私たちの仕事は「兵站」です
「本当ですか? 陛下が危機に陥っているというのは……」
我、危急にあり。
魔王陛下からの直接の思念波を受け取った兵站局のメンバーは、そんなまさか、という目をしていた。
ソフィアさんはさらに体を硬直させたまま動かないでいた。
いつものソフィアさんであれば、俺の質問に真っ先に返答するのに、ショックのあまりそれを放棄していたのだ。
だから代わりに答えてくれたのはエリさんだった。
「間違いないわね。そんな冗談を言える戦況ではないことは、局長も知ってるはずよ」
「そうですけれど……」
ヘル・アーチェ陛下とは短い付き合いだが、素直に信じられない。
人類軍一個師団を弄んで余裕綽々で帰ってくる方だ。
そんな陛下が、危機の中にある。
「詳細は?」
「わからないわ。でも親衛隊の通信担当からの連絡じゃなくて、陛下自身からの連絡ということを考えると、ある程度想像できるわ」
「……まさか、親衛隊が全滅したと?」
「その可能性が高いわ、残念なことに。陛下からの思念波なんて初めてだしね……」
エリさんの言葉に、魔王軍に長くいた局員からも同意の言葉が放たれた。
つまりエリさんの予測が正しいということだ。……嘘であってほしかったが。
なにせ魔王軍は魔王陛下麾下の親衛隊の力によって戦線を維持してきたのだ。それを一気に失えば、魔王軍はないも同然。
人類軍に蹂躙され、絶滅する。
それは敵もわかっていた。
だからこそ敵は、人類軍は魔王を討伐すべく本気を出したということだ。
生半可な火力で倒せない魔王を、どうやって討伐しようとしたのかはわからない。
でも、それを議論している暇はない。
「他の魔王軍の状況は?」
「前線は既に崩壊ね。指揮系統も混乱し周囲の陣地が司令部に指示を求めている状況よ」
「……いよいよまずいですね」
魔王が危機で、指揮を執るべき者がいないということ。
これはどう考えてもまずいだろう。烏合の衆と化してしまったのだ。
「局長、指示を」
エリさんら局員が、毅然とした表情で俺の目を見る。
だが……そう言われても困る。
というのが真っ先に思ったことだった。俺らには戦闘部隊を動かす一切の権限はない。陛下を助けようにもできないのだ。
「ひとまず、待機していてください」
だがそう俺が言った瞬間、俺は肩を力強く掴まれた。
「今すぐに救援に駆けつけるべきです!」
「……ソフィアさん?」
ついさっきまで放心状態だったソフィアさんが、そう怒鳴ったのだ。
俺の知る彼女はそんな怒鳴るようなことはしない。
戦時医療体制の話をした時も、ショックを受けていたようだが冷静に応対していた。
「陛下を見捨てるなんて、そんなことは許されません!」
なのに陛下が危機に陥ったと知った時に魂が抜けたように呆けて、そして怒鳴るなんて。
いや、魔王陛下に対して忠実な魔王軍の一メンバーであることを考えれば、普通なのかもしれない。
でも彼女の鬼気迫る表情は、その裏に何か別の者を内包しているような気がした。
「ソフィアさん、落ち着いてください」
「落ち着いていられますか、この状況で! 陛下が、陛下の命が危ういのですよ!?」
「わかっています。だからこそ落ち着いてください」
ソフィアさんの肩を掴んで、平静を取り戻させようとしたが、それも無駄に終わりそうだ。
人狼族の持つ鋭い犬歯が、今にも俺に刺さりそうだ。
でもそんな殆ど脅迫まがいのことをされても、俺は意見を変えない。
「ソフィアさん。質問があります。『私たちはなんですか?』」
「魔王軍です。陛下に忠誠を誓う、魔王軍の一員です」
彼女の答えは明確だった。当然、と言わんばかりに。
無論それは間違いではない。だけど、
「結構ですが、もっと細かく言いましょう。私たちは『魔王軍兵站局』の一員です。故に私たちの仕事は『魔王軍の兵站を維持すること』にあります。違いますか?」
「違いません。しかし兵站局である以前に、我々は魔王軍です。陛下が危急とあれば……」
「助けるのが筋と?」
「筋違いだと言いたいのですか?」
「いいえ。粗筋はあっていますよ」
筋は通っている。だがしかし、というやつだ。
「我々は兵站局であって戦闘部隊でも、医療部隊でもありません。陛下を助けることは私たちの仕事に入っていませんよ」
兵站部隊の仕事は戦闘部隊を支えること。
戦場で人類軍の猛攻撃の中にある陛下を救うというのは、今魔王軍の中で右往左往している戦闘部隊の仕事だ。
俺らは何もできない。
「しかし我々は――」
それでも反論しようとするソフィアさんの口を、俺はさらに言葉を重ねて無理矢理塞いだ。
「じゃあ聞きましょう。助けるとして、具体的に何をするんですか? まさか剣を持ったこともない様な俺みたいな人間に戦場に出向け、と言っているわけじゃないでしょうね?」
俺じゃなくても良い。
兵站局の構成員は民間出身者が半数以上を占めている。戦闘なんてできやしない。
いや、やれと言われたら肉壁くらいの仕事はできるかもしれないけどね。機関銃陣地に向かって突撃して犬死にするくらいしか能のない俺らだ。
「それは……」
ソフィアさんは小声でそう呟いた後、何も言わなくなった。
それと共に、彼女が持っている独特な耳と尻尾がシュンと垂れ下がる。
やっぱり狼と言うより犬だな、と不謹慎ながら思った。言わないけど。
「でもよ」
そこで、俺とソフィアさんの口論だか会話だかを聞いていたユリエさんが割って入ってくる。
「でもよ、ソフィアの言うこともわかるぜ。生粋の魔王軍じゃないオレだって、陛下のことは尊敬してるし、戦場に出向いて助け出したいと思う」
「私も、ユリエに同意します。局長、私たちに『陛下を救え』と命令してください」
「わ、わたしも、同じです!」
ユリエさんの言葉に、エリさん、リイナさんが続く。
兵站局にいる全員が俺の指示を待っていた。
しかし、俺の意見は変わらない。
「ダメです。私たちの仕事ではありません」
「局長!」「局長さん!」「局長様ぁ……」
「何を言ってもダメですよ。専門外のことをやったところで私たちには何もできません。私たちの仕事は『兵站』で、それ以上でもそれ以下でもありません」
事務屋が最前線で武勲を立てることができるわけがない。
そんなことができるなら、わざわざ金をかけて兵を育成する意味もないし士官学校なんて潰れてしまえばいい。金の無駄だ。
「やっぱり……」
目の前にいるソフィアさんが、不意に何かを言った。
「やっぱりあなたは『人間』です……! 陛下が危機にいるというときに、何もしないなんて! 呆れましたよ、アキラ様!」
ソフィアさんが、そう叫んだ。
怒りと哀しみと絶望とをコンクリートミキサーにかけてぶちまけたような表情で、そう叫んだ。
「あなたは非情で、非道な『人間』なんです! だから陛下を見捨てて……!」
涙を見せて、彼女は俺に背中を見せて駆けだそうとした。
恐らく命令を無視して、自分だけでも陛下の下に、という考えなのだろう。
でもその前に、俺はソフィアさんの腕を掴んで止めた。
「離してください! 私は、陛下の下に行かなければならないんです!」
「行ってどうするつもりですか。何もできず死ぬのがオチですよ」
「それでも構いません! 私は、私たちには陛下に多大な恩があるんです! それを、それを返さなくて何をしろと言うんですか! こんなところで何もせずに陛下が死ぬのを待てと言うんですか!?」
彼女は泣き叫び、怒鳴り散らした。
まったく、綺麗な顔が台無しである。
「ソフィアさん」
「なんですか。命令違反で拘禁でもす――」
「私がいつ『何もしない』なんて言いました?」
「――るつもり――って……えっ?」
ソフィアさんの表情が、一転して困惑に変わった。
お前は何を言っているんだ、という表情だ。クール系と思わせて意外と彼女は表情が豊かなのかもしれない。
「ソフィアさんとあろう者が、私の言葉を拡大解釈するなんて。副官失格ですよ」
「え、あの……でも、アキラ様は……」
「私はただ『待機しろ』と命じただけですよ。『何もするな』とは言っていません」
軍事用語での「待機」とは「何があっても即応できるだけの態勢を整えろ」という意味である。
ボケッとして突っ立てろという意味はまったくない。
今はまず待機するのが仕事……なんだけど、
「まぁ、一向にあの人が来ないのもどういうことなんでしょうかね」
「……は?」
ソフィアさんは困惑の度を増しているが、俺も困惑しているのだ。
まったく、魔族と言うのは時間にルーズな生き物なのだろうか。寿命が長いとそうなるのか……。
と、その時、兵站局執務室の扉が開け放たれた。
ここは「やっと来たか」と言うべきだろうが、タイミングがいい。
「アキラくんはいるか!?」
「遅刻ですよ、ダウニッシュさん」
「すまんね。道が混んでたものでな」
「なら仕方ないですね」
孫娘の結婚式の為に故郷に帰っていた親衛隊所属のエルフ、ダウニッシュさんがようやく到来である。
飛竜で飛んで来たんだろうに道が混んでたってなんだよ、と突っ込んではいけない。
「結婚式はどうでした?」
「まあまあだな。相手も少し見ない間に成長……と、また話が逸れたな。概要はだいたい聞いている。すぐに準備しよう」
「わかりました。手配します。さっそく各部署に通達を――」
「ちょっと待ってください!」
します、と言いかけたところでソフィアさんが叫んだ。今日は随分元気だなー。
「い、いったい何の話をしているんですか!? ていうかなんでダウニッシュ様が……」
「何の話もなにもないが……。それに私は、陛下が危急と聞いてここに来ただけだぞ?」
ソフィアさんの疑問の叫びに、ダウニッシュさんもまた困惑した。
そして俺の方を見て「どういうことなの」と目で聞いてきた。
俺に聞かれてもわかりかねるが、まぁ事情説明は直属の上司である俺の仕事か。
「決まってるでしょう。陛下を助ける準備ですよ」
その瞬間、兵站局にいた全員がハテナマークを頭の上に浮かべた後に、一斉に言った。
「「「はい?」」」
仲良いなお前ら。
「言ったでしょう。私たちの仕事は『兵站』だと。そして戦闘部隊の裏から彼らを支える。必要な物を、必要な場所に、必要な時に、必要なだけ提供する。それが私たちの仕事です」
そして兵站に支えられた戦闘部隊が、陛下を救う。ただ、それだけの話だ。