降り注ぐ雨は鋼鉄でした
その時、魔王ヘル・アーチェは戦場にいた。
魔都グロース・シュタットの居城には戻らず、鋼鉄の雨が降り注ぐハイヴァール陣地で、彼女は持ちうる全ての力を思う存分に開放していた。
「――地獄に落ちろ。『ジェノサイド・バーン』!」
ヘル・アーチェの腕の動きと共に、大地が燃え上がる。
爆炎と爆風が人類軍を覆い尽くし、その進撃を停止させる。だが、それでも人類軍は攻撃を止めない。
「陛下、上です!」
「ぬっ!?」
親衛隊の一人が叫びながら指差す方向には、鉄の塊が落下していた。
アキラが言うところの「砲弾」である。
その砲弾は、ヘル・アーチェの近く、十数メートル前方の地点に着弾、その次に後方数メートルという極めて至近に着弾した。
寸前のところで親衛隊の一人が防御魔術を展開しそれを防ぐが、しかしそれ以上のことはできなかった。
砲弾の威力が、強すぎるからだ。
「陛下、このままではジリ貧です。後退を!」
「そうだな。僅か数日で二つも陣地を陥落させるなど失態も良い所だが死ぬよりマシだ。ハイヴァール陣地を放棄する。守備隊は撤退、我々が殿を勤める!」
「「「御意のままに!」」」
だがそうは言ったところで、人類軍の猛撃は凄まじい。
親衛隊員の言う通り、彼らはジリ貧だった。
しかし守備隊の撤退には時間がかかる。少しでも時間を稼がなければ、損害は陣地の放棄だけに留まらない。
「ジンツァー、君は右翼を。クロイツェルは左翼だ。ローゼンは私と共に。隙を見て攻撃、牽制して敵の足を止めろ」
「「「ハッ」」」
ヘル・アーチェは部隊を指揮し、自らは隙を見てありったけの魔力を敵にぶつける。
だが人類軍は地平線のむこうから攻撃を仕掛けている。
それを成しているのは「砲兵」と呼ばれる兵。十キロを超える射程を持ち、高位魔術師が使う難易度の高い火魔術並の威力を持つ砲弾を毎分五~六発戦場に届けると言う画期的な兵器。
親衛隊の防御魔術で以てしても、防ぐのがやっとだ。
また防御魔術は爆風を完全に防ぐことはできないし、してはならない。
完全に密閉してしまうと酸素の供給ができないからである。……もっとも、砲弾の雨あられの中にあっては貴重な酸素も一瞬で燃焼してしまうわけだが。
「クソッ……! 地獄の業火、彼の者を射抜け! 『ファイアーシュート』!」
魔王はその鉄の雨を何とかすべく射程の長い魔術を放つものの、地平線の向こうにいて視認できない敵にはなかなか当たらない。
「やはり無理か……。人類軍というのは、卑怯極まる! 姿を見せないで戦うとは!」
ヘル・アーチェはそう言うが、彼女の視界には別の敵が映っていた。
だが、彼女が脅威と見做していないため後回しにされていただけだ。
それは上空を飛ぶ鉄の竜、アキラの言うところの「飛行機」であり、もっと細かく言うのであれば「着弾観測機」である。
そしてやはり魔王は知らないが、砲兵による遠距離射撃においては着弾誤差を「観測」して「修正」する者の存在こそが最も重要で脅威である。
実際上空の機は、硝煙と黒煙と多少の曇天の切れ間からその重要な仕事をしていた。
『こちらマーリン03、魔王と思しき目標への至近弾を確認。公算誤差範疇内と判断します。目標は停止して防御魔術を展開した模様。修正の必要なし、効力射を始められたし』
『コルベルク08。了解、任務を遂行する。全力射撃は一二〇秒後に行う。流れ弾に注意』
『マーリン03了解』
上空の機が待避したことに、ヘル・アーチェは気付かない。
それが数分後に「豪雨」が振る予兆を意味することも当然知らなかった。
「――クソッ!」
風切り音の後に、轟音。
大地が爆発し、黒煙が上がり、生半可な術式では突き破られるほどの威力を持ったエネルギーが解放される。
「全員無事か!?」
「こちらジンツァー隊。部下数名が負傷しましたが、死者なし!」
「クロイツェル隊も死者なし。負傷二名!」
「わかった。全員、無理をするな!」
しかしそうは言っても、彼らはこの状況下にあっては何もできない。
敵に急接近して砲兵隊を叩くのが最善の手段であるが、人類軍が既に全力射撃を始めた時点でそれを困難にさせた。
さらにここ数日の疲労感が、彼らの判断力を鈍らせる。
「陛下、長くは持ちません。後退を!」
「しかし、まだ味方が残っている!」
ヘル・アーチェや親衛隊員の脳内には、ハイヴァール陣地守備隊が発した思念波が受信されていた。
曰く「負傷者が多く、撤退しきれていない」と。
「しかし陛下。陛下の身に何かあれば元も子もありません!」
「魔王たるものが真っ先に逃げては味方の士気に関わる。それに私が死ぬと思うのか?」
「万が一ということもあります!」
親衛隊と魔王の議論は続くが、総重量17キロの107ミリ砲弾の雨も止むことはなく、彼女らは一歩も動くことはできなかった。
ヘル・アーチェが反撃しても雨は止まず、得たのは「反撃しても無駄」という純然たる事実だった。
一方で人類軍は、消費した弾薬の量に比して魔王直率の親衛隊に対する損害を与えられていなかった。
だがそのことについて、悲観する者はいない。
『こちらマーリン15。観測任務を引き継ぐ。目標は未だ動かず。修正の必要はなし』
『コルベルク07、了解。射撃を続行する』
事務的な会話が観測班と砲兵の間でやり取りされる。
砲兵が撃ち、観測機が観測し、魔王以下親衛隊はそれを魔術で防ぐ。
断続的に降り注がれる砲弾の雨は親衛隊の動きを封じ込めることに成功し、戦線は膠着したままさらに三日が過ぎていた。
しかしこのままでは、アキラが言うように兵站上の問題、つまり砲兵隊が使用する砲弾や観測機用の燃料が尽きてしまう。
その前に何らかの手を打たなければならないが、それこそが「オーケストラ作戦」の主軸だった。
この時、人類軍側では鳴り止まない砲兵の演奏とは別の動きがあった。
ハイヴァール陣地の対面、人類軍が構築した陣地の前線指揮所(CP)。
そこである士官が報告のために前線指揮官に会っていた。
「第一特種車両小隊『アーサー』、準備完了しました」
「報告ご苦労。観測機の報告によれば、目標は現在停止中で目立った損害は受けていないらしい。だが砲火が交わされてから既に三日経っている。敵の疲労とストレスは極みにあるだろう」
淡々と告げるは明瞭な事実。
それがオーケストラ作戦の初期目標でもある。
第一段階として、離れた地点にて時間差による攻勢を行い、緊急展開部隊である魔王親衛隊に短期間での長距離行軍を強いる。
その後、第二段階として大規模な攻勢を仕掛ける。
潤沢な砲兵による射撃で親衛隊の機動力を殺して、さらに敵を疲弊させる。
全ては、魔王討伐という人類の悲願の為に。
そしてそれは半ば成功した。
第二段階までは問題なく遂行している。
魔王軍の増援も認められず、ハイヴァール陣地の守備隊はほぼ撤退し終えているが親衛隊は後退ができず、疲弊している。
「いよいよ、ですね」
「そうだ。司令部より『オーケストラ作戦』第三段階移行の指令があった。諸君らの出番だ。作戦開始時刻は一四〇〇。全人類の生存と平和の為に――健闘を祈る」
「ハッ」
アーサー小隊は作戦のための「必要な準備」を既に終えている。
全力射撃中の砲兵隊も同じく、準備完了。入念に計画された作戦に、今の所穴はなかった。
「小隊傾注! これよりオーケストラ作戦第三段階に移行する! 各員必要な装備をチェックしておけ! それと念のためだ! マスクとパムの準備も忘れるなよ!」
「「「了解!」」」
ハイヴァール陣地周辺の天気は良くも悪くもない曇天で、ほぼ無風状態。
作戦決行には、最高の日だった。