
その結果、作戦に参加した連邦軍兵士二〇五九名の尊い生命が失われ、そしてさらに多くの戦傷者を出したのである!」
演説の途中、彼は涙を流した。
それが嘘であり政治的なパフォーマンスであることは誰の目にも明らかであるが、それが新聞紙や雑誌というフィルターにかけると、不思議なことに演技であることは気付かれない。
「これは軍部の怠慢と評するしかないことは明白なる事実であり、我々軍事委員会を、議会を、国民を、民主主義を軽視する彼らの無能さを世に知らしめた!
尊き生命を無碍に散らせた責任は、軍部代表者たる連邦軍参謀議長と、それを任命した大統領にあることを心に明記せよ!」
その演説の後、委員会室は拍手と罵声と、ペンを走らせる音に包まれた。
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「全く、あの老人には困ったものだ」
軍事委員会終了後、委員会室を出たとある議員は廊下を歩きながら、彼の隣で共に歩く同僚議員に向かい文句を垂れる。
連邦議会最大会派たる「連邦党」の下院議員、キース・バーク元連邦軍中佐。
連邦議会に議席を有する者の中で魔王ヘル・アーチェの姿を直接見たことのある数少ない人物。
「そうは言うけどなキース。社会党の爺さんが出した内部文書は確かに本物だ。連邦党員の中にも『信憑性が高い』と考えるものも多いぞ」
そしてバーク議員の愚痴に付き合うは、同じく「連邦党」の下院議員、元連邦軍准尉のアディサル・ブライアンである。
この両名は連邦党の中では比較的若く、将来を嘱望された有力な議員である。
そんな彼らが、悪態を吐きながら議事堂の廊下を歩くのは、彼らを知らぬ者から見れば「別人なのではないのか」と勘繰ってしまう程の光景であった。
「わかっている。だが軍事の何たるかを知らぬものがあんなことを言うのが心底腹立つのさ。あのジジイが大仰に演説したのは、ただの結果論にすぎん」
あんなに被害が出ることを知っていたら誰もが必死に止めただろうさ、と彼は続けた。
実際問題、人類軍にとってオーケストラ作戦の損害は予想外だった。
戦術的には大勝利であったことがせめてもの救いだが、魔王の討伐という戦略的勝利に繋げることが出来なかったことが事を大きくしている。
「物は考えようだよ。戦線が三〇〇キロほど前進したおかげで、魔族の脅威をさらに減じることが出来た上に広大な領土を手に入れた。
ケーキの切り分けはだいぶ先だけど、作戦に対する連邦の貢献度を考えれば有利な土地が得られるんじゃないかな」
「何年先の話をしているんだ。一五年前に獲得した土地でも入植が進んでないってのに、ここでさらに生産力皆無の無人の荒野を手に入れて嬉しいとは思えんぞ。
二〇年先のことより、次の中間選挙の方が悩みの種だ」
頭を抱えるバークに、ブライアンが同情の目を向けた。尤も、ブライアンが置かれた状況は親友と同じなのだが。
「まさしく。連合王国のアレ、結果聞いたか?」
「あぁ、どっかの地方選だったか。主戦派の与党『統一党』が一八議席しか取れなかったって話だろう?」
「そうだ。もうどこの国の奴らも、魔族よりも戦争が嫌と見える。俺たちも考えを改めるときが来たんじゃないか?」
「簡単に言ってくれるじゃないか。連邦党の主な票田がどこにあるか、今更お前に教える必要はなかろう?」
バークが皮肉交じりに鼻を鳴らすと、ブライアンは大きく溜め息をつくほかない。
議会最大会派たる連邦党を支持するのは、連邦で最も信徒の多い宗教、魔族を「神に敵対する悪魔」と見做して絶滅を要求する「十字教」の教会とその神父を管理する「連邦十字教会」。
そして戦争に使われる各種兵器や軍需物資の製造等を行う企業、つまり戦争によって利益を得る企業である。
彼らがどうあがいても、連邦党という枠組みの中では「主戦論」の建前を崩すわけにはいかないのである。
そのことは、バークもブライアンもよく知っている。
自分たちが下院で弁舌を奮えるのも、偏にその票田があるからである。
「……全く、嫌な世の中になったもんだ。道行く先に泥沼があるとわかっていても、俺たちは迂回も停止も許されていないなんてな」
愚痴る親友に、バークはやや強く力を籠めて肩を叩いた。彼の口から漏れ出るのは、無論慰めの言葉ではない。
「安心しろブライアン。そんなもの戦場じゃ日常茶飯事だ」
「さすが銀星勲章保持者、言葉に説得力がある」
「何度も言ってるが、たまたま取れただけだ」
親友の茶化すような言葉に、バークは頭を掻きながら答えた。
「たまたまで勲章が取れたら苦労はしない。塹壕でこけて戦傷勲章取った身としては、こんな気安く話しかけてよい物かと躊躇うよ」
笑いながら、思ってもいないことを話すブライアン。
彼は冗談を籠めて紫色に光るその勲章を見せるが、しかしそれが「単純にこけただけで授与」ではないことを知っている。
もしそうであれば、ブライアンが杖なしでは最早歩くこともできない体になっていることの説明がつかないからである。
「なるほど、だから太ったんだなお前」
「よく御存知で」
だから彼らは、主戦論者の多い連邦党の中で比較的冷静に戦場を俯瞰し、そして道行く先の泥沼に今まさに足を踏み入れようとしているのだった。
バークは足を止め、近くにある議員控室へと入った。
前ふりもない突然の行動であったにもかかわらず、ブライアンは迷いもせずバークに続いて入り、鍵を締めた。
余所者がいない場所での密談。つまるところ、ここからが本題であるのだ。
「ブライアン。俺の元部下のジョンストンって奴が二つ情報を寄越してきた」
ジョンストン。
その人物はオーケストラ作戦が発動される前、連邦軍参謀部の中で数少ない「作戦に懐疑的な意見を持つ男」だった。
つまり連邦党議員バークの元部下であるジョンストンが危惧した意見がどこかから漏れて、社会党の攻撃材料となったわけだが、バークはそれをあまり気にしていなかった。
その情報を手に入れることができる者の中に、社会党の党員がいたとしても別に不思議ではないし、社会党の為に情報を流すことも異例ではあるものの別に珍しくはない。
「一つは、汎人類連合軍司令部は懲りずに、そんでもって政治的にも『窮地に陥りかけてる連邦党に有利になる』作戦を立てたそうだ」
「……なんともまぁ勇敢なことで。委員会の承認はいるのか?」
「『動員数や動員物資量から考えれば小規模作戦だから、委員会決議は必要ない』だとさ」
「逞しいな。後日あの爺さんに批判されるだろうがな」
「成功すれば問題はない」
「あぁ、そう」
あっけらかんと答えるバークに、反論する気力を失うブライアンである。
戦争がしたいのかしたくないのか、表面だけなぞっただけでは彼の思考は読めない。
だがこの件に関してはバークに一切責任はないことを考えると、彼の深層心理は自然と推測できるだろう。
「それで、もう一つの方は?」
「もう一つの方はジョシュアの証拠のない推測だから話半分で聞いてくれ」
そう前置きして、バークは手に入れた情報を淡々と話した。
曰く、魔王軍が変革の時を迎えている、と。
そうジョシュアが判断した根拠は多くはない。
ただ彼が戦場を俯瞰し、時に最前線に立ち、目と耳によって得た情報と逞しい想像力によって出た結論であるのだから。
「それ、信憑性はあるのか?」
「ないだろうな。委員会で取り上げたら、たぶん次の中間選挙じゃ俺は落選するだろうよ」
「そんな情報を俺に教えてどうする気だ? 俺を落とすつもりか?」
「まぁそれも悪くない」
「おい」
「冗談。本題はこの後だ」
バークは葉巻を取り出して火をつける。
嫌煙家であるブライアンは、文字通り煙たい顔をしてバークと距離を取った。
バークは一息煙を吐くと、それを話した。
「具体的な日程は決まってないが、今度下院軍事委員会の連邦党議員として前線査察に行くことになりそうだ。国土開発委員のお前にはお声じゃ掛からないだろうが」
魔王討伐に失敗し、政治的に批判が高まる連邦党が、世論の評価が高い議員を前線に送る。
それは単純な政治的パフォーマンス以上に、なにか裏があると言うことだろう。
「もしかして、それは作戦の前段階か? 連邦党に有利になるっていう……」
「無関係とは思えないな。具体的に何やるかは知らんが、軍事委員会の面々が前線に行くことは、たぶん奴らも非公式の政治的『承認』が欲しいんだろう」
「『証人』じゃなくて?」
「両方かもな」
笑って、彼は葉巻を灰皿に置く。
換気されていない控室は、バークの葉巻の臭いで充満していた。
「ともかく、俺は暫く首都を空けることになる。最近の連邦党員は信じられんからな。お前のところで議会の様子見ておいてくれないか」
「お安い御用。せいぜい楽しんで来い」
「持つべき者は便利な友だよ」
「よく言うぜ」
ブライアンは皮肉を交えた笑みを浮かべた。
【人類側用語解説(と言う名の裏設定公開の場)】
「連邦」
大統領を国家元首とする人類初の近代民主主義国家。人類国家八大列強の一角。
大統領は連邦軍最高司令官として強権を発動できるが、連邦構成州への分権が進んでおり、議会権力が強いために効果は限定的。
議会は下院と上院に分かれた二院制で、一部を除き下院が優越している。「連邦党」と「社会党」の二大政党制だが、少数の議席を有するマイナー政党や地方議会で多数の議席を得ている地方政党も多い。
ていうかぶっちゃけアメリカ合衆国である。
「人類国家八大列強」
連合王国・連邦・都市同盟・共和国・帝国・協商国・王国・皇国のこと(国民総生産力順)。
モデルはそれぞれイギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・ロシア・オーストリア=ハンガリー・イタリア・日本。
これらの国が登場する機会はたぶんない。